最近、テレビが流す中国や韓国の話題と言えば、尖閣諸島や竹島に関するものが圧倒的に多いが、それらを真に受けてはならないと思う。
昔から、日本のマスコミは、ものごとの一部を全部であるかのように、そして、その一部の選択も全く公平性のないものであるいことは、嫌というほど知らされている。
今はインターネットがあるといっても、(無論、それにより良い部分はあるが)これには別の問題がある。
ただ、現在の中国や韓国に関する報道には、偶然ながら、ちょっと良い部分もある。
どこの国だって、表に出したくない「恥部」というものがある。中国や韓国の場合、現在は、それが少し出ているのである。
日本人にとって、アメリカという国のイメージはかなり良いのである。
だが、アメリカという国は、自国の恥部を堅く隠す国だ。
しかし、それは日本も同じなのである。そして、日本人自体が、必死で日本の恥部に目を背けて、無いものと思い込もうとしているし、無いと思うようになった人も多い。
手塚治虫さんの時代の人だと、戦争で日本はアメリカに占領されたのだが、日本人は、アメリカ兵がいい服を着て、美味しいものを食べ、日本の女性を好きなようにしていても何もできずに我慢するしかないという中で、アメリカ人(あるいは西洋人)に対する強烈な劣等感を持つようになった。しかし、手塚さんは、アメリカでの『鉄腕アトム』のテレビ放映の件でアメリカに行くと、それが一瞬で消えたという。ニューヨークに行ったのだが、みんな自分より小さいし、みすぼらしいし、まともな英語を喋るやつなんていない。日本で知るアメリカの情報が偏ったものであることは、今も昔も変わらない。
今でも、自分でアメリカの都会に行き、空港とホテルと劇場ばかりでなく、いわゆる庶民達のたむろする場所に行くと、唖然呆然となることが多いだろう。政府が海外に隠す恥部のあまりの凄さに愕然とするのだ。まあ、具体例を書くと、「それも一部のことじゃないか?」ということになるかもしれないが、その多くの一部に共通するのは、他人への無関心で、その本質は、自分にしか関心が無いことである。日本でも、マンションの隣の人と付き合わず、人間関係が冷淡だと言われ、それも他人への無関心の現れであるが、その比ではない。しかし、日本も、着実かつ急速にアメリカ化しているのである。
アメリカで日本のアニメを放送する際の規制は滑稽なほどだ。女の子の下着が見えるシーンや入浴シーンは全て猥褻としてカットされる。暴力シーンや、同性愛を連想させる場面、宗教的なものも全部駄目。それをもって、「アメリカは子供達のことをよく考えている」と本当に思うだろうか?
そこまでやらないといけない庶民の堕落振りや、そこまでやって恥部を隠したがっているのだと気付くかであろう。
しかし、国が自国の恥部を隠すのも、個人が自分の恥部を隠すのも同じものではないだろうか?
先ごろ、インターネット上の掲示板に犯罪的な投稿をしたとかで逮捕された男が、誤認逮捕であったことを警察が認めて謝罪したことが話題になったが、逮捕されて何が困るかというと、家宅捜査されることだ。部屋の中の一切合財を暴かれるのだが、机の引き出しや、棚、押入れの奥にあるものを、他人に見られて平気な人なんているだろうか?
ある有名な学者が、今でも無罪を主張しているが、痴漢行為で逮捕され、家宅捜査された際、多分嘘だろうが、セーラー服など、マニアックや趣味のものが出てきたが、もし本当だとしても、捜査している刑事の方も、心の中では、「ほう、俺と同じ趣味か・・・」「俺はもっといい店知ってるのに・・・」とか思ったことだろう。そんな店の客は、学校の先生や役人など、お堅い職業の人と相場が決まっているそうだ。
学園都市なんてあるじゃないか?行政が計画して作る健全な都市だが、なかなか人が来なかった。人間なんて、そんなに健全なものじゃない。
だが、私は、菜食主義になり、食事を一日一食にしてから、少なくとも、家の中の恥部というものが増えなくなった。処分していけば、やがて全部なくなるだろう。
別に無理をしなくても、世間が提供する、誰でも持っている「恥ずかしいもの」に全く関心が無くなる。
趣味と言って良いかどうかは知らないが、趣味は、朝晩、トレーニングすることと読書くらいだ。
初音ミクがいくら好きだと言っても、ブルーレイやDVD、CDなどは、書棚の一列にもならない。それでも、必要なだけ全て揃えたつもりだ。そして、今どき、初音ミクがオタクだのサブカルチャーだのというのは、時代遅れも甚だしいだろう。従って、誰に見られても少しも困らない。
他人や他国の恥部より、まずは自分の恥部と向き合い、それがいったい何なのだろうと問うてみるべきかもしれない。
別に、あったらあったで良く、それは受容すべきである。でないと、それを隠して、自分はそんなものと縁の無い人間であるという自己愛と自家撞着により、自分を欺くのである。それを連想させる、巡音ルカの良い歌があるので、一部だが、ご紹介しておく。初音ミクのコンサートの定番でもある。
分かってたよ 心の奥底では
最も辛い 選択がベスト
それを拒む自己愛と
結果自家撞着(どうちゃく)の繰り返し
僕はいつになれば言えるのかな
~Just Be Friends(作詞・作曲:DixieFlatline 唄:巡音ルカ)より~
