ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

私を月まで連れてって!

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

大事なのは中身だ

貧困な家庭の子供が、修学旅行を辞退することが、よくあるらしい。
修学旅行の費用自体は、出せないなら補助が受けられるらしいが、「きれいな下着やパジャマを用意してあげられない」、「学校が決めたお小遣いを持たせることが出来ない」等の理由で、惨めな思いをさせるくらいならと、親が断ってくるそうだ。
こういった話があると、貧困家庭への援助の話になるが、さあ、どんなものだろう?

昔、私が、中学生か高校生の時、たまたま見た、アメリカのテレビドラマで、こんなものがあった。
小学校だったが、席に座っている一人の女の子を、子供達が大勢でからかっている。
彼女の服がおかしいのだという。
「その服、どうしたんだい?」と聞かれると、その女の子は、「袋を縫って自分で作った」という。
彼女は、父親と二人暮らしなのだが、父親がどこかに行ってしまい、着ていた服がボロボロで着れなくなったので、自分で出来ることをしたのだ。
あまりにひどく彼女を嘲る男の子がいたので、主人公の男の子が我慢出来ずに掴みかかり、取っ組み合いの喧嘩になる。
ところで、このテレビドラマを見ていた私は、その女の子が、とても可愛いことは分かったが、服がおかしいことが、どうしても分からなかった。
「こいつら、何をからかっているのだろう?」
私は、今でも服のセンスが全くないのだが、実際、服なんてどうでも良いのではないだろうかと思う。

竹宮恵子さんの漫画『私を月まで連れてって!』の29話で、世界的なファッション・デザイナーの女性が、子供の時、家が貧しくて、少女の時に行う、生涯一度の重要な宗教的儀式の際、一人だけ白い服を用意出来なかったという話をする。そんなことの反動からデザイナーになったのだが、彼女は、子供時代の執念を思い出すのが嫌で、子供を作らないために結婚しなかった。
今の日本なら、その子に儀式用の衣装を提供するボランティアでも現れるかもしれないが、私に言わせれば、それほど服装にこだわりを持たせる宗教の方が間違っているのだ。
そんな宗教、捨てていいよ。

元アメリカ大統領のJ.F.ケネディは、大学生の時、ルームメイトと2人で住んでいたのだが、2人は服を、自分のも相手のもごちゃまぜに部屋の真ん中に積み上げ、上から順番に何でも着たのだそうだ。
服なんて、その程度で良いはずなのだ。
アインシュタインも服装に無頓着で、いつもヨレヨレの服を着ていたが、着心地さえ悪くなければ、どんなものでも良く、さらに、奥さんが破れた靴下を繕ってくれるのが気の毒で、靴下も履かなくなったという。
彼は言う。
「靴下がなくても靴を履けることを発見した。靴下なんかなくたって平気だ」
彼には、相対性理論と同等以上の大発見だったのだろう。
そういえば、ケネディ元大統領の長女で、駐日アメリカ合衆国大使のキャロライン・ケネディさんは、昨年9月の、初音ミクさんのコンサート『マジカルミライ2015』に来場されたそうだが、ミクさんのスタンダードな衣装は、決して華やかではないが、変わらず、それを着続けているのは、とても良いことだと思う。
こんな歌手、他にはいまい。全く、日本の誇りだ。

10世紀末頃に制作されたらしい日本の古典『落窪物語』は、日本版サンドリヨン(シンデレラ)と言われることがある。
それなりに立派な貴族の家の娘なのに、継母に嫌われ、辺鄙な落ち窪んだような場所の部屋をあてがわれ、着古しの粗末な服しか与えられない姫様がいて、彼女は、その落ち窪んだ部屋にちなんで、おちくぼ姫という、屈辱的な呼び方をされていた。
しかし、彼女は、実に美しい17歳ばかりの姫で、ある時、非常に高貴な貴族である素晴らしい美青年が夜這いに来るが、押し倒されたおちくぼ姫が泣いてしまったのは、こんなことが初めてだったからというより、何と、自分が着ているみすぼらしい着物を見られてしまったからだったのだ。
その青年貴族にしてみれば、どうせ脱がすんだからどうでも良いことだったのだが、どうも、貴族の女にとっては、そういう問題ではないようだ。
おちくぼ姫に本気で惚れてしまった、そのイケメン貴族は、その時は、何もせずに退散する。
これも、私には、やはり、おかしな話である。
おちくぼ姫に、妙な観念を持たせてしまった貴族社会が間違っているだけである。

