貧困な家庭の子供が、修学旅行を辞退することが、よくあるらしい。
修学旅行の費用自体は、出せないなら補助が受けられるらしいが、「きれいな下着やパジャマを用意してあげられない」、「学校が決めたお小遣いを持たせることが出来ない」等の理由で、惨めな思いをさせるくらいならと、親が断ってくるそうだ。
こういった話があると、貧困家庭への援助の話になるが、さあ、どんなものだろう?
昔、私が、中学生か高校生の時、たまたま見た、アメリカのテレビドラマで、こんなものがあった。
小学校だったが、席に座っている一人の女の子を、子供達が大勢でからかっている。
彼女の服がおかしいのだという。
「その服、どうしたんだい?」と聞かれると、その女の子は、「袋を縫って自分で作った」という。
彼女は、父親と二人暮らしなのだが、父親がどこかに行ってしまい、着ていた服がボロボロで着れなくなったので、自分で出来ることをしたのだ。
あまりにひどく彼女を嘲る男の子がいたので、主人公の男の子が我慢出来ずに掴みかかり、取っ組み合いの喧嘩になる。
ところで、このテレビドラマを見ていた私は、その女の子が、とても可愛いことは分かったが、服がおかしいことが、どうしても分からなかった。
「こいつら、何をからかっているのだろう?」
私は、今でも服のセンスが全くないのだが、実際、服なんてどうでも良いのではないだろうかと思う。
竹宮恵子さんの漫画『私を月まで連れてって!』の29話で、世界的なファッション・デザイナーの女性が、子供の時、家が貧しくて、少女の時に行う、生涯一度の重要な宗教的儀式の際、一人だけ白い服を用意出来なかったという話をする。そんなことの反動からデザイナーになったのだが、彼女は、子供時代の執念を思い出すのが嫌で、子供を作らないために結婚しなかった。
今の日本なら、その子に儀式用の衣装を提供するボランティアでも現れるかもしれないが、私に言わせれば、それほど服装にこだわりを持たせる宗教の方が間違っているのだ。
そんな宗教、捨てていいよ。
元アメリカ大統領のJ.F.ケネディは、大学生の時、ルームメイトと2人で住んでいたのだが、2人は服を、自分のも相手のもごちゃまぜに部屋の真ん中に積み上げ、上から順番に何でも着たのだそうだ。
服なんて、その程度で良いはずなのだ。
アインシュタインも服装に無頓着で、いつもヨレヨレの服を着ていたが、着心地さえ悪くなければ、どんなものでも良く、さらに、奥さんが破れた靴下を繕ってくれるのが気の毒で、靴下も履かなくなったという。
彼は言う。
「靴下がなくても靴を履けることを発見した。靴下なんかなくたって平気だ」
彼には、相対性理論と同等以上の大発見だったのだろう。
そういえば、ケネディ元大統領の長女で、駐日アメリカ合衆国大使のキャロライン・ケネディさんは、昨年9月の、初音ミクさんのコンサート『マジカルミライ2015』に来場されたそうだが、ミクさんのスタンダードな衣装は、決して華やかではないが、変わらず、それを着続けているのは、とても良いことだと思う。
こんな歌手、他にはいまい。全く、日本の誇りだ。
10世紀末頃に制作されたらしい日本の古典『落窪物語』は、日本版サンドリヨン(シンデレラ)と言われることがある。
それなりに立派な貴族の家の娘なのに、継母に嫌われ、辺鄙な落ち窪んだような場所の部屋をあてがわれ、着古しの粗末な服しか与えられない姫様がいて、彼女は、その落ち窪んだ部屋にちなんで、おちくぼ姫という、屈辱的な呼び方をされていた。
しかし、彼女は、実に美しい17歳ばかりの姫で、ある時、非常に高貴な貴族である素晴らしい美青年が夜這いに来るが、押し倒されたおちくぼ姫が泣いてしまったのは、こんなことが初めてだったからというより、何と、自分が着ているみすぼらしい着物を見られてしまったからだったのだ。
