ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

私は誰か

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

『私は誰か?』(全28の16~17)

ラマナ・マハルシへの28の質問とその回答を収めた『私は誰か?』の、16番目と17番目の質問とその回答である。

質問16
魂とはどのようなものでしょうか?

回答
魂は真のあなたであり、魂は全てであり、全ては魂である。
魂以外には何もないというのが真実である。
魂は全知全能の無限の存在であり、人々の概念の中で最も魂に近いものは神である。
全てである魂は、自分以外の存在を前提とする「私」「自分」という想念とは無縁である。
我々が一切の思考を消し、思考する主体である心を消し、心の正体である「私」が消えれば魂が現れる。
「私」という想いがあるなら、魂は隠されている。
水が徐々に希薄な水蒸気になるように、「私」が希薄になれば、徐々に魂が現れる。
「私」という想念が希薄であるほど、魂が大きく現れている。

※悪い意味で言う「自分(私)がない」は、小さな私という観念を作り、その観念に固執している状態である。

大気圏外に静止しているUFO
AIアート34
「大気圏外に静止しているUFO」
Kay


質問17
神が全てを支配しているのではないのでしょうか?

回答
神とは大自然の法則であり、大自然そのものである。
大自然の法則が世界を支配しており、その意味では、神が全てを支配していると言えるのである。
大自然の法則の1つである落下の法則は、空気や空気の動きである風に阻まれてはっきりとは見えないが、星の動きはいかなるものにも阻まれず正確に見ることが出来る。
それで、優れた人達の多くが星の動きを見て大自然の法則である神を感じ、神である大自然の法則に従うことで、隠された魂を現すことが出来たのである。

※老子は、大自然の法則を「道」と言った。大自然の法則である「道」に従うことで魂を現したのである。

質問16と17に対し、マハルシは相手の理解力に合わせるため、伝統的な話を借り、苦労して答えているが、その真意は上記の通りであると思う。








『私は誰か?』(全28の11~12)

今回は、ラマナ・マハルシへの28の質問とその回答から成る小冊子『私は誰か?』の、11番目の質問からである。

質問11
「私は誰か?」という想念を、どのようにして常に心に保てば良いのでしょうか?

回答
「私は誰か?」以外の想念が起こった時、それがいかなる想念であっても、その想念を追いかけず、「私は誰か?」と問うべきである。
すると、その想念は、想念を起こした源である「私」に引き戻され消える。
ところで、人はいつも、言い知れぬ不安を抱えているが、その不安は胸に感じていることが分かると思う。
心は、身体の中で、常に活発に活動している心臓に巣食っているからである(質問9への回答で述べた)。
そこで、胸の不安、あるいは、単に胸を意識しながら「私は誰か?」と問えば心は活動を抑えられて消え、結果、不安も消える。
何も考えずに済む状況を過ごせば心配事がなくなるのも、同じ理屈からである。
ただし、レクリエーションや緊張を強いられることで思考を消すのは限度がある。なぜなら、心はそれらのことに慣れてしまい、かえって勢力を増すからである。
よって、やはり「私は誰か?」と問うことが必要である。

質問12
「私は誰か?」と問う以外に心を消す方法はないのでしょうか?

回答
気力や緊張を必要としたり、危険を伴うものを除けばない。
呼吸法で一時的に心は消えたように静かになる。
それは、肺が、心が巣食う心臓に近いこと、また、肺の活動が静かになれば心臓の活動も同様に静かになることによってである。
だが、呼吸が元に戻れば、心もまた活発に活動を始める。
マントラ(真言)や神の名を唱えたり、讃美歌を歌うことなどでも、心が静かになるが、心が静かであるのは、それらが行われている間だけである。
確かに、起きている間ずっとマントラを唱えることが出来るほど修練すれば心を消すことが可能かもしれないが、それは難しいことであるし、そのような修練の完成にはとても長い年月を必要とする。
ただし、呼吸法、マントラを唱えること、その他の修練で集中力を得れば、「私は誰か?」と問うことが容易になる。
だが、修練の中で最も良いのは、適度な量の清らかな食事を取ることである。
過度に美味だったり、刺激の強い食物は心を粗暴にするだけである。
食べ過ぎや極端な少食も、心を刺激し落ち着きをなくす危険がある。

