ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

石ノ森章太郎

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

神とは何か?

インドでは、神のことを「彼」と言うことが多いように思う。
「彼」ではなく、「それ」と言うこともある。
つまり、「彼」とか「それ」という言葉を、文脈によって神と認識する。
例えば、「私は彼である」(あるいは「私はそれである」)と言う場合、「私は神である」という意味になる。
なぜ、そんな言い方をするようになったのかというと、「神」という言葉を直接言うことを畏(おそ)れ多いと考えたからかもしれない。
ユダヤ教やキリスト教においては、「神の名をみだりに唱えてはならない」として、神の名であるヤーウェ(ヤハウェ)を口に出して言わないようにしているらしい。
それで、聖書には、「御名を崇めよ」とか「彼(これは人間)は私の名を知るがゆえに彼を守る」というふうに、神の名を伏せて書くが、これもやはり、神の名であるヤーウェを直接口に出して言うことが畏れ多いからではないかと思う。

ところで、故・石ノ森章太郎氏は、代表作『サイボーグ009』において、ある時期から、ヒーロー達であるサイボーグ戦士達の最大の敵を神とすることに強いこだわりを持っていたと思う。
『サイボーグ009』が長い連載の後、休止となる前に、サイボーグ戦士達、そして、人類の前に神は姿を現す。
その神は、はるかな昔、地球に人類を科学的に作ったが、しばらく振りに地球に来て確認したら、あまりに人類の出来が悪いので、滅ぼして、もう1回作り直すと言う。
サイボーグ戦士達と神では、力の差が大き過ぎ、抗いようもないことは分かっているが、サイボーグ戦士達は神に戦いを挑むことを決心する。
勝ち目はゼロなので、戦いというよりは抵抗に過ぎないが、とにかく、人類のリセット計画など認めないと決めたのだった。
まあ、現代(2022年)の状況を見たら、「人類リセット、大歓迎!」と言いたくもなるが(笑)、当時(1970年代)はそうでもなかったのだろうか・・・?
『サイボーグ009』の連載休止前、神との戦いを決心したサイボーグ戦士達に、サイボーグ戦士の1人でもある001ことイワンが、「君達に新しい力をつけてあげる」と言って終わる。

その後、石ノ森氏は、『サイボーグ009』の連載を再開し、神との戦いをぼんやりとした感じで描くが、連載休止最後のところの直接の続編は書かなかった。
その頃、スタートした第2期のアニメ『サイボーグ009』では、石ノ森氏が主題歌を作詞するなどでも関わり、このアニメでは神との戦いをテーマにしてはいたが、やはり連載休止最後の続きとは程遠いものだった。
しかし、石ノ森氏は、神との戦いの本格的な続編は書く気十分で、ライフワークとして作ろうと考えていたと思われるが、悪性リンパ腫(血液の癌)に侵される。
生きているのが奇跡と医者が言う病状の中、石ノ森氏は、サイボーグ戦士達と神との戦いを小説として執筆するが、未完成のまま没する。
残された原稿は、とても1本の作品としてのまとまりはなかったが、石ノ森氏の息子の小野寺丈氏(現在は「丈」)が数年をかけて作品にまとめ、『サイボーグ009 完結編 conclusion god’s war』全3巻の小説として出版した。
章によっては、石ノ森氏は全く書いておらず、丈氏(当時は小野寺丈氏)が丸ごと書いたことを認めている。

結局は、『サイボーグ009 完結編 conclusion god’s war』は未完であったと思うが、これが出版されたことで、石ノ森氏の意思は受け継がれたのだと思う。
そして、制作された、2012年の『009 RE:CYBORG』は、私はかなり素晴らしかったと思う。
この作品では、神を自然に「彼」と違和感なく呼ぶことが出来たと思う。
「彼の声」を聴いたという、ごく少数の人々が、世界中で爆破テロを起こし、世界に混乱が広がる。
そして、27年間、高校生活を繰り返していた009こと島村丈も「彼の声」を聴き、それが正しいこととして、自分も六本木ヒルズの爆破計画を実行しようとするが、別の「彼の声」を聴いた人物によって先を越され(六本木ヒルズを爆破され)残念がる。
とはいえ、009が邪悪になったのではなく、彼は「彼の声」に従って、人類をやり直す計画を進めようとしたのだった。
まさに、石ノ森氏の連載休止時の続編として成り立つように思えた。
この「彼の声」の「彼」は、やはり「神」であるが、神とは何かを、断定はしないながら、自然に示せていたと思う。
そういうところからも、やはり、なかなかの傑作であると思う。
演出も面白かった。
神が善であるのか悪であるのかも、良い形で示唆出来たと思う。
まあ、個人的には、ジョーとフランソワの愛情表現は、悪くはないが、やや邪魔な感じもしないではなかった。
2人が愛し合っていることには、もちろん異論はないが、宮崎駿監督ほどではなくても(『天空の城ラピュタ』では、パズーとシータの愛情表現シーンは全く描かなかったが、宮崎監督は「あって当たり前」と言う)、あまり直接描かず、デリケートな表現にして欲しかった。
私は『009 RE:CYBORG』は10回ほど見たが、最近も2回見ている。








