ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

竹村健一

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

日本でも世界でも非常識なことをしない

有名人が言った有名な言葉の悪影響にはクラクラしてしまう。
その悪影響の大きさと、その矯正の難しさを考えると、ゾっとするからだ。

昔、竹村健一氏が言った「日本の常識は世界の非常識」は、日本人の中に深く浸透した。
日本人は、確かに、「日本の常識」を疑ったが、捨てたのは「人間の常識」だった。
これは、ウケるかもしれないが笑えない。

竹村氏の主張は、正しくは、「日本の慣習は世界の非常識」だった。
だが、この言い方ではインパクトが弱いのだと思う。
それで、ウケるために、「日本の常識は世界の非常識」と言ったのだと思う。
もっとも、たとえ、「日本の慣習は世界の非常識」という言葉にしたところで、この言葉が定着すると、結局は、「美しい慣習」を捨てることになるのだと思う。
人間とは愚かなものである。

ところが、どれほど勉強し、訓練し、経験を積み、あるいは、天才であろうと、庶民が人道的常識を持たずに成功することはない。
ただし、生まれさえ良ければ、人道的常識などなくても成功するし、むしろ、人道的常識は邪魔である。
今のところは・・・

竹村氏よりもっとずっと昔、新渡戸稲造氏は、西洋の女性に、
「日本人は宗教を持たずに、どうやって子供に常識を教えるのか?」
と言われ、よく考えた末、
「日本には宗教と異なる精神的支柱がある。それが武士道だ」
と結論し、名著『武士道』を英語で書いたらしい(国内で出回っている日本語版は翻訳)。
だが、あの女性の言った道徳は、常識的な人道のことであり、新渡戸が『武士道』で説いた深い思想のようなものではない。
その女性が言った、「子供に道徳を教えるための宗教」がキリスト教だとしよう。
もしかしたら、キリスト教にも偏見がある・・・あるいは、誤解して偏見を持ってしまうといったことは確かにあるかもしれない。
しかし、それでも、人道的常識を教えるには有効だと認めざるを得ないと思う。
もし、それを教えずに、何の指針も与えなければ、人間は楽な方に行きたがるので、人々は自分の都合だけ考える放埓(勝手気まま)な性質を持ってしまうことは、今の日本人を見ればよく分かるだろう。

ソフトブレーン創業者で、世界的ビジネスコンサルタントである宋文州氏は、『英語だけできる残念な人々』で、
「特定のグローバル・スタンダードなんてものはない。徹底したローカル化こそ真のグローバル・スタンダードだ」
という、国際ビジネスの要諦を見事に示したが、これは、あくまでビジネスの話である。
つまり、英語がグローバル・スタンダードだとし「英語が常識」と言ったところで、ベトナムでビジネスをやる時、英語だけでやっていける訳がない。
そもそもが、英語が母国語の地域なんて、せいぜいが世界の5パーセントに過ぎない。
アメリカのまともなビジネスマンは日本ではちゃんと「コンニチハ」と言う。
「日本の慣習は世界の非常識」ではあるが、「世界の慣習」なんて存在しないのだ。
宋氏は、楽天の三木谷浩史社長は「ただの英語マニア」と言い、日本語で質問した記者に英語で返答するのは「滑稽」と言うが(まあ、たまたまその時、三木谷氏の機嫌が悪かったのだろうと信じたいが)、それは、英語がそれほどのものでないと言いたかったのだろう。ただし、宋氏は中国人で、英語も日本語も堪能だ。

「日本の常識は世界の非常識」と言う者が、セクハラ、パワハラといった、常識以前の人道的常識を侵すことがいくらでもある。
セクハラ、パワハラは分かり易くはあるが、自分がそれをやってることに気付かない者も多いだろう。
以前、何かの番組で、若い女性タレントが、有名なお笑いタレントの浜田雅功氏にお尻をつかまれて抗議すると、浜田氏は「こんなん、当たりまえや」と言ったと言う。
その女性タレントは、顔は笑ってたが、目は笑ってなかったと思う。多分、その後、その女性タレントは消えていると思うが、どうだろう?
浜田氏は、元々は自分が理不尽な目に遭いながら、挫けず頑張ったから成功したのであり、善意で言えば、その女性タレントにも「このくらい耐えないと、この世界でやっていけない」という意味もあったのだと思うし、それも確かにそうである。
ただ、そんな「世間の話」はさておき、普通の人は、人道的常識なしに成功することはない。
浜田氏は、特別なバイタリティーの持ち主で、普通の人ではない。
そして、新型コロナウイルスは、浜田氏のような人も特別な人ではなくなる世の中にしていくと思われる。
それは、悪くない世界である。
だから、我々は、真の人道的常識を身に付ける必要がある。













