ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

祈り

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

目に見えない脅威に対抗するには

昨日は、世界的に評価の高い政治家である我が国の元首相が撃たれて死亡した。これが個人的な恨みによるものか、普通の人には予想も出来ないような組織的犯行なのかは分からないし、ずっと分からない可能性もある。
平和だと思われている我が国も、本当は恐ろしいことになっている。
世界では、大国であるロシアが小国を軍事侵攻し、そのロシアは、(主要メディアの報道とは異なり)実は最良の成果を得つつある。
そして、中国は台湾、日本を狙っていることを隠しもしない。
それ以前のパンデミックは、パンデミック自体も恐ろしかったが、それよりも、それを利用する支配者や企業の醜い欲望を見せ付けられた。
そういった、目に見えるものだけではない。
我が国の主要メディアは既に、単に資本ということだけを見ても外国に乗っ取られているし、我が国の企業も土地も外国に買い漁られ、日本は海外のスパイが楽々活動出来る珍しい先進国であるが、これらは政府の無能・無策が招いた事態だ。

巨悪に対して、ちっぽけな存在である個々や、あるいは、正義のグループはどう戦えば良いのか?
それに関しては、イギリスのH.G.ウェルズの小説、および、それを原作とする1953年のアメリカ映画『宇宙戦争』が参考になる。
今、世界や日本で起こっていることも、地球人が手も足も出ないほど進歩した宇宙人が侵略して来るのに比べれば、少しはマシである(昔は「大いにマシ」であったが)。
他の侵略ものの映画は、儲けだけを考えて作られているので参考にならない。
この『宇宙戦争』では、人類より数千年とも数万年とも言われるほど進歩した火星人の侵略の前に、人類は何の抵抗も出来ない。力の差があり過ぎるのだ。
科学文明を持たない未開の島を、大国の軍隊が侵略するようなものだ。
それでも、地球人の軍人、科学者、政治家らは、あらゆる手を尽くすが、何をやっても全く効果はなく、火星人の地球征服は、あっという間に完了しつつあった。
だが、そこで大逆転が起こる。
人類は何をしたかというと、何もしなかった。
映画の最後、こんなナレーションが流れる。
「万策尽きた時、奇跡が起こり、人類は救われた。賢い神が作った小さな生命によって」

人類は何もしなかったと、さっき述べたが、実は、本当に何もしなかったわけではない。
たとえば、イギリスでは、人々は教会で祈っていたのだ。
こう言うと、「なんだ」と思う人が多いかもしれないが、それが、人類の危機を招いたのだ。
カール・グスタフ・ユングのレインメーカー(雨乞師)のお話でも、レインメーカーは、数年、干ばつに苦しむ村で、何もせずに雨を降らせた。
しかし、レインメーカーは本当に何もしなかったのではない。実は、最も重要なことをしたのだ。
4日の間、神の意思に身をまかせたのである。これが、祈るということである。
祈りは、宗教でもあるが、宗教だけのものではなく、本来、人間の最も重要な営みである。
祈りとは、神の意思に身をまかせることであり、外側から内側に意識を向けることであり、魂に意識を向けることであり、自分を超えた存在に意識を向けることである。
それを忘れてしまったら人類は滅びる。
そして今、滅びに向かっている。
「祈りだけでは駄目で、しっかり地に足を付けねばならない」と言いたい人もいるだろうが、それは、少しだけ間違っている。
しっかり地に足を付け過ぎたせいで祈りを忘れたのだ。
正しくは、「最低限」地に足を付けるのである。
人類は、地に足を付け過ぎるか、全く付けないかの両極端に別れてしまった。
一説では、人間の意識は、顕在意識の割合が5%で潜在意識が95%と言われる。
それなら、顕在意識の10%、地に足を付ければ良い。
あくまで、たとえばであるが、全意識で言えば、0.5%である。
それは、決して小さくはない。
人間の意識は小宇宙なのであるから。








腕振り運動は無になる最高の行法

新約聖書の福音書に、イエスがゲツセマネという場所で祈る話がある。
イエスが弟子たちに、「私は向こうで祈っているから、お前達はここで祈っておれ」と言い、弟子達から離れて祈ったが、帰って来ると弟子達は眠っていた。
イエスは、「少しの間も起きていられないのか」と弟子達をたしなめ、「今度はちゃんと祈っておれ」と言って、また祈りに行った。しかし、帰ってくると、やはり弟子達は眠っていた。
そして、三度目も弟子達は眠っていて、イエスも最後は「眠っておれ」と言って怒らなかった。

