ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

祓詞

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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悪霊を祓う

ホラー小説、ホラー漫画、あるいは、ホラー映画はお好きだろうか?
もちろん、出来の悪いホラー作品を見て怖がる必要はないが、中には素晴らしい作品もある。
そんな優れた作品も、存分に怖がって楽しめばそれで良いのだが、それだけで終わらせるのはもったいない作品もある。
つまり、それが作者の意図であるかどうかは別にしても、怖いものを味わうことで、この世には自分をはるかに超えた力というものがあると思うことには意味があると思う。
たとえ、その、自分をはるかに超えた力というものが空想であったとしても、そんな存在があるのではないかと思うのは、案外に健康的なことだと思うのだ。
その「自分をはるかに超えた力」というのは、オリンピックの100m走の金メダリストとか、ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンといったものとは異次元の強さだ。
その大いなる力に対抗するのは、ハエが宇宙船を止めようとするようなものだ。
このハエが宇宙船を止めるの喩えは、E.E.スミスの有名なSF『レンズマン』シリーズで、人類で最も優れた男とも言えるキニスンが、宇宙最古の生命体アリシア星人の力に対抗しようとした時に思ったことだった。長い時間をかけて精神を発達させたアリシア星人の力は、かくも大きなものだったのだ。
そこまででなくても、ホラー作品に登場する怪異には、人間の力など、全く及ばない力を持つ存在がよく出て来る。
そんな相手が悪意を持っていて、自分も攻撃されるかもしれないということを臨場感をもって感じさせてくれれば、我々は恐怖を感じる。
そんな恐ろしい存在が、現実にいると感じている人もいるだろう。
もちろん、そんな存在がいたと感じたとしても、それは錯覚である場合が多いのだと思われるが、錯覚とは思えないと感じた体験を持ってる人もいるだろう。
私など、数え切れないほどある(笑)。
錯覚だと言われれば、言い返すことは出来ないが(言い返す気もないが)、それは別に構わない。
要は、自分が本当に恐怖を感じ、世の中には、自分をはるかに超えた力があることを謙虚に認めればそれで良い。
そうなってこそ、味方になってくれる自分を超える力を求めるのである。
そして、そのような力は必ずあると思う。まあ、信じない人にとっては、やはりないのであるが、そんな人はそんな人で良いのであり、そんな人には、こんな話は無用である。

さて、そんな、自分の力をはるかに超えた力を持つ存在が、自分に恐ろしい害をなそうとしてくるのは、たとえていえば、乗っている飛行機が墜落するのと似ている。
つまり、全くお手上げであり、もう後は、神様に祈るしかない。
スティーブ・ジョブズが、インドで、想像もしたことがない猛烈なスコールに遭って大きな恐怖を感じた時、神様にこう祈ったという話がある。
「神様!助けてくれたら・・・いい人間になります」
彼を笑うことは出来ない。私も、まあ似たようなことを祈るだろう(笑)。
だが、ホラーの場合、少し違うところがある。
飛行機の墜落や、大自然の大災害であれば、結果がどうなるかは運にまかせるしかなく、神様が助けてくれるかどうかも神様しだいと思うことが多いと思う。
必ず神様が助けてくれると思うのは、よほど信心深く、なおかつ、日頃の行いの良い者だけだろう。
だが、スピリチュアルな怪異(例えば悪霊)が相手の場合、なんとか対抗出来るかもしれないと思う。
そんなものに襲われた時のために、いつもお守りを持っていたり、特別なマントラを覚え、日頃唱えていれば、それらが力になると、少しでも思えるかもしれない。
私の場合も、そのようなものの力で、最後はなんとか切り抜けたと思われたことが何度もあった。
合気道家で、神道の神官でもある佐々木の将人(まさんど)さんは、『数霊のメッセージ』の中で、悪霊の攻撃に逢った時は、「あー」や「あーん」の言霊、あるいは、「アジマリカン」の呪文を唱えれば、ほぼ確実に祓えると書いている。
一般に知られてる力ある言葉(神呪、祓詞等)には、この「アジマリカン」の他、「トホカミエミタメ」や「アマテラスオホミカミ」(十言神呪)等がある。
また、仏や菩薩の真言や念仏などもある。
どれに力があるかというと、普段、それなりに唱えていれば、どれも力があると思う。
世の中には、「これが一番。他はこれに劣る」と言う人が必ずいるが、そんな人は、あまり信用しない方が良い。
ただ、「この言葉には最上の力がある」とだけ言い、他の言葉については何も言わない人であれば信用して良いと思う。
しかし、つまるところ、自分が無になれば、いかなるものも恐れる必要はない。
最近、かなり怖いと感じる上質のホラーを見たが、もし、そのホラーの中の悪い存在が本当に現れたとしても、私は完全に怯んだりしないだろう。
そのくらいまでは無になれると思う。
その自信の強さが、引き寄せの力のレベルでもある。
私の場合、腕振り運動や四股といった動く行が自信を高めている。しかし、呪文、真言は、主だったものはどれも良いと思う。