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権威より「やってみた」が大切

今年7月に亡くなられた竹村健一さんは、一頃はテレビで見ない日はないと言われるほどマスコミに露出し、膨大な数の著書や翻訳書を書き、ベストセラーも多く、活躍は生涯に渡って続いたが、竹村さんは、英語を武器に世の中に出たと言う。
とはいえ、竹村さんの英語は、特別に学んだとかいうのではなく、本人に言わせれば「僕の英語なんか素人に毛が生えた程度ですよ」と言っておられた。
それでも、その英語をフルに活用して人生を切り開いたのだ。
一方、世の中には、本格的に英語を学んだり、検定試験等で素晴らしい成績を収めながら、特に英語で何もせず(出来ず)、せいぜいが英会話学校の先生という人もいる。

丹波哲郎さんも、あそこまで大俳優になれたのは英語のおかげと思う。
丹波さんの英語は、竹村さんよりさらにしょぼく、戦後、米軍のバーでアルバイトをしていて身に付けたもので語彙は限られていた。
しかし、戦後、通訳が不足し、外務省が通訳を募集している時に面接に行くと、本人いわく「常にアメリカ人と一緒だったので発音が違う」という理由で(採用担当者が騙されて)採用され、東大出の彼の兄より高給をもらっていたが、通訳なんて全く無理で、外務省ではずっとトイレに隠れていたと言う。
しかし、言葉の問題だけではないが、フレンドリーなコミュニケーションが取れるので、国際俳優にもなれたのだと言う。

役に立つ特技なんてのは、必ずしも高度なものである必要はなく、むしろ大切なことは、竹村さんや丹波さんのように、実地で磨いたことだ。
中岡俊哉さんという、心霊関係で一世を風靡した人(この人もテレビで見ない日はないと言われた)は、戦時中、中国でたまたまラジオアナウンサーをやって、そこそこに話術を磨いたことが後の大活躍に生きたらしい。それもおそらく、大したレベルのアナウンサーではないのだと思う。

ビル・ゲイツは若い頃、天才プログラマーと呼ばれていたが、実のところを言うと、プログラミングの能力が高かったのは、マイクロソフト共同創業者のポール・アレンの方で、ゲイツはCOBOL等で事務処理プログラムを作る程度だったらしいが、それでも、それを仕事として企業から請け負ってやったので、大学院で情報科学をやった者よりずっと実戦的に考えることが出来たのだと思う。
比較にもならないが、私もパソコンでBASIC言語でプログラミングをやったところ、後で、サーバーOSやネットワーク、Webの仕組み等も見当が付き、特に分からないことはなかったし、今はAIの開発も出来る。
大切なことは、勉強するだけでなく、実戦で・・・多少リスクを背負うことだと思う・・・使ってみることだ。
学位や資格ではなく、「やってみた」が重要なのである。








一割の理性

昨日も書いたが、人間は、心配をしなければ、安心していれば、何でもうまくいくし、全てうまくいくと思って安心していると、本当にうまくいく。
しかし、医者が、心配してやるべき患者の心配をせず放置したため、患者が全身麻痺になったり、死んだりする例は少なくない。
教師が、心配してやるべき生徒を心配せず、手を打たなかったため、生徒が深刻な状況に陥ってしまうことも多い。
本当に、これは何なんだろうと思う。
だが、このことを理屈で考えていくと、複雑になって混乱し、収拾がつかなくなる。
答はシンプルなはずなのだ。