イエスの弟子達はだらしないと思うだろうか?
しかし、夜、眠い時に、祈れと言われても、眠ってしまうのは仕方がない。
12使徒とはいえ、普通の人間である。

だが、「腕振り運動をやっておれ」と言っていればどうであろう?
大半は、イエスが戻って来た時も、続けていたと思う。
私は、毎日4千回以上、特に、この3日は5千回以上、腕振り運動をやっていて、腕振り運動は祈りでもあると思った。
偉い先生が著書で、祈りの重要性を説き、祈ることを勧めているが、具体的にどうやるのかは、あまり書かれていないし、書かれていても、違和感を感じるものが多い。
先生方の個人的信条が強く、それに共感出来ないからだ。

私は、祈りとは、本来、無心になることであると思う。
道元は、仏教の目的は自己を忘れることだと言ったが、それが無心(無我、忘我、没我も同じ)になるということと思う。
そして、そのために坐禅をしろと言ったのだから、坐禅もある意味、祈りなのである。
西洋の祈りの究極が法悦であり、それがまさに忘我、没我になることである。
高度な法悦に達した人の様子を彫刻にした作品が、ベルニーニの『聖テレジアの法悦』である。
【画像リンク】聖テレジアの法悦
没我(エクスタシー)の状態の聖テレジアが、性的エクスタシーにあるようでエロいという人もいるが、その2つが同じ場合も確かにある。

そして、このような瞬間的な強烈さはないが、腕振り運動は、自己を忘れ、無心になり、没我に近付く優れた行法で、道元の座る禅に対し、「動禅」と言われることもあるが、「動く祈り」とも言えると思う。
腕振り運動は、ルーツは禅の開祖である達磨太師とも言われるが、禅としても、また、祈りとしても、合理的で高度なものであると思う。

手足のない達磨像は、達磨が座り続けて手足が溶けてなくなったという、坐禅修行の究極の象徴と言われるが、私はそうは思わない(馬鹿でない限り思わないと思うのだが…)。
あくまで個人的にだが、「座るだけではうまくいかない。腕振り運動をして無我になり、思うように生きよ」と言っているように思うのである。

春日大社の宮司であった葉室頼明氏は、自身、長い間、「大祓祝詞」という祝詞を1日中上げ、非常に良いから君達もやれと著書で強く勧め、ひらがな書きの「大祓祝詞」と、これを大勢で唱えている声が入ったCDをセットにしたものを出されていて、これはロングセラーを続けており、私も購入して、やってみたが、とてもではないが続かない。とはいえ、私は、一か月ほどは、大祓祝詞を、平日で2~3時間、休日は6~7時間上げたが、シンドくてストレスが溜まるだけで、正直、性格が悪くなった(いや、元々かw)。
つまり、やれる人というか、向いている人というのがあり、自分に出来るからと言って、こんなことを凡人に勧めるのは如何なものかと正直思う。

念仏も同じだ。
法然は、自分は念仏を毎日6万回唱え、誰にでも、念仏を「常に唱えよ」と勧めたが、出来る人は滅多にいない。
そう思ってか、弟子の親鸞は、「祈ろうという気持ちが大切である」と言って、念仏は1回でも良い、いや、唱えなくても良いと言ったが、法然に知られて怒られた。
しかし、出来ないものは出来ないし、かといって、親鸞が言うように、1回とか唱えても意味がない。

そこで腕振り運動である。
これなら、気持ちが良いので、根気さえあれば、毎日、かなりやれる。
私も、十年以上、回数は多くないが続けており、ついに、これに賭けることとし、毎日、数千回やるようになったのである。
また、腕振り運動は、全身運動としても優れているだけでなく、仙骨の調整にもなり、健康効果が高い。
さらに、関英男博士によれば、仙道の気や、ヨガのプラーナの正体であるグラヴィトン粒子を体内に蓄える働きがあり、生命力が充足し、難病が治った例も多い。
尚、『宇宙学序章 グラビトニックス』に書かれている、関英男博士の腕振り運動が、名古屋身体均整院のサイトにあったので、リンクを貼っておく。
『宇宙学序章 グラビトニックス』は、古書も高価なのでありがたいが、このサイトが、正式に許可を取って載せたものかどうかは私は確認していないので、ご了承願いたい。
【リンク】万病を治す腕振り運動 ~名古屋身体均整院サイト内~








