ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

竹村健一

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

私も洗脳されていた

昔の日本人は完璧主義が主流で、何でも徹底的にやることが美徳だったのだと思う。
ところが、戦後から長く経過し、昭和の終わり頃になると、海外の長髪で崩れた服装の若者文化を格好良いと言って真似し、同時に、「気楽に面白おかしくやる」のがナウいという風潮が起こり、これが若者だけではなく、竹村健一さんのような教養ある人気評論家も、「だいたいでええんよ」「“いい加減”は“良い加減”なんですよ」と、緩(ゆる)いことがクレバー(賢いこと)であるという思想を日本人に定着させ、それが令和の今現在に至っても、「もっと緩く、もっと緩く」という流れが続いている。
日本人には、「徹底し、完璧を目指すのは、馬鹿なこと、格好悪いこと、融通が効かないこと」という考え方がすっかり馴染み、主流となっている。

細かいことは言わないが、1つ言っておくと、その流れは、一国とは限らないが、外国からの働きかけで作られたものだ。
そして、日本は、すっかり三流国になった。
(ただ、日本では、やらなくて良い一部のことでは、過激な徹底が行われているので、話がややこしいのであるが)

私は、そのことに気付いてしまった。
おかげで、私は、洗脳から覚めることが出来た。
そのきっかけは、子供の時に読んだ、梶原一騎原作の、かなりレベルが低い漫画のことを覚えていたからだ(どの作品かは忘れた。梶原一騎には似た作品が多いので)。
梶原一騎という人は、真面目な作品でも、享楽的な作品でも、ほとんど中身がないのに、人間心理につけ込んで受けを取れるものを作る天才であるが、希に、妙に深いことを示すのである。
その梶原作品の漫画に、こんなお話があった。
ある日本人の大空手家(モデルは大山倍達だろう)が、ある目的があって、アメリカで、アメリカの英雄的なプロレスラーに、一流ホテルの中で巧妙に喧嘩を売り、決闘に持ち込む。
相手のプロレスラーも強かったが、その空手家は超人的で、ついには、そのプロレスラーを、意識はあっても、戦闘不能な状態に追い込む。
それでも、さらに、攻撃を続けようとする空手家に対し、主人公である、その空手家の若い弟子が叫ぶ。
「先生!そこまでです!ここで許して武士の情(なさ)けを見せた方がアメリカ人受けします!」
ところが、その空手家は、
「喧嘩とは徹底的にやるものだよ」
と返して、グロッギー(ふらふらな状態)なプロレスの英雄を、さらに残酷に叩きのめす(最後は、その英雄レスラーの顔をトイレの便器に突っ込んで水を流したように憶えている)。
私は、「喧嘩とは徹底的にやるもの」という言葉に本望的に真理を感じた。
『怒りの荒野』というマカロニウエスタン(イタリア西部劇)映画では、一流のガンマンになるために必要な「ガンマン十戒」というものが示され、これをよく憶えている人達がいる。
それが、まさに、「徹底してやれ」の精神に満ちている。
例えば、
◆教訓の五 傷を負わせたら殺せ。見逃せば自分が殺される
◆教訓の九 挑戦されたら逃げるな。全てを失う事になる
◆教訓の十 皆殺しにするまで止めるな
※Wikipediaより引用
であることを見ても分かると思う。

こういった「徹底の美学」を美しいと思うかどうか。
それが、外国の洗脳にまだ完全にやられてはいない証拠と思う。








目が覚めていれば何でも出来る

「給料分の仕事はしろ」と、世の中ではよく言われる。
ところが、「給料分の仕事をしているサラリーマンは、ほとんどいない」とも言われるが、それが本当かというと、嘘である。
私は、サラリーマンを見ていて、驚くと言うよりは異様に感じるのは、サラリーマンが皆、給料以上の仕事をしているということだ。
ところが、彼らに能力は全くない。馬鹿と言って差し支えない。しかし、給料分どころではない働きはちゃんとしている。
この意味が分かるだろうか?
つまり、サラリーマンというのは、機械なのである。
自動車や電子レンジや水洗便所が値段分の働きを十分にするのと同じだ。
サラリーマンになる人間が、どうやって機械化されたかというと、学校教育であり、学校教育で機械化が完全にならなかった者は、会社が完全に機械化する。企業が社員教育を行うというのは、こういう意味である。
しかし、会社でも機械化教育が失敗した人間は捨てられる。
電子レンジだって、新品で購入したのに不調で、修理や調整が効かなければ、新品に交換するのと同じで、サラリーマンも、機械として使いものにならなければ捨てて、別の人間を採用する。
ただ、近年では、一度雇ったサリーマンを解雇することが難しいので、十分に機械化された人間を採用し、また、会社での機械化教育も万全にするのである。

