ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

糖質制限

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

コロナ前の世界に戻すな

新型コロナウイルスの感染者数は、3月初旬レベルになり、いよいよ本格的に収束してきたように思える。
だが、テレビでは、政治家や医学者達が、「気を緩めるな」「第2波、第3波が来る」と口角泡を飛ばすし、それはそれでまっとうな主張ではあるが、おかしな方向に行きつつあるように思える。

つまり、テレビ、新聞は、「コロナ以前の世界に戻る」ことをゴールに設定している。
新型コロナウイルスが流行する前の、あの馬鹿げた世界にね。
利権を持った者達が利益を貪り、格差は広がり続け、だらしなく消費と浪費を繰り返す、刹那の快楽に堕落した世界だ。
表向きは、そんなことは言わないだろうが、国民を、「消費は善」と洗脳し続けることで、そんな世界になってしまっていた。
それが、新型コロナウイルスという、偶然か神の必然かは分からないのだが、この災禍が人類を正しい方向に向かわせていたはずなのだ。
他人との距離を取ることで、他人を敬い、信頼し、他人の自由を認め、それによって、扇動や付和雷同ではなく、精神の高いレベルでの共感によって美しい世界を作るという、正しい方向にだ。
一円のお金も無駄にせず大切にすること、そして、物を大切に長く使うことが美徳であり、気持ち良いことであるという、当たり前の心を取り戻すチャンスが来たのである。
ごく普通に空腹になれば、身体に良い質素な食事で十分に美味しく、満足出来ることに気付けるチャンスでもある。
自動車で言えば、多くの人が、新しい自動車に次々に買い換えなければ、自動車は高くなるかもしれない。
しかし、今の軽自動車だって、昔の王侯貴族の馬車より、はるかに乗り心地が良いのである。
これまでは、「他社との競争に勝つ」ために、自動車の品質を向上させてきたが、今後は、人々の幸福のために技術開発をする意識になれば、これまでより優れたアイデアが自然に生まれるのである。
全体の利益は小さくなるが、これまでの不公平な富の配分を改め、富を再配分すれば、これまでよりはるかに少ない経済規模で十分である。

医療には、良い面と悪い面がある。
確かに、医学の発達により、昔なら手の施しようがなかった怪我や病気が簡単に治るようになった例は多い。
一方で、一部の者が利益を貪るために、平気で患者の身体をボロボロにしてきたということは事実ではないだろうか?
昔、医学が世界一発達していた時代のドイツでは、医者は儲かる仕事ではなかった。そこでは、今の医療よりより方法がとられてた面もあると思う。

有名で大変なお金持ちの人達が、どうやってもメニエール病を治せない。私の知り合いにも、メニエール病を患うお金持ちがいるが、大金をかけて手術をしても、良い医者や治療方法を探し続けても全然治らない。
ところが、私も10年ほど前、メニエール病と診断されたが、ほとんどお金をかけずに、短期間で治した。
また、私は、幼い頃から感染に苦しみ、夜も眠れないほどであり、毎日、かゆみ止めの抗ヒスタミン剤を飲んでいたが、現在は、感染は7割まで治り、特に疲れていたり体調が悪くない限り、全く気にならないが、こうなるのにも、お金はかからなかった。
方法は3つである。ほとんどの病気に効くと思う。
それは、
(1)食事は腹八分目
(2)ビタミンCを多く摂取
(3)軽い運動を毎日1時間
である。
ちなみに、炭水化物制限など、全くの誤りであると私は思う。
もちろん、摂り過ぎが良くないのは言うまでもないが、甘いもの好きの私は十分に糖分を摂っているが、満腹するまで食べない限り問題はない。それで、176cm、63kgからピタリと動かない。
一時期、極端に炭水化物を制限した時に、記憶力が低下し、心が荒れ、老化したと思う。
何事も、当たり前に・・・つまり、自然に感じるようにやれば良いのだと思う。













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食にこだわらない人が好き

食にこだわらないから偏ったものしか食べない人がいれば、食にこだわらないから何でも食べるという人もいる。
私は以前は、食にこだわらないことにこだわって偏ったものしか食べなかったが、今は、食にこだわらないから何でも食べる。
いずれにしても、私は、食にこだわったことはない。