神話の宇宙

私にとって、「妙に面白い『古事記』」が2つある。
1つは、石ノ森章太郎さんの漫画『古事記』だ。
石ノ森さんは、これは楽しく描けたと言うが、1つだけ苦労したと言う。
それは、『古事記』自体が「おおいなる漫画」だからだと言う。
石ノ森さんは、「『古事記』が漫画」の意味をクドクドとは書いていなかった。
しかし、それは、単純に「面白いもの」であり、同時に、「想像の宇宙」である・・・という意味ではないかと想像される。
天才、石ノ森さんが面白いと思うものを面白く描いたのだから、面白くないはずがない。

もう1つが、哲学者、宗教学者の鎌田東二さんの『超訳 古事記』だ。
自由詩のような文体で「ゆったり」書かれていて、読み易く、分かり易い。
そして、鎌田氏の『古事記』への思い入れが違う。
その「思い入れ」の原因について、この本のあとがきにも書かれているが、私は、それについて、別の本でもっと詳しく読んでいた。
それは、世界的美術家の横尾忠則さんと占い師の中森じゅあんさんの共作『天使の愛』の、ちょっと長い序文でだ。
鎌田さんは、子供の時、鬼がはっきり見えたと言う。
また、宇宙の絶対的な大きさを思い知らされる夢を何度も見て、精神が不安定になっていたようだ。
私は、この2つのことがとてもよく分る。
鬼ではないが、私も子供の時、物の怪(モノノケ)はよく見たし、「宇宙の絶対的な大きさ」は、やはり夢の中か、熱があって理屈でものを考えられない時には、今でも感じる。
鎌田さんは、小学5年生の時、『古事記』と『ギリシャ神話』を読むことで落ち着くことが出来たと言う。
鬼と宇宙の世界が、これらの神話の中に「いとも自然に存在し、展開されるのを知って、驚き、狂喜し、深く納得した」のだと言う。
『超訳 古事記』は、その鎌田さんが自由に書いた、とても面白いものだった。

『ギリシャ神話』も、『古事記』同様、八百万の神々のお話である。
共に、あらゆる物や自然現象をつかさどる神がいるのだが、『ギリシャ神話』では、「運命」といったものにまで神がいる。
しかし、『古事記』には、姿を見せない不思議な神が存在する。
全体的には、この2つの神話はよく似ていて、神々が非常に人間的な面があることも似ている。

子供の時の鎌田さんの心を落ち着かせたように、これらの神話の世界観は、宇宙のなりたちを、抽象的にだが、子供が宇宙について、なんらかの観念を持ち、心を安定させるのに適したものなのかもしれない。
特に『古事記』は日本人の心の奥深くに棲みついているものであり、それは良い棲みつき方で、思い出せば、我々の心を解放し、太陽の光や雨のように穢れを祓ってくれる。
大人が読んでも心を静める力があると思う。
尚、『ギリシャ神話』については、私は、里中満智子さんの漫画作品が面白いと思う。
『オデュッセイア』のところまで、これほど分かり易く描ける里中さんはさすがと思う。
また、個人的には、『ギリシャ神話』といえば、ヘシオドスの『神統記』が良いと思う。








良心

良心という言葉をご存じか?
まあ、もちろん知っているとは思うが、いつ、その言葉を覚えたか記憶にござるか?
私は、どういう訳か・・・ある。

9歳の、小学4年生の夏休みのことだ。
10歳年長の従兄が、
「それは良心の問題だ」
と言ったのだが、その声を今でも思い出せる。
状況に関しては覚えていないが、黙っていればやってもバレない悪いことが出来る状況だったことは覚えている。
当時、私は、「良心」という言葉を知らなかった。
それでも、「良心」というものにより、人間は、バレなくても悪いことをしないのであると理解した。
いや、それよりも、人間には、バレなくても、悪いことをしない「良心」という心の働きがあることが分かったのだ。
今まで、すっかり忘れていたが・・・ってダメじゃん(笑)。

石ノ森章太郎さんの『人造人間キカイダー』という漫画がある。
ロボットであるキカイダーには、「良心回路」という電子装置が組み込まれていて、それにより、良いことを行い、悪いことをしないのだが、その「良心回路」は不完全なので、悪の誘惑に負ける可能性があるというものだった。
だが、ある時、キカイダーは、自分の良心回路は不完全で良いと言った。
人間の良心も不完全であるが、神がそのようにしたに違いない。
神がそのようにしたからには、理由があるのだろう。
だが、不完全ではあっても、良心は大事にしないといけないのだろう。

引き寄せを手順通りにやって、なぜか引き寄せが出来ないやつがいるのが不思議だった。
しかし、引き寄せが出来ないやつは皆、良心がないことに気付く。
引き寄せが出来ない者は、良心を取り戻し、大事にすることだ。
おそらく、それが正解だが、良心を捨ててしまった者に、こんなことを言っても無駄かもしれない。

石ノ森さんが、「良心回路」のことを「ジェミニ」と名付けたのが印象的だ。
ジェミニとはふたご座のことで、ギリシャ神話では、このふたごの兄弟の母はレーダーで、父は