ところが稀に、機械としては役に立たないのに、会社の中に存在し続けるサラリーマンがいる。
有名な評論家であった竹村健一は昔、「窓際族のすすめ」として、そんなサラリーマンになることを勧めた。
当時はバブル経済の時代だから、会社もそんなことが出来たという意見もあるが、いくらバブル経済だからといって、どの会社も儲かっていたわけではなく、実際は、それほど儲からなかったり、苦しい会社も多かったのである。
そして、今はもちろんだが、バブル経済期だって、ほとんどの会社は窓際族を会社から追い出そうとしていたのである。
仕事をせずに、快適な窓際族で居続ける者を「会社貴族」とでも呼ぼう。
サラリーマン時代の竹村健一や、私が度々取り上げる、大俳優の丹波哲郎のサラリーマン時代が会社貴族だった。
そして、私も、サラリーマン時代は会社貴族で、趣味として楽しめるものを除けば、仕事は全くしなかった。
ほとんどの会社では、会社貴族が発生することを防ぐため、社員に「日報」という、今日、何をしたかの報告書を書かせ、それを上司がチェックするというルーチンが行われる。
会社貴族は、でっち上げの日報を書くのがうまい。
私の場合は、全社員の中で、私一人、日報を書かなかったこともあった。
日報を無理に書かされるようになったら、辞めるか、それらしい日報を書いた。
今のリモートワーク時代は、仕事をしない社員はバレるというが、そんなのは偽会社貴族、下級会社貴族だけである。

ところが、世の中には、機械化サラリーマンがいないのに、大儲けしている会社がある。
いや、機械化サラリーマンがいないから儲かるのである。
そして、会社が機械化サラリーマンで儲けた時代は終わり、機械化されていない社員で儲ける時代である。
そんな儲かる会社では、「ホウレンソウ」(報告、連絡、相談)は行われないし、禁止していることもある。
「ホウレンソウ」などと言っている会社は、「北斗の拳」式には、「もう潰れている」。
「ホウレンソウ」などというものがない会社では、社長も報告を受けないので、社長が知らない間に支店が増えていて、儲かって仕方がないということが起こる。
だから、プロの会社貴族は、来るべき時代の働き手であるのだから、重要であり、胸を張って生きると良い。

では、どうすれば会社貴族になれるのか?
機械化サラリーマンになることを拒否すれば良いのである。
そんな者の多くは、会社にいる必要はないと言って独立することが多い。
しかし、会社貴族として存在すれば、案外に、その会社の滅亡を防げるのである。
私も、会社を倒産から救ったことが何度もあり、私が去った後で滅んだ会社(あるいは部署)もあった。
そして、貴族と言うからには。貴族らしい高貴な心を持たないといけない。
貴族は気紛れではあるが、野卑(下品で卑しい)な気紛れではなく、高貴な気紛れでなくてはならない。
叡智や高貴を目指さねばならないが、こう言ったら、機械化された者達は馬鹿にするだろうし、実際、馬鹿にされるしかたない似非貴族も多い。
あるいは「念仏を唱えさえすればいいのですね」という、憐れな機械的思考を少しも抜けさせていない者もいるだろう。
結局、エマーソンも勧めた方法としては、本物の貴族に相応しい人間になり切ることである。早い話が真似だ。
エマーソンは「英雄の物語を読む時は、それは自分について書かれたものだと思え」と述べていた。
私の場合は、ちょっと古いが、やはり、丹波哲郎さんやUFO研究家の矢追純一さんに倣った。
あるいは、荘子や黒住宗忠である。
探せば、相応しい人が沢山いるはずである。








