時間をかけて、丁寧にやってるのに、結果は最悪になるというものがある。
例えば、料理では、真面目に、正確に、そして、丁寧に作っているのに、ひどい出来になってしまうという人がいる。
また、少なくはなってきた気はするが、床屋の理容師は、細心の注意を払って、ぴっちりきっちり整えながらハサミを入れた結果・・・最も格好の悪い髪型にしてしまうのだ。
その一方で、大雑把にさっさと描いているように見えるのに、実に良い絵を描く人や、イケメンでもないくせに、勢いで女の子をうまく口説いてしまうような者もいる。
そんな人達を、羨ましく思ったことがあるかもしれない。
細部に気を使わずに上手くやれる人にあるのは、力とリズムだ。
力だけでも、ある程度やれる場合もあるが、やはりガサツになってしまうし、リズムだけでうまくやろうとすると、小さくまとまってしまう。
優れた芸術家は、力とリズムがある上に、洗練されているのである。
まず、力とリズムがなければ良いものは作れず、一流芸大卒でも、ちっとも面白味のあるものを作れない者は多いのである。
力は、内なる衝動だ。
そして、リズムは、遊ぶことでしか作れない。
芸人だって、パワーのある者が遊んでこそ、観客を喜ばせる芸ができるようになるのだし、そこからさらに洗練させれば、一流になるのである。
学問だって、ずっと一番の秀才は、どこまで行ってもただの秀才で、成績では一段劣る者が立派な研究をするのである。
そこにあるのも、遊びの差だ。
岡本太郎という芸術家も、いろんな意味で、よく遊んでいたらしい。
フランスで、雑誌の表紙になっていたモデルのことで、記者に、
「ムッシュ岡本は、彼女と住んでたんですって?」
と聞かれて、太郎は、
「はいそうです。彼女の名前は、ええっと、ええっと・・・」
と、名前が出てこない。
数が多過ぎてこんがらがったのだろう。
遊びというのは何かというと、固定観念を外さないと面白くないものだ。
倫理的な節度を除けば、ノールールなのである。
危険なこともあるし、後悔もあるかもしれない。
しかし、今の子供達は、そんなことをするのを禁じられ、最も大切な経験をすることができない。
それで、力とリズムのない、面白味のない、大きなことの出来ない大人になるのである。
遊びなさい。
無茶しなさい。
親や教師は、逆らうためにあるのだと言って間違いない。
夏休みの宿題なんてしなくていいから、もっと遊びなさい。
コンピューターゲームも決して悪くは無いが、同時に、身体を使って遊んだり、働いたり、喧嘩したりしなくてはならない。
そうやって、力とリズムを得れば、夏休みの宿題なんて、あまりに些細な問題なのだ。
ところで、福永武彦さんという作家は、本当にリズムのある文章を書く人だ。
きっと、かなり遊んだ人だと思う。
彼の書いた『古事記』がロングセラーを続けるのはよく分かるし、彼が子供向けに書いた『古事記物語』も、本当に力とリズムがある。子供に読ませると、子供は元気になり、ノイローゼなんて治ってしまうかもしれない。無論、大人が読んでも良い。
もちろん、岡本太郎の作品も爆発している。
これらの芸術からインスピレーションを得て、愉快でイケてる遊び人になることだ。
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例えば、料理では、真面目に、正確に、そして、丁寧に作っているのに、ひどい出来になってしまうという人がいる。
また、少なくはなってきた気はするが、床屋の理容師は、細心の注意を払って、ぴっちりきっちり整えながらハサミを入れた結果・・・最も格好の悪い髪型にしてしまうのだ。
その一方で、大雑把にさっさと描いているように見えるのに、実に良い絵を描く人や、イケメンでもないくせに、勢いで女の子をうまく口説いてしまうような者もいる。
そんな人達を、羨ましく思ったことがあるかもしれない。
細部に気を使わずに上手くやれる人にあるのは、力とリズムだ。
力だけでも、ある程度やれる場合もあるが、やはりガサツになってしまうし、リズムだけでうまくやろうとすると、小さくまとまってしまう。
優れた芸術家は、力とリズムがある上に、洗練されているのである。
まず、力とリズムがなければ良いものは作れず、一流芸大卒でも、ちっとも面白味のあるものを作れない者は多いのである。
力は、内なる衝動だ。
そして、リズムは、遊ぶことでしか作れない。
芸人だって、パワーのある者が遊んでこそ、観客を喜ばせる芸ができるようになるのだし、そこからさらに洗練させれば、一流になるのである。
学問だって、ずっと一番の秀才は、どこまで行ってもただの秀才で、成績では一段劣る者が立派な研究をするのである。
そこにあるのも、遊びの差だ。
岡本太郎という芸術家も、いろんな意味で、よく遊んでいたらしい。
フランスで、雑誌の表紙になっていたモデルのことで、記者に、
「ムッシュ岡本は、彼女と住んでたんですって?」
と聞かれて、太郎は、
「はいそうです。彼女の名前は、ええっと、ええっと・・・」
と、名前が出てこない。
数が多過ぎてこんがらがったのだろう。
遊びというのは何かというと、固定観念を外さないと面白くないものだ。
倫理的な節度を除けば、ノールールなのである。
危険なこともあるし、後悔もあるかもしれない。
しかし、今の子供達は、そんなことをするのを禁じられ、最も大切な経験をすることができない。
それで、力とリズムのない、面白味のない、大きなことの出来ない大人になるのである。
遊びなさい。
無茶しなさい。
親や教師は、逆らうためにあるのだと言って間違いない。
夏休みの宿題なんてしなくていいから、もっと遊びなさい。
コンピューターゲームも決して悪くは無いが、同時に、身体を使って遊んだり、働いたり、喧嘩したりしなくてはならない。
そうやって、力とリズムを得れば、夏休みの宿題なんて、あまりに些細な問題なのだ。
ところで、福永武彦さんという作家は、本当にリズムのある文章を書く人だ。
きっと、かなり遊んだ人だと思う。
彼の書いた『古事記』がロングセラーを続けるのはよく分かるし、彼が子供向けに書いた『古事記物語』も、本当に力とリズムがある。子供に読ませると、子供は元気になり、ノイローゼなんて治ってしまうかもしれない。無論、大人が読んでも良い。
もちろん、岡本太郎の作品も爆発している。
これらの芸術からインスピレーションを得て、愉快でイケてる遊び人になることだ。
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