ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

稲盛和夫

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

願いが叶う時間は0.1%

願いが叶う祈りには2つあり、1つは、とにかく長時間祈ることで、もう1つは、無になって祈ることだが、この場合は、一瞬で叶う。
しかし、実は、この2つは同じで、長時間祈っている人は、99.9%の時間は、祈りが叶わない状態なのだが、たまたま0.1%、つまり、一瞬だけ、祈りが叶う状態になる。その、祈りが叶う状態というのが、他でもない、無になっていることだ。
だから、無になる方法が分かれば、祈りはすぐに叶う。
だけど、それが難しい。
子供がよく、簡単に願いを叶えることがあるが、実際は、そんなことは滅多にあることではない。
その原理は、願いが強いのに邪心がないので、願いの力で無になってしまうということだ。
大人の場合は、どうしても邪心があったり、感情が強いので、なかなか無になれない。
子供の場合は、邪心もだが、感情が案外弱いのだ。

病気の子供が治るように祈る母親や、逆に、病気の親が元気になるようにと祈る清らかな乙女であれば、いずれも邪心はないかもしれないが、やはり、感情が強過ぎるのだ。
感情の正体はエゴだ。
つまり、どれほど清らかに見える祈りだって、エゴである場合がほとんどだ。上で述べた、親の病気の回復を願う清浄な乙女といったところで、その願いは、やはりエゴなのである。

稲盛和夫氏は、決断の際、「私心ありかなきか」と考え、私心がないと分かったらやると言うが、私心がないということはエゴがないということで、エゴがなければ無であるから、その決断によって期待されることは実現する。つまり、願いは叶う。
しかし、エゴとか私心がないはずがないじゃないか(笑)。
たとえ稲盛氏には出来ても、普通の人には無理である。

他にも、酒で酔っぱらっている時とか、麻薬でハイになっている時とか、無になる状況についていろいろ考えたが、いずれも、有効な場合がほんの少しあるだけのことで、そのほんの少しの有効性がクローズアップされて、多くの人が、酒や麻薬で大失敗をした(笑)。
芸術家の多く(アメリカでは極めて多い)が、マリファナやLSDといった(日本以外では合法である国も多い)麻薬を勧めるが、実際は、ほとんどの場合は、メリットよりデメリットが多いのである。
そりゃ、麻薬で、自我(エゴ)を圧倒する無意識のイメージを体験している時はエゴが吹っ飛ぶが、無意識のあらゆるイメージが出現する・・・たとえば、目の前でゴジラがダンスしている状況で、真面目な祈りが出来るはずがない。

まあ、だから、諦めて長時間祈るしかない。
「神様の奇跡が起こる」と1日中唱えたホームレスのように。
彼は、たまたま2週間後に無になり、自由とか健康を得るための手っ取り早い手段と無意識が判断したのか、宝くじで1憶円当たり、その後、もう一度やったら、やっぱり1憶円当たった(事実である)。
もっと楽な方法は、大作詞家の阿久悠さんのように、息を吸って止めて祈ることだ。吸って止めると、無に近付くことは、何となく分かっていて、昔から、秘術とか様々な訓練や学習で利用されてきた。
息を吸って止める。そして祈る。
それで、少なくとも、実現の確率はかなり上がるのである。








願いを叶える心

人間は誰でも、潜在意識の無限の力を持っているので、不可能はなく、どんなことでも出来るはずである。
しかしながら、そのようなことが書かれた本を読み、書いてある通りにやってみると、時としてうまくいったように思う時もあるが、肝心なことがうまくいかない。
それで、「こうだから、あなたはうまくいかない」「うまくいかなかった人も、こうすれば成功する」といった話が目につくが、そんなものをいくら見ても、結果は変わらない。

とはいえ、潜在意識の法則を使うことは、本来、少しも難しくない。
何度も書いたが、私など、子供の時は、潜在意識の法則の本など全く読んでいなかったが、どんな奇跡でも起こせた。
今でも、やれることはやれるが、うまくいかないことも多い。
では、うまくいく時と、うまくいかない時の違いがあるのかというと、ある。
それは、美しいか、美しくないかだ。
あるいは、穢れているか、穢れていないかとも言える。
稀にだが、他の人の、潜在意識の法則で叶えたい願いを、本人から聞くことがある。
そんな時は、だいたいが「無理だな」と思うし、すぐには分からなくても、しばらく様子を見れば分かる。
大抵が、汚い、薄汚れている、醜い、美しくないと感じる。