つまり、人間、9割はいい加減で良いが、1割の理性を持っていなければならないのである。
先日、亡くなられた敬愛すべき賢者、竹村健一さんはよく「僕なんか、ええ加減ですよ」「ええ加減が一番ですよ」とよく言っておられたが、彼は9割いい加減でも、1割は真面目だったのだ。
ところが、ある東大出の仏教学者が、「良い『いい加減』は、仏教で言う中道のことで、これは『いい湯加減』です。しかし、中庸は『ぬるま湯』なんですよ」と、うまいことを言ったが、こんな理屈では何も変わらない。
最初に述べた、患者を殺す医者や、生徒を破滅させる教師は、1割の理性も放棄したのだ。

いや、まだ違うなあ。
安心の仕方も大切なので・・・と、だんだん理屈っぽくなると、そろそろ混乱するので、早く結論を出さねばならない。
一休さんは、弟子への遺言の封を閉じ、「本当に困った時に空けよ」と言って渡した。
そして、弟子達が、本当にどうにもならない状況に陥った時に、それを開くと、「心配するな。なんとかなる」と書かれていた。
大切なことは、「なぜ、なんとかなるか」である。
ラマナ・マハルシは、「汽車に乗っているのに、自分の荷物を頭に乗せて苦労する必要はない。荷物を降ろして安心しなさい」と言ったが、これは、神の万能の力を汽車の力に喩えたのだ。
因幡の源左(いなばのげんざ)は、牛に3束、自分も1束、草を運んでいたが、どうにも疲れたので、牛に自分の分も乗せたら、牛は全く平気だった。それを見て悟ったという。この場合、仏の力を牛の力に喩えて解ったのだ。
一休も、「仏が守ってくれるから心配するな」と言ったはずなのだ。
だが、患者を殺す医者とは、汽車にも乗らないか、荷物を忘れる者だし、草を刈らなかったり、牛を導かない者である。
神も仏も、そんな者はどうしようもない。

こういったことを、ひっくるめてうまく言ったのが、スーフィー(イスラム教神秘主義)の格言、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
である。
少し長く言えば、
「神を信用して安心しろ。だが、ラクダは自分でつないでおけ」
ということだ。
アメリカの公式モットーは、
「イン・ゴッド・ウィ・トラスト(我々は神を信頼する)」
である。
しかし、やはり一言足りないのだ。
これに、Googleのモットーをくっつければ良い。
「我々は神を信頼するが、邪悪にならない」
私は、スーフィーの言葉の方が好きであるが。









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竹村健一さんの想い出

今月(2019年7月)8日の午後7時38分、竹村健一さんが89歳で亡くなられた。
私は、ごく若い時から、竹村さんが大好きだった。
竹村さんの、今も世の中に浸透しているフレーズが「日本の常識は世界の非常識」だ。
私は、外国で活動したことがないので、この言葉自体の実感はないが、それでも、転職が多かったことから、「1つの会社の常識は、他の会社の非常識」であることは、はっきり解るのである。
また、私は、システムエンジニアやシステムコンサルタントとして、沢山の会社に関わったことからも、なお、良く解るのだと思う。
だから、会社の指示であろうが、それがあまりに、他社にとっての非常識である場合には、なるたけ関わらないようにした。

また、ある会社が、非常識なことを言っている時、その会社が、「我が社は特別なのだ」と、むしろ、それを自慢することはよくあると思う。
いかにも、世間の常識に囚われない独創性があると言わんばかりであるが、ほとんどの場合、それはただの非常識だ。
独創性というのは、標準を知った上での非常識であるが、標準を知らないユニークさは、やっぱりただの非常識・・・多くは単なる目立ちたがり屋のアホである。

そりゃ、竹久夢二のように、正統な描き方を知らない画家もいるし、彼が有名な画家になった後で、基礎を学ぼうと美術学校に入学しようとしたら、ある大家の画家が、竹久夢二に「君の絵は学校に行くと駄目になる」と、美術学校入学を止められたらしい。
それが、正しかったかどうかは分からない。
一方、ピカソは基礎が極めて高度である上で、ユニークな画法を発明した。

私のプログラミングも、全くの我流だったが、デニス・リッチーやブライアン・カーニハンらの、「プログラム書法」や「プログラム作法」、あるいは、林晴比古さんのプログラミングの本を勉強して、なんとか基礎を持とうと思ったものだった。
すると、ほとんどのプログラマーのプログラミングが、かなり非論理的で矛盾だらけだと解るようになった。
これも全て、竹村健一さんのおかげと思う。

