ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

禁断の惑星

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

日本人のDNAに適した運動

遺伝子は、全体的には速くても数千年単位で変化するので、生物としての根本的進化は遅いが、脳神経細胞は、生まれてから環境との適応の中で働き方のパターンが変化する。
ただし、一世代で変化する遺伝子情報もあるし、新しい研究によれば、環境と適応して即座に遺伝子情報が変化することもあるらしい。
しかし、根本的には、生物の進化は遅い。
一方、人間の知恵の進化は速く、知恵が生み出す成果であるテクノロジーの進化はもっと速いばかりか、様々な要因で、指数関数的に進化する。
よって、人間はテクノロジーの進化についていくのが難しい。
テクノロジーの恩恵を受けていても、原始時代と変わらない部分がある。それを無視することから悲惨が起こるのである。

1956年の映画『禁断の惑星』は、今でも通用するSFX技術が駆使されているが、ストーリーも哲学的で面白い。
太陽系から遠く離れた惑星で、地球人類とは比較にならないほど科学技術を進歩させた宇宙人がいたが、絶滅してしまった。
彼らは、イメージを具現化する装置を発明したが、それほど進化した彼らの潜在意識の中にも、原始時代の意識が残っていて、それ(原始時代の意識)を装置が具現化させて恐ろしい怪物を生み出し、その怪物が、惑星の住民を皆殺しにしてしまったのだった。

つまり、どれほど進化しても、肉体がある限り、人類は動物であり、この動物である部分を無視してはならないし、大切にすべきところは大切にしなければならない。
文明なんて、30万年の人類の歴史の中では、ごく最近のことで、人類の歴史が1年としたら近代文明は10秒程度のものらしい。
長い歴史の中で、人類は、昼行性であり、夜明けと共に起き、日が沈むと眠った。
もちろん、ずっと、夜起きて朝寝る生活を続けると、脳神経細胞や一部の遺伝子は、それに適応するが、最も良いのは早寝早起きだ。
それ(早寝早起き)が出来なくても、規則正しい生活が最低条件になる。

運動でいえば、農耕民族は走るのに向いていないが、狩猟民族は走るための遺伝子を作っている。
縄文土器の空間的特性を見れば、当時の日本人は狩猟民族であったと岡本太郎は言ったが、保江邦夫氏が言うように、当時の日本人が、今日で言えば超能力的なイメージ具現化能力を持っていたから、あのようなものを作ったのだとしたら、別に、狩猟をしていた訳ではない。
スポーツで見ても、日本人は、陸上競技やサッカーのような走るスポーツには根本的には向いてないし、狩猟民族のように、大きく強力で格闘向きな身体ではない。
だが、特に、高い位置にある木の実を掴み取ったり、逆に、低い位置にある草を引き抜いたり、道具で何かを叩く動きには遺伝子的に対応している。
また、長時間、しゃがんだ姿勢をする身体の構造もあるのだと思う。
そして、農耕民族は、四季の移り変わりに適応した、ゆっくりとした動きが性に合う。
能や歌舞伎、あるいは、狂言の動作には、日本的農耕の特性が現れている。
日本固有の格闘技である相撲は、今はやや、本来の動きから離れていると思うが、四股の大地を踏みしめる動作、引っ張ったり、押したりする動作は、格闘技以前に、生活の動作の中心であったもので、すこぶる日本人に合っている。
和太鼓も、日本人の生活の動作から来ているもので、太鼓を叩くことは非常に健康に良く、熱心にやれば、日本人のDNAが点火する。
初音ミクさんのライブでの、ペンライトの動きで最も多いのは、やはり、太鼓を叩く動作で(ただし両手同時に叩く)、いやおうなく盛り上がる。

よって、私が、運動は、最後は四股(ただし、相撲式ではなく、大東流合気武術のコンパクトな動作)にたどり着いたのは自然なことだった。
他にも、叩く、押す、引くの動作を取り入れた運動が、日本人に向いている。
例えば、壁や柱を押す、あるいは、エア押し(柱をイメージして空中を押す)などの運動が良いと思う。