人類の運命を分けるのは真言

どんな宗教にも、聖典があり、戒律があり、儀式としての祈祷がある。
しかし、釈迦は、「念仏以外は駄目になる」と予言したと言われる。
これは、決して、浄土宗や浄土真宗の「南無阿弥陀仏」の念仏のことを言っているのではなく、他宗派では、真言とか、お題目と言うだけで、同じなのであると思う。
天台宗では有名な「南無妙法蓮華経」で、真言宗では「おん、あびらうんけん」が本来的なものらしく、座禅の禅宗だって、真言を使う。
そして、真言重視にしなければ、釈迦の予言通り、どんどん駄目になるのではないかと思う。

ヒンズー教には真言自体はあっても、それが中心ではないし、キリスト教やイスラム教では真言らしきものがないように思う。
これらの宗教は、規模が非常に大きなことが特徴で、内容自体は素晴らしいとしても、権力者に利用されることが多く、必ずしも大衆を幸福にしなかったかもしれない。
ひょっとしたら、権力者の大衆支配のため、真言が消されたようにも思うのである。
各自が真言を心で唱えることを奨励したら、支配などは出来ないのである。

面白いのは、日本の神道である。
聖典はないし、祈祷も正統なものはないと思う。だから、神道は宗教ではないとも言われる。
だが、神道では真言とは言わないが、祝詞(のりと)や祓詞(はらえことば)がある。
しかし、一般向けの短くて唱え易いものがなく、やはり、専門家のためのものだった。
あえて言えば、「祓え給え、清め給え」や「トホカミエミタメ」といったものがある。
そして、今や、祝詞や祓詞である真言重視に変わってきていて、そうでなければ、神道だけではなく、日本が滅ぶように思う。

つまり、釈迦の予言通り、一般庶民を幸福にし、人類を救うものは真言だけである。
真言を唱える者が幸福になる。
これは、差別的な意味ではない。
真言に秘法などというものはなく、過去も今も、誰にでも公開されているからだ。
例えば、「南無阿弥陀仏」や「南無観世音菩薩」である。
真言宗でも、一番の真言は「オン、アビラウンケン」だと、ちゃんと教えないといけないと言う偉い僧侶が出ている。
よって、本当は、真言は誰でも、すぐに使える。
そして、真言に優劣は実際は全くない。
自分の家が、どの宗派に属していようが、好きなものを唱えれば良いのだが、それを認める訳にはいかないのが教団の泣き所である。
だが、もう、各自、好きな真言(念仏、祝詞、呪文等)を唱えれば良い。
それが実際に効く。
真言宗の偉い人も、「南無阿弥陀仏だって、病気くらい治る」と言い始めているのである。

なぜ、真言が効くのかという説明は難しい。
科学的には、今のところ仮説しかない。
実際は、真言が効く根拠は経験しかないが、その経験の方は豊富に集められていて、統計や認知科学から考えても信憑性は高いと思う。
私は、シミュレーション仮説から考えると面白いと思う。まあ、これも、今のところ仮説であるが、納得し易い面がある。
シミュレーション仮説とは、この世界が、コンピューターで作られた仮想世界であるというもので、よく知られている話では、イーロン・マスクは、世界が仮想世界でない可能性はほとんどないと言うし、他にも、多くの現代の優秀な人達がそう主張している。
そして、一般的な仮想世界というもののイメージとは相当違うだずであるが、やはり、世界は仮想世界なのである。それはやはり確かと思う。
宗教の戒律や祈祷は、この仮想世界を制御する手段であったが、それは使うのが難しい。
そこで、一般の人が使えるものとしてあるのは真言だけで、今はまだ、使う人が非常に少ないが、絶対的に効果がある。
だから、空海は「真言は不思議だ」と言い、真言を普及させようとしたが、彼の教えは難しくされてしまった。
しかし、真言宗の大僧正であった織田隆弘氏は、空海の教えだって親鸞と同じ易行(いぎょう。易しい行)であると述べておられる。
親鸞の教えは、根本的には法然と同じで「念仏さえ唱えれば良い。他のことは一切不要」だ。
しかし、今は念仏は葬式用になってしまっていて、本来の意味が失われているのが残念だ。

