ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

聖書

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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宇宙人と地球人の立場

宇宙人から、いろいろ教わった。
だが、それは、有名な宇宙人相手のチャネラーやコンタクティーを騙(かた)る連中のように、宇宙人と対等の立場で教えを受けるような嘘話ではない。
私のものは、たとえて言えば、毒蛇に近付こうとする犬を棒で叩き、近付いてはならないと教えるようなものだ。
地球人など、進化した宇宙人にとっては犬のようなものではないかと思う(全く同じではないが)。

1980年のアメリカ映画『スーパーマンII 冒険篇』で、スーパーマンと同じクリプトン星人の3人の悪党が、スーパーマンに関して、こんな会話をする。
「スーパーマンはなぜか地球人を大切にしている」
「ペットを可愛がるようなものか?」
「多分そうだ」
これは、クリプトンの3悪党の無知を表す場面として製作したのだろうが、はからずも、3悪党は、まっとうなことを述べているのだ。

それが分かれば、聖書の詩篇23をすんなり受け入れることが出来、それは、あなたにとって実に良いことになる。

◆詩篇23章
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
(WordProjectより引用)

海の泡
AIアート286
「海の泡」
Kay


この詩篇23章で物議をかもすのが「あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます」のところで、専門家達が、言い訳のような解説をする。
そんな言い訳が必要と思われるのは、われわれ人間は、神から対等に扱われる価値があるとうぬぼれているからだ。
我々が、羊や犬を、必要に応じてむちやつえで打ったり脅したりしてしつけるように、神は我々に理解出来ないことは強制的に従わせることがあっても、少しも不思議ではない。
しかし、神に対して従順である限り、我々がペットを大切にするように大切にしてくれるのである。
神は、我々のように、気まぐれで、飼っているペットを捨てたり殺したりしないのである。








人間の本当の力を示唆するお話

「私は誰か?」と問い続ければ、正しいことが分かってくるし、超能力が身に付くし、引き寄せもうまく出来るようになるが、それは単に、本来の我々が大きな力を持っていて、それを回復させるからに過ぎない。
しかも、超能力や引き寄せ等といった力は実は些細なものだ。
何と言っても、我々は至高の実在・・・神(のようなもの)なのだからだ
これに関しては、聖典には、嘘が書かれていることが多い。
たとえば、旧約聖書では、神は絶対的な一者で、人間は神に作られた、神の絶対的に下方に位置する(つまり、絶対的に劣った)存在である。
そこには、人間が神であることは全く述べられていない。
人間は土で作られたつまらない存在であるとされている。
だが、イエスは、人間は死んでも、最後の審判の時に甦り、優れた人間は天国に行けると言ったが、イエスの言うことのニュアンスは、死んですぐに天国に行くことを示唆している。

なぜ、そんな矛盾することが、旧約聖書と新約聖書に書かれているのかというと、人間が神のようなものであることを隠したい宇宙人が人間に噓を教え、それが記述されたことや、それを知っていたイエスが、ものを知らない当時の人々に教えるために、どうしても事実を曲げて教える必要があったからだ。そう考えると話が非常にすっきりする。
それを知ったうえで聖書を読むと、意外に面白い。

以前、SF作家の平井和正氏(1938~2015)が、『エリート』『幻魔大戦』といった漫画の原作で、人間が元々、強大な力を持っていることを示していることを書いたが、他にも平井氏は、あまり知られていないかもしれないが、『デスハンター』という漫画(漫画は桑田次郎氏が描いた)で、人類の正体をドラマチックに描き、後にこの原作を『死霊狩り(ゾンビハンター)』というSFにして出版している。
地球は、宇宙人「デス」の侵略を受けているが、デスは姿なき宇宙生命体で、人間にとり憑く。
デスにとり憑かれた人間は、デスに意識を支配されて超人化し、恐るべき能力を発揮する。
このデスを殺し、地球を守るために、人類はデスハンターという強大な秘密組織を作る。
デスハンターの隊員は、世界中から選りすぐられた超人的に優秀な人間で、そのデスハンターが、人類を守るためであれば、法を無視してでも、デスを殺す任務を全うする。たとえば、10人の人間の中に1人、デスが「いるかもしれない」と疑われれば、それだけで10人共、爆弾で一気に吹っ飛ばす程度のことは平気で行う。
以下は、ネタバラシになる(まあ、半世紀前の作品だが)。
◆ネタバラシ~ここから~
デスはデスハンターが予想していた以上の存在で、殺すことは不可能で、その力は無限である。
そして、デスは実は、人類の本体であるという驚愕の事実で話が終わる。
◆ネタバラシ~ここまで~
無論、『デスハンター』に書かれていることが純粋な真実であるわけではない。
だが、重要なことを示唆しているとは言えると思われる。

多くの、人間の正体を示唆する話を知り、「人間って(私って)、本当は何だろう?」という想いで「私は誰か?」と自分に問えば、やがて自分(の魂)が答えてくれるだろう。
人間の正体は『デスハンター』のデス以上であるに違いない。
しかし、それをほとんどの人間が知らず、結果、人間の本当の力を使えない。
だが、あなたはそうではなくなるのである。
「私は誰か?」と問うことによって。








