昔の日本人は完璧主義が主流で、何でも徹底的にやることが美徳だったのだと思う。
ところが、戦後から長く経過し、昭和の終わり頃になると、海外の長髪で崩れた服装の若者文化を格好良いと言って真似し、同時に、「気楽に面白おかしくやる」のがナウいという風潮が起こり、これが若者だけではなく、竹村健一さんのような教養ある人気評論家も、「だいたいでええんよ」「“いい加減”は“良い加減”なんですよ」と、緩(ゆる)いことがクレバー(賢いこと)であるという思想を日本人に定着させ、それが令和の今現在に至っても、「もっと緩く、もっと緩く」という流れが続いている。
日本人には、「徹底し、完璧を目指すのは、馬鹿なこと、格好悪いこと、融通が効かないこと」という考え方がすっかり馴染み、主流となっている。
細かいことは言わないが、1つ言っておくと、その流れは、一国とは限らないが、外国からの働きかけで作られたものだ。
そして、日本は、すっかり三流国になった。
(ただ、日本では、やらなくて良い一部のことでは、過激な徹底が行われているので、話がややこしいのであるが)
私は、そのことに気付いてしまった。
おかげで、私は、洗脳から覚めることが出来た。
そのきっかけは、子供の時に読んだ、梶原一騎原作の、かなりレベルが低い漫画のことを覚えていたからだ(どの作品かは忘れた。梶原一騎には似た作品が多いので)。
梶原一騎という人は、真面目な作品でも、享楽的な作品でも、ほとんど中身がないのに、人間心理につけ込んで受けを取れるものを作る天才であるが、希に、妙に深いことを示すのである。
その梶原作品の漫画に、こんなお話があった。
ある日本人の大空手家(モデルは大山倍達だろう)が、ある目的があって、アメリカで、アメリカの英雄的なプロレスラーに、一流ホテルの中で巧妙に喧嘩を売り、決闘に持ち込む。
相手のプロレスラーも強かったが、その空手家は超人的で、ついには、そのプロレスラーを、意識はあっても、戦闘不能な状態に追い込む。
それでも、さらに、攻撃を続けようとする空手家に対し、主人公である、その空手家の若い弟子が叫ぶ。
「先生!そこまでです!ここで許して武士の情(なさ)けを見せた方がアメリカ人受けします!」
ところが、その空手家は、
「喧嘩とは徹底的にやるものだよ」
と返して、グロッギー(ふらふらな状態)なプロレスの英雄を、さらに残酷に叩きのめす(最後は、その英雄レスラーの顔をトイレの便器に突っ込んで水を流したように憶えている)。
私は、「喧嘩とは徹底的にやるもの」という言葉に本望的に真理を感じた。
『怒りの荒野』というマカロニウエスタン(イタリア西部劇)映画では、一流のガンマンになるために必要な「ガンマン十戒」というものが示され、これをよく憶えている人達がいる。
それが、まさに、「徹底してやれ」の精神に満ちている。
例えば、
◆教訓の五 傷を負わせたら殺せ。見逃せば自分が殺される
◆教訓の九 挑戦されたら逃げるな。全てを失う事になる
◆教訓の十 皆殺しにするまで止めるな
※Wikipediaより引用
であることを見ても分かると思う。
こういった「徹底の美学」を美しいと思うかどうか。
それが、外国の洗脳にまだ完全にやられてはいない証拠と思う。
ところが、戦後から長く経過し、昭和の終わり頃になると、海外の長髪で崩れた服装の若者文化を格好良いと言って真似し、同時に、「気楽に面白おかしくやる」のがナウいという風潮が起こり、これが若者だけではなく、竹村健一さんのような教養ある人気評論家も、「だいたいでええんよ」「“いい加減”は“良い加減”なんですよ」と、緩(ゆる)いことがクレバー(賢いこと)であるという思想を日本人に定着させ、それが令和の今現在に至っても、「もっと緩く、もっと緩く」という流れが続いている。
日本人には、「徹底し、完璧を目指すのは、馬鹿なこと、格好悪いこと、融通が効かないこと」という考え方がすっかり馴染み、主流となっている。
細かいことは言わないが、1つ言っておくと、その流れは、一国とは限らないが、外国からの働きかけで作られたものだ。
そして、日本は、すっかり三流国になった。
(ただ、日本では、やらなくて良い一部のことでは、過激な徹底が行われているので、話がややこしいのであるが)
私は、そのことに気付いてしまった。
おかげで、私は、洗脳から覚めることが出来た。
そのきっかけは、子供の時に読んだ、梶原一騎原作の、かなりレベルが低い漫画のことを覚えていたからだ(どの作品かは忘れた。梶原一騎には似た作品が多いので)。
梶原一騎という人は、真面目な作品でも、享楽的な作品でも、ほとんど中身がないのに、人間心理につけ込んで受けを取れるものを作る天才であるが、希に、妙に深いことを示すのである。
その梶原作品の漫画に、こんなお話があった。
ある日本人の大空手家(モデルは大山倍達だろう)が、ある目的があって、アメリカで、アメリカの英雄的なプロレスラーに、一流ホテルの中で巧妙に喧嘩を売り、決闘に持ち込む。
相手のプロレスラーも強かったが、その空手家は超人的で、ついには、そのプロレスラーを、意識はあっても、戦闘不能な状態に追い込む。
それでも、さらに、攻撃を続けようとする空手家に対し、主人公である、その空手家の若い弟子が叫ぶ。
「先生!そこまでです!ここで許して武士の情(なさ)けを見せた方がアメリカ人受けします!」
ところが、その空手家は、
「喧嘩とは徹底的にやるものだよ」
と返して、グロッギー(ふらふらな状態)なプロレスの英雄を、さらに残酷に叩きのめす(最後は、その英雄レスラーの顔をトイレの便器に突っ込んで水を流したように憶えている)。
私は、「喧嘩とは徹底的にやるもの」という言葉に本望的に真理を感じた。
『怒りの荒野』というマカロニウエスタン(イタリア西部劇)映画では、一流のガンマンになるために必要な「ガンマン十戒」というものが示され、これをよく憶えている人達がいる。
それが、まさに、「徹底してやれ」の精神に満ちている。
例えば、
◆教訓の五 傷を負わせたら殺せ。見逃せば自分が殺される
◆教訓の九 挑戦されたら逃げるな。全てを失う事になる
◆教訓の十 皆殺しにするまで止めるな
※Wikipediaより引用
であることを見ても分かると思う。
こういった「徹底の美学」を美しいと思うかどうか。
それが、外国の洗脳にまだ完全にやられてはいない証拠と思う。