まあ、自分のことに関しては、見極めが難しいかもしれない。
稲盛和夫さんは、ものごとを始める時、「私心なきか否か」と問い、私心ではないと確信したら実行するという話は、よく知られている。
これは、インドの神話『ラーマーヤナ(ラーマの物語)』で、最後に、ラーマが魔王ラーヴァナを倒した時、美しき伝統に則り、ラーマがラーヴァナに教えを請い、それに応え、ラーヴァナがラーマに言ったことと同じだ。
「私心があるうちはやってはいけない。しかし、私心がなければすぐにやりなさい」

ただ、実際のところ、100パーセント私心がないということは難しい。
私だって、子供の時に起こした奇跡・・・以前見たテレビドラマを放送させるとか、何の知識も手掛かりもなく夜空の星の中から土星を見つけるとか、天体望遠鏡を手に入れるなどは、どれも、私心と言えば私心だ。
しかし、純粋な好奇心から来るもの、叶っても誰にも迷惑をかけないもの、正当なもの・・・そういったものなら、私心であっても叶うように思う。
また、単なる欲望であれば叶わないが、憧れとか、敬うような気持があれば叶うと思う。
例えば、噂に聞く美味しい料理を食べたいと思った時、単に舌を楽しませる目的であれば叶わないが、その料理への憧れや敬いがあれば、あっさりと食べられる状況になる。
私心がないこと、私心と思われても憧れや敬いがあること・・・これを美しい、穢れていないと言うのだと思う。
一方、欲望の私心、憧れも敬いもない動物的欲望・・・こういうのを、醜い、穢れていると言うのである。








人間力とは決断力

人間の「力」を計るバロメーター(本来は気圧計、晴雨計のことだが、現在の状態を示すものという意味)となるのは「決断力」である。
人間にとって、決断ほど重要なものはない。
決断力があれば、必ず成功する。
決断力とは、「断固として決め、それを必ず実行する」力と言って良い。

アニメなどでも、「ああ、このヒロインは力がある」と思わせるのは、彼女が決断する場面である。
『魔法騎士レイアース』で、マジックナイトになることを要請された3人の少女のうち、即座に「マジックナイトになる」と決断したのは獅堂光だった。
また、それから間もなく3人が殺されかけた時、獅堂光は、「約束したんだ。マジックナイトになるって。約束は守らなくちゃ駄目だ」と言って、危機に際しても諦めずに抗った。
『灼眼のシャナ』では、まだ人間の11歳くらいの少女だったシャナが、紅世の輩という怪物に殺されかけた時も、「決めた。私はフレイムヘイズになる」と言って、この絶体絶命のピンチでも決して諦めなかった。

決断力がある者は迷わない。
特に、些細なことであれば即決する。
ところが、飲食店で食事をする時の注文すら、ぐずぐずいつまでも迷っている者がいる。
挙句、店員に「これはどんな料理ですか?」「お薦めは何ですか?」と尋ねる始末だったりする。
そんなの、注文して食べれば分かるし、注文して食べない限り分からない。
決断力がない者は迷う。
迷う者は弱い。
弱い者は、他人の決定に従うことになる。

迷うことと、じっくり考えることは全く違う。
じっくり考える者というのは、決断のための指標や基準があり、その指標や基準による条件が成立すれば「やる」、しなければ「やめる」となる。
だが、迷っている者は、指標や基準がなく、誰かに決めてもらいたがる。

そして、迷うと弱くなる。
迷っている者にはスキがあり、悪霊が憑りつき易いのだ。
常に迷えば、沢山の悪霊がくっついてしまい、もうどうしようもない状態になる。
決断出来る基準を持たなければならない。
たとえば、ある優れた人物は、飲食店で注文する際は、メニューの1番上のものと決めているそうだ。
無論、1番上のものが明らかに不適切であれば2番にすれば良い。
しかし、1番で決定的な不都合がないのに、1番か2番で迷うことは決してない。

迷わない練習をすれば良い。
スーパーでお弁当を買う際、「これが美味しそうだけどあれも良さそう」と迷う人がいるし、いつまでも迷っている人もいる。
こんな時も、「基準は何か?」と考え、それをすぐに決める。
「500円以下」「野菜が多い」などだ。
そして、これは些細な選択なのだから、一番最初に見たものが条件に合っていそうなら、他を見ず、即座にそれに決めるのである。