神話の真実は酷いものだった

最近は、このブログでずっと、ローレンス・R・スペンサーの『エイリアンインタビュー』について語っているが、この宇宙人エアルに対するインタビューの内容は、私は事実だと思うが、万一、作り話だとしても、我々が本来持っている力を回復させ、人類の危機的状況を救うために、あまりに「使える」ストーリーを提供してくれている。
これまで疑問に思っていたことへの合理的な解答を得られ、聖典や賢者の教えに統一性をもたらす。

今回は、ちょっと変わった神の話をしようと思う。
神と言えば、キリスト教やイスラム教(いずれも起源は旧約聖書だが)のような、神は1人であるとする一神教と、ヒンズー教、ギリシャ・ローマ神話、北欧神話、神道のように沢山の神々がいるとする多神教がある。
この中で、我々にも比較的馴染みのあるギリシャ神話や神道の神について、疑問を持っている方は多いと思う。
神道の神については、古事記や日本書紀に記述がある。
これらの神々は、良い言い方をすれば「人間味があって親しみ易い」と言えるかもしれないが、神に人間味があってどうなるものでもないし、その人間味の多くは非人格的という意味である。
ギリシャ神話では、神々の王ゼウスが率先して、女神だけでなく、美しい人間の娘を見て欲情しては手を出し子供を作る。
女神の中には、ゼウスの相手になるのが嫌で自分の美しい身体を島に変えて元に戻らなかったり、泣く泣く相手をした女神もいる。
ゼウスの息子のアポローンは、美しい精霊のシュリンクスを無理矢理犯そうとし、シュリンクスは絶対嫌なのだが、アポローンのような偉い神には逆らえない。そこでシュリンクスは父親に願い、葦に姿を変えてしまった。
力のある神々は、人間に対し(下位の神や精霊に対してもだが)、やりたい放題であるが、神のやることに人間が異義を唱えるのは身の程知らずとされるなど、なんともディストピア(暗黒郷)的なお話である。
古事記の神々は、比較的、ギリシャ神話の神々のような奔放さはなく、人間を慈しみ、身を慎む場合が多いが、そうとも言えない神も多い。
『エイリアンインタビュー』によれば、神々は宇宙人である。無論、ギリシャ神話や古事記、あるいは、旧約聖書では、脚色され、物語化されているが、神話と似たことが行われてきた。
地球にやってきた宇宙人の中の良からぬグループは、やはり美しい人間の娘に手を出しまくっていたことは聖書にも書かれている。
聖書では神そのものは1人であるが、神の子とされる特別な人間や権威ある神官なども、そんな宇宙人である。
元々、人間の身体も宇宙人の身体もテクノロジーによって作られた同じ(少なくとも似た)もので、宇宙人が人間に好意を感じても不思議はないし、子供を作ることも出来る(というか出来てしまう)。
尚、『エイリアンインタビュー』の宇宙人エアルは、調査目的に限定して作られたボディー(いわゆるグレイタイプ)を持ち、人間にあまり似ていない。エアルは、いつでも、そのボディーから離れることが出来るが、それは死を意味するわけではない。

厳重に隠蔽されてすら、宗教教団の偉い神職の者達の性的な良からぬ話は昔から少なくないのは、これら宇宙人の行いに倣っているようにも感じるのである。
しかも、連中は滅多なことでは罪に問われなかったし、現在でも正当化される風潮があるだろう。
少なくとも美しい女性は宗教には関わらないことである・・・と私は思う(笑)。
間違えても美少女には、宗教団体の門を絶対にくぐらせてはならない・・・と私は強く思う。

神話のお話は、人間は弱く惨めな存在であり、神のやることに異議を唱えてはならず、いいなりになるべきという根性を叩き込まれたことを意味している。
しかし、本当は、我々は神(のようなもの)である。
宇宙人は、人間にそれを思い出させないよう、テクノロジーを駆使しているので、我々は自分が神であることを自覚することは難しい。
しかし、宇宙人の人間を無力化するテクノロジーを回避し、力を取り戻した人間はいる。
宇宙人の手段は、人間の記憶の消去と偽の記憶の植え込みで、それは、肉体の死と共に行われる。それは、装置によって自動的になされる。
だが、記憶を取り戻した人達がいたし、今もいる。
記憶を取り戻せば力も戻る。
我々の中には、エアルのグループの善い宇宙人の魂を持った者もいる。善い宇宙人にも、悪い宇宙人によって記憶を消され、我々の中で転生を繰り返している魂もいる。
引き寄せの力が強い者、直観や予知能力に優れた者、優れた発明家や芸術家や哲学者は、神の記憶を部分的に取り戻した者であり、それには、地球人やエアルの仲間の宇宙人もいる。

そんなわけで、いつも述べる通り、我々は消された記憶を取り戻し、神の力を回復させなければならない。
しかし、悪い宇宙人はそれを恐れており、妨害があることも考えられ、実際、妨害されているに違いない。
現在の世界情勢も、それを現わしているように思う。