誰もが救いようのない面を持っている

法然や親鸞は、
「どれほど悪い人間、腐った人間、穢れた人間、程度の低い人間でも、念仏さえ称えれば全然OK、幸せになれる」
と言ったのだ。
しかし、そんなことを言ったら、
「極悪非道な犯罪者でも、念仏さえ称えれば、それで良いのか?」
と口角泡(こうかくあわ)を飛ばす人が必ずいるだろう。
いや、浄土宗や浄土真宗の人達にだって、「それは法然(親鸞)の教えの間違った解釈だ」と言われるかもしれない。

だけどね、私は、どれほど凶悪な、残忍な、異常な犯罪者を見ても、そいつらが、私とそんなに違っているとは思えないのだ。
少なくとも、私の中にも、そいつらと同じ部分はあると確信する。
普段は親切な良い人が、戦争では、侵略した場所で物凄く残酷になったりするのも、誰しもがそうであることを示している。
(ただし、太平洋戦争中、日本軍は厳しく兵士を管理していたので、日本軍兵士が海外で残忍な行為をすることは、なかったとは言わないが、非常に稀だった)
ダークな面が表に出れば、人間、そんなに変わらない。
だから、『スター・ウォーズ』に登場する超人ジェダイの騎士も、彼らだって必ず持っているダークサイド(闇黒面)を制御する才能や訓練が重要視されているのだと思う。
『禁断の惑星』では、地球人類より数万年も進歩したようなアルテア第4惑星の人類が、精神を実体化する装置を作った時、やっぱり自分達の中にあった暗黒が具現化し、その星を滅ぼしたのである。

念仏は、そんな人間の中の闇黒面を昇華する、極めて優れた方法でもあるのだ。
しかし、現実的に言って、今の時代に、念仏が万能とは思えない。
よほど無垢な人や、子供の時から浄土宗や浄土真宗に良い形で馴染んでいる人ならともかく、西洋的な物質主義、合理主義、論理主義、経済主義、科学主義に染まった人が、念仏を受け入れるとは考え難い。
そんな人は、微かな呼吸をすれば良い。
どれほど愚かな人間であろうと、微かな呼吸を身につければ、外部からの仏の加護というのではなく、内なる無限の英知、無限の活力が目覚め、地上から解き放たれる。
呼吸をしていない天使の振りをすれば良いのである。
ややこしい教義は一切不要であるところは念仏と同じである。









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知力増強装置VS写経

電磁気を利用した機器が作られるようになってから、知力増強装置というものを多くの人が考え、いまなお考えられているのだと思う。

昔、『スタートレック』で、「盗まれたスポックの頭脳」というお話があり、拉致されたスポックの頭から脳が抜き取られてしまうのだが、カーク船長達は、何とか、スポックの身体と脳を奪還する。
しかし、地球の医学では、脳を元通りに頭の中に収めることは不可能だった。
ところが、宇宙人が作った頭脳増強装置があり、ドクター・マッコイは、危険を覚悟で、その装置で自分の頭脳を強化して、スポックを救おうとする。
その装置を自分の頭脳に対して使用した直後、マッコイは微笑みながら言う。
「(脳を元に戻すことなど)簡単だ。子供にだって出来る」
それを見た私は感動し、なんとか、その装置が欲しいと思ったものだ。

1956年のアメリカ映画『禁断の惑星』では、アルテア第4惑星のクレール人は、地球人類など足元にも及ばない超科学文明を築きながら、なぜか絶滅していた。
ところが、そのクレール人用の頭脳増強装置が残されていて、それを使ったモービアス博士は、言語学者でありながら、超高度なロボットであるロビィを製作した。

もう1つ上げると、L.ロン.ハバートのSF小説『バトル・フィールド・アース』を、ジョン・トラボルタが映画化した同名のSF映画は、サイクロ星人の侵略に対し、30世紀の地球の軍隊は9分も持たずに滅ぼされ、生き残った人類は旧石器時代に逆戻りする。
だが、ある人間が、サイクロ星人の学習装置を使って、自分や皆の能力を高め、サイクロ星人に逆襲して地球を取り戻す。