着陸したUFO
AIアート32
「着陸したUFO」
Kay


質問11と12は、「私は誰か?」と問うことの準備編で、13から、質問者の疑念が問われるので、ここでいったん終える。
13からの疑念は、誰もが持つ、実感のあるものである。








『老子』第17章を一言で言えば「沈黙せよ」

『老子』第17章に進む。
この章は一言で言えば「沈黙せよ」だ。

『老子』が分からないと言われるのは、その見事な言葉使いに翻弄されるからではあるまいか?
確かに、言葉にこだわると『老子』はさっぱり分からない。
それなのに、言葉を解釈して満足しているだけの学者が多いのだと思う。
英語の『老子』を読めば分かるというのも、英語だと、漢字特有の一文字で深い意味を持たせるということが出来ず、単純化するので分かり易いのだと思う。
また、『老子』を、デタラメな神秘主義に脚色してしまう困ったスピリチュアリストも多く、そんな連中の解釈に付き合ってたら大変なことになる。
『老子』は絶対に単純明快だと思う。

とはいえ、この第17章は、言葉として本当に面白い。
岩波文庫(蜂屋邦夫訳)を引用すると、こんなことが書かれている。

・最高級の支配者:人民に存在を知られているだけの人。
・2番目の支配者:人民に親しまれ褒め称えられる。
・3番目の支配者:人民に恐れられる。
・4番目の支配者:人民に馬鹿にされる。

うまいことを言うものだ。
トランプ大統領は2番目、プーチン大統領は3番目。
バイデン大統領や岸田総理は4番目だ。
・・・と、明快になる。
最高級の支配者は分からないが、スイスの大統領なんて我々は誰も知らないし、スイス人でも名前くらいしか知らないから、それに近いかもしれない。
スイスの大統領は順番でやるのだから当然だ。
だから、スイスの大統領は、「俺は順番が来たから大統領やってるんだ。優秀だから選ばれたわけじゃない」と言うが、これこそが理想の大統領に近いのである。

だが、言葉に囚われては『老子』は分からない。
この章で肝心なことは、「あなたが支配者だ」ということで、これに気付く人がいない。

だから、支配者であるあなたは誠実でなければならないと老子は言う。
そして、慎重でなければならない。

だが、もっと大切で、それが分かればこれらもどうでも良くなることが「貴言」、すなわち、言葉を軽々しく発しないことだが、突き詰めると、沈黙こそが宝である。
だから、ラマナ・マハルシは沈黙でもって教え、「沈黙の聖者」と呼ばれた。
あなたも沈黙しなければならない。
口の言葉ではなく、頭の中の言葉においてだ。

常に「私は誰か?」と自分に問うていれば、心は、それ以外のことでは沈黙する。
「私は誰か?」の答は「神」あるいは「全知全能の無限の存在」であることを憶えておかなくてはいけない。
そうすれば、問えば問うほど、神である魂が輝き現れるだろう。








引き寄せの全ての手法は無意味である

引き寄せに興味があるなら、引き寄せのテクニックに関する、こんな話を聞いたことがあるかもしれない。

「『私はお金持ちだ』というアファーメーションをすれば、実際は自分がお金持ちでないことを知っているので、心に葛藤が起こり、願いは実現しない。だから、『私はお金持ちになりつつある』と現在進行形でアファーメーションを行わないといけない」

「『お金持ちになりたい』と思えば、『お金持ちになりたい』という状況がいつまでも実現する。だから、『私はお金持ちだ』と思わないといけない」

こんな小手先の、小賢しい、みみっちいテクニックで引き寄せが実現したりはしない。
実際、「私はお金持ちだ」と言っていた人が「私はお金持ちになりつつある」と言ったところで、あるいは、「私はお金持ちになりたい」と思っていた人が「私はお金持ちだ」と言ったところで、お金持ちになったりなどしない。
そんな些細なことはどうでも良いのである。
逆に、お金持ちになれる人は、(引き寄せのテクニックでは間違いとされている)「私はお金持ちだ」とか「私はお金持ちになりたい」と言おうが(思おうが)お金持ちになれる。