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昔から、日本のマスコミは、ものごとの一部を全部であるかのように、そして、その一部の選択も全く公平性のないものであるいことは、嫌というほど知らされている。
今はインターネットがあるといっても、(無論、それにより良い部分はあるが)これには別の問題がある。
ただ、現在の中国や韓国に関する報道には、偶然ながら、ちょっと良い部分もある。
どこの国だって、表に出したくない「恥部」というものがある。中国や韓国の場合、現在は、それが少し出ているのである。
日本人にとって、アメリカという国のイメージはかなり良いのである。
だが、アメリカという国は、自国の恥部を堅く隠す国だ。
しかし、それは日本も同じなのである。そして、日本人自体が、必死で日本の恥部に目を背けて、無いものと思い込もうとしているし、無いと思うようになった人も多い。
手塚治虫さんの時代の人だと、戦争で日本はアメリカに占領されたのだが、日本人は、アメリカ兵がいい服を着て、美味しいものを食べ、日本の女性を好きなようにしていても何もできずに我慢するしかないという中で、アメリカ人(あるいは西洋人)に対する強烈な劣等感を持つようになった。しかし、手塚さんは、アメリカでの『鉄腕アトム』のテレビ放映の件でアメリカに行くと、それが一瞬で消えたという。ニューヨークに行ったのだが、みんな自分より小さいし、みすぼらしいし、まともな英語を喋るやつなんていない。日本で知るアメリカの情報が偏ったものであることは、今も昔も変わらない。
今でも、自分でアメリカの都会に行き、空港とホテルと劇場ばかりでなく、いわゆる庶民達のたむろする場所に行くと、唖然呆然となることが多いだろう。政府が海外に隠す恥部のあまりの凄さに愕然とするのだ。まあ、具体例を書くと、「それも一部のことじゃないか?」ということになるかもしれないが、その多くの一部に共通するのは、他人への無関心で、その本質は、自分にしか関心が無いことである。日本でも、マンションの隣の人と付き合わず、人間関係が冷淡だと言われ、それも他人への無関心の現れであるが、その比ではない。しかし、日本も、着実かつ急速にアメリカ化しているのである。
アメリカで日本のアニメを放送する際の規制は滑稽なほどだ。女の子の下着が見えるシーンや入浴シーンは全て猥褻としてカットされる。暴力シーンや、同性愛を連想させる場面、宗教的なものも全部駄目。それをもって、「アメリカは子供達のことをよく考えている」と本当に思うだろうか?
そこまでやらないといけない庶民の堕落振りや、そこまでやって恥部を隠したがっているのだと気付くかであろう。
しかし、国が自国の恥部を隠すのも、個人が自分の恥部を隠すのも同じものではないだろうか?
先ごろ、インターネット上の掲示板に犯罪的な投稿をしたとかで逮捕された男が、誤認逮捕であったことを警察が認めて謝罪したことが話題になったが、逮捕されて何が困るかというと、家宅捜査されることだ。部屋の中の一切合財を暴かれるのだが、机の引き出しや、棚、押入れの奥にあるものを、他人に見られて平気な人なんているだろうか?
ある有名な学者が、今でも無罪を主張しているが、痴漢行為で逮捕され、家宅捜査された際、多分嘘だろうが、セーラー服など、マニアックや趣味のものが出てきたが、もし本当だとしても、捜査している刑事の方も、心の中では、「ほう、俺と同じ趣味か・・・」「俺はもっといい店知ってるのに・・・」とか思ったことだろう。そんな店の客は、学校の先生や役人など、お堅い職業の人と相場が決まっているそうだ。
学園都市なんてあるじゃないか?行政が計画して作る健全な都市だが、なかなか人が来なかった。人間なんて、そんなに健全なものじゃない。
だが、私は、菜食主義になり、食事を一日一食にしてから、少なくとも、家の中の恥部というものが増えなくなった。処分していけば、やがて全部なくなるだろう。
別に無理をしなくても、世間が提供する、誰でも持っている「恥ずかしいもの」に全く関心が無くなる。
趣味と言って良いかどうかは知らないが、趣味は、朝晩、トレーニングすることと読書くらいだ。
初音ミクがいくら好きだと言っても、ブルーレイやDVD、CDなどは、書棚の一列にもならない。それでも、必要なだけ全て揃えたつもりだ。そして、今どき、初音ミクがオタクだのサブカルチャーだのというのは、時代遅れも甚だしいだろう。従って、誰に見られても少しも困らない。
他人や他国の恥部より、まずは自分の恥部と向き合い、それがいったい何なのだろうと問うてみるべきかもしれない。
別に、あったらあったで良く、それは受容すべきである。でないと、それを隠して、自分はそんなものと縁の無い人間であるという自己愛と自家撞着により、自分を欺くのである。それを連想させる、巡音ルカの良い歌があるので、一部だが、ご紹介しておく。初音ミクのコンサートの定番でもある。
分かってたよ 心の奥底では
最も辛い 選択がベスト
それを拒む自己愛と
結果自家撞着(どうちゃく)の繰り返し
僕はいつになれば言えるのかな
~Just Be Friends(作詞・作曲:DixieFlatline 唄:巡音ルカ)より~
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