そんなわけで、適当なものがなければ、「南無観世音菩薩」か「オン、アロリキャ、ソワカ」を数多く唱えると、良いことが起こるはずである。
口で言う必要はない。
心で唱えると良い。
そりゃ、僧侶は手本を示さないといけないので、口で唱えるし、また、仏教以外でも、いろいろなものを口で唱えさせたり、歌わせたりするのは、あくまで、修行のため、あるいは、管理のためなのである。
だから、個人個人に関しては、心で唱えれば良いし、むしろ、心で唱えなければならない理由を、私は沢山思いつく。
例えば、騒音にならないためとか、声を出せない人のための配慮とかで、これは重要なので、また改めて書きたい。
私は、宗教とは何の関係もない一般人で凡人だが、真言のおかげで良い思いばかりしてきたのである。それは、このブログでもずっと書いてきた。
そんなにしんどいものではないので、皆さんも何か1つ、真言を是非。








駄目人間のために秘法がある

イエス・キリストは、とても興味深いことを言っている。
それは、イエスが、「私は罪人のために来た」と言ったことだ。
医者は病人のためにいるのであり、健康な人が医者を必要としないように、イエスは罪人のために来たのであって、立派な人のために来たのではないということだ。
ウルトラマンだって、怪獣や悪い宇宙人がいるから来るのであり、現実には必要がないという訳だ。
『サンドリヨン(シンデレラ)』に登場する魔女だって、サンドリヨンのような可愛そうな子がいるから出てくるのであり、もし、皆が仲良く楽しく過ごしていたなら、魔女に出番はない。

念仏は、悪人が救われるためのもので、立派な人間には必要がない。
だが、念仏を必要としないような立派な人など、いないのではないか?
法然は常に念仏を唱えていたが、法然ほど立派な人はそうはいないとい思われる。
しかし、法然は、自分も念仏を必要とするグループ(悪人の集団の中の1人)だと言っていた。
イエスは罪人のために来たが、キリスト教では、罪人でない人間はいないという考え方らしい。
なんと言っても、人間は、アダムとイブの罪である原罪というものを背負っているらしく、やっぱり、皆、罪人なのだ。

そして、日本の神道に伝わる「祓詞(はらえことば。はらえのことば)」というものがあるのも、人間に穢れがあるから、それを祓うためにあるのだと思う。
人間は本来、神の子孫で、神そのものであるが、穢れのために神とは程遠いものになっているというのである。
しかし、穢れを祓えば本体は神なのだ。これは、宗教の問題と言うよりは科学の問題かもしれない。

罪人はイエスがいなければ救われないし、悪人は念仏がなければ地獄に行くしかない。
ウルトラマンがいなければ、地球は怪獣の星になるか、宇宙人に侵略される。
魔女がいなければ、シンデレラは惨めな少女時代のために生きる力を失いかねず、仙女がいなければ、眠れる森の美女は永遠に眠ることになった。
これらのうち、フィクションだって、何らかの現実を表すノンフィクションだ。
そして、人間に穢れがあるということはノンフィクションであり、「祓詞」の力もノンフィクションである。

本来、人間はきちんとした生活をし、善いことをして悪いことをしなければ、皆が幸福になれるのだが、どうしても、きちんとした生活が出来ない者、悪いことをする者、善いことが出来ない者が沢山いる。
そのために、警察がいたり、法律が作られたり、学校があるはずだし、病人のために医療があるはずである。
だが、医療が病人を作り、学校が駄目人間や悪人を作り、法律が悪人の道具になり、警察などの国家権力が巨悪の道具になっているかもしれない。
全て、穢れのためであれば、人間の力では、もうどうしようもない。
なぜなら、穢れとは、観念であるかもしれいないが、観念こそが本当に力があるエネルギーであり、歪んだエネルギーが穢れなのである。
これは、信仰や宗教と言うよりは科学である。
よって、証明は難しいが、やはり科学であると感じる祓詞は、この穢れ・・・つまり、歪んだエネルギーを祓う、つまり、矯正するものであるなら、それに頼った方が良い。
実際、素粒子レベルのエネルギーの歪みが、癌などの病気や、さらには、悪運の原因であることが、かなりのところまで分かってきている。もちろん、そんなことは全く信じないという人や権威も多いのであるが、一頃のように、信じないのが圧倒的主流とまでは言えなくなってきた。
それほど、人類の状況は深刻であるからだ。