少し昔、政木和三さんが発明した、パラメモリー(後に、アルファシータ、バイオソニックと改名)という、記憶力増強装置があり、これを使って、記憶力だけでなく、知性を向上させたという話が沢山あった。
私が、親戚の、成績が下から2番という中学生に、この装置を与えたところ、この装置の威力かどうかはともかく、彼の成績は急上昇し、高校はずっと首席で通し、まずまずの大学にも入れた。何より、その若さで、驚くべき立派な人間性を持っていたが、それは即ち、IQが高いということである。
(何度か書いたが、普通には、人間性の問題は、人格や道徳の問題とされるが、実際にはIQの問題なのである。)
この装置の原理は、ヘミシンク効果によるバイノーラル・ビート現象と言って、右の耳と左の耳で、異なる周波数の音を聴くと、脳波は、その2つの音の周波数の差の周波数になる(10Hzと8Hzなら2Hz)というものである。
将棋棋士の羽生善治名人の対局中の脳波はシータ派になっているらしいが、脳波がアルファー派やシータ派になると、人間は不思議な、時に驚異的な能力を発揮することは、昔からよく知られている。
パラメモリーは、簡単に脳波をアルファー派やシータ派に出来る装置であるようだ。
もっとも、私が、直接、政木さんに、「使っても効果が感じられない」と言ったら、政木さんは、「この装置でうまくやってやろうという欲望があっては駄目です」と言われたのである。

今は、ヘミシンク音楽が沢山販売されていて、スマートフォンなどで手軽に使うことが出来る。
だが、私は、そんな型通りの方法で、知性が向上するなどとは思っていない。

知性を向上させるには、知性を向上させることが必要な、高貴な目的がなければならず、その目的のことを志と言うのであると思う。
そして、政木さんが私に言われたように、良い思いをするために知性を向上させたいなどというスケベ根性では駄目なのだと思う。

だが、高貴な志があれば、知性・・・つまるところ、IQを向上させることは出来ると思う。
そして、IQを高めるのに必要な心構えなら、『バガヴァッド・ギーター』で、クリシュナ神が詳しくアルジュナに語っていると思う。
また、無心に『バガヴァッド・ギーター』を繰り返し読めば、自然に賢くなるだろう。
もし、なかなかうまくいかないなら、声に出して読んだり、ペンやキーボードで書き写すと、さらに効果的だろう。
一流のプログラマー達がよく言うのだが、手本のプログラムを黙って書き写す(流行りのスラングで写経と言う)ことが、プログラミング言語を習得する最も効果的な方法であり、彼らですら、それを実際にやっているのである。
そういえば、私も、ちゃんとマスター出来たプログラミング言語は、例外なく写経で覚えた。
書き写すことには、何か恐るべき威力があるのだと思う。









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世界は仮想現実ではなく拡張現実だ

般若心経では、全ては空だと言い、ラマナ・マハルシのような聖者達は、この世は仮想世界(バーチャル・リアリティ)だと言う。
だが、少し違うのだ。
この世は、運命という現実があり、そこに心が拡張現実を作る世界なのだ。

仮想世界はいくらか分かっていても、拡張現実とは聞きなれないかもしれない。
そして、拡張現実について、ややこいしい説明をしてくれる者達が多過ぎる。
「拡張現実とは現実を改変するものだ」なんて、下らない説明をよくもできたものだ。
『スターウォーズ』で、ルークの冒険は、レイア姫の3次元映像を見たところから始まる。
ルークは、レイアに萌え萌えになって、「助けに行こう」って思ったのだ。
まあ、後にレイアは双子の妹か何かになったようだが(宮沢賢治も妹萌えであったという話もあるが・・・)。
『禁断の惑星』という1956年の古いSF映画でも、アルタという若い女性の3次元映像が出てくる。
このレイアやアルタの映像が拡張現実だ。
あなたが、メガネ型のウェアラブルコンピュータを装着し、「猫」と言ったら、目の前のテーブルの上に猫が現れる・・・この猫の映像が拡張現実だ。
現実に仮想がプラスされる・・・そんなのを拡張現実という。
現実は現実、仮想は仮想だ。
知覚がそれをごっちゃにしたからといって、現実が実際に改変される訳ではない。