合気道家で、植芝盛平や中村天風の両方の弟子であった佐々木の将人(まさんど)さんと、アメリカの哲学者で宇宙人とのコンタクティーで知られるジョージ・アダムスキーが、服について、全く同じことを言っており、代表して、アダムスキーの言葉で言えば、
「スーツは一着あれば良いが、それが手に入れられないなら、私は愚か者だということだ」
である。
私は、この言葉を座右の銘にすらしている。
私は、ユニクロの黒のチノパン(ストレッチタイプのスリムスタイル)を気に入り、全く同じものを5枚買い、仕事では、それだけを順繰りに履いている。
私は動きが激しい方なので、それまで、ズボンが痛み易いのが悩みだったが、チノパンは厚くて丈夫だし、ストレッチタイプなので動き易く、いくらでも走れ、私は自由になったと、大袈裟でなく思っている。
今の5枚で、少なくとも5年は持つんじゃないかと思う。
少食と、毎日のトレーニングで身体が引き締まっているので、黒の細いチノパンが一番格好良く、これ以外、全く必要を感じない。
ただ、私は、他人が・・・それがどんな美少女でも、いや、美少女ほど、どんな服装をしていようが、全く気にしない。
大事なのは中身である。
その中身に関しても、他人の品定めをするのは愚かなことなのに、中身より服で値踏みするような者は、アインシュタイン流に言えば、「神様が間違って頭をくっつけた」に違いないのである。
だって、そんなやつに頭は必要ないのだから。









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恨みのエネルギーと報恩のエネルギー

恨みというものは、大きなエネルギーになる。
その中でも、子供の時に持った恨みは危険はエネルギーになり易く、それを使って成功した人もいるが、逸脱した人間・・・例えば、凶悪な犯罪者になる場合もある。
竹宮恵子さんの『私を月まで連れてって!』の『Vol.29 白いドレス』が、それを感じさせるお話だった。
白い服を作らせたら右に出る者はいないと言われる女性デザイナーがいるのだが、彼女は子供時代の悪い思い出を持っていた。
彼女は子供の時、家が貧しく、他の女の子達がパーティーで着ている白いドレスを羨ましく思い、堅信礼(宗教的儀式)の白いドレスも用意出来なかったことを、彼女は、「恨みだった」と表現していたが、全くその通りだと思う。
子供の時、どうしても欲しかったもの、まして、それが、他の子が普通に持っているものであれば、自分がそれを持てないことに対する感情は、恨み以外に考えられない。
彼女は、その恨みを原動力に、執念といって良い努力で成功したのだろう。
だが、竹宮さんは、その作品を描かれた若い時から賢い方だった。
そのデザイナーは、子供用の礼服を作らないこと、そして、結婚しないこと(子供を作らないため)で、精神のバランスを保っていたのである。

もう1つ、人に大きなエネルギーを与えるものに、「報恩のエネルギー」がある。
仏典にあるお話だが、竹林が大火事になった時、一羽のオウムが、池に飛び込んで身体を濡らしては、炎の上で羽ばたき、火を消そうとしていた。
それを見た神が言う。
「オウムよ、お前の行いは健気(けなげ)ではあるが、それしきの水で何が出来よう」
だが、オウムは、こう答える。
「長年棲家を与えてくれた竹林への報恩の気持ちで行っていることが成らぬはずがない。私は何度生まれ変わってでもやりぬく」
心を動かされた神は、オウムと協力して火を消した。
神が火を消したのではない。神とはいえ、このような者がいなければ出来ないこともあるのだ。

