エクスタシーという名が、ある麻薬に付けられているらしい。やめて欲しいものだ。その麻薬の正式名はメチレンジオキシメタンフェタミンで、略してMDMAという。確かに覚え難い。それで、麻薬効果のイメージに一番ぴったりきそうな名前が付いたといったところだろうか?
まあ、それはいい。
エクスタシーといえば、性的絶頂感を連想する人が多いかもしれない。
本来は、忘我という意味で、文字通り、「我を忘れる」ということだから、快楽の最高潮にある時、我を忘れるというのは分かりやすいことだ。
宗教でいう法悦も、英語ではエクスタシーで、神を近くに感じて、あるいは、神と一体化して恍惚とした状態だ。
イタリアの彫刻家ベルニーニの『聖テレジアの法悦』の聖女テレジアの表情が、エクスタシーの様子をよく表している。

The Ecstasy of Saint Therese(聖テレジアの法悦)

人間にとって、エクスタシーほど大切なことはない。それが、人間の神秘を解明する鍵だからだ。
エクスタシーが分かれば、不可能はなくなるし、宇宙をそのまま手にしたも同じだ。
それは、普通に言う快楽ではない。体験としては苦痛に近い。しかし、快楽、苦痛という言葉に囚われない方が良い。ただ、忘我だ。
エクスタシーはギリシャ語のエクスタシスからきており、それは、「外に立つ」という意味だ。そのため、魂が肉体を離れる幽体離脱のことだと言う人もいるが、似て非なるものだ。言葉でもう少しマシな言い方をするなら、意識が拡大して肉体や心を超えた状態だ。しかし、言葉はどうでもいい。

コリン・ウィルソンの本でも、秘教的な宗教の中には、性的絶頂感を使って意識を高め、神に近付こうとするものもあるらしいが、良い成果も少しはあるかもしれないが、いずれも最悪の結果に終るだろう。
「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツは、芸術の目的はエクスタシーだと言ったが、目標としては正しいが、到達は難しい。最も、どんな方法でも難しいのだ。

私が思い浮かべるエクスタシーの最も良い例の1つが、時々書くが、ある空手の達人の体験だ。
彼は、戦後まもない頃、真剣を持った剣術の達人と決闘している。
いかに一撃必殺の拳とはいえ、相手は触れれば切れる氷の刃。しかも、相当な腕前だ。
空手家は、勝つことは不可能と判断し、命を捨てる覚悟をしたそうだ。ただし、手足の1本でも残っていれば必ず相打ちにとの決意で相手に突進し、その後のことは本当に覚えていないらしい。そして、我に返った時、剣術家は川原で伸びていた。
空手家は、忘我の状態、すなわち、エクスタシーの中で超人的な力を発揮した、いや、超人の力と一体化したのだ。

私は、政木和三さんによく、「欲望を捨てなさい。そうすれば不可能はなくなります」と言われたものだ。
つまり、欲望を捨て切れば、エクスタシーに達するのである。
政木さんは、欲望を捨てれば、脳波はシータ波になると言った。
そのため、政木さんは、脳波を強制的にシータ波に下げる装置パラメモリを開発した。これは、後にアルファシータ、バイオソニックと名を変え、販売されたが、現在は製造されていない。ただ、この装置の原理は、バイノーラルビート現象を利用したヘミシンク効果であり、さほど難しいものではなく、現在はCDの形であるようだ。ただ、良い製品、悪い製品があるかもしれない。
ただ、いかにヘミシンク効果のある装置やCDを使っても、欲望がある限り、エクスタシーにならないことは覚えておいた方が良い。ヘミシンクは補助的なものと考えて間違いないと思う。
ヘミシンクに関しては、ロバート・モンローの著書によく書かれている。彼の研究は未熟であったと思うが、十分、参考になると思う。
尚、ヘミシンクCDをiPhoneやiPod、ウォークマンなどで使用する場合、MP3などではなく、WAVファイルに変換することをお奨めする。









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