ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

禅語

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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引き寄せの訓練用物語

禅の公案集『無門関』の35則に、『倩女離魂(せんじょりこん)』という面白いお話がある。
簡単に言えば、こんなお話だ。

昔の中国が舞台だ。
倩女(せんじょ)という名の、美少女がいた。
王宙(おうちゅう)という青年が、倩女を嫁にもらおうと、倩女の両親に頼むが、断られた。
落胆した王宙は、その地を離れることを決意し旅立つが、倩女が追ってきて「連れいって」と言い、駆け落ちとなった。
幸い、行き着いた地で王宙は成功し、金持ちになったので、改めて、倩女の両親に会うこととし、倩女を連れて故郷に戻った。
王宙は、今度は自信を持って、倩女の父親に「娘さんを下さい」と言ったが、倩女の父親は怪訝な顔をする。
倩女の父親が王宙に言うには、倩女は、お前が出て行ってから、ずっと病気で寝込んでいるという。
その時、家に倩女が入ってきた。
すると、寝込んでいた方の倩女が起き上がり、倩女を迎えた。
2人はにっこり微笑み合うと、1人になった。

さあ、このお話の意味は何であろう?
これについて、昔から、偉い先生方や、ちっとも偉くない方々が、様々な解釈を、ある者は自信たっぷりに、ある者は控え目に示して見せた。
天才発明家で能力開発指導者の中山正和氏は、素粒子論でもって語ってみせた。
さあ、あなたには、このお話の意味が分かるであろうか?

別に、不思議でも何でもない。
単に、最後に2人の倩女が1人になったというだけのことだ。
このくらい、「なるほど、もっとも」と思わないようでは、引き寄せマスターにはなれない。
そうでないと、あなたの壮大な、あるいは、都合の良い願望が叶うと、本気で信じられないのだ。
だから、こんな物語ですと言われたら、「ああそうですか。良かったですね」としなければならない。

だがまあ、頭が固くて、なかなか納得出来ないようであれば、不本意ながら、1つの種明かしをする。
これで納得しても、だいたいOKだ。引き寄せは出来る。
まず、王宙は旅立つ時、倩女を連れて行って、着いた地で成功することを想像した。
すると、そのようなパラレルワールド(並列宇宙)が誕生した。
そして、王宙は、その世界で生きることに幸福感を感じて同調したので、その世界に移転した。
一方、倩女の方は、王宙を愛してはいたが、駆け落ちするほどの勇気がなく、心を病んで病気になった。
そこで、王宙が生み出した世界と、倩女がいる世界で、別の倩女が存在することとなった。
だが、病気で寝込んでいた倩女は、自分が王宙と共に行ったと想像し、そんな世界に思いを飛ばし、幸せを感じたので、その世界に移転し、2人の倩女は1人になったのである。

このように、パラレルワールドにはどんな世界も存在し、想像出来れば、新しい世界を作ることも出来る。
よって、あなたは自分で好ましい世界を作り、その世界にいることを「幸せだ」「嬉しい」と思うことで同調すれば、もうその世界に移転している。
ただ、固定観念のために、すでにその世界にいることが分からなければ、古い世界を作り続けるのである。

「キャシャーンよ、お前にも永遠の命を与えてやろう」
「ブライキングボス!お前が作った世界など、俺は欲しくはない。俺は俺自身の手で、新しい世界を作ってみせる」
~OVA『キャシャーン』(1993)第4話『復活のキャシャーン』より~








我々はなぜ騙されやすいのか?

『婆子焼庵(ばすしょうあん) 』という禅の公案がある。
公案とは、言ってみれば、謎かけクイズのようなものだが、その不可思議なお話について考え、その意味することを見抜くことで賢くなる頭のトレーニングなのである。
工学禅を提唱した著名な発明家で、能力開発の大家であった中山正和氏は、禅の公案で頭を鍛えることを勧め、著書の中で、いくつか現代人にも合った公案を取り上げ、それを解説しておられた。
中山氏は『婆子焼庵』は取り上げておられなかったが、私は、この公案が好きで、昔から考え続け、何度か、「解けた」と確信して喜び、このブログでも何度か解説したが、後になるほど良い答が出た。
しかし、ついに解けたと思う。
『婆子焼庵』 については、沢山の仏教や禅の専門家が著書で、難しい言葉を使った難しい解説をしているが、そんなものは誤魔化しで、子供でも分かるようにとは言わないが(エロいので子供には言えない)、普通の言葉で説明すべきであると思う。

『婆子焼庵』は萌える禅語で(笑)、こんな話だ。
1人の真面目な青年僧がいて、あるお婆さんが、その僧に小屋(庵<いおり>とかいう修行小屋だ)を与えて世話をしていた。
そのおかげで、青年僧は修行に打ち込んでいられた。
時が経ち、お婆さんは、「そろそろ良いじゃろう」と思い、自分の若い娘(実の娘ではないと思う)に、その僧を誘惑させる。
皆さんは、その娘については、自分の全く理想のタイプを想像すると良いだろう。
そんなのが、誘惑してくるのである。
さあ、その修行僧はどうしたか?
なんと、全く動じず、娘を冷たく突き放した。
それを聞いたお婆さんは、僧を追い出し、使わせていた小屋を焼き払った。
さて、この僧は、娘に誘惑された時、どうすれば良かったのか?

さあ、お分かりだろうか?
正解を知りたいなら、釈迦やイエスならどうするか考えれば分かることだ。
とはいえ、釈迦やイエスがどうするか分からないだろうし、釈迦やイエスなら、やはりこの修行僧のようにすると考える人も多いかもしれない。
だが、釈迦やイエスなら、おそらく・・・というより間違いなく、ほんの少しの間は萌えるが、すぐに冷静になるのである。
お婆さんも、この僧がそうであることを期待したのだ。
なぜ、そんなことが言えるかというと、その程度なら私でも出来るし、それ以外にあり得ないからだ。
子供は、目の前に魅力的なものがあると夢中になるが、それが去ってしまえば忘れてしまう。
少し修行が出来た人間は、それと似ていて、一瞬は夢中になっても、自分に相応しくないと分かると忘れてしまうのである。
確かに、修行が十分でない間は、忘れるのに、やや理性的努力を要するが、そう難しいことではない。まして、修行している人間には簡単なことである。
ではなぜ、今の人間は、こんな易しいことを難しいと感じ、あまつさえ、小中学校の男の先生が女子生徒に手を出すと言う猿以下のことをするのか?
それは、「感動をいつまでも」といった、商売のためのスローガンで人々を洗脳しようとする者が昔からいたからだ。
感情というものは、一瞬起こしたら、それで十分で、すぐに消すべきものであり、それは本来、簡単なことである。
だが、人々が感情をいつまでも引きずって消さずにいてくれると、商品やサービスが売れるし、騙して言いなりにも出来るから、昔から権力者は、凡民の感情を長引かせるよう誘導したのである。
学校やテレビが全力をあげてこれをやってきた結果、「あの感動が忘れられない」と、悦に入って言う愚か者だらけになったのである。

感情を感じたら、いつまでもそれに浸っていないで、薄目になったり、呼吸を微かにすれば、感情は弱くなる。
そして、釈迦やイエスのようであろうと思えば、即座に感情は消える。
そうすれば、イエスがやったような奇跡も出来るだろう。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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