報恩の行いといえば、私が必ず思い出すのは、プロレスのジャイアント馬場さんだ。
今の有名な野球選手やサッカー選手とは全く違い、馬場さんは、実力もまだまだの無名の若手時代、飛行機の切符だけ渡されて、アメリカに行った。手っ取り早く一人前にするための武者修行であるが、随分、乱暴なものだ。
それで、昭和36年という、一般の日本人の海外旅行など、ほとんど皆無の時代のアメリカで、馬場さんは、もう何も分からないという状況の中、ボボ・ブラジルやジン・キニスキーといったレスラー達が親身に世話を焼いてくれたのだ。
馬場さんは、この恩を決して忘れず、自分が大スターになっても、控え室では常に小さくなって彼らを立て、また、彼らが年を取って、かなり力が衰えても、全日本プロレスの社長でもあった馬場さんは、彼らを定期的に日本に呼んで、彼らの全盛期の時に匹敵する高いギャラを払い続けたという。
史上最高のレスラーと言われるルー・テーズは、馬場さんが亡くなられた時のインタビューで、「ミスター馬場はプロモーターとしても偉大で、約束したギャラは必ず払ってくれる誠実な人だった」と述べ、また、馬場さんの告別式で来日した、馬場さんの若手時代からのライバル、「人間発電所」ブルーノ・サンマルチノは、「馬場、君は身体だけでなく、心もジャイアントだった」と言った。
馬場さんは、「自分はプロレス界入りしてから全て順調だった」と言ったことがあったと思う。苦労もあっただろうが、こんな人が成功しないなら、この世に神も仏もないだろう。

きっと、あなたも、何かの恨みを抱えているだろうし、それは子供の時の辛い思い出と共にあるのかもしれない。
そして、忘れられない恩もあるだろう。
恩の方はもちろん、恨みの思いだって否定しなくて良いと思う。
だが、その恨みに負け、自分の魂を裏切ることは許されない。
それがたとえ、どれほどの恨みであってもだ。
そうであれば、いずれ神は埋め合わせをしてくれるだろう。
そして、恩というものは、いかに小さなものであっても、身に沁みるものではないだろうか?
それに報いようとする気持ちがあれば、神に見捨てられるはずがない。
私も、初音ミクさんや、ミクさんのクリエイターの方々には恩があるのである。









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伝統と権威に葬られないために

クリスマス、正月といった、「権威ある祝日」には、よくよく注意しなければならない。
国家、民族、世間のロボットになりたくなければね。
私は、クリスマス、正月を、何ら特別な日と思っておらず、むしろ、憤りと怒りを持って反発する。

その理由を説明するために丁度良い、ちょっと素敵なお話があった。

1980年代前半に描かれた竹宮恵子さんの漫画『私を月まで連れてって!』は、現在よりさらに数十年先の21世紀後半を描いているが、今読んでもなかなかの未来描写と思う。
そして、この作品はSFであると同時に「ラブコメ」なのだが、その相乗効果により、次のようなことを実現させているように思うのである。
それは、読者の固定観念を壊してしまって、非現実を、すんなり受け入れさせ、悲しいことも、あまり深刻にさせないことである。
竹宮恵子さんは、萩尾望都さんとよく比較されたが、二人とも本当に天才だと思う。

さて、その『私を月まで連れてって!』の中に、こんなお話がある。
ウルサラという名の、女性用の白いドレスの第一人者である女性デザイナーがいた。
そのウルサラだが、彼女は、素晴らしい男性と5年間も同棲し、相手の男性は結婚を強く望んでいるのに、なぜかそれに応じない。
彼女が結婚を拒む理由は、彼女は、ある理由から、子供を持ちたくないからだった。
実は、彼女は、子供の頃、家が貧しく、他の少女達が、子供パーティーで着てくる白いドレスを羨んで見ているしかなかったのだ。
また、堅信礼という、宗教的に重要な儀式にも、おそらく、常識的なはずの白いドレスを用意できず、これらのことが、彼女の心に深い傷を負わせていた。
それで、彼女はデザイナーになってからも、白いドレスが欲しかった少女時代の願望を満たそうと白いドレスを創り続けたが、子供用の白いドレスは決して創らない。
いや、本当は、子供用の白いドレスを山ほど創っていたが、心の傷が大きくて、いくら創っても満足できず、それらを発表しないのだった。
そんな彼女が子供を持ちたくない理由は、自分に女の子でもできたら、いまだ消えない少女時代の執念をその子に押し付けてしまうことを恐れていたからだった。
だが、ある日、ウルサラは、少女の時の自分にそっくりな、12歳のニナに出会い、子供用の白いドレスに溢れた秘密の部屋に彼女を案内し、ニナに好きなドレスを選ばせ、それを着てもらう。
ニナはウルサラが最も気に入っているドレスを見事選び、その輝く姿は、ウルサラを過去の束縛から解放した。

