王のように生きるとは、自分が夢の中にいると知って生きることだ。
それは、宮殿に住んでいようが、スラム街に住んでいようが関係ない。
自分が夢の中にいることが分からないのが、凡人、庶民、小市民だ。
『列子』の中に、こんな話がある。
王様は、夢の中で奴隷になるので、目が覚めている時も憂鬱だった。
一方、1人の奴隷は、夢の中で王様になるので、奴隷であっても元気で気分が良かった。
これでは、どっちが王様でどっちが奴隷か分からない。
両方共、現実と夢が等価値であることに気付いていることは立派である。
この2人の様子で分かることは、夢の方が、ある意味もっと現実であるということだ。
実際そうで、誰でもその気になれば分かる。
江戸川乱歩は、常に、
「うつし世(この世)はゆめ よるの夢こそまこと」
あるいは
「昼は夢 夜ぞ(夜こそ)現(うつつ)」
と色紙に書いたらしいが、彼はよく分かっていたのだろう。
この世を夢と見なすと良い。
夢の中では、受容性が高くなり、世界に介入しようという気がなくなる。
つまり、映画でも見ているように、展開を観察する気分になる。
夢の中で、遅刻しないよう焦ると、全く埒が明かなくなることは経験しているのではないだろうか?
介入は無駄なのである。
ただ、世界はなるようになるのだ。
そんな中で、王のような気概(強い意気)を保つのである。
それが釈迦の言う「天上天下唯我独尊」であり、「俺が一番偉い」という意味ではないのだ。
現実や夢を思い通りに出来るかというと、それこそ「思い方」次第だ。
本当の王のような思い方であれば、自然とそうなる。
下種なチンピラのような思い方だと、ある意味では、やはり思い通りになる。つまり、痛い混乱した世界になる。
何が王かは、自分で決めれば良いが、『老子』には、「みなしご」「徳の少ない者」「善くない者」と書かれている(徳間書店『老子・列子』参照)。
そうであれば、慎まねばならない。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)中国の思想(6) 老子・列子(徳間文庫)
(2)スウェーデンボルグの霊界日記
(3)魂の体外旅行(ロバート.A.モンロー)
(4)バシャール(BASHAR)・ペーパーバック1
(5)アルケミスト ~夢を旅した少年~(パウロ・コエーリョ)

AIアート1937
「世界に溶ける」
Kay
それは、宮殿に住んでいようが、スラム街に住んでいようが関係ない。
自分が夢の中にいることが分からないのが、凡人、庶民、小市民だ。
『列子』の中に、こんな話がある。
王様は、夢の中で奴隷になるので、目が覚めている時も憂鬱だった。
一方、1人の奴隷は、夢の中で王様になるので、奴隷であっても元気で気分が良かった。
これでは、どっちが王様でどっちが奴隷か分からない。
両方共、現実と夢が等価値であることに気付いていることは立派である。
この2人の様子で分かることは、夢の方が、ある意味もっと現実であるということだ。
実際そうで、誰でもその気になれば分かる。
江戸川乱歩は、常に、
「うつし世(この世)はゆめ よるの夢こそまこと」
あるいは
「昼は夢 夜ぞ(夜こそ)現(うつつ)」
と色紙に書いたらしいが、彼はよく分かっていたのだろう。
この世を夢と見なすと良い。
夢の中では、受容性が高くなり、世界に介入しようという気がなくなる。
つまり、映画でも見ているように、展開を観察する気分になる。
夢の中で、遅刻しないよう焦ると、全く埒が明かなくなることは経験しているのではないだろうか?
介入は無駄なのである。
ただ、世界はなるようになるのだ。
そんな中で、王のような気概(強い意気)を保つのである。
それが釈迦の言う「天上天下唯我独尊」であり、「俺が一番偉い」という意味ではないのだ。
現実や夢を思い通りに出来るかというと、それこそ「思い方」次第だ。
本当の王のような思い方であれば、自然とそうなる。
下種なチンピラのような思い方だと、ある意味では、やはり思い通りになる。つまり、痛い混乱した世界になる。
何が王かは、自分で決めれば良いが、『老子』には、「みなしご」「徳の少ない者」「善くない者」と書かれている(徳間書店『老子・列子』参照)。
そうであれば、慎まねばならない。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)中国の思想(6) 老子・列子(徳間文庫)
(2)スウェーデンボルグの霊界日記
(3)魂の体外旅行(ロバート.A.モンロー)
(4)バシャール(BASHAR)・ペーパーバック1
(5)アルケミスト ~夢を旅した少年~(パウロ・コエーリョ)

AIアート1937
「世界に溶ける」
Kay