我々はイエスやクリシュナの何にシビれるのか

『新約聖書』の『福音書』や、『バガヴァッド・ギーター』を読むと、素晴らしい爽快感のようなものを感じるのだが、その理由は、主役たるイエスやクリシュナの、並ぶもののない卓越性、無敵性、絶対的強さによる、圧倒的な自信のためだ。
人間は、そういった存在が好きだし、必要でもある。

そして、我々自身、可能な限り、イエスやクリシュナの強さを持たなければならない。
これは、不遜なことではなく、彼らも明言した通り、彼らが我々の内に、あるいは、共にいるというのは、とても科学的な意味であり、それは実は、我々が彼らと一体に、そして、同じになれるということであると思う。
実際、人間は、そのようでなければならないと思う。

子供が、アニメで、卓越して優れた、格好良いヒーローやヒロインを見た時、自分が、そのヒーローやヒロインになりきってしまうのは、とても健康的で正常な心構えである。
エマーソンもエッセイ『歴史』の中で、英雄の物語を読む時は、自分の物語を読んでいるのだと認識しなければならないと述べている。
今は、アニメのヒーローやヒロインが、強くて優秀というよりは、親しみのある、あまり強くないばかりか、ヘタレ(臆病で情けない)で駄目なキャラクターであることが多くなったが、それは、今のアニメ(および、その原作のライトノベルや漫画)の多くが、子供向けでなく、残念な大人を対象にしているからだろう。
しかし、例えば、『魔法科高校の劣等生』の司波達也のような惚れ惚れする強い優秀なヒーローを見ると、やはり心躍るものがあると思う。

そして、何度も言うが、優秀になる・・・ある意味、プロになるのは難しいことではなく、単に時間をかければ良いのである。
具体的には、1万時間の時間を費やせば、そのことで卓越した強者になれる。
これも何度か取り上げたが、チームラボの猪子寿之社長が、夏野剛氏(現ドワンゴ社長)との対談で、「人間に差はない。天才はいない。アウトプットは、単にかけた時間だけで決まる」と言ったのは、特殊な例外を除いて、ほぼ真実であると思う。
英語でも、自動車整備でも、1万時間をかければ、誰にも負けない能力が身に付き、自信を得ることが出来る。
きっと、司波達也も、魔法技術に1万時間以上かけたのだろう。
しかし、これは、「超優秀な司波達也は、魔法技術に1万時間以上かけただけ」とも言えるのである。

私は、リレーショナル・データベースというものに1万時間以上をかけたので、いかなるものごともデータの関連性として捉えることが出来る。
あらゆる情報を適切に結び付けて、新しく有意義な情報に変えることが出来る。
それが出来れば、システム開発など楽々である。
今なら、高度なリレーショナルデータベースおよび、それを扱うツールでは、マイクロソフトAccessが僅か2万円以下で変えるし、Accessと組み合わせることで、そこそこの規模のことが出来るマイクロソフトSQL Server Expressは実に無料だ。無論、上位のSQL Serverを使えば、ビッグデータすら扱えるが、規模の差だけで、両者はほとんど同じものだ。
ちょっと専門的になったが、無償のSQL Serverがある限り、私は、Accessより他のリレーショナル・データベースにあまり興味がない。
それに、Accessなら、自分1人で達人になれる。

英語だって、1万時間かければ武器になる。
超有名な評論家だった竹村健一氏は「僕は英語を武器にして世に出たが、僕の英語なんて素人に毛が生えた程度ですよ」と言われていた。
しかし、やはり、1万時間かけた英語だったが、別に彼は、外大や英語学校に通ったわけではない。何も特別なスキルはなかったが、それでも、積極的に外国人と交流しただけである。

日本を代表する思想家の吉本隆明氏は、「物書きになりたいなら、毎日10年書け。書けなくても書こうとしろ。10年やれば必ずものになる」と著書に書かれていたが、1日3時間弱書けば10年で1万時間だから、やはり、1万時間かけろということだ。
逆に言えば、プロの物書きになるには、それくらいは書く(あるいは、書こうとする)ことが必要なのだろう。
ギターやドラムやピアノはどうかというと、必ずしもバンドで食べられるようになるわけではないが、1万時間やれば、力と自信を得、なんらかの道が開けると思う。