初音ミクのライブコンサートは拡張現実と言って良い。
現実にある舞台、バンドなどの中に、初音ミクという仮想の存在が現れる。
初音ミクは舞台に設置された、ディラッド・ボードという、株式会社キモトが開発した透明ボード上に立体的に現れる。
だが、渋谷慶一郎さんが制作した、初音ミク主演のオペラ『THE END』は、仮想現実に近いものだ。
あれはディラッド・ボードを使っているのではなく、特殊なホログラム技術で、舞台の上にまるごと仮想世界を創っている。
どの技術を使ったか明かしてくれてないので分からないが、デンマークのVizoo社のFreeFormatだと思う。
もっとも、これも、現実空間の中に、ホログラムで大規模な拡張現実を創ったとも言えるが、現実の劇場は基本的には重視せず、「無い」と見なして良いという理由で、仮想現実に近い。

この世界は、運命という現実に、人の心が拡張を加えた世界だ。
一休さんは、念仏を唱えれば、この世に極楽浄土が現れると言ったが、仮想現実として、この世の一切が極楽浄土になるのではなく、拡張現実的に極楽浄土が、この現実世界に「付け加わる」だけのことだ。
だから、念仏を唱えても、貧乏だとか、病気だとかいった現実の方はなかなか変わらない。
だが、テーブルという現実の上に、猫という拡張現実があるとして、猫という仮想物は変えられるが、テーブルだって変えることができる。
同じく、病気も貧乏も治せる。
しかし、テーブルを変える(取り替える、テーブルクロスをかける)には、現実的な手段が必要なように、貧乏や病気の状態を変えるには、現実的にやらなければならない。
それなのに、仮想の方を変えて病気という現実を変えようというのが宗教だ。
現実は悲惨なのに、幸せな夢を現実と思うのは精神病患者でしかない。
現実を「変えよう」という意思を起こすのは心だ。
テーブルを変えるぞと本気で思わなければ、本当に変えようとはしない。
同じく、金持ちになるとか、健康になるとかも、本気で考えないと、そうなったりはしないのだ。
願っただけでは叶わないってやつだ。
現実を変える意思の力が大切だ。
それを得るために、毎日決まった(早い)時間に起きるとか、食を節するとか、毎日トレーニングをしたりするのだ。
そんな簡単な修行もできないようでは、現実を変えるなんてことはできない。
だから、毎日、必ずやる修行を少なくとも1つ決めて、鉄の意志で行うことだ。
その程度ができないようでは救いようがない。
だが、心配しなくても、誰でも意思の力を鍛えることはできる。
それができれば、現実を変えられるのだ。









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ロボットはなぜ人間を愛しているような行いをするのか?

ロボット小説、ロボット映画、ロボットアニメといったものに、それが単に空想的だからというだけではない「うそ臭さ」を感じていた人も多いと思う。
そして、「なぜ、それらがうそ臭いのか?」「どうすればうそ臭くなくなるのか?」といったことが重要な意味を持つ時代であるのだと思う。

人間の生命は自然によって与えられたものであり、人間は自然の一部だ。
その意味では、全ての人間は等しい。
しかし、個々の人間について言うなら、人間の中心は頭脳であり、それは、個々に異なるものである。
同じように、個々のロボットの中心はコンピューターであり、プログラムが異なるコンピューターが個々に異なるように、ロボットも個々に異なることになる。

『ターミネーター2』は素晴らしい作品だ。
通常の機械装置で作られたT101型ターミネーター・・・つまり、シュワちゃん型ターミネーターは、初めは純粋に合理的なだけで、邪魔な人間には危害を加えたり、不都合がないなら、目的のためには殺してしまうことも躊躇なく行った。
しかし、ジョンに「殺してはいけない」と説得されて、殺人を避けるようになり、最後には、「人間がなぜ泣くのか分かった」と言う。
映画の制作者は理解していなかったかもしれないが、これは、ジョンがシュワちゃん型ターミネーターをプログラミングしたということなのだ。

