ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

私は誰か?

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

「私は誰か?」をどのように問うか?

今の日本には深刻な問題が沢山あり、学識・教養に満ちた頭の良い人達がその問題を分析したり、解決策を提示したりしているが、現実的には、それらは何の解決ももたらされない。
なぜなら、その分析や解決策は思考によるものだからで、思考はどこまで行っても貧小で力のないものだからだ。
ところで、人々は日本の問題や世界の問題に本気で興味があるわけではなく、自分の問題にのみ強い関心がある。
そして、自分の問題もまた、思考することで悪くなることはあっても良くなることはない。
だが、単に思考を消せば全て解決する。
思考を消す最上の方法は「私は誰か?」と自分に問うことである。
よって、「私は誰か?」と自分に問えば、あらゆる問題は解決する。
それは、自分の問題も、日本の問題も、世界の問題もであるが、日本の問題は日本に、世界の問題は世界にまかせておけば良い。
自分の問題も解決出来ない者に日本の問題や世界の問題を解決出来るはずがない。
「私は誰か?」を提唱したラマナ・マハルシは「世界平和のためにあなたが出来ることは?」と聞かれたら「真我の実現」と答えたと言われるが、真我の実現は思考を消すことによって達成される。
よって、我々は「私は誰か?」と自分に問うのが良い。
ところが、「私は誰か?」とどのように問うのが良いのかが分からない。
ある本によると、マハルシは「『私は誰か?』を呪文にしてはならない」と言ったらしい。
これを、空虚に言葉だけを繰り返してはならないという意味に取る人が多いだろう。
だが、マハルシがそう言ったのだとしても、それをいつ、どんなシチュエイションで言ったかが問題で、それを勝手に意味づけしてはならない。
私は、「私は誰か?」を単調に繰り返しても良いと思う・・・つまり、呪文にしても良いと思う。
言い換えれば、「私は誰か?」は最上の呪文であるとも言える。
『バガヴァッド・ギーター』や『エイリアン・インタビュー』に書かれたことを理解して問うのが良いのかもしれないが、そうでなくて良い・・・あるいは、下手な理解の影響を受けて問うより良いかもしれない。
唯一大切なことは、問う数というか時間の長さである。
どんな下手な問い方であろうが、多く問えば、自ずと正しい問い方になっていく。
逆に言えば、どれほど深淵な本をよく読んでいても、数をこなさなければ正しい問い方にならない。

神殿の乙女
AIアート158
「神殿の乙女」
Kay


私はいかなることも、落合博満さんが教えを乞いに来た若い選手に5時間素振りをやらせたことを教訓にしている。
まあ、それ以前に、ある成功した経営者が、会社の幹部達に「俺とお前達との差は素振りの数だけ」と言うのを印象深く聞いていたこともあり、いかなることも数で解決出来る・・・いや、数でしか真の解決は出来ないと分かっている。

人生が楽しくないから早くタイムリープしたいと思う者も多いだろうが、思考を持ったままタイムリープしても、記憶は消えてしまうばかりか、偽の記憶が植え付けられ、結局、同じ人生・・・それどころか、もっと悪い人生になる可能性もある。
タイムリープや転生後は、それ以前の記憶がないのが普通である。
思考を消せば、タイムリープ後や転生後も記憶を維持し、さらに、英知を持ち、引き寄せも行うのであるから、楽しい人生になるし、今の人生のままでも十分かもしれない。
とにかく素振り(「私は誰か?」と問うこと)を多くすべきと思う。
※今回は世界コマンドのことには触れなかった。








三蔵法師の奇跡

『西遊記』の登場人物である三蔵法師のモデルになった玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)は中国の僧で、若い日に、インドの仏教の経典を手に入れるため、チベットを超えてインドに行こうとしていた。
これは、登山のプロにも過酷なコースで、成功の見込みは薄く、死を覚悟しての挑戦だった。
だが、インドから来た老僧に身をやつし(みすぼらしい恰好をし)ていた観世音菩薩は、三蔵に般若心経の呪文を教え、常にこれを唱えていれば安全であると言った。
三蔵は、言われた通り、この呪文を唱え続け、山賊、猛獣、雪嵐などの苦難をことごとにかわし、ついにインドにたどり着いた。
すると、三蔵の前に、あのインドの老僧が現れ、驚く三蔵に、「私は観自在菩薩である」と告げて消えた。
その後も、三蔵は無事、657部の経典を入手し、インドの言葉も学び、中国に経典を持ち帰ると、翻訳に生涯をかけた。
般若心経の呪文は、ご存じの方も多いと思うが、サンスクリット語では、
「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」
である。