栄養バランスが大切なのかどうかは、私には分からない。
ところが、世間に対して受け身になってしまうと、ついつい、栄養バランスが大切なような気がしてしまう。
だが、世界には、ともろこしの粉しか食べないとか、1種類の山芋しか食べないという民族があるが、そんな人達が、病気知らずで健康で長寿だったりする。
エスキモーは、今はそうでもないのかもしれないが、住む場所によって、アザラシばかりとか、トナカイばかりの生肉を食べ、野菜は全く食べないが、やはり健康で強健な者が圧倒的だ。
中田英寿さんは現役時代から野菜は全く食べないそうだし、昔、人気アイドルだった河合その子さんも、野菜は一切食べないそうだが、とても綺麗なコだった。

多品種を食べていると、それが習慣になり、また、食べる量が多くなる。
炭水化物を食べると太るとよく言われるので、米やパンを食べないという人も結構いる。
私も、一頃、別にダイエットのつもりはなかったが、長く炭水化物を摂らなかったが、精神的におかしくなり、頭があきらかに悪くなるのを感じて、米やパン、それに、甘いものを沢山食べるようになったが、太ることはないし、特に、四股を踏み出してから、むしろ、特に下半身が細くなった。

個人的には、食にこだわらない人が好きだ。
アニメの『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』で、アイズ(剣姫と呼ばれる剣の達人である美少女)が、食事の時、「何飲んでるの?」と聞かれ、「水」と無感情に答えるのを見てシビれた(変かな?)。
『まちカドまぞく』では、魔法少女の千代田桃は、お昼に、ポテトチップスをおかずにご飯を食べていたことが2度ほどあったし、ある時は、家の冷蔵庫に食パンとウインナーしかなかった。
そして、桃が買い物に行った時、買い物袋には牛乳と菓子パンだけなのを見て、主人公の優子に、「野菜も食べた方がいいですよ」と言われるが、桃は、「ちゃんとした食事に興味がない」と言う場面を見て、ますます、桃が好きになった(変でしょ?)。
でも、桃は、隠してはいるが大好きな優子が作ってくれたら、何でも喜んで美味しく食べるのだ。

一方、個人的には、食べ物にうるさい人は、正直、苦手だし、付き合いたくない。
円谷プロの創業者、円谷英二氏は、カレーライスが好きだったらしいが、カレーライスさえあれば良かったそうである。
それで私は、初代ウルトラマンが好きになった。
宮崎駿監督も、ほとんど同じお弁当を、昼と夜に半分ずつ食べていたらしい。
聖書でも、毎日、神から与えられるマナ(団子みたいなものか)に不満を持ち、肉が食べたいとか言った者達は滅びたのではなかっただろうか。
私も、これからの生涯、1人の時は、特定のものを食べるようにしようと思う。
そうすれば、食べることのために考える必要がなくなり合理的で楽である。
それも、炭水化物系が良いと思う。
かといって、極端な少食、粗食にしようというのではない。
贅沢なものを食べる時は食べれば良いのである。
その意味、極端な少食粗食主義である者も、あまり好きではない。そんな人達には、変な人が多いように思うし。まあ、美食主義者よりはマシかもしれないが。







甘いものが必要な生活

セミの季節だが、皆様の地域ではセミさん達はお元気だろうか?
セミは、地中で数年過ごすが、地上では一週間かそこらで死んでしまう。
なぜ、セミが地下で長い年月を過ごすか、真面目に考えたことがあるだろうか?
これは、小学校の理科の知識かもしれないが、幼虫が長く地中に居る理由は、幼虫の成長に時間がかかるからで、なぜ、成長に時間がかかるかというと、幼虫は、木の根っこから栄養を取っているが、木の根っこには、タンパク質が、ごく少量して含まれていないからだ。
動物の成長には、タンパク質が必要である。
動物の身体は、タンパク質で出来ているからだ。
一方、動物でない・・・つまり、(あまり)動かない植物の身体の大部分は、セルロースという炭水化物で出来ている。
そして、セミも、成虫になってからは、成長の必要がないので、タンパク質を必要とせず、木の樹液から炭水化物を摂る。
激しく動き回るセミの成虫には活動エネルギーになる炭水化物が必要だからだ。