ロボット物語の元祖的な小説作品に、アイザック・アシモフの1950年の『われはロボット(アイロボット)』がある。
『われはロボット』は、1つのお話ではなく、いくつかの短編から構成されているが、その中で最も有名なものは、第1話の『ロビィ』である。
あまりに人気があったので、その後、アメリカでは、「ロビィ」がロボットの代名詞のようなものになり、SF映画の傑作『禁断の惑星』や、SFテレビドラマ『宇宙家族ロビンソン』で、どちらが真似したかは知らないが、実によく似たロビィという名のロボットが登場する。

そして、実際、『われはロボット』のロビィのお話は素晴らしいのだ。
その内容を簡単に紹介する。
8歳の幼い少女グローリアは、生まれた時から、家庭用ロボットのロビィに世話をされて育った。
グローリアにとって、ロビィは、誠実な乳母のようであり、親しい友のようであった。
グローリアは、ロビィのサービスを受けるだけでなく、共に遊び、聞き覚えたお話をロビィに話して聞かせ、また、ロビィはそのお話を黙って聞くだけでなく、繰り返し聞かせてくれるようグローリアにねだったりもした。
グローリアが機嫌を損ねてすねると、ロビィは慌ててグローリアの機嫌を取ることもあった。
グローリアはロビィを愛しており、また、ロビィも、少なくとも、その行動においては、実の親のようにグローリアを愛していた。
だが、ロビィのようなロボットに心はなく、プログラムされた通りに動いていることは、この物語を語るロボット製造会社の女社長によって、最初に述べられていた。
グローリアとロビィの平和な日々が続いていたが、グローリアの母親はあまりロビィが好きではなかったし、グローリアがロボットを過度に愛し、この一体のロボットに依存することを良くないことだと考えた。それは、必ずしも論理的にではなく、多分に感情的な面もあったと思う(グローリアは母親よりロビィが好きなのだとも感じられた)。
それで、ある日、グローリアが学校に行っている間に、母親はロビィを売り渡してしまう。
グローリアは悲しんだが、母親は、時が解決すると楽観していた。
しかし、グローリアの心の傷は大きく、グローリアはいつまでもロビィを求め、その精神には危うさがあるように思われた。
ある日、グローリアの父親は、グローリアの気晴らしのためにと、グローリアを工場見学に連れ出す。
だが、その工場で事故が起こり、グローリアに危機が迫る。
その時、一体のロボットが飛び出して来て、障害物を不器用にも果敢に乗り越えてグローリアの元に駆け寄り、身を挺してグローリアを守った。
そのロボットは、余生を作業用ロボットとして送っていたロビィだった。

こういった話を、ほとんどの読者は、良いお話だとは思っても、一方で、現代人の知性にかけて、感傷的なメルヘン(空想物語)とみなすことだろう。
ところが、この小説で、先ほど述べた、ロビィ達ロボットを製造する会社の女性社長の口から、ロボット達には「自分には理解し難い不思議なこと」が確かにあるのだという言葉が出るのである。
アシモフは、コンピューターには詳しくないかもしれないが、生化学者(博士)として、コンピュータープログラミングに通じる生命の営みを直観していたのだと思う。
つまり、こういうことだ。
ロビィ達、電子頭脳を備えたロボットは、グローリアらユーザーによってプログラミングされ、変化するのである。
本格的なコンピューターというものは、単純なコンピューターチップを組み込まれた電子レンジや洗濯機のように、一番最初のプログラム通りに機能するだけではないのである。
そこを誤解するから、コンピューターを使った子供の教育を否定的に考える人達が多いのだと思う。
そうではなく、子供達が、自分でコンピューターをプログラムしてこそ、望ましい教育効果が現れるのである。
そして、今や、子供達が楽々と、本来持っているはずの高度な能力を引き出すために、コンピューターが役に立つ準備が整っているのである。
それは、これまでの人類が負っていた、自然環境による障壁や、作られてしまった民族的、文化的な悪慣習や偏見、その他、様々な障害によって、人間が釈迦やイエスのレベルに達することを妨げていたものが、コンピューターを賢く利用することで克服できるかもしれないのである。
まずは、大人が、そういったことを理解しなければならないのではないかと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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