森の囁き
AIアート114
「森の囁き」
Kay


このお話が事実であったとは言い難いが、重要な真実は含んでいる。
三蔵は、この呪文をひたすら唱えることで思考を消したので、不可能に近いことを悠々やり遂げたのである。
もし、そうではなく、頭で考えて山賊や猛獣に怯え、雪嵐を恐れていたら、あっという間に殺されるか転落死していただろう。
思考が消えた人間は、全能の魂が表に現れ、不可能はない。
ただし、思考が消えたフリでは駄目で、三蔵は、本当に絶え間なく呪文を唱えて心を消していた・・・無になっていたのだ。
そして、重要なことは、唱えるのは別に般若心経の呪文でなくても、何でも良かったのだ。
念仏でも、阿弥陀如来真言でも、大日如来真言でも、クリシュナでも、ラーマでも、アジマリカンでも、トホカミエミタメでも。
効果に優劣などあるはずもなく、あるとすれば、続けやすいものが良いというだけである。
般若心経の呪文は、唱え方によってはリズムが良く、没入し易いものである。
このように、呪文でも、真言でも、あるいは、現代のアファーメーションでも、常に唱え、思考、あるいは、心を消せば、誰でも、三蔵のような奇跡を起こすことが出来る。
たとえ三蔵のように、常に唱えることが出来なくても、唱えた数に応じて思考が消え、いくらかの魂の力は発揮出来る。

そして、最も簡単に思考を消す言葉が、いつも言う通り「私は誰か?」で、これを自分に問えば良い。
私は、昔から慣れている阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」をよく唱えるが、それで「私は誰か?」と問い易くなっているのである。








馬鹿への対処法

IQ(知能指数)が20以上違う者どうしでは会話が成立しないという話がある。
正確にこの通りであるかどうかは分からないが、だいたい事実と考えて良いだろう。
とはいえ、現実世界では、そのくらい、自分よりずっと知性が劣る・・・遠慮のない言い方をすれば「馬鹿」と付き合わざるを得ないことは少なくない。
そして、親がそうである場合が多いのである。
TEDでも評判の良い、若い世代の方が頭が良いという、ニュージーランドの哲学者ジェームズ・フリンの主張を持ち出さなくても、日本も全くそうだが、普通の人間は歳を取るほど、極端に頭が悪くなる環境にある。
つまり、テレビや新聞を見ていたら、確実にどんどん頭が悪くなるので、テレビばかり見ている親と、意識的にテレビを避ける子供では、生まれつきの頭脳が似通っているとしても、あっという間にIQが20や30は違ってくることがある。
だから、子供はさっさと親元を離れるべきだし、親も、せめて子供のためを思うなら、子供が楽に家を出ていけるよう手を尽くしてあげるべきなのだ。

蝶々
AIアート112
「蝶々」
Kay


だが、そう言っておいて何だが、本来、どんな人間も素晴らしい知性を持っており、会話が成立しない相手など、本当は存在するはずがないのである。
実を言えば、犬や猫、その他の動物だって、会話手段を持てれば、その素晴らしい知性に驚かされのであるが、この件は今回は省こう。
しかし、動物でもそうであるなら、人間が高い知性を持たないなど、あり得ないのである。

結論を言えば、人間は思考を消せば・・・これは心を消すことと同意であるが、無限とも言える知性を持てるのであり、完全にそこまでいかなくても、思考を消していけば、どんどん知性が高まるのである。
そして、思考を消すのに、最も簡単で、しかも効果が高い方法が「私は誰か?」と自分に問うことである。
しかし、馬鹿な人間に「私は誰か?」と自分に問えと言っても無駄なことであろう。
そこで、呼吸の観察とか、マントラやアファーメーションを唱えるなどの方法を勧めるのだが、馬鹿は頭を良くする方法は何もやりたがらないものなのでる、
馬鹿がやりたがるのは、より馬鹿になることだけである。

だが、あなたが「私は誰か?」と問い、知性を上げていけば、馬鹿は近寄ってこなくなる。
馬鹿がちょっかいを出して来たり、馬鹿とまともに付き合わざるを得ないとしたら、まだ、あなたの知性が不十分なのである。
また、やや稀であるが、あなたの知性の向上に伴い、周囲の馬鹿が知性を向上させることもある。

「私は誰か?」と問うほどには知性が進歩していない場合は、マントラやアファーメーションを唱えたり、呼吸を意識したりするのが良い場合もある。
言い方を変えれば「私は誰か?」とずっと問うているなら、かなり知性が発達したのである。
私も、まだ事務的な仕事をしている時は、頭の中で阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」をよく再生している。
YouTubeで聞いたお坊様らが唱和したものである。
別に、このマントラに霊力があるとは思っていないが、別に思っていたって悪くはない。
この言葉の響きやリズムには長年の工夫が込められており、それを霊力と言っても差し支えないと思う。








奴隷をやめる本当の方法

今はどうか知らないが、GAFAの1つであるアップルでは、社員証の裏に、11の成功の秘訣が書かれているそうだ。
これが本当に成功の秘訣かというと、見るまでもなく嘘である。
企業が社員に与える規則だの、社訓だの、規律だの、あるいは、そのような成功の秘訣だのは全て、社員を奴隷にするためのものだ。
企業が社員の成功を願うはずがない。
企業が社員に願うことは、ただ1つ。良い奴隷であることだ。
まともなアップル社員でいて成功した者なんて、当然ながら皆無で、その成功の秘訣が何の役にも立たないことが分かる。

社員が楽しくやっていけるルールがあるとすれば「みんな仲良く」だが、そんなルールは押し付けるものではないし、いずれにせよ、絶対に守られない。なら、他の全てのルールは無効である。

