ホラー小説、ホラー漫画、あるいは、ホラー映画はお好きだろうか?
もちろん、出来の悪いホラー作品を見て怖がる必要はないが、中には素晴らしい作品もある。
そんな優れた作品も、存分に怖がって楽しめばそれで良いのだが、それだけで終わらせるのはもったいない作品もある。
つまり、それが作者の意図であるかどうかは別にしても、怖いものを味わうことで、この世には自分をはるかに超えた力というものがあると思うことには意味があると思う。
たとえ、その、自分をはるかに超えた力というものが空想であったとしても、そんな存在があるのではないかと思うのは、案外に健康的なことだと思うのだ。
その「自分をはるかに超えた力」というのは、オリンピックの100m走の金メダリストとか、ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンといったものとは異次元の強さだ。
その大いなる力に対抗するのは、ハエが宇宙船を止めようとするようなものだ。
このハエが宇宙船を止めるの喩えは、E.E.スミスの有名なSF『レンズマン』シリーズで、人類で最も優れた男とも言えるキニスンが、宇宙最古の生命体アリシア星人の力に対抗しようとした時に思ったことだった。長い時間をかけて精神を発達させたアリシア星人の力は、かくも大きなものだったのだ。
そこまででなくても、ホラー作品に登場する怪異には、人間の力など、全く及ばない力を持つ存在がよく出て来る。
そんな相手が悪意を持っていて、自分も攻撃されるかもしれないということを臨場感をもって感じさせてくれれば、我々は恐怖を感じる。
そんな恐ろしい存在が、現実にいると感じている人もいるだろう。
もちろん、そんな存在がいたと感じたとしても、それは錯覚である場合が多いのだと思われるが、錯覚とは思えないと感じた体験を持ってる人もいるだろう。
私など、数え切れないほどある(笑)。
錯覚だと言われれば、言い返すことは出来ないが(言い返す気もないが)、それは別に構わない。
要は、自分が本当に恐怖を感じ、世の中には、自分をはるかに超えた力があることを謙虚に認めればそれで良い。
そうなってこそ、味方になってくれる自分を超える力を求めるのである。
そして、そのような力は必ずあると思う。まあ、信じない人にとっては、やはりないのであるが、そんな人はそんな人で良いのであり、そんな人には、こんな話は無用である。
さて、そんな、自分の力をはるかに超えた力を持つ存在が、自分に恐ろしい害をなそうとしてくるのは、たとえていえば、乗っている飛行機が墜落するのと似ている。
つまり、全くお手上げであり、もう後は、神様に祈るしかない。
スティーブ・ジョブズが、インドで、想像もしたことがない猛烈なスコールに遭って大きな恐怖を感じた時、神様にこう祈ったという話がある。
「神様!助けてくれたら・・・いい人間になります」
彼を笑うことは出来ない。私も、まあ似たようなことを祈るだろう(笑)。
だが、ホラーの場合、少し違うところがある。
飛行機の墜落や、大自然の大災害であれば、結果がどうなるかは運にまかせるしかなく、神様が助けてくれるかどうかも神様しだいと思うことが多いと思う。
必ず神様が助けてくれると思うのは、よほど信心深く、なおかつ、日頃の行いの良い者だけだろう。
だが、スピリチュアルな怪異(例えば悪霊)が相手の場合、なんとか対抗出来るかもしれないと思う。
そんなものに襲われた時のために、いつもお守りを持っていたり、特別なマントラを覚え、日頃唱えていれば、それらが力になると、少しでも思えるかもしれない。
私の場合も、そのようなものの力で、最後はなんとか切り抜けたと思われたことが何度もあった。
合気道家で、神道の神官でもある佐々木の将人(まさんど)さんは、『数霊のメッセージ』の中で、悪霊の攻撃に逢った時は、「あー」や「あーん」の言霊、あるいは、「アジマリカン」の呪文を唱えれば、ほぼ確実に祓えると書いている。
一般に知られてる力ある言葉(神呪、祓詞等)には、この「アジマリカン」の他、「トホカミエミタメ」や「アマテラスオホミカミ」(十言神呪)等がある。
また、仏や菩薩の真言や念仏などもある。
どれに力があるかというと、普段、それなりに唱えていれば、どれも力があると思う。
世の中には、「これが一番。他はこれに劣る」と言う人が必ずいるが、そんな人は、あまり信用しない方が良い。
ただ、「この言葉には最上の力がある」とだけ言い、他の言葉については何も言わない人であれば信用して良いと思う。
しかし、つまるところ、自分が無になれば、いかなるものも恐れる必要はない。
最近、かなり怖いと感じる上質のホラーを見たが、もし、そのホラーの中の悪い存在が本当に現れたとしても、私は完全に怯んだりしないだろう。
そのくらいまでは無になれると思う。
その自信の強さが、引き寄せの力のレベルでもある。
私の場合、腕振り運動や四股といった動く行が自信を高めている。しかし、呪文、真言は、主だったものはどれも良いと思う。