その青年貴族にしてみれば、どうせ脱がすんだからどうでも良いことだったのだが、どうも、貴族の女にとっては、そういう問題ではないようだ。
おちくぼ姫に本気で惚れてしまった、そのイケメン貴族は、その時は、何もせずに退散する。
これも、私には、やはり、おかしな話である。
おちくぼ姫に、妙な観念を持たせてしまった貴族社会が間違っているだけである。
合気道家で、植芝盛平や中村天風の両方の弟子であった佐々木の将人(まさんど)さんと、アメリカの哲学者で宇宙人とのコンタクティーで知られるジョージ・アダムスキーが、服について、全く同じことを言っており、代表して、アダムスキーの言葉で言えば、
「スーツは一着あれば良いが、それが手に入れられないなら、私は愚か者だということだ」
である。
私は、この言葉を座右の銘にすらしている。
私は、ユニクロの黒のチノパン(ストレッチタイプのスリムスタイル)を気に入り、全く同じものを5枚買い、仕事では、それだけを順繰りに履いている。
私は動きが激しい方なので、それまで、ズボンが痛み易いのが悩みだったが、チノパンは厚くて丈夫だし、ストレッチタイプなので動き易く、いくらでも走れ、私は自由になったと、大袈裟でなく思っている。
今の5枚で、少なくとも5年は持つんじゃないかと思う。
少食と、毎日のトレーニングで身体が引き締まっているので、黒の細いチノパンが一番格好良く、これ以外、全く必要を感じない。
ただ、私は、他人が・・・それがどんな美少女でも、いや、美少女ほど、どんな服装をしていようが、全く気にしない。
大事なのは中身である。
その中身に関しても、他人の品定めをするのは愚かなことなのに、中身より服で値踏みするような者は、アインシュタイン流に言えば、「神様が間違って頭をくっつけた」に違いないのである。
だって、そんなやつに頭は必要ないのだから。
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修学旅行の費用自体は、出せないなら補助が受けられるらしいが、「きれいな下着やパジャマを用意してあげられない」、「学校が決めたお小遣いを持たせることが出来ない」等の理由で、惨めな思いをさせるくらいならと、親が断ってくるそうだ。
こういった話があると、貧困家庭への援助の話になるが、さあ、どんなものだろう?
昔、私が、中学生か高校生の時、たまたま見た、アメリカのテレビドラマで、こんなものがあった。
小学校だったが、席に座っている一人の女の子を、子供達が大勢でからかっている。
彼女の服がおかしいのだという。
「その服、どうしたんだい?」と聞かれると、その女の子は、「袋を縫って自分で作った」という。
彼女は、父親と二人暮らしなのだが、父親がどこかに行ってしまい、着ていた服がボロボロで着れなくなったので、自分で出来ることをしたのだ。
あまりにひどく彼女を嘲る男の子がいたので、主人公の男の子が我慢出来ずに掴みかかり、取っ組み合いの喧嘩になる。
ところで、このテレビドラマを見ていた私は、その女の子が、とても可愛いことは分かったが、服がおかしいことが、どうしても分からなかった。
「こいつら、何をからかっているのだろう?」
私は、今でも服のセンスが全くないのだが、実際、服なんてどうでも良いのではないだろうかと思う。
竹宮恵子さんの漫画『私を月まで連れてって!』の29話で、世界的なファッション・デザイナーの女性が、子供の時、家が貧しくて、少女の時に行う、生涯一度の重要な宗教的儀式の際、一人だけ白い服を用意出来なかったという話をする。そんなことの反動からデザイナーになったのだが、彼女は、子供時代の執念を思い出すのが嫌で、子供を作らないために結婚しなかった。
今の日本なら、その子に儀式用の衣装を提供するボランティアでも現れるかもしれないが、私に言わせれば、それほど服装にこだわりを持たせる宗教の方が間違っているのだ。