ただし、竹村さんは、標準がない世間の常識、特に、権威による常識は、徹底的に叩き壊していた。
彼が、NHKに出演出来なくなった理由は、いろいろあるだろうが(NHKの人気アナウンサーに「何アホなこと言ってんの」と番組中に言ったらしい)、元々、権威や無駄な伝統を重んじない竹村さんとNHKの相性が良いはずがなかった。

ある本で、竹村さんが、「26歳にもなって、18歳の女の子を好きになって食事も喉を通らない」という男性に、「なら、1週間くらい食べなかったらいい。そしたら、食べることの方がずっと大事やって分かるやろ」と切り捨てた上で、「26と18なら8つしか違わんやない。私なら、二十歳の子とでも平気で付き合いますよ」と言っていたのをよく覚えてる(当時、竹村さんは50代だったと思う)。
また、ある大物の外国人が、メガネのテンプル(つる。耳の上にかけるバー)が折れたから何とかしてくれと言うが、周囲の人達がしり込みする中、若かった竹村さんが、ガムテープを巻いて補修して渡すと「ベリーグッド」と誉められたエピソードを紹介し、「変な気を使うもんやない」とも言われていたと思う。

要は、竹村さんは、おおらかで、ものにこだわらず、コセコセ、クヨクヨしないことを重視していたのだと思う。
誰かの言葉の引用だったかもしれないが、彼女にフラれた男が、
「おお!神は私に、新しい女性と愛し合うチャンスを与えたもうた。次の恋人は、前の人よりもっと美人に違いない」
と、ポジティブであることを薦めていた。

テレビCMで、「情報の多いヤツはアカンね。僕なんかコレだけですよ」と言いながら、小さな手帳をかざして見せ、これが「これだけ手帳」として、2008年まで毎年発売された。
情報が多いこと自体は悪くないだろうが、情報に頼るヤツは駄目ってことだろう。
一番頼りになるものを知っていること、また、頼れる人やモノを持っていることの方が大切なのであるはずだ。
特に、薄っぺらな、数だけの情報は、本当に百害あって一利なしであろう。
誰かに誉められる判断ではなく、価値ある判断をすることが重要なのである。
その価値ある判断は、どこから生まれるのか?
会議から良いアイデアが出ることはない。そこには、数は多くてもつまらない情報しかないのだからだ。
だから、「会議の多い会社は駄目」なのである。
かと言って、会議には出てこない現場の要望を吸い上げていたら、たちまち破綻する。
・・・ああ、これは、システムエンジニアとして痛感してきたことだが(笑)。
アイデアというのは、好きなことを自由にやっている時に浮かぶ。
だから、会社でも、一定時間で良いから、そんなことをやらせれば良いし、また、自分で自分の好きなことをやれば良いのである。ただし、自分の力でね。









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「わりと」「だいたい」がツキを呼ぶ

事業成功者の話より、ギャンブラーの話の方が面白いのはなぜだろう?
それは決まっている。
ギャンブラーの方が正直だからだ。
成功した事業家は皆、本当はギャンブラーなのに、それを隠す。
そのあたりの事情は、アメリカの投資家マックス・ギュンターの『運とつきあう』に詳しく書かれていて、私は大変に面白いと思った。
事業家に限らず、いかなる成功者も、大博打で勝ったギャンブラーなのであることは、まあ、間違いないだろう。
しかし皆、自分は努力して成功したように言う。
その理由は(その本にも書かれているが)、(1)自分が努力して成功したと思われたい、(2)自分でも努力して成功したと思っている、(3)努力して成功したと言うほうがウケが良い・・・の3つである。