もちろん、出来の悪いホラー作品を見て怖がる必要はないが、中には素晴らしい作品もある。
そんな優れた作品も、存分に怖がって楽しめばそれで良いのだが、それだけで終わらせるのはもったいない作品もある。
つまり、それが作者の意図であるかどうかは別にしても、怖いものを味わうことで、この世には自分をはるかに超えた力というものがあると思うことには意味があると思う。
たとえ、その、自分をはるかに超えた力というものが空想であったとしても、そんな存在があるのではないかと思うのは、案外に健康的なことだと思うのだ。
その「自分をはるかに超えた力」というのは、オリンピックの100m走の金メダリストとか、ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンといったものとは異次元の強さだ。
その大いなる力に対抗するのは、ハエが宇宙船を止めようとするようなものだ。
このハエが宇宙船を止めるの喩えは、E.E.スミスの有名なSF『レンズマン』シリーズで、人類で最も優れた男とも言えるキニスンが、宇宙最古の生命体アリシア星人の力に対抗しようとした時に思ったことだった。長い時間をかけて精神を発達させたアリシア星人の力は、かくも大きなものだったのだ。
そこまででなくても、ホラー作品に登場する怪異には、人間の力など、全く及ばない力を持つ存在がよく出て来る。
そんな相手が悪意を持っていて、自分も攻撃されるかもしれないということを臨場感をもって感じさせてくれれば、我々は恐怖を感じる。
そんな恐ろしい存在が、現実にいると感じている人もいるだろう。
もちろん、そんな存在がいたと感じたとしても、それは錯覚である場合が多いのだと思われるが、錯覚とは思えないと感じた体験を持ってる人もいるだろう。
私など、数え切れないほどある(笑)。
錯覚だと言われれば、言い返すことは出来ないが(言い返す気もないが)、それは別に構わない。
要は、自分が本当に恐怖を感じ、世の中には、自分をはるかに超えた力があることを謙虚に認めればそれで良い。
そうなってこそ、味方になってくれる自分を超える力を求めるのである。
そして、そのような力は必ずあると思う。まあ、信じない人にとっては、やはりないのであるが、そんな人はそんな人で良いのであり、そんな人には、こんな話は無用である。
さて、そんな、自分の力をはるかに超えた力を持つ存在が、自分に恐ろしい害をなそうとしてくるのは、たとえていえば、乗っている飛行機が墜落するのと似ている。
つまり、全くお手上げであり、もう後は、神様に祈るしかない。
スティーブ・ジョブズが、インドで、想像もしたことがない猛烈なスコールに遭って大きな恐怖を感じた時、神様にこう祈ったという話がある。
「神様!助けてくれたら・・・いい人間になります」
彼を笑うことは出来ない。私も、まあ似たようなことを祈るだろう(笑)。
だが、ホラーの場合、少し違うところがある。
飛行機の墜落や、大自然の大災害であれば、結果がどうなるかは運にまかせるしかなく、神様が助けてくれるかどうかも神様しだいと思うことが多いと思う。
必ず神様が助けてくれると思うのは、よほど信心深く、なおかつ、日頃の行いの良い者だけだろう。
だが、スピリチュアルな怪異(例えば悪霊)が相手の場合、なんとか対抗出来るかもしれないと思う。
そんなものに襲われた時のために、いつもお守りを持っていたり、特別なマントラを覚え、日頃唱えていれば、それらが力になると、少しでも思えるかもしれない。
私の場合も、そのようなものの力で、最後はなんとか切り抜けたと思われたことが何度もあった。
合気道家で、神道の神官でもある佐々木の将人(まさんど)さんは、『数霊のメッセージ』の中で、悪霊の攻撃に逢った時は、「あー」や「あーん」の言霊、あるいは、「アジマリカン」の呪文を唱えれば、ほぼ確実に祓えると書いている。
一般に知られてる力ある言葉(神呪、祓詞等)には、この「アジマリカン」の他、「トホカミエミタメ」や「アマテラスオホミカミ」(十言神呪)等がある。
また、仏や菩薩の真言や念仏などもある。
どれに力があるかというと、普段、それなりに唱えていれば、どれも力があると思う。
世の中には、「これが一番。他はこれに劣る」と言う人が必ずいるが、そんな人は、あまり信用しない方が良い。
ただ、「この言葉には最上の力がある」とだけ言い、他の言葉については何も言わない人であれば信用して良いと思う。
しかし、つまるところ、自分が無になれば、いかなるものも恐れる必要はない。
最近、かなり怖いと感じる上質のホラーを見たが、もし、そのホラーの中の悪い存在が本当に現れたとしても、私は完全に怯んだりしないだろう。
そのくらいまでは無になれると思う。
その自信の強さが、引き寄せの力のレベルでもある。
私の場合、腕振り運動や四股といった動く行が自信を高めている。しかし、呪文、真言は、主だったものはどれも良いと思う。