願いが叶う時間は0.1%

願いが叶う祈りには2つあり、1つは、とにかく長時間祈ることで、もう1つは、無になって祈ることだが、この場合は、一瞬で叶う。
しかし、実は、この2つは同じで、長時間祈っている人は、99.9%の時間は、祈りが叶わない状態なのだが、たまたま0.1%、つまり、一瞬だけ、祈りが叶う状態になる。その、祈りが叶う状態というのが、他でもない、無になっていることだ。
だから、無になる方法が分かれば、祈りはすぐに叶う。
だけど、それが難しい。
子供がよく、簡単に願いを叶えることがあるが、実際は、そんなことは滅多にあることではない。
その原理は、願いが強いのに邪心がないので、願いの力で無になってしまうということだ。
大人の場合は、どうしても邪心があったり、感情が強いので、なかなか無になれない。
子供の場合は、邪心もだが、感情が案外弱いのだ。

病気の子供が治るように祈る母親や、逆に、病気の親が元気になるようにと祈る清らかな乙女であれば、いずれも邪心はないかもしれないが、やはり、感情が強過ぎるのだ。
感情の正体はエゴだ。
つまり、どれほど清らかに見える祈りだって、エゴである場合がほとんどだ。上で述べた、親の病気の回復を願う清浄な乙女といったところで、その願いは、やはりエゴなのである。

稲盛和夫氏は、決断の際、「私心ありかなきか」と考え、私心がないと分かったらやると言うが、私心がないということはエゴがないということで、エゴがなければ無であるから、その決断によって期待されることは実現する。つまり、願いは叶う。
しかし、エゴとか私心がないはずがないじゃないか(笑)。
たとえ稲盛氏には出来ても、普通の人には無理である。

他にも、酒で酔っぱらっている時とか、麻薬でハイになっている時とか、無になる状況についていろいろ考えたが、いずれも、有効な場合がほんの少しあるだけのことで、そのほんの少しの有効性がクローズアップされて、多くの人が、酒や麻薬で大失敗をした(笑)。
芸術家の多く(アメリカでは極めて多い)が、マリファナやLSDといった(日本以外では合法である国も多い)麻薬を勧めるが、実際は、ほとんどの場合は、メリットよりデメリットが多いのである。
そりゃ、麻薬で、自我(エゴ)を圧倒する無意識のイメージを体験している時はエゴが吹っ飛ぶが、無意識のあらゆるイメージが出現する・・・たとえば、目の前でゴジラがダンスしている状況で、真面目な祈りが出来るはずがない。

まあ、だから、諦めて長時間祈るしかない。
「神様の奇跡が起こる」と1日中唱えたホームレスのように。
彼は、たまたま2週間後に無になり、自由とか健康を得るための手っ取り早い手段と無意識が判断したのか、宝くじで1憶円当たり、その後、もう一度やったら、やっぱり1憶円当たった(事実である)。
もっと楽な方法は、大作詞家の阿久悠さんのように、息を吸って止めて祈ることだ。吸って止めると、無に近付くことは、何となく分かっていて、昔から、秘術とか様々な訓練や学習で利用されてきた。
息を吸って止める。そして祈る。
それで、少なくとも、実現の確率はかなり上がるのである。








願いが叶う祈り方の整理

ここで、願いを叶えるお祈りの仕方を簡単にまとめておく。
私も含め、普通の人は、難しいことを言われても出来ないし、習得に長期間、あるいは、習得や実践に毎日長時間かかるようなことをやっている暇はない。
これで完全に願いが叶うかどうかは分からないが、確実に良い流れになるし、状況は改善するのではと思う。

最大の基本は、これだけでもOKなのだが、「顔を上げて微笑む」ことだ。
これだけと言っても、やっている人は滅多にいないし、やろうと思っても忘れてしまって、滅多にやらない人が多い。
これだけで、大抵うまくいくのに、残念なことである。
一応、訓練と言うのもおかしいが、癖付けする方法としては、腕振り運動、スクワット、腕立て伏せ、四股、ジョギング、ウォーキング等、何でも運動をする時、うつむかずに顔を上げることである。
それで言えば、腹筋運動は、どうしてもうつむくことになるので、やらない方が良い。実際、アメリカの軍隊の中には、うつむいてしまうという理由で腹筋運動を禁止している部隊もあるらしい。
また、多くの格闘技では、「亀になる」といって、顎を引いてうつむいて戦う必要があるので、それが日常の癖にならないようにしなければならない。
顔を上げて腕振り運動をするのが一番だ。出来れば、やりながら微笑むと良い。