昔、京セラの社長だった稲盛和夫氏が、ヤシカという会社を買収する時には、非常に迷ったそうだ。
この場合は、京セラの発展はもちろん、ヤシカの従業員にとって、この買収が悪いものにならないかと考えないといけないのだから、迷うのは当然である。
しかし、決断しなければならない。
この時、稲盛和夫氏は、後によく知られるようになった「私心なきか」と考えた。
そして、「私心なし」と分かれば、買収自体には、京セラにとってもヤシカにとってもメリットが大きいことは分かっていたので、即座に決断した。
「私心なきか?」という基準を稲盛和夫氏がどうやって持ったのかは知らないが、インドに伝わる壮大な物語である『ラーマーヤナ』の最後に、こんな話がある。
『ラーマーヤナ』とは、「ラーマの物語」という意味で、ビシュヌ神が転生したラーマという英雄が、魔王ラーバナの軍団と戦う物語である。
最後に勝利を得たラーマだが、美しい伝統に従い、敗れた魔王ラーバナにこうべを垂れ、教えを請うた。
その時、ラーバナがラーマに教えたのが、「私心があるならやってはならない。私心がなければすぐにやりなさい」だったのだ。

決断のための基準がないと、いつまでも決められず迷ったり、決めても早計ということになる。
だが、些細なことであれば、最初は早計に決めても、それで痛い目に遭って経験を積めば、自分の基準(確率などとも言う)を持てるだろう。
ある程度力がつけば、稲盛和夫氏のように、あるいは、ラーマのように、「私心なきか」を基準としても良いだろう。

尚、迷いの人生を送ってきて、沢山の悪霊に憑りつかれて駄目になっているなら、神社でお祓いとか、尊いお守りを持つとか、祝詞を唱えるとかすると良い。
私は最近、『お清めCDブック』という本に付いているCDの、テクノロジーと融合したボーカロイド祝詞が気に入っている。電子版を買っても、CDと同じ内容の音源をダウンロード出来る。








わからないけど、なんかいいもの

私は、小学4年生まで書道を習っていた。
ただ、いつ始めたのかも覚えていないほど「やらされた」だけで、あまり熱心でなかった。
それでも、「書道の極意は?」と聞かれたら、「リラックスし、心を込めて書くこと」であると自信を持っていえる。
私は別に一流のプログラマーではないが、やはり、プログラミングの極意も「リラックスし、心を込めて書くこと」であると言える。
よく、野球のバッターが「無心で打つ」とか、空手や剣道等の武道で「無心で戦う」などと言うが、心が全く消えては何も出来ないだろう。
『燃えよドラゴン』で、ブルース・リーが、「私は打たない。拳自らが打つ」と美しいことを言うが、書の達人は筆自らが書き、ギターの達人はギター自らが演奏するのだろう。
しかし、これらも、やはり、リラックスし、心を込めて打ち、書き、演奏しているのである。
あまり理屈で言うと、訳が分からなくなるが、稲盛和夫氏が、重要な経営判断の心構えを「私心なきか」と言うようなもので、私心・・・つまり、「上手く書こう」「効果的に打とう」「素晴らしい演奏をしよう」とは思っていない状態なのである。
だけど、「良いフィーリングで書く」「良いフィーリングで打つ」「良いフィーリングでプレイする」みたいな心はあるのである。

もう、相当、何を言っているのか分からなくなってきた(笑)。
重要なことではあっても、言葉で言うのは難しいのだろう。
しかし、単純に言えなければならない。
最も良いのは、ビートルズの『アイ・フィール・ファイン(I Feel Fine)』という歌の、その「ファイン」という雰囲気だ。
素晴らしい女の子がいて、その子が、ファインにしてくれるのである。
決して、その子は、「俺を一晩中燃えさせてくれるんだぜ」とかではなく、今ここで「ファイン」にしてくれるのだ。
英語のファイン(Fine)は奥が深い言葉だ。
これほど、良い意味、悪い意味を、数多く持つ言葉も珍しい。
「優れた」「素晴らしい」「澄んだ」「高純度の」「晴れた」「まあまあ」「元気な」「細かい」「細い」「精密な」「微妙な」「細やかな」などの良い意味と共に。「うわべだけの」「飾り立てた」という、ちょっと貶めるような意味もある。
つまり、微妙な言葉なのであり、ネイティブはおそらく、「丁度良い」という意味で使うと思う。
良い意味での「いい加減」、つまり、「いい湯加減」みたいなものを指すのがFineであるのだと思う。
野球でも、ホームランやレーザービームでの捕殺を「ファイン・プレー」とは言わない。
もっと、自然で心にすっと入って来る「適度に良いプレー」「気持ちいいプレー」を「ファイン・プレー」と言うのである。
まあ、こんな理屈を言うより、ビートルズの『アイ・フィール・ファイン』を聴けば良いのかもしれない。

