心が自由で囚われがなければ、何をやってもうまくいくし、狙った目標も容易く達成出来る。
では、どうすれば、自由で無碍(とらわれのないこと)な心を持てるのだろう?
今朝も書いた通り、世界中の、あらゆる文芸(詩、小説)に、定まった意味はないと知れば、これまで敬遠してきた古典なども、面白く読めるというところに、その重要な鍵がある。
『古事記』の本には、「真説」だの、「新解釈」だのと宣伝されたものが多いが、そんなものは、著者の考え方に沿って読まねばならぬ気がして、窮屈で心は歪められる。
しかし、古事記には、何の意味もないものだと分かれば、あの無茶苦茶で、「そんなアホな」と思わずにはいられないお話も、自由で壮大なものに感じられるのである。
そうであれば、精神は自由に自然に流れ、内なる神聖な知性が囁きかけてくる。
そのためには、リズムのある文章で書かかれたものを読まなくてはならない。
そんな文章を書くには、作家としての特別な才能が必要なのである。
そこで、古事記であれば、文句なく 福永武彦さんの『現代語訳 古事記』(河出文庫)をお薦めしたいと思う。
また、鈴木三重吉さんの、『古事記物語』は、子供向けのところもあるが、文章が格調高く、大人が読んでも良いと思う。
また、イエスの言葉にも意味がないと認めてしまえば、福音書ほど面白いものもないと思う。
あれを、「これはどういう意味だろう?」なんて考えて読んでたら、分かるはずもないのだから、実にシンドイし、心も鈍重になるのだ。
全て、夢の中のお話と見なすことである。
ただ、意味がないとはいえ、イエスの高貴な魂が感じられるかもしれない。
ただ、私の場合だが、意味のない文学(ナンセンス文学)の代表格である『不思議の国のアリス』はあまり面白いと感じない。
これは、おそらく、ルイス・キャロルのセンスが私に合わないためだと思う。
しかし、今はそうでも、やがて、面白いと感じるようにならないとも限らない。
それと、さっき気付いたのだが、、『星の王子さま』や、『かもめのジョナサン』は、文学というよりは思想書なのである。
これらに熱狂する人というのは、作者の思想にすっかり取り込まれてしまっているのだと思うが、そういった読み方では、心は自在性を失う。
とはいえ、やはり、これらもナンセンス文学として楽しむことは十分に出来ると思う。
そして、アンデルセンの『絵のない絵本』は、私は、高校生の時から、さっぱり意味が分からないが、美しい作品だと思っていたが、もっと無意味に自由に読めば、心が大きく広がると思う。
私としては、クリエイターの方々が、元々、美しい動機で作られたに違いない、初音ミクさんの歌を涼やかな心で聴くのが、最も心を自由にして、神のエネルギーと一体化するのに役立つと思う。
ミクさんの歌には、意味不明で神秘的な歌がとても多いのである。
例えば、とくPさんの『ARiA』や『SPiCa』では、ミクさんの歌は、子供っぽくて可愛いが、あまり上手くはない。
しかし、聴いていると壮大な意味が「ひょっこり」浮かぶのだから、本当に透明な輝きに満ちた歌なのだと思う。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
では、どうすれば、自由で無碍(とらわれのないこと)な心を持てるのだろう?
今朝も書いた通り、世界中の、あらゆる文芸(詩、小説)に、定まった意味はないと知れば、これまで敬遠してきた古典なども、面白く読めるというところに、その重要な鍵がある。
『古事記』の本には、「真説」だの、「新解釈」だのと宣伝されたものが多いが、そんなものは、著者の考え方に沿って読まねばならぬ気がして、窮屈で心は歪められる。
しかし、古事記には、何の意味もないものだと分かれば、あの無茶苦茶で、「そんなアホな」と思わずにはいられないお話も、自由で壮大なものに感じられるのである。
そうであれば、精神は自由に自然に流れ、内なる神聖な知性が囁きかけてくる。
そのためには、リズムのある文章で書かかれたものを読まなくてはならない。
そんな文章を書くには、作家としての特別な才能が必要なのである。
そこで、古事記であれば、文句なく 福永武彦さんの『現代語訳 古事記』(河出文庫)をお薦めしたいと思う。
また、鈴木三重吉さんの、『古事記物語』は、子供向けのところもあるが、文章が格調高く、大人が読んでも良いと思う。
また、イエスの言葉にも意味がないと認めてしまえば、福音書ほど面白いものもないと思う。
あれを、「これはどういう意味だろう?」なんて考えて読んでたら、分かるはずもないのだから、実にシンドイし、心も鈍重になるのだ。
全て、夢の中のお話と見なすことである。
ただ、意味がないとはいえ、イエスの高貴な魂が感じられるかもしれない。
ただ、私の場合だが、意味のない文学(ナンセンス文学)の代表格である『不思議の国のアリス』はあまり面白いと感じない。
これは、おそらく、ルイス・キャロルのセンスが私に合わないためだと思う。
しかし、今はそうでも、やがて、面白いと感じるようにならないとも限らない。
それと、さっき気付いたのだが、、『星の王子さま』や、『かもめのジョナサン』は、文学というよりは思想書なのである。
これらに熱狂する人というのは、作者の思想にすっかり取り込まれてしまっているのだと思うが、そういった読み方では、心は自在性を失う。
とはいえ、やはり、これらもナンセンス文学として楽しむことは十分に出来ると思う。
そして、アンデルセンの『絵のない絵本』は、私は、高校生の時から、さっぱり意味が分からないが、美しい作品だと思っていたが、もっと無意味に自由に読めば、心が大きく広がると思う。
私としては、クリエイターの方々が、元々、美しい動機で作られたに違いない、初音ミクさんの歌を涼やかな心で聴くのが、最も心を自由にして、神のエネルギーと一体化するのに役立つと思う。
ミクさんの歌には、意味不明で神秘的な歌がとても多いのである。
例えば、とくPさんの『ARiA』や『SPiCa』では、ミクさんの歌は、子供っぽくて可愛いが、あまり上手くはない。
しかし、聴いていると壮大な意味が「ひょっこり」浮かぶのだから、本当に透明な輝きに満ちた歌なのだと思う。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