一例であるが、例えば、足立育郎氏のロングセラー『波動の法則』で、この世の姿を1つの科学として知り、祓詞を使って穢れを祓う・・・つまり、歪んだエネルギーを矯正することをお薦めする。
『波動の法則』を読むだけでも、かなり矯正される(この本では振動数を上げるとしているが、それが歪んだエネルギーの矯正を助ける)。
ただし、理解しなくても、祓うだけで効果がある。








さ迷う脳をしつける祝詞

何も考えないことは難しい。
例えば、本物のテレパシスト(あるいはテレパス。テレパシー能力者のこと)が、あなたの思考を読もうとしていて、「読まれてたまるか」と何も考えないようにしようと、すればするほど、とめどなくいろいろなことを考えてしまうだろう。

頭の中のおしゃべりを止めることも難しい。
そして、思考は言葉で行われる。
いや、イメージで考えることも多いと思うかもしれない。
確かにイメージでも考えるが、イメージだけで考えることは出来ない。
例えば、さっき見た、体操競技やフィギュアスケートの演技を、言葉を介さず、イメージだけで回想することは出来るように思えるが、そんな時も、言語中枢が活動しないことはない。
言語中枢は、左脳だけでなく右脳も含めた、脳の広い範囲に分布し、あらゆる思考に関係している。

つまり、人間は、言葉を憶えてしまえば、常に、頭の中で言葉を発していると考えて間違いない。
自発的に考えていない時は、脳内で「つぶやき」として言葉が発せられ、その数は、我々の想像よりはるかに多く、1分間に数百以上であるという説がある。
そして、多くの文明社会では、その頭の中のつぶやきの大半がネガティブな言葉であると考えられている。
現在の文明社会では、全員が学校で「みっちり」教育され、マスコミの情報に晒され続けている。
その学校教育も、マスコミから押し付けられる情報の影響も、強力な洗脳になり、偶然か、あるいは、必然か(権力者の意図的なものか)はさておいても、実際のところ、学校やマスコミからの「しつけ」は、我々の頭の中の膨大なつぶやきを、ネガティブなものにしてしまっている。

そして、これは、一般的には認められていないだろうが、事実として、頭の中のつぶやきが、その人にとっての現実世界を創造する。
アファーメーションで、たかが1日数分「私は大金持ちだ」と唱えたとしても、ほとんどの人の頭の中の自動的なつぶやきは、「俺は貧乏だ」「私は大したお金は稼げない」「自分が大金を掴むことはあり得ない」というもので、その圧倒的優勢な頭の中のつぶやき通りに現実は創られるのである。
「私は無力だ」「僕は勇敢でない」「私は美人でない」と、頭の中で数多くつぶやいていれば、やはり、その通りになる。
そして、自分の頭の中のつぶやきは、自分にも他人にも(精神科医や心理学者でも)分からない。
いかにも、「私が一番美人よ」と思っているように見える女性でも、実は、頭の中のつぶやきは「あの人に比べれば随分劣るわ」であったりし、実際、せいぜいが「おばさんと比べれば美人」程度に留まっていたりする。
だが、いくら、頭の中の自動的なつぶやきに対抗し、「私は美人」と自分でつぶやいてみたところで、口でつぶやけば、せいぜい、1分に50回、心でつぶやけば、それよりは多くても、やはり、脳の自動的なつぶやきの回数に比べれば、たかが知れている。もちろん、やらないよりはマシだが、現実を大きく変えることは難しい。

そこで必要なことは、脳の働き方を根本的に変えることで、それに関しては、科学的には数十年、宗教的、魔術的なものなら、数百年以上、研究、実践が行われてきた。
その中で、エミール・クーエの自己暗示の言葉「私は毎日、あらゆる面でますます良くなっていく」も、頭の働き方を変えるのに効果的な方法だが、英語やフランス語の場合と比べ、日本語では、どうもノリが良くないと思う。
そもそも、英語やフランス語を母国語とする人が、英語版、フランス語版で唱えても、どれほど効果が出ているか分からない。
だが、日本には、祝詞(のりと)や、祓詞(はらえのことば)があり、それらは、古代の叡智により、脳の機能を整え、脳は正しい言葉を発し、思う通りの現実を作り出せるという説が、今、かなり信憑性を高めてきている。
簡単なものとしては『いろは歌』や『一二三祝詞』というものがあり、本格的な『大祓祝詞』もある。
また、「とほかみえみため」という祝詞は、短いながら、強力な言霊だと言われているし、確かにそうだと思う。
略祓詞として、「祓え給え 清め給え」でも、大変な威力があると思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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