つまり、極意は、FEEL FINEである。
それが、最初に言った、「リラックスし、心を込めて」で、「リラックスし、丁寧に」でも良い。
そして、引き寄せの極意がまさに、Fineなのだ。
欲望ギラギラで強く願うのではない。
リラックスし、心を込めて丁寧に、どこかさりげなく求めるのだ。
つまり、ファインに求めるのである。
好きな人なら、初音ミクさんがファインだと言えば分かり易いと思う。
中道・・・つまり、右にも左にも偏らないことを掲げる仏教も、ファインな宗教だ。
ファインが解れば無敵なのであるが、子供は案外にファインが解っているのである。
「(わからないけど)なんかいい」がファインなのだと思う。








良い超科学、悪い超科学

2010年に、経営破綻していた日本航空(JAL)に、京セラやKDDIの創業者の稲盛和夫氏が会長に就任したが、いかに有名な事業家とはいえ、既に稲盛氏は78歳。
私は、何も期待出来ないと思っていたが、就任翌年度には大幅な黒字とし、3年足らずで超高収益企業となって再上場と、奇跡の再建を果した。
私は、稲盛さんは本当に凄い人だなあと思った。

なぜ、そんな話を思い出したのかというと、以下の理由による。
私は、昨日から、陰謀論や超科学の本をずっと読んでいて、すっかりクラクラしているのだが(笑)、トンデモ科学で有名なものの中に、サイエントロジー教会の創始者でSF作家のL.ロン.ハバートが開発した『ダイアネティックス』という能力開発技術がある。これもかなり批判されていて、ハバートに関しても、クズ人間、大嘘つき、詐欺師、極悪人のレッテルが張られているのを、よく見た。
ところが、ハバートが書いた教育書の翻訳を、稲盛氏が推薦していたのである。
ハバートが学習について強く主張していることは、「用語の意味(定義)を曖昧にしたまま学習を進めるな」であると思う。
誰もあまり言わないことであるが、確かに重要なことであると思う。

ところで、陰謀論や超科学の本が全て面白い訳ではなく、確かに下らないと思えるものも沢山あると思う。
まあ、そんな本(陰謀論や超科学の本)は全部下らないと言う者は多く、それはそれで1つの意見として参考にしなければならないが、ハバートの本に関してはどうであろう?
私は、『ダイアネティックス』に関しては、一頃ハマり、少なくとも、この本の内容は、批判者のレベルは確実に超えていると思ったし、明確な批判点はないと私は思ったが、サイエントロジーの営利主義に疑問を感じ(別に悪いとは言わないが)、離れた。とはいえ、参考になる部分はあったと思う。
『ダイアネティックス』は、関連書の『科学の進化』(ハバート著)と共に1950年頃に書かれたと思うが、コンピューターに関する記述がしっかりしていることに感心した覚えもある。
サイエントロジーの熱心な信者であるジョン・トラボルタやトム・クルーズは、時々問題は起こしてはいるが、長期に渡って成功し続けているしね。
頭の良い人が書いたトンデモ本は、少なくとも文学というか哲学として読む限り、良い面もあるのでは思う。
一方、下らない陰謀論や超科学の本の特徴は、著者が自己の内面を語り過ぎるものだ。
そりゃ、ある程度、著者は自分について語る必要はあるが、読んでて、「そこまでアンタのことに興味ねーよ」と思ってしまうほど、著者が自己の内面を語っているものは、おそらく程度が低いと思う(そんな本が多いと思うが)。
面白いと思った本をご紹介しておく。

それはそうと、今週は、京都南座に、初音ミクさんが出演する超歌舞伎の観劇に行く。
私は、超歌舞伎は初めてだ。
ペンライトは普通に使われるらしいが、マジカルミライのものでは駄目かなあ?
毎年、マジカルミライのペンライトを買っているうちに、じゃらじゃらと溜まってしまって、あまり増やしたくないなあと思う。
そして、31日は、幕張メッセのマジカルミライ2019に行くため、千葉県に向かう。
昨日、やっと宿泊プランのチケット(9月1日)が到着し、11列目という良い席であった。
31日も、ワンモアチャンス抽選で、まさかのS席ゲットで、今年も、インテックス大阪に1回、幕張メッセに2回入場することが出来る。
大阪では分からなかった曲も、しっかり聴き込んだが、素晴らしい曲ばかりだ。
WOWAKAさんの曲は、『ワールズエンド・ダンスホール』と『アンノウン・マザーグース』はあると予想するが、『ローリンガール』が新たに・・・なんてことはないだろうか?見たいなあ・・・









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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