ラマナ・マハルシが教えた「私は誰か?」と問うことは、実際にはあまり行われていないように思う。
その理由は、「なぜ、これを行うのか?」が全く分からないからで、これは非常に問題だ。
マハルシが、「私は誰か?」と問う意味について語った内容の翻訳もあるが、どれも抽象的過ぎてほとんど分からない。
では、マハルシに代わって、分かっている人が分かり易く説明すれば良さそうなものだが、それがないということは、分かっている人がいないということだろう。
「意味など分からなくても、マハルシが言うことだからやればいいのだ」と言うのは、宗教であれば、それで良いのかもしれない。
しかし、マハルシの教えは宗教ではない。
確かに、マハルシが、
「『私は誰か?』は、あらゆる想いを消し、最後には『私は誰か?』という想いすら消す」
と語った日本語の文章もあるが、実際に、その効果を感じた人はほぼいないと思われる。
そして、ただ「私は誰か?」と唱えるだけでは駄目だとマハルシが語ったこともある。
では、どう唱えれば良いのかというと、その説明は、やはりひどく抽象的だったり、行うことが難しいものだったと思う。
いずれにしても、もっと現代的に、そして、まずは誰でも簡単に分かるように言わないと、それを人々が実践することはまずない。
簡単で分かり易くあってさえ、ほとんどの人はやらないのだ。
ましてや、抽象的で掴みどころのないメソッドなど、ないも同じである。
そこで、私なりの説明をする。
「私は誰か?」は、記憶を消すメソッドだ。
決して笑い話ではなく、「私は誰?ここはどこ?」というのは、記憶喪失に陥った状態を端的に示した言葉だ。
そして、「私は誰か?」と、まるで記憶喪失の人間のように問えば、実際に記憶が消えていくのだと思う。
聖者というのは、その気になれば記憶を蘇らせることは出来るし、必要な記憶なら自動的に蘇るが、頭の中に記憶はない。
人間が魂の力を発揮出来ない原因は記憶である。
記憶がなければ、固定観念も偏見も洗脳もない。
そんな聖者の状態に近付けるマントラが「私は誰か?」である。
これが分かると、「私は誰か?」と問い易くなるし、問う意欲も出るのである。
あなたも、嫌な記憶は消したいだろう?
そして、良いと思える記憶だって、実は、それと共に悪い記憶がくっついているのである。
そこで、良い記憶も悪い記憶も消し去ってしまえば、心は軽く、清々しい気分になる。
必要な記憶は、頭になくても、どこかにあって、必要であれば出てくる。
だから困らない。
それに、頭の記憶は、ほとんどが変質している。つまり、嘘の記憶である。
だが、頭以外の記憶は正しい。
従って、頭の記憶を消せば、事実に基づいて生きられるのである。
こういったことが分かれば、「私は誰か?」は最高のメソッドであることが分かるのである。
AIアート816
「耐える」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)
(2)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻(福間巖翻訳)
(3)左脳さん、右脳さん。(ネドじゅん)
(4)ダイアネティックス(L.ロン.ハバード)
その理由は、「なぜ、これを行うのか?」が全く分からないからで、これは非常に問題だ。
マハルシが、「私は誰か?」と問う意味について語った内容の翻訳もあるが、どれも抽象的過ぎてほとんど分からない。
では、マハルシに代わって、分かっている人が分かり易く説明すれば良さそうなものだが、それがないということは、分かっている人がいないということだろう。
「意味など分からなくても、マハルシが言うことだからやればいいのだ」と言うのは、宗教であれば、それで良いのかもしれない。
しかし、マハルシの教えは宗教ではない。
確かに、マハルシが、
「『私は誰か?』は、あらゆる想いを消し、最後には『私は誰か?』という想いすら消す」
と語った日本語の文章もあるが、実際に、その効果を感じた人はほぼいないと思われる。
そして、ただ「私は誰か?」と唱えるだけでは駄目だとマハルシが語ったこともある。
では、どう唱えれば良いのかというと、その説明は、やはりひどく抽象的だったり、行うことが難しいものだったと思う。
いずれにしても、もっと現代的に、そして、まずは誰でも簡単に分かるように言わないと、それを人々が実践することはまずない。
簡単で分かり易くあってさえ、ほとんどの人はやらないのだ。
ましてや、抽象的で掴みどころのないメソッドなど、ないも同じである。
そこで、私なりの説明をする。
「私は誰か?」は、記憶を消すメソッドだ。
決して笑い話ではなく、「私は誰?ここはどこ?」というのは、記憶喪失に陥った状態を端的に示した言葉だ。
そして、「私は誰か?」と、まるで記憶喪失の人間のように問えば、実際に記憶が消えていくのだと思う。
聖者というのは、その気になれば記憶を蘇らせることは出来るし、必要な記憶なら自動的に蘇るが、頭の中に記憶はない。
人間が魂の力を発揮出来ない原因は記憶である。
記憶がなければ、固定観念も偏見も洗脳もない。
そんな聖者の状態に近付けるマントラが「私は誰か?」である。
これが分かると、「私は誰か?」と問い易くなるし、問う意欲も出るのである。
あなたも、嫌な記憶は消したいだろう?
そして、良いと思える記憶だって、実は、それと共に悪い記憶がくっついているのである。
そこで、良い記憶も悪い記憶も消し去ってしまえば、心は軽く、清々しい気分になる。
必要な記憶は、頭になくても、どこかにあって、必要であれば出てくる。
だから困らない。
それに、頭の記憶は、ほとんどが変質している。つまり、嘘の記憶である。
だが、頭以外の記憶は正しい。
従って、頭の記憶を消せば、事実に基づいて生きられるのである。
こういったことが分かれば、「私は誰か?」は最高のメソッドであることが分かるのである。
AIアート816
「耐える」
Kay
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