「よろこび」という漢字には、
喜び
歓び
悦び
慶び
があり、それぞれニュアンスが異なるらしい。
だが、これは、嬉しい、楽しい、面白いといった「快」の感情を示す言葉で、最もシンプルに言えば「良い気分」ということだと思われる。
とりあえず、最もよく使われる「喜び」と書くが、では、「喜び」とは何だろう?
「喜びとは」
「飲むことよ」
なんていう、日本酒のCMがあるが、沢山の人にそうあっていただかなくては酒造メーカーとしては困るだろうが(笑)、『ルパン三世 血の刻印』という映像作品で、ルパンが次元に、
「お前は何のために泥棒するんだ?」
と尋ねると、次元はあっさりと、
「美味い酒を飲むためさ」
と答え、ルパンは、
「そうじゃねえ・・・いや、俺もある意味そうなんだが、それだけじゃねえ」
とかいったことを言うが、「それだけじゃねえ」の中に、問題の核心があるのだろう。
まあ、そう難しいことではなく、「生き甲斐」とか「アイデンティティ」とかいうものだが、酒を飲むことにしろ、生き甲斐にしろ、それらがもたらすのは、やっぱり「喜び」だ。
ウェーバーの歌劇『魔弾の射手』の第三幕の中の『狩人の合唱』は、刈りの喜びを高らかに歌い上げる。
ここでは、刈りこそ、無上の喜びなのだ。
農耕は仕事であり、あまり楽しいと思わない場合もあろうが、刈りが楽しい理由は、スポーツの最も楽しい要素である「予測不能」ということが大きな喜びをもたらすのである。
サッカーで日本とブラジルが戦って、日本が勝つのは、ブラジルサポーターにとっては大きな落胆だが、日本のサポーターにとって、これほどの喜びはない。予測出来ないからね(笑)。
つまりね、本当の喜びとは「予測不能」なのである。
ウィリアム・バトラー・イェイツの戯曲『カルヴァリー』の中で、ローマ兵は、
「サイコロが我々の神である。予測出来ないことでさえあれば、起こることが最善」
と言い、イエス・キリストをも屈服させる。
まあ、あくまでイェイツの創作であるが、本当に核心を突いている。
私はよく引用するが、CLAMPの漫画作品『カードキャプターさくら』の中で、エリオルとスピネルがこんな会話をする。
「この世で一番楽しいことは何か知ってるかね?スピネル」
「何ですか?エリオル」
「予想しないことが起こることだよ」
自分が将来どうなるか分かってしまう人生ほどつまらないものはない。
だから、エスカレーター式人生を強要されると、いかに裕福でも自殺してしまうのだ。
人間にとっては、予期出来ない冒険こそが喜びなのである。
だから、冒険を恐れて、予期出来る道を行きたがる臆病者が一番蔑まれるし、自分も魂では嫌なのだ。
これで分かったであろう。
予期せぬ冒険を駆け抜けた後の美酒こそ喜びである。
次元大介の言う「美味い酒を飲むためさ」は、「予期せぬ泥棒稼業という大冒険の後で飲む酒は美味い」ってことだ。
今年の、初音ミクさんのライブ&企画展「マジカルミライ2020」のテーマは「夏まつり」と「Winter Festival(冬まつり)」で、共に「祭(まつり)」である。
祭とは、本来は、何があるか分からないから楽しいのだ。
荒っぽい祭で大怪我をしたり、死んだりすることもある。
それはもちろん悲しいことであるが、それがあるからこその喜びでもある。
ルパンや次元の泥棒と同じだし、イェイツがあえて、イエス・キリストに逆らった『カルヴァリー』を作ったのも、そのためだ。
岡本太郎は、祭をこの上なく尊び、「芸術は爆発だ」とは言ったが「祭は爆発だ」とも言ったのだ。
「歓喜、成功、富」の三語を保てば人生は素晴らしいものになるというのが、ジョセフ・マーフィーが教えた秘法であることの理由がこれで分かるのである。
祭、冒険を大切にしよう。
喜び
歓び
悦び
慶び
があり、それぞれニュアンスが異なるらしい。
だが、これは、嬉しい、楽しい、面白いといった「快」の感情を示す言葉で、最もシンプルに言えば「良い気分」ということだと思われる。
とりあえず、最もよく使われる「喜び」と書くが、では、「喜び」とは何だろう?
「喜びとは」
「飲むことよ」
なんていう、日本酒のCMがあるが、沢山の人にそうあっていただかなくては酒造メーカーとしては困るだろうが(笑)、『ルパン三世 血の刻印』という映像作品で、ルパンが次元に、
「お前は何のために泥棒するんだ?」
と尋ねると、次元はあっさりと、
「美味い酒を飲むためさ」
と答え、ルパンは、
「そうじゃねえ・・・いや、俺もある意味そうなんだが、それだけじゃねえ」
とかいったことを言うが、「それだけじゃねえ」の中に、問題の核心があるのだろう。
まあ、そう難しいことではなく、「生き甲斐」とか「アイデンティティ」とかいうものだが、酒を飲むことにしろ、生き甲斐にしろ、それらがもたらすのは、やっぱり「喜び」だ。
ウェーバーの歌劇『魔弾の射手』の第三幕の中の『狩人の合唱』は、刈りの喜びを高らかに歌い上げる。
ここでは、刈りこそ、無上の喜びなのだ。
農耕は仕事であり、あまり楽しいと思わない場合もあろうが、刈りが楽しい理由は、スポーツの最も楽しい要素である「予測不能」ということが大きな喜びをもたらすのである。
サッカーで日本とブラジルが戦って、日本が勝つのは、ブラジルサポーターにとっては大きな落胆だが、日本のサポーターにとって、これほどの喜びはない。予測出来ないからね(笑)。
つまりね、本当の喜びとは「予測不能」なのである。
ウィリアム・バトラー・イェイツの戯曲『カルヴァリー』の中で、ローマ兵は、
「サイコロが我々の神である。予測出来ないことでさえあれば、起こることが最善」
と言い、イエス・キリストをも屈服させる。
まあ、あくまでイェイツの創作であるが、本当に核心を突いている。
私はよく引用するが、CLAMPの漫画作品『カードキャプターさくら』の中で、エリオルとスピネルがこんな会話をする。
「この世で一番楽しいことは何か知ってるかね?スピネル」
「何ですか?エリオル」
「予想しないことが起こることだよ」
自分が将来どうなるか分かってしまう人生ほどつまらないものはない。
だから、エスカレーター式人生を強要されると、いかに裕福でも自殺してしまうのだ。
人間にとっては、予期出来ない冒険こそが喜びなのである。
だから、冒険を恐れて、予期出来る道を行きたがる臆病者が一番蔑まれるし、自分も魂では嫌なのだ。
これで分かったであろう。
予期せぬ冒険を駆け抜けた後の美酒こそ喜びである。
次元大介の言う「美味い酒を飲むためさ」は、「予期せぬ泥棒稼業という大冒険の後で飲む酒は美味い」ってことだ。
今年の、初音ミクさんのライブ&企画展「マジカルミライ2020」のテーマは「夏まつり」と「Winter Festival(冬まつり)」で、共に「祭(まつり)」である。
祭とは、本来は、何があるか分からないから楽しいのだ。
荒っぽい祭で大怪我をしたり、死んだりすることもある。
それはもちろん悲しいことであるが、それがあるからこその喜びでもある。
ルパンや次元の泥棒と同じだし、イェイツがあえて、イエス・キリストに逆らった『カルヴァリー』を作ったのも、そのためだ。
岡本太郎は、祭をこの上なく尊び、「芸術は爆発だ」とは言ったが「祭は爆発だ」とも言ったのだ。
「歓喜、成功、富」の三語を保てば人生は素晴らしいものになるというのが、ジョセフ・マーフィーが教えた秘法であることの理由がこれで分かるのである。
祭、冒険を大切にしよう。