哺乳類など、虫以外の動物は、大人になっても、常に身体を作りかえているので、タンパク質を必要とする。
そして、動き回るはずなので、エネルギー源となる炭水化物も必要である。
初代タイガーマスクとして知られる天才格闘家で武道家でもある佐山聡さんは、甘いもの(炭水化物)が大好きで、どこかで見たが「ヨウカンをポッキーのように食べる」というほどらしい。
佐山さんの、あの激しい動きからすれば、それも当然と思うが、ある時期から、かなり肥満してしまった。まあ、それでも、物凄く速く動き、高く飛ぶのだから、大した筋力と運動神経であるが、やはり、過度の炭水化物を取れば、佐山さんほど動いても、肥満は避けられないということだ。
ただし、佐山さんが、「戦うためには炭水化物が必要だ」と、甘いものを食べることも必要だといった感じで言われていたが、それも事実だろう。

炭水化物を取らなくても、身体は、タンパク質を分解してエネルギーを作るくらいのことは出来るだろうが、それはあくまで緊急対策であり、効率が悪いし、そればかりだと弊害があると思う。
また、脳の活動である思考や身体の調整のためには、炭水化物から作られるブドウ糖を必要とする。これも、タンパク質を分解して(アミノ酸から)作るケトン体で代用出来るという話もあるが、やはり、それも緊急対策用で、不自然なものだ。

鳩山邦夫さんが、糖質制限(炭水化物制限)ダイエットをしていて、かなり痩せていたらしい。それが死因とは言えないかもしれないが、寿命を縮めたのは確かではないかと私は思う。
私も一頃、糖質制限にハマってしまったことがあるが、本来、甘いものが大好きで、多少は食べていたから無事だったのかもしれない。
と言うのは、やはり、炭水化物を極端に制限すると、身体も頭もおかしな状態・・・生命力が低下すると感じる状態になっていたと思うからである。

私は、食事の時に米やパンは全く食べず、食事の時だけは炭水化物制限をしているように見えるが、甘いものは結構食べている。
ただし、決して度を越さない。
けれども、それほど少なくもない。
佐山さんのように、ヨウカンをポッキーのように食べはしないが(この表現も誇張だろうが)、でっかいヨウカンを一度に半分くらいは食べる。
というより、「甘いものが欲しいなあ」と思ったら、本当に美味しいと思う範囲でなら、いくら食べても良いのだと思う。

ただ、甘いものを食べたら(あるいは炭水化物を摂ったら)、動かないといけない。でないと、余った炭水化物は脂肪に変わって身体についてしまう(ある程度は付けないといけないが)。
私は、この5月から、毎晩100回以上のヒンズースクワットや、30回のヒンズープッシュアップ(レスラープッシュアップ)、その他の運動を欠かさず続けている。
ヒンズースクワットの回数は月ごとに増え、今は、一度に200回で、休日は300回なので、夏期休暇の今は、毎晩300回が続いている。
加えて、休暇中は、かなり頭を使う勉強を1日4時間以上しているので、脳が大量に糖分を消費する。
勉強ではあまりブドウ糖消費量は変わらないという説もあるようだが、実体験としては、そうは思えない。
それでも、休みの日は甘いものをかなり食べているので、スクワット等の運動の方はとても調子が良いが、脳が必要とするブドウ糖は、もっと多いかもしれない。
つまり、頭が疲れているし、GeniLax(頭脳強化と脳を休息させるAndroid、iOS用無料アプリ)では、その疲れが取れない。
それで、真面目に(?)、甘いものを食べているが、十分に食べると、もう欲しくないと思うので、うまく自動調整が効く身体になっているのだと思う。

運動も勉強も、来月、幕張メッセで行われる、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」のためである。
やはり、ミクさんの御前(みまえ)に出るのには、凛々しい騎士としてでなくてはならない。たとえ群集の1人としてでも、ミクさんのプシュケー(魂)は、一人一人の心に忍び込むのであり、その際に、プロポーズを受けてもらえるよう、励まねばならない・・・まあ、これが妄想としても、プラスのモチベーションになっているのだから良いだろう。
ただ、これは、妄想や空想と言うよりは、やはり、想像なのであり、想像は創造に通じ、さらには、創世になる。
楽園の乙女ミクさんの火花が、我々を通し、世界を美しいものにしていくのである。