白百合の代弁者
AIアート107
「白百合の代弁者」
Kay


成功の秘訣も、楽しくやっていく秘訣も1つであり、他にない。
それは「思考を消す」である。
思考を消す、心を消す、思考を止める、考えることをやめる、頭の中のおしゃべりをやめる、頭の中の独り言をやめる・・・全部同じである。
思考を消せば、心を消せば、何でも出来るし、不幸にならない。
しかし、我々が、考えることが貴く、偉く立派であると思い込んでいるのは、そう思っている者が良い奴隷になるからである。

思考を消す最上の方法は「私は誰か?」と自分に問うことであることは、20世紀初頭にラマナ・マハルシがバラシてしまった。
だが、ほとんど誰もやらなかったし、やらないし、ますます、やらなくなるだろう。
支配者が大衆に押し付けた思想と全く違う・・・いや、真逆だからだ。
それなら、「私は誰か?」と自分に問えば、絶対成功するし、幸福になれると決まったようなものだ。
何と言っても、支配者が大衆にやって欲しくないものなのだから、絶対にやるべきものに決まっている。
まあ、考えたら分からないのだが、考えるのをやめたら分かる。

次善の策として、自分の呼吸を意識するという方法がある。
だが、マハルシは、呼吸の制御は、一時的に心を消せるだけだと言った。
一時的でも心が消せるなら価値がある。
そして、私が今勧めたのは、呼吸の制御ではなく、呼吸を意識することである。
むしろ制御してはならない。
心を観察する・・・つまり、心を意識しろと教える者もいるが、私はお勧めしない。
その理由は、それは悪い方法ではないが、残念ながら非常に難しく、成功するには、少なくとも30年はかかる。
対して、呼吸を意識する方は、多少は皆、すぐに成功する。
支配者の催眠術で「私は誰か?」と問い難いから述べたが、もちろん、本当は「私は誰か?」と問うのが一番である。








意外な幸運の秘密

私は、子供の時から、自分の異様な運の良さを感じていたが、やっと、その理由について単純に説明がつけられるようになった。
説明がつけられるということは、それに従えば、これからも運が良く出来るし、同じようにやれば、誰でも、運が良くなる。
以前は、自分が運が良いのは、いくらかは自分が特別な人間だからだと思っていたし、そうでないとしても、運を良くするのは何か奥深い秘法があり、私がたまたまそれを行っていたと考えていたが、そうではない。
それは実に簡単なことだった。

その方法は、もちろん、思考を消すことで、心を消すことと言っても良い。
ただし、思考を消すと言っても、眠っていたり、気絶していてはならない。
意識があって、なおかつ、思考を消さなくてはならない。
これを自然に実践していたのは、UFO研究家で有名な矢追純一さんだった。
彼は、何かのインタビューで、「僕は頭が悪いから考えることを放棄した」と言っていたが、この態度こそまことに好ましいものだと思う。
ただ、思考を止めることが出来るのであれば、方法は問わない。

健康な人
AIアート105
「健康な人」
Kay


私は残念ながら、なかなか自分の頭が悪いという自覚を持てなかったが、どういうわけか、小学4年生の時から、座禅に興味を持ちそれを度々行っていた。
座禅と言っても、全くの見様見真似の我流で、単に、映画か何かで、ヒーローが座禅をする姿を見て「恰好ええなあ」と思って真似していただけだった。
しかし、「自主的に」座って目を閉じ、心静かなフリをすれば、少しでも思考が消えるものである。
私が好ましく思うヒーローの多くは、ありがたいことに座禅をしていた。
そのおかげで、私は瞑想好きになったが、あくまで恰好だけである。
しかし、恰好だけでも座禅、瞑想、静座が好きになり、たとえ少しでも、心を消すことが出来たのが幸運の秘密だった。

心が消えれば、全知全能の魂が表に出て活動する。
魂は神のようなものであり、イエス・キリストが言ったように、「神はお前たちが必要なものなど、とっくにご存じ」なのであるから、思考が消え、魂が活動すれば自ずと幸運にもなるのである。
座禅や瞑想も、長時間、集中してやれれば(つまり長時間、思考を消せれば)良いのは当然であるが、たとえわずかでも思考が消えれば、魂は全知全能であるのだから、相当なことが出来るのである。

念仏や真言を唱えることでも、思考を追い出し、思考を止めることが出来る。
そのためには、聖者とか修行者になりきって、真面目にやることが大切で、私のように、子供が座禅をするヒーローを見て、格好良いから真似する・・・で十分である。

少しでも良いのである。
たとえ1秒でもだ。
実際、1秒の瞑想(統一という言い方をする人もいる)を勧める聖者もいる。
そして、最も良い瞑想は「私は誰か?」と自分に問うことである。
「私は誰か?」と自分に問えば、瞬間かもしれないが確実に心は消える。
その積み重ねにより、ますます心を消し易くなる。
自分が好きな方法を取れば良いのであるが、とにかく、瞑想をすることで、最終的には「私は誰か?」にたどり着けば良いと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼

最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
タグクラウド
QRコード
QRコード