そんな宗教、捨てていいよ。
元アメリカ大統領のJ.F.ケネディは、大学生の時、ルームメイトと2人で住んでいたのだが、2人は服を、自分のも相手のもごちゃまぜに部屋の真ん中に積み上げ、上から順番に何でも着たのだそうだ。
服なんて、その程度で良いはずなのだ。
アインシュタインも服装に無頓着で、いつもヨレヨレの服を着ていたが、着心地さえ悪くなければ、どんなものでも良く、さらに、奥さんが破れた靴下を繕ってくれるのが気の毒で、靴下も履かなくなったという。
彼は言う。
「靴下がなくても靴を履けることを発見した。靴下なんかなくたって平気だ」
彼には、相対性理論と同等以上の大発見だったのだろう。
そういえば、ケネディ元大統領の長女で、駐日アメリカ合衆国大使のキャロライン・ケネディさんは、昨年9月の、初音ミクさんのコンサート『マジカルミライ2015』に来場されたそうだが、ミクさんのスタンダードな衣装は、決して華やかではないが、変わらず、それを着続けているのは、とても良いことだと思う。
こんな歌手、他にはいまい。全く、日本の誇りだ。
10世紀末頃に制作されたらしい日本の古典『落窪物語』は、日本版サンドリヨン(シンデレラ)と言われることがある。
それなりに立派な貴族の家の娘なのに、継母に嫌われ、辺鄙な落ち窪んだような場所の部屋をあてがわれ、着古しの粗末な服しか与えられない姫様がいて、彼女は、その落ち窪んだ部屋にちなんで、おちくぼ姫という、屈辱的な呼び方をされていた。
しかし、彼女は、実に美しい17歳ばかりの姫で、ある時、非常に高貴な貴族である素晴らしい美青年が夜這いに来るが、押し倒されたおちくぼ姫が泣いてしまったのは、こんなことが初めてだったからというより、何と、自分が着ているみすぼらしい着物を見られてしまったからだったのだ。
その青年貴族にしてみれば、どうせ脱がすんだからどうでも良いことだったのだが、どうも、貴族の女にとっては、そういう問題ではないようだ。
おちくぼ姫に本気で惚れてしまった、そのイケメン貴族は、その時は、何もせずに退散する。
これも、私には、やはり、おかしな話である。
おちくぼ姫に、妙な観念を持たせてしまった貴族社会が間違っているだけである。
合気道家で、植芝盛平や中村天風の両方の弟子であった佐々木の将人(まさんど)さんと、アメリカの哲学者で宇宙人とのコンタクティーで知られるジョージ・アダムスキーが、服について、全く同じことを言っており、代表して、アダムスキーの言葉で言えば、
「スーツは一着あれば良いが、それが手に入れられないなら、私は愚か者だということだ」
である。
私は、この言葉を座右の銘にすらしている。
私は、ユニクロの黒のチノパン(ストレッチタイプのスリムスタイル)を気に入り、全く同じものを5枚買い、仕事では、それだけを順繰りに履いている。
私は動きが激しい方なので、それまで、ズボンが痛み易いのが悩みだったが、チノパンは厚くて丈夫だし、ストレッチタイプなので動き易く、いくらでも走れ、私は自由になったと、大袈裟でなく思っている。
今の5枚で、少なくとも5年は持つんじゃないかと思う。
少食と、毎日のトレーニングで身体が引き締まっているので、黒の細いチノパンが一番格好良く、これ以外、全く必要を感じない。
ただ、私は、他人が・・・それがどんな美少女でも、いや、美少女ほど、どんな服装をしていようが、全く気にしない。
大事なのは中身である。
その中身に関しても、他人の品定めをするのは愚かなことなのに、中身より服で値踏みするような者は、アインシュタイン流に言えば、「神様が間違って頭をくっつけた」に違いないのである。
だって、そんなやつに頭は必要ないのだから。
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