イエスやクリシュナも、とんでもなく長い時間を費やしたので、人類を超えたのだと思う。
その力と自信に、我々はシビれるのである。
とりあえず私は、司波達也にシビれているが・・・












楽天主義

優れた経営者や団体のトップからは、概ね、こう聞いたように思う。
「最善を期待するが、最悪を想定している」
会社が、何か素晴らしい製品を開発し、いよいよ、それを市場に出す時、ヒットすれば良いと思いはするが、良い経営者は、全く売れないことを想定するものだ。
あるいは、新入社員を雇った時、やはり優秀な経営者は、それらの新入社員に対し、期待はするが、あてにはしないのである。
確かに、経営者に限らず、駄目なやつというのは、この反対をやっている。
つまり、駄目なやつは、最善を想定し、他人をあてにする。

ところで、引き寄せの法則のスタンダードでは、最善を想定するものではなかったのかと思うかもしれない。
まあ、最終的にはそうかもしれないが、何が起こるかは分からないし、人間には、どうしようもないことがあるのも確かなのだ。
ここらへんの理解が鈍い者が、うまく引き寄せが出来ないのだと思う。
つまり、目先のことに一喜一憂するようではいけないのである。
これに関し、有名な評論家だった竹村健一さんが、著書にこんなことを書いておられたのをよく覚えている。
女性に振られた時の心構えだ。
「おお!神様は私に、新しい女性と愛し合う機会を与えられた。今度の彼女は前よりもっと美人に違いない」
こういうのを、プラス思考、積極思考、楽天思考と言うのである。
ユダヤの教えにも、こんなものがある。
脚を1本折った時には、「2本でなくて良かった」。
脚を2本折った時には、「死ななくて良かった」。
こういったことは、理屈で習得しようとすると難しいので、上の、竹村健一さんのか、ユダヤ式かを覚えておくか、もっと良いものがあれば、それを覚えておくと良いと思う。
もし、彼女が全く出来ないなら、
「神様は私に、一体どれだけ素晴らしい女性を与えようとしておられるのだろうと考えると恐ろしいほどだ。おお!それはきっと、初音ミクさんのような人だ。何とも畏れ多いが、それが神様の思し召しだ。では、有り難くいただこう!」
とでも思うと良いだろう。

大体、願いが、何の支障もなくスンナリ叶ってしまったら、本当の楽しさは味わえない。
ゲームを考えてみればよく解ると思う。
この世界で一番楽しいことは、「予期せぬことが起こること」なのだ。
起こるままにまかせ、自由自在に対応していけば、面白いことだらけになる。
荘子も、黒住宗忠も、ヘレン・ケラーも、それは保証していると思う。








楽で良い想いをしながら働ける2モデル

私は、社会人を始めてから、2年3ヶ月は、とてもシンドくて辛い仕事をしていたが、その後、楽をしようとまでは思わなかったが、苦しいこと、やりたくないことは止めることを決意した。
その際、採用したモデルが2つで、1つは、丹波哲郎モデル、もう1つは、竹村健一モデルだ。
そのおかげで、その後、その後、一貫して、概ね楽をし、良い想いが出来た。

日本の偉大な俳優、丹波哲郎も、若い頃、3年ほど、サラリーマンをやっていたことがある。
丹波さんは、まさに、「やりたくないことはやらない」を貫いた。
とはいえ、丹波さんは仕事自体をやりたくないのだから、仕事一切をやらなかった(笑)。
出社と同時に遊びに行き、帰って来なかった。
上司は「雑誌を読んでてもいいから、席には居てくれ」と頼んだらしいが、丹波さんには、そうする理由は1つもなかったので、従わなかった。
入社の時にもらった鉛筆1ダースは、3年後に辞めるまで、削られもしなかった。