昔のアメリカでは、成功者はギャンブラーとして軽蔑されたらしいが、それは本当だと思う。
日本人は勤勉だと言われ、アメリカ人のリーダー達はそれを称賛する。
だが、日本人の勤勉は、実はアメリカが作ったのである。
戦後、アメリカは、二宮尊徳(にのみやたかのり。よく知られる二宮金次郎は自称)を尊敬すべき刻苦精励の人物という虚像を作って、これに憧れるよう日本人を洗脳し続けたのである。今でも学校にある、薪を運びながら本を読む二宮金次郎像は、アメリカによる、日本人のマインド・コントロール・ツールである。
いや、そもそも、アメリカ政府が、アメリカ人を勤勉にするため、勤勉は善、ギャンブルは悪という思想を作り上げたのだ。
だから、実際は、伸るか反るか(のるかそるか)の大博打で成功したジョン・ロックフェラーも、イメージを良くするため、自ら「勤勉こそ尊し」と説き続けたというのが本当だと、上記の『運とつきあう』にも書かれていて、私は、それを真に受けるというより、「そりゃそうだろう」と思うのである。まあ、エビデンス(証拠)も十分らしいしね。

成功者は、決して、自分が運で成功したとは言わない。
よほど親しみを感じている相手を除いては。
私は一度だけ、ある成功者に「俺が成功したのはたまたまだ。俺と同じことをやっても絶対駄目だ」と言うのを聴いたが、私が親しまれたというより、その場の興が乗っていたのだろう。そして、それが、私が彼を最も正直に感じた時として印象に残っている。
いや、その他の彼の言うことも、思い出せば『運とつきあう』に書かれてることとほとんど同じなので、その本の真実味を感じるのである。
しかし、やはり、成功者は普通は、自分が運で成功したとは言わない。

しかし、大成功者で、自分が運で成功したと言ってくれているのが、銀座マルカン創業者の斎藤一人さんとドワンゴ創業者の川上量生さん(現在はカドカワ社長)だ。
もちろん、彼らが運だけで成功した訳ではないだろうが、彼らと同じくらい能力がある人も、案外ザラにいると思うのだ。
その中で、彼らが成功したのは、絶対的に運があったのである。
斎藤さんに関しては、もうぶっ飛び過ぎてワケが分からないことを書いた本が続々出るが、まあ、彼の初期の本を読んだ方が安全だ(笑)。
そもそもが、斎藤さんの教えの根本は、「ツイてる」と言えばツクのであるから、それを覚えておけば良い。
川上量生さんは興味の尽きない人物であるが、50歳を過ぎて、そろそろ凡人化していないか・・・などと思うが、それは分からない。
彼も、割と思いつきでモノを言うフシもあるので、あまり真に受けない方が良いかもしれない。
だが、彼のツキの鍵は、彼の口癖「だいたい」「わりと」にあるような気もする。
「だいたいやね~」の口癖で有名だった竹村健一さんが、『いい加減のすすめ』なんて本を出していたが、要は、「良い加減」の「いい加減」が良いのだろう。
それが、「こだわらない」「やり過ぎない」「度を越さない」「そこそこ」「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」という、宇宙の美徳・・・すなわち、運を呼ぶ要因になるのである。
竹村健一さんは英語で世に出たが、彼が言うには、「だいたい、僕の英語なんて、素人に毛が生えた程度ですよ」だそうだ。まあ、確かに、そんなに上手い英語ではないと思う。
私もVBA(ExcelやAccessに内蔵されたプログラミング言語)でわりと良い給料を貰っているが、正直、本当にいい加減で、ロクに稼げないVBAプログラマーに「こんなことも知らないのですか?」と言われることもある。
宮本武蔵の剣法だって、柳生宗則のような本格派と比べれば、相当いい加減だったと思うのだ。
しかし、実践の場数が多いと「キレ」がある。
丁度よい例が、大俳優の丹波哲郎さんが大学時代、外務省の通訳のバイトで高給を取っていたが、実は、採用されたのは、面接時の発音に「キレ」があったからだったというものだ。
早い話が、本当には英語が出来ない面接官達は騙されたのだ。
丹波さん曰く。
「そりゃ、米軍のバーでバイトしてたんですよ。だから、発音が違う」
もちろん、そんなんで通訳の仕事が出来るはずもなく、外務省では仕事中、トイレに隠れていたらしい(笑)。
丹波さんは、自分の最大の美点は「こだわらない」だと言う。
つまり、「わりと」「だいたい」なのであり、それがツキを呼ぶのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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