重要なことは、魂の力が使えるかどうかだ。
魂の力は根本的には全知全能だ。
しかし、地球上のほとんどの人間は、魂の力をほとんど使えない状態にされている。
そんな状態にある者が、上に取り上げた、下らないテクニックで何か良くなったりはしない。

魂の力を取り戻す方法は、最近、このブログで、いろいろな面からずっと書いているので、良ければ参考にして欲しい。
私個人的には、『エイリアンインタビュー』を読み、真理を理屈の上で納得した上で「私は誰か?」と問うだけであるが。
尚、『エイリアンインタビュー』に嘘が紛れ込んでいても全く問題ない。
そんなことはないと思うが、仮に全体が嘘だとしても、害のない嘘で、役に立つ嘘でもある。
なぜなら、「私は誰か?」と問う明白な理由を与えてくれるからだ。
この問いを提示したラマナ・マハルシには、それが出来たかどうか分からないが、やはり、マハルシが教えを説いた時代や場所と、我々の環境では、かなりの違いがあり、新しい理由が必要であるのだと思う。
私は、『エイリアンインタビュー』ほど良い理由を見たことはない。








ロダンの「考える人」は愚か者の象徴

人間は、無になった時に全てが可能になると言う。
「無になる」とは、思考が消えるということで、想念が消えるとか、考えることをやめるとも言える。
世の中では、「思考停止」するのは愚か者で、「自分の頭で考える者」が立派と言われることが多く、それが凡人の観念なのだが、愚か者とは思考停止している者ではなく、愚かなことを考えている者だ。思考停止なら賢者である。
そして、人間の考えは全て愚かであるのだから、考える者は愚か者である。
ロダンの「考える人」の彫刻を誰でも何らかの画像で見たことがあると思うが、世の中では、あれが素晴らしい姿だと言われることがあり、そう思い込んでしまった人も多いと思う。
しかし、あれを見て、心が晴れ晴れとしたり、「今日も頑張ろう」と思ったりするだろうか?(笑)
あれは愚か者の姿だ。
その証拠に、あれはロダンが作った「地獄の門」の一部で、その「地獄の門」の頂上に置かれた、まさに愚か者の象徴なのである。
なぜ我々が、そんな愚か者の真似をしなければならないのか?
(ロダンの「地獄の門」は、ダンテの『神曲』から着想を得て作られ、「考える人」は、ダンテ、あるいは、ロダン本人であると言われている)

そして、人間は、思考した時、魂の波動が低下し、愚かになるだけでなく、さらに力を失う。
なぜそうなるのかと言うと、人間が思考すると、微弱な電波が発せられ、それに誘われて、どこからかエネルギーが発せられて、そのエネルギーが思考した人間を包み込み、魂の波動を低下させることで、記憶を消し、愚鈍にし、力を奪うのである。
どこからその邪悪なエネルギーが来るのかというと、太古の昔、一応「旧帝国」と呼ぶ宇宙人グループが地球に仕掛けた装置からで、少なくとも、1947年時点では、それがある場所は特定出来ていないらしいが、現在の地球の状況を見ても、その装置が稼働中であることは間違いないと思われる。

ラマナ・マハルシによって提示された「私は誰か?」という問いは、その装置によって奪われた記憶(過去生全て)を回復させるだけではなく、思考を消す優れた方法でもある。
なぜなら、考えるのは常に私であり、あなたや彼や彼女が考えると言っても、あなたや彼や彼女にしてみれば考えるのは「自分」である「私」である。
「私は誰か?」と問えば、想念は、その考える主体である「私」に引き戻され、そこに固定されることで、想念が広がっていくことを止める。
「私は誰か?」と問うことのメリットは非常に大きく、自分に出来ることとして、これ以上にメリットが大きなものは他にないと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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