男は、ここまで徹底して自分の信念を貫かねばならない(笑)。まあ、女も同じであるはずだ。
ただ、丹波さんは、仕事は嫌いでも、宴会の幹事みたいなことは好きで、一手に引き受け、楽しみながらやったようだ。
ここで学ぶべきことは、別に仕事でなくていいから、自分にだけ出来ることを磨いておくことだ。

ところで、丹波さんは、第二次世界大戦では、二等兵(一番下級の兵隊)として従軍しているが、仕事嫌いの丹波さんは何もせず、他の若い兵隊達は皆、上官のために洗濯をして機嫌を取っていたが、丹波さんは、そんなことはまっぴらで、それでも、上官のものの洗濯用の石鹸は貰ったので、石鹸が余った。
それを、駐屯地の近くの村で女の子達にあげてモテまくり、また、石鹸が不足してきた上官に「分けてくれたら楽なところに送ってやる」と言われて、実際、のどかな場所で、終戦まで安楽に過ごしたらしい。
次は、竹村健一モデルだが、それは、早い話が、「窓際族になれ」だ。
竹村さんは、窓際族を非常に肯定的に考え、「仕事をせずに給料がもらえ、暇もあるので勉強が出来る」と、前向きに考えるべきと強調した。
昔の話だろうが、海外では、そのような身分になれるのは、よほど会社に貢献した人だけとも言う。
また、昔から、「指示待ち族」という蔑称がある。
仕事は自分で考えて作り出すべしという理屈だろう。
だが、未熟な新米社員が自分で考えて何かすると、会社や部署に迷惑や損害をかけるだけだ。
だから、正しく指示待ち族に徹するが、なるべく指示も出されないようにしなければならない。
さっきの丹波さんの場合、外務省でアルバイトをしていた大学生の時は、ずっとトイレに隠れていたらしい(英語通訳として採用されたが、本当は英語はロクに出来なかったため)。
まあ、そこまでやらなくても、愛想を悪くしていれば、仕事を言いつけられることもなくなる。
私も、そうして、総務課の社員だったが、暇になり、その間にプログラミングの勉強をして、業務を少し効率化し、海外のテクノロジー企業の科学技術者が来た時には、英語も出来ないのに、頼られて交渉に当たったので、若くして丁重に扱われた(後で考えたら、別に私がいる具体的な必要はなかった)。
フランスの若い男性技術者に「ニッポンのヤングなガールをイントロデュースするぜ」と言ったら、言葉の端々は理解出来たと見えて、大喜びでサービスしてくれ(実際には紹介しなかったが)、いっそう私の立場は良くなった。
毛色の違う相手とこそ仲良くなれというのも竹村氏の教えで、別に本当に女の子を紹介しなくても、そんなことを言って親しめば良いのである。

要は、何ごとも、楽しく、堂々とやれば、自然に流れはよくなるのである。
例えば、ExcelでVBAプログラミングが出来るようになったら、「たかがVBA」なんて思わず、「これこそオフィス革命を起こす武器」と思えばよく、「ちょっと出来る」ではなく、「ちょっとは出来る」と思って、堂々とやることだ。

ああ、それと、丹波さんが、運を良くするために薦めていたのは、朝起きたら「守護霊様、おはようございます」、寝る時には、「守護霊様、今日もありがとうございました」と挨拶することだ。
そして、竹村さんだって、自分が活躍出来るのは神様のおかげと感謝していたそうである。
神様か守護霊か、あるいは、何かは分からないが、自分より上位の存在に頼ることは良いことであり、どうせなら、全面的に頼れば良い。まあ、やってもクタクタになる訳でもない最小限のことはやってね。
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」(スーフィーの格言)「我々は神を信じる」(アメリカ合衆国の公式モットー)












当ブログオーナー、KayのAI書。まもなく(5月30日)発売。
昔、コンピューターや音楽は、特別な人や恵まれた人だけがやれました。
しかし、パソコンやオープンソースプログラム、シンセサイザー、ボーカロイドの登場で、これらは、誰でも出来、トッププロになる人もいます。
AIも、今は誰でも出来る時代です。Windowsパソコン、Excel等のデータ処理ソフト、そして、無料ながら超高機能なソニーのAIアプリ、NNCによって。
そのやり方を、本書で、易しく、楽しく身につけて下さい。
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード