ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

神曲

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

神秘数3について

私が、神秘数3について意識したのは中学1年生の時で、当時、私が書いた、ダンテの『神曲』の感想文の中で、『神曲』が神秘数3で構成されていると書いたことを憶えている。
『神曲』はイタリア最大の文学と言われる詩作(叙事詩)で、本当に徹底的に3にこだわって作られている。
全て3行を1まとまりとする形で、『地獄編』33歌、『煉獄編』33歌、『天国編』33歌で構成されている。
最初に序詩の1歌があるので、全部で100歌となるが、「三位一体」という言葉の通り、1は完全数とみなされ重要視されている(『神曲』はキリストを最重要視している)。

なぜ3を神秘数とするかは、キリスト教に始まったことではなく、それよりずっと前に、アリストテレスは3を完全数と捉えていた。
アリストテレスは、神に祈る時、ゼウス、ヘラ、アポロンの3神に祈ることや、「2は両方と言うが全部とは言わない。3で初めて全部と言う」と言い、3が特別であることを述べている。
日本でも、この世の最初に現れた神は天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カミムスビノカミ)の3神で、これを造化三神と呼ぶように、やはり3を重要視していた。

どこで始まったのかは分からないが369はエンジェルナンバーと呼ばれ、現代でも特別視されている場合がある。
また、これもソースがはっきりしなのだが、二コラ・テスラの「369の法則」というものがあるらしく、テスラ自身、3、あるいは、その倍数である6、9を重要視し、あらゆることに3と6と9を取り入れようとしたらしい。
私の場合は、引き寄せ同様、世間の情報ではなく、幼い時から3と6と9に縁が深いと言うより、あらゆるものが3と6と9で構成されていることには気付いていた。
たとえば、私は子供の時から、どこで憶えてきたのか、「南無三(ナムサン)」を呪文にしていて、これを唱えると不思議な力の援助が得られた。「南無三」は、「南無三宝」の略で、3つの宝にすがるという意味だが、仏教では、三宝は、仏、仏法、僧と言われている。

『老子』でも、老子は「私は3つの宝を持つ」と言い、それは、「慈愛、倹約、そして、人の前に立たないこと」と述べている。
ジョセフ・マーフィーの『あなたも金持ちになれる』で、3つの言葉を唱えて成功した女優の話が紹介されていたが、その言葉は「成功、富、歓喜」だった。
アメリカではある有名な人が作ったアファーメーションがよく使われていたらしく、それが「私は豊かだ、私は健康だ、私は素晴らしい」という3パートで構成されていたことを思い出した。

これも、いろいろなところで言われるが、金持ちになるために、まず、1年で3万ドルを作り、それを毎年(あるいは3年ごと)に6万ドル、12万ドル、24万ドル、48万ドル、96万ドルと増やす方法が知られている。
日本では、300万円、600万円、1200万円、2400万円、4800万円、そして、9600万円で一応のゴールとする。
始まりは、3万ドル、あるいは、300万円なのである。

こういったいろいろな話から、人は昔から、3という数字の不思議な威力を感じていたのだと思われる。
そんなことからも考え、昨日も紹介したように、目標を3回、6回、9回のまとまりで紙に書くことに威力があるかもしれないと思う。
ただ目標を紙に書いても十分に効果があることは確かと思うが、それがさらに強化されると思われる。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)神曲 地獄篇 (ダンテ。河出文庫)
(2)老子 (岩波文庫)
(3)魂について(アリストテレス)
(4)あなたも金持ちになれる(ジョセフ・マーフィー)
(5)成功の掟(マーク・フィッシャー)

生まれたての笑顔
AIアート1458
「生まれたての笑顔」
Kay

子供が使う引き寄せの超秘法

「マイナスを疑うメソッド」のように疑う必要すらなく、一瞬で出来る神秘的な引き寄せメソッドがある。
あまりに簡単で、小さな子供でも出来る。
逆に、大人や、子供らしくない子供は、うまくいかないかもしれない。
だが、実は、誰でも小さい時に使っているはずだと思う。

似たものとしては、ネヴィル・ゴダードの『AT YOUR COMMAND!』や、マイク・ハーナッキーの『成功の翼』に書かれているものや、YouTubeでしか見ていないが、108さんの「適切性に一致する」などがある(PDF書籍があるらしい)。
だが、どれも、おそろしく抽象的で、古いトーストのように食えず、信用詐欺に遭ったような気分になるのではないかと思う。
とはいえ、やはり、絶対に簡単なのである。
頭を使わないので疲れないし、いくらでも使えることから、どんな願いでも叶えられる。

あえてやり方を言えば、あるお婆さんが、「アビラウンケン」という大日如来の真言を「油売らんか」と憶えて唱え、効果抜群であったことや、小さな子供が「アブラカタブラ」といった呪文を唱えるようなものだ。
古いアニメでは、魔法使いサリーが「マハリクマハリタ」と唱えたり、魔女っ子メグちゃんが「テクニクテクニカシャランラ」と唱えるのを子供が真似するようなものだ。
ちなみに私は、棒状のものを、魔法の杖として振っていた。
ただ、これでうまくいく子供やお婆さん(お爺さんもだが)がいる一方、魔法力が発揮されない子供やお婆さんもいる。
思い込み次第なのかと言うと、それもあるだろうが、それだけではないと思う。

これについて、私が、ピンと来たことがある。
「20世紀最大の詩人」と言われたアイルランドのウィリアム・バトラー・イェイツが、「神秘を信じない者は想像力がないのだ」と書いていたが、彼が、最高の想像力の持ち主と言ったのは、イタリア最大の文学と言われる叙事詩『神曲』の著者であるダンテだった。
『神曲』は、アンデルセンも森鴎外も絶賛しているが、普通の人は一生読まない。
だが、どういうわけか、私は中学1年生の時に熱心に読んでいた。
ところで、いかに『神曲』が叙事詩の傑作と言っても、これを日本語の詩に翻訳するのは難しい。
それで、私は、普通の小説風に書かれた『神曲物語』(野上素一訳)を読んだが、これが分かり易かった。
詩の形式で書かれたものも何冊か読んだが、やはり詩だと、普段使わない特殊な言葉が使われ、それはそれで良いが、分かり難いかもしれない。
また、私が最も好きな画家の1人であるギュスターヴ・ドレの精密な版画がついたものも読んだが、これも良かった。
『神曲』は、ダンテが10歳くらいの時に出会ったベアトリーチェという美少女への憧憬が基になっている。
これは、ベートーヴェンにとってのエリーゼや、ダ・ヴィンチにとってのモナ・リザにも似ているかもしれない。
『神曲』には、何かがあると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)神曲物語(上)(ダンテ。野上素一訳)
(2)神曲 地獄篇(ダンテ。平川祐弘訳)
(3)ドレの神曲(ダンテ。ギュスターヴ・ドレ。谷口江里也訳)
(4)新生(ダンテ。平川祐弘訳)
(5)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)『AT YOUR COMMAND』翻訳
(6)成功の翼(マイク・ハーナッキー)
(7)ケルトの薄明(ウィリアム・バトラー・イエイツ)

波の音
AIアート1206
「波の音」
Kay

『老子』第14章を一言で言えば「一」

『老子』の解説を毎日書いていて、つくづく思うことは、『老子』の思想は一貫しており、どの章も、つまるところ、それほど違うことは書かれていない。
いや、どの章も同じことが書かれていると言っても良いと思う。

今回は、『老子』第14章である。
この章を一言で言えば、「一(いち)」である。
半世紀以上前の、有名なのか無名なのか分からないテレビドラマに、こんな場面があった(らしい)。
中学校くらいだと思うが、最後の授業の時、若い女性教師が、クラスの生徒全員に本を1冊ずつ配るが、その本の表紙には「一」と書かれていた。
そして、その教師は、生徒達にこう言う。
「どんな時も、一を忘れないで欲しい」
なんとも聡明な教師だ。もちろん、本当に分かって言っているのならだが。

この世界は「3(3つのもの)」で出来ている。
これは、キリスト教の思想であり、アリストテレスの思想だが、実は、老子の思想でもある。
だから、キリスト教では「三位一体」と言い、アリストテレスは「2は両方とは言うが全部とは言わない。3で全部になる」と言ったのである。
そして、老子は、この3つをまとめて「1」と言うとしている。
一が全てであり、魂であり、神だ。
イタリア最大の文学であるダンテの『神曲』が、この「3」に徹底的にこだわった驚くべき作品だ。

昨日、アメリカのカンフーテレビドラマ『燃えよ!カンフー』(原題は『カンフー』)で、
「少林寺の教えを受けた者は、見ても見えず、聞いても聞こえず、触っても指に感じない」
と言われていることを紹介したが、これは『老子』から出ている。
『老子』の「3」とは、この3つ(見えないもの、聞こえないもの、指に感じないもの)だ。
そして、あなたの実体こそ、「見ても見えず、聞いても聞こえず、触っても指で感じない」ものであり、これらをまとめて「一」と言うのである。
早い話が、あなたは、身体や心ではなく、この「一」なる魂で、それは、全知全能の神だ。
いつも言う通り、それを知った上で「私は誰か?」と自分に問い続ければ、自分が神であることを思い出し、神の力を行使するのである。








ロダンの「考える人」は愚か者の象徴

人間は、無になった時に全てが可能になると言う。
「無になる」とは、思考が消えるということで、想念が消えるとか、考えることをやめるとも言える。
世の中では、「思考停止」するのは愚か者で、「自分の頭で考える者」が立派と言われることが多く、それが凡人の観念なのだが、愚か者とは思考停止している者ではなく、愚かなことを考えている者だ。思考停止なら賢者である。
そして、人間の考えは全て愚かであるのだから、考える者は愚か者である。
ロダンの「考える人」の彫刻を誰でも何らかの画像で見たことがあると思うが、世の中では、あれが素晴らしい姿だと言われることがあり、そう思い込んでしまった人も多いと思う。
しかし、あれを見て、心が晴れ晴れとしたり、「今日も頑張ろう」と思ったりするだろうか?(笑)
あれは愚か者の姿だ。
その証拠に、あれはロダンが作った「地獄の門」の一部で、その「地獄の門」の頂上に置かれた、まさに愚か者の象徴なのである。
なぜ我々が、そんな愚か者の真似をしなければならないのか?
(ロダンの「地獄の門」は、ダンテの『神曲』から着想を得て作られ、「考える人」は、ダンテ、あるいは、ロダン本人であると言われている)

そして、人間は、思考した時、魂の波動が低下し、愚かになるだけでなく、さらに力を失う。
なぜそうなるのかと言うと、人間が思考すると、微弱な電波が発せられ、それに誘われて、どこからかエネルギーが発せられて、そのエネルギーが思考した人間を包み込み、魂の波動を低下させることで、記憶を消し、愚鈍にし、力を奪うのである。
どこからその邪悪なエネルギーが来るのかというと、太古の昔、一応「旧帝国」と呼ぶ宇宙人グループが地球に仕掛けた装置からで、少なくとも、1947年時点では、それがある場所は特定出来ていないらしいが、現在の地球の状況を見ても、その装置が稼働中であることは間違いないと思われる。

ラマナ・マハルシによって提示された「私は誰か?」という問いは、その装置によって奪われた記憶(過去生全て)を回復させるだけではなく、思考を消す優れた方法でもある。
なぜなら、考えるのは常に私であり、あなたや彼や彼女が考えると言っても、あなたや彼や彼女にしてみれば考えるのは「自分」である「私」である。
「私は誰か?」と問えば、想念は、その考える主体である「私」に引き戻され、そこに固定されることで、想念が広がっていくことを止める。
「私は誰か?」と問うことのメリットは非常に大きく、自分に出来ることとして、これ以上にメリットが大きなものは他にないと思う。








呪文のすすめ

各自が、自分がしっくりとくる唱え言葉(呪文、神呪、真言、祓詞、言霊…等)を1つ持っていると良い、いや、この暗い世界では、持っておくべきと思う。
良い言葉で、自分が好きなものなら何でも良く、それを唱えることで潜在意識の扉が開き、宇宙エネルギーとのルートが通じるのだから、これを使わない手はない。
「ナムアミダブツ」「南無妙法蓮華経」「アマテラスオホミカミ」「トホカミエミタメ」「アジマリカン」「神様の奇跡が起こる」「アーメン」・・・自分が気に入れば何でも良い。

アメリカ人は、「オーマイガッド」とよく言うのだと思うが、これは普通「なんてこったい」みたいな意味だと思われている。
しかし、マイガッド(My God:わが神)なんて、素晴らしい真言であり、これを言うことで、確実に守られ、幸運を得ているのである。
日本にも、似た言葉に「南無三(なむさん)」がある。
私が子供の時に、度々、奇跡を起こした言葉だ。
「南無三」も、「オーマイガッド」と同じく、「なんてこったい」といった意味にとられているが、これは「南無三宝」の略で、3つの貴い宝に帰依します(頼ります)という意味だ。
3つの宝とは、一応は、仏、仏の教え、仏の教えを説く僧ということになっている。
しかし、3は世界中で神秘数とか完全数として扱われている。
3自体に意味があるのだ。
キリスト教では、「三位一体」として、「父(神)」「子(キリスト)」「聖霊」を貴いものとしている。
古代ギリシャでは、ゼウス、アテーナ、アポローン、あるいは、ゼウス、ヘーラー、アポローンの3神に祈るのだと、アリストテレスは述べられている。
ダンテの『神曲(本当のタイトルは「聖なる喜劇」)』は、神秘数3に徹底的にこだわって書かれている。序章の1歌に続き、地獄33歌、煉獄33話、天国33歌で、その全てが3行ずつで書かれている。
西洋では、初音ミクさんのミクが、日本語では39だと知ると非常に驚く。神秘数3と、これが3つ合わさった9で名前が構成されているからだ。

私は、三の意味を知らずに「南無三」と唱えたのが良かったのかもしれない。
意味を知らないということは、意味を制限せず、あらゆる意味になるからだ。
三位一体とも、ギリシアの神々とも、あるいは、阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩の3仏の意味にもなるからだ。

また、「ナム」自体に、「アーメン」や「オーム」にも通じる言葉の力があり、南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、南無観世音菩薩など、どれも強い力を持つ。
ものがよく分らない子供や、無知な者が「ナムナム」とだけ唱えても効力がある。
似た響きを持つ言葉であれば、本人が気に入っている限り力がある。
大日如来真言のアビラウンケンを「油売らんか」と覚えて唱えていたお婆さんの霊験は実に灼(あら)たかであったと言われている。
そもそも「アビラウンケン」自体が、本当は「アヴィラ、フーン、カーン」だ。
神、神様、御神、仏、仏様、御仏といった、どの言葉にも大きな力がある。
本当のところ、日本語の50音全てが神であり、霊力があると言われている。
合気道家で神道家の佐々木の将人さんによれば、「あー」だけで悪霊を祓い、問題が解決するのであるようだ。

「アマテラスオホミカミ」という、十言の神呪(とことのかじり)と呼ばれる神呪(しんじゅ)は、古事記の女神の名であるだけでなく、太陽神、根本神といった意味の他に、明かされていない意味もあり、その力は計り知れないと言う。

普段、何気なく出て来る言葉は速やかに作用する。
最初は、意識的に唱える必要があるかもしれないが、馴染んでくれば、何かの時にすっと出て来て、知らない間に問題が解決しているだろう。
なぜなら、人間は気付かず、何ごとも自分の力で解決していると己惚れているが、実際は、内なる何かが力を貸しているのである。
ここらの理屈は、ソクラテスが語り、『ソクラテスの弁明』に記されているが、それは、意味が分からないからということもあるが、無視されてしまってる。
実際は、人間は何も知らないし、何も出来ない。
ソクラテスが言った「私は自分に知恵がないことを知っているがゆえに、人類で最も知恵がある人間なのである」が真理である。
人間には出来ないことでも神に出来ないことはない。
その力に速やかに委ねる言葉に馴染んでおくと良い。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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