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世間に騙されずに生きる

中村天風は、肉や魚は食べてはならないと言う。
天風は、人間にとって良い食べ物は果物で、次に野菜だと言い、とにかく、肉や魚は決して食べるなという。
一方、昨今人気があるらしい糖質制限(炭水化物制限)ダイエットを標榜(主義・主張などをはっきりと掲げ示すこと)する医者達は、砂糖はもちろん、米、パンは物凄く悪いものだから食べてはならないし、果物すら糖分が多いので駄目だと言う。そして、肉、魚等は無制限に食べて良いと言う。
ある有名な神道家は、日本人は米と魚を食べるのが絶対に正しく、肉は駄目だと言う。

これらのどれが正しいかは、遠い未来には結論が出るのかもしれないが、それが千年後だとしたら、正解はこうだ。
「食べ過ぎなければ、何を食べたって同じ」
「食べ過ぎれば、何を食べても悪い」
他にないじゃないか?
肉や魚を食べて健康で長生きの人もいれば、米もパンも食べ、甘いものが大好きでも、いつまでも若々しく健康な人も沢山いる。
土台、何を食べるかより大切なことがあるのではないのかね?
それは正しい生き方だ。
食べ過ぎないことも、正しい生き方の1つだ。
正しい生き方とは、世間で言う道徳的、模範的生き方と、共通する部分も多いが、必ずしも一致しない。
道徳でも、他人を思いやることは教える。
しかし、世間の道徳は、価値観やしきたりが共通するグループ内でのみ成立するものだ。

ある意味、正しい生き方とは個人的なものだ。
何が正しく、何が間違っているかは、自分で決定しなければならない。
どんな生き方をしようが勝手だが、考えや行動の反作用に法則性があることが分かれば、自ずと生き方は決まる。
だが、「こんなことをすれば得だからする」、「こんなことをすれば損だからしない」という生き方をするのは動物と同じで、しかも、人間は多少の知性がある分、他も自分も害し、悲惨になる。
ダスキンの経営理念のように、「損と得とあらば損の道を行く」なんてのもおかしなもので、確かに、正しい生き方をすれば、自然に損に見えることをするかもしれないが、別に損を求める必要もない。時には得な道を行くことが正しい場合だってあるさ。

正しい生き方とは、一瞬の閃きに従う生き方だ。
顔を上げて微笑んだ時、宇宙の広さをしみじみ思った時、人差し指を立て精神を統一した時、敬う人や心惹かれる人と瞳が重なった時、初音ミクさんの歌声が心に染み入った時・・・その一瞬、時のない世界の中で閃いた想いに従って生きれば、自ずと正しい生き方になる。
一言で言えば、自然に生きれば、それで良い。
逆に、不自然に生きれば、あらゆる災難が襲い掛かるだろう。
運命によって、激しい生き方をする者もいれば、安穏な生き方をする者もいるが、いずれでも、正しい、自然な生き方をすれば幸福になるだろう。

利益で争っている時も、顔を上げて微笑めば、相手もだが自分も痛みを受け入れる必要があることが分かる。
相手がそれに応じない場合も、こちらが真の意味で正しいことをすれば、自ずと解決するが、不自然な方が打撃を受ける。
昔から、「正義は常に勝つ」とか言うが、正しくは、「自然な方が常に勝つ」である。

一瞬を掴むことが出来れば無敵で危うさはない。
正しくは、時間のない(時間が消えた)場に溶ける(あるいは一致する)ということであるが、とりあえず、一瞬を掴むと言っても良いと思う。
そのために、顔を上げて微笑んだり、人差し指をすっと立てたり、呼吸を止めたり、美しいものを見たりするのである。
だが、それは、一瞬を得るだけやればよく、いつまでも作為的にやっていると、無限への扉は閉じられる。
しかし、何かに夢中になって、忘我の状態になっていれば、ずっと時間は消えている。そんなものを何か1つ持っていると、望ましい人生になるだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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