神話はこの世界(メタバース世界)の操作マニュアル

結局、引き寄せというのは、この世界であるメタバース(※)を動かすシステムの操作技術のことだ。
※メタバース・・・メタ(超)・ユニバース(宇宙)の略語。コンピューターが作る3次元仮想空間のことであり、我々が居る世界はメタバースと考えられる。

我々の多くが、閉塞感や不安を感じているのは、まず、この世界が物質世界であって、思うようにならないと信じているからだ。
そこで、この世界がメタバースであることや、それを動かすシステムの操作方法が分かれば、安心し、幸福を感じるだろう。
最初に言ったように、このメタバースシステムの操作技術が引き寄せだが、引き寄せは特権のある者しか出来ないことではなく、また、そのやり方は、別に隠されてもいない。
引き寄せの方法は、神話の中に明かされていて、実際、神話が消された国では誰も引き寄せが出来ない。
自分では聖書や古事記を読んだことがなくても、間接的に内容を知れば、ある程度の引き寄せは出来るが、あまりうまく出来ない。
また、聖書や古事記の誤った解釈を知ったら、やはり、引き寄せがうまく出来ない。

聖書や古事記は何なのかというと、霊界の話・・・つまり、上位メタバースの話で、我々の概念で言えば、精神世界の話だ。
あまりに個性的に書き換えられていない限り、読めば、知性ではなく、心で理解出来、何となく引き寄せが出来るようになる。
昔は、子供でも、いくらかの古事記の内容を大人に教えてもらったので、かなり引き寄せが出来た。
もちろん、キリスト教国では聖書がそれに相当する。
インドでは、『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』になるのだろう。
『ギリシャ神話』や『北欧神話』、それに、『アラビアンナイト』も、おそらく、そのようなものなのだろうと思う。

日本では、古事記は聖書のように宗教として扱われていないおかげで、余計な解釈を聞かされることがないことは良いことである。
読みさえすれば、知らず知らず引き寄せが出来るようになる。
昔はもっと、「古事記を読め」という人がいたが、今は滅多にいないし、古事記を読めば何が良いのかを言う人はさらに少ない。
古事記を読むことが良いことと理解している人も、何が良いのか理屈では説明し難いので、それは仕方ない。
しかし、やはり、古事記を読むのは、この世界というメタバースを動かしているシステムの操作技術の習得のためである。
他の国の神話を読むことも良いことである。
内容自体はだいたい同じなのだが、視点が異なるので、いろいろ読めば理解が深まるかもしれない。
しかし、中途半端にあれこれ手を出すと混乱してしまうことになるだろう。
とりあえず、自分の国のをしっかり読むと良いと思う。








あなたにも出来る宇宙人の技

『シン・ウルトラマン』という映画があるが、アマゾンプライムで配信されていたので一度観てみた。
娯楽映画だが、1つだけ、なかなか良い場面があった。
ザラブという宇宙人が、地球の特殊組織にあった電子機器を手も触れずに自在に支配する場面だ。
地球人が「どうやってるんだ?」と尋ねると、ザラブは「私が意図すればそうなる」と言った。
実際、人間だって進歩すれば、そんなことが出来る。
ただ、本当に進歩した宇宙人が、この映画のザラブやメフィラスのように、地球を支配しようだの、騙そうなどとはしない・・・というか出来ない。
そもそも、この映画の主要人物達のレベルが、人間としても低過ぎる。とてもではないが、リーダーの立場に立てる者達ではない。
これが製作者のレベルであろう。
まあ、娯楽映画だから、文句を言っても仕方がないが。

さて、上の「意図すればそうなる」は、別に電子機器だけでなく、この映画で「改ざんが出来ない」とされたアナログ情報や香り(浅見弘子の匂い)すら、操作・改ざんが可能だ。
さらには、出来事や人の思考も同様である。
まあ、「意図すればそうなる」のではなく、本当は、「意図すると同時にそうなる」で、感覚としては「意図する前にそうなる」のである。
聖書に、神は「呼ぶ前に答える」と書かれているようなものだ。
もちろん、全部、あなたが出来る。
ただ、我々が未発達なので、自分同様、未発達な支配者の相手になるしかなく、未発達な支配者は、あの映画の製作者達をコントロールし、あなたを低レベルに留める作品を作り、マスコミもコントロールして大ヒットさせたのだ。
あの映画を絶賛するような者は信じないことだ。あまり賢くないので。
まあ、「面白かった」と言うだけなら、別に構わない。

ザラブやメフィラス以上の「普通の力」を取り戻したければ、意図すると同時に実現する様子を、想像の中で何度も何度もやってみることだ。
例えば、石ころがパンに変わったり・・・いや、もっと面白いことを。
イエスに悪魔が「石をパンに変えてみろ」と言った時、イエスは「人はパンだけで生きるのではなく、神の言葉で生きる」と言ったが、神の言葉とは神の意図のことだ。
神が意図すれば何でもそうなるのだから当たり前だ。
そして、あなたが神なのである。
とにかく、それが分かるよう、想像の中で練習することだ。
コツは、自信満々でやることである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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