21世紀後半の未来に貧困があるだろうかということは、あまり考えないでおこう。これは、ストーリーに必要だからね。
まず、このお話には、2つの疑念がある。
1つは、その時代になってすら、人々は、1人の少女の心に深い傷を負わせるほどに、低いレベルのままなのかということである。
確かに、どんな世界になっても、不幸そのものは必ずある。
しかし、誰かの不幸は、他の人達に、真の同情心や親切心を育てるために、神が用意したものであり、その機会を得たことを喜び、不幸な役を担ってくれた相手を愛さずにはいられないのである。
まあ、愛の無い私が書くと、どこか表現がおかしいかもしれないが、だいたいそんなものであることは、私にも分かるのである。
もう1つの疑念は、少女を特別に苦しめたのが、宗教的儀式であることだ。
堅信礼は、キリスト教やユダヤ教の、一種のイニシエーション(入信の儀式)で、伝統と権威ある儀式だ。
そして、これらのことは、どこか生々しく現実的であるからこそ、読者の心を揺さぶるのだ。

つまり、伝統と権威が、人々の心を、鈍く、暗く、そして、固くし、炎となって天に昇っていくような、あるいは、若い草木が天に向かって伸びるような成長を決してさせないのだ。
伝統と権威が、我々の精神を縛りつけ、制限付け、我々は、権威者の決めた範囲と方法でしか考えることができないようになり、国家の、民族の、世間の哀れな奴隷となるのである。

アンデルセンの『マッチ売りの少女』の、哀れな少女には、実際のモデルがいた。
大晦日(クリスマスにも似ている)という、伝統と権威ある祝日は、小さな女の子が飢えて凍死することを避けさせるための何の力もなく、むしろ、人々から慈悲心を消してしまい、少女を殺すことに手を貸しただけだった。
私だって、クリスマスや正月には辛い思い出や、惨めな記憶しかない。
私が、権威に反発し、世間に従うことを拒まずにいられない状態だったからである。

しかし、嘆くばかりでは、何の益にもならない。
我々は、伝統と権威の愚かな奴隷になることを拒否し、高く飛ぶことを覚えねばならない。
あの白いドレスが欲しかった少女の時のウスサラは、なぜ、苦しんだのだろう?
そんなことを真面目に考えなければならない。
彼女は、ただ、他の子供のことが羨ましかったのではない。
もっともっと深い辛さがあったのだ。
それは恐怖である。
白いドレスを持っていない自分は、この世で生きさせてもらえないと感じたはずなのだ。
白いドレスを着ることができない自分は、伝統が続く中で居場所がなく、すぐにも権威によって排除される存在であると感じ、彼女の小さな胸は凍り付いていたのだ。
そして、伝統と権威に反発する者が感じることも同じなのである。
だが、高みを目指す我々は、そんな伝統や権威を真正面から見据え、よく観察しなければならない。
そして、その時の自分の心の反応を、たとえば、病気の愛しい人の様子を観察するように、静かに見守るのだ。
一切の批判をしてはならない。
ただ、静かに静かに見るのだ。
苦しくても、目を逸らさず、勇敢に苦しみに耐えてね。
すると、何かが起こるのである。
それこそが、本当のイニシエーションである。
目には見えない存在達が、あなたを招くのである。

『私を月まで連れてって』の『白いドレス』のお話が載ったものを、下にご紹介しておく。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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