具体的な願いがある場合は、次の極めて簡単な方法がある。
(1)息を吸って止める。
(2)願いを思い浮かべ「成った」と心で言う。
(3)息を吐く。
(4)その後、一瞬でも良いから、願いのことを忘れる。
何度やっても良いが、すぐに繰り返してやらないこと。
(2)の「願いを思い浮かべ」は、具体的にクドクド考えないこと。
願いが分かっていれば、それで良いのである。
この祈り方を、私は「阿久悠方式」、あるいは、「静かで短い祈り」と呼んでいる。
大作詞家の阿久悠さんが、こんな祈り方で大ヒット曲を作っていたと自分で言われていたようだし、叶う祈り方は「静かで短い」のである。

普段は、自分の好きな真言や神仏の名を唱えたり、アファーメーションを唱えたり、「大丈夫」とか「ありがたい」という言葉を唱えると、願いはより早く大きく叶うと思う。
「神様の奇跡が起こる」「私は最高の気分だ」、あるいは、聖書の言葉(例:「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでも出来る」)も良い。
自主的に、これらの言葉を、心の中で出来るだけ多く唱えると、確実に良い効果がある。
なぜなら、普通の人は、何も考えないでいると、脳は、ネガティブな言葉やイメージを次々につぶやいたり、思ったりすることが脳の研究で分かっており、放置する限り、運命を悪い方向に、そして、老化する方向に引っ張っていくからだ。
だから、凡人は、若い時の方が幸福で、歳を取るごとに惨めになるのである。








静かに祈る

古い2つのモノクロ映画が、大切なことを教えてくれる。
1953年のアメリカのSF映画『宇宙戦争』と、1957年のアメリカのSF映画『昆虫怪獣の襲来』は、ストーリーは全然違う映画だが、重要な部分が実に似ているのである。

『宇宙戦争』は、H.G.ウェルズのSF小説を映画化したもので、この小説は、他にも何度も映画化されている。
よく知られている映画は、2005年のトム・クルーズ主演の『宇宙戦争』であるが、私は、1953年の、その作品の方を、はるかに高く評価している。
この1953年の『宇宙戦争』では、火星人の宇宙船が世界中に来襲して地球を侵略するのに対し、地球の軍隊が挑むも、火星人と地球人のあまりの科学技術の差で、全く何も出来なかった。
だが、火星人の地球征服が完了する直前に、世界中で火星人が死ぬ。地球のウイルスに感染したのだった。

『昆虫怪獣の襲来』では、実験のため、数機のロケットに、それぞれ別の生物を乗せて宇宙に打ち上げるが、そのうちのスズメバチを乗せたロケットがアフリカに墜落し、放射線を受けたスズメバチが巨大化する。
ロケットを打ち上げた科学者がアフリカに来て、現地の住民達とパーティー(部隊)を作り、苦難の末に巨大化したスズメバチを発見し、繁殖する前に殺そうとするが、持って来た、ライフルや手榴弾の武器では、何の役にも立たない。
アフリカの僻地であり、外部との連絡が全く不可能な中、何も出来ないまま、ついに、多数の巨大スズメバチの幼虫が羽化しようとする。
その時、長い間、休火山だった火山が爆発し、巨大スズメバチを滅ぼした。

次の3つの点がそっくりである。
まず、共に、人間の力は、火星人や巨大スズメバチに全く歯が立たなかったこと。
次に、『宇宙戦争』では、最後、人々は教会で静かに祈ったことと、『昆虫怪獣の襲来』では、誰かが巨大スズメバチに挑む不安を口にすると、その者は誰かに「静かに祈れ」と言われること。
そして、共に、人間は何も出来なかったが、神、あるいは、自然の力によって人類が救われたことだ。

エジソンの言葉を曲解した、日本の学校のような教えでは、「99%の努力をしたから奇跡が起こったんだ」ということになるが、この2つの作品では、人間の奮闘は、何の役にも立っていない。
かといって、おかしな新興宗教のように、「神よ助けたまえ」と祈ればそれで良いというのも何だ。
だが、『宇宙戦争』の最後で、教会の中で祈っていた人々は敬虔で、「神よ助けたまえ」といった感じではなく、ただ、静かに祈っていた。
そして、『昆虫怪獣の襲来』でも、「静かに祈れ」と言ったのである。
「静かに祈る」
なんと心安らぐ言葉か。
それは、この言葉に真理が宿っているからだ。
「静かに祈る」
これを忘れない限り、不幸になることはないだろう。
これさえ覚えていれば、他は忘れても構わないと思う。

尚、両作品共、Amazon Prime Videoにあるが、『昆虫怪獣の襲来』は無償で、『宇宙戦争』は有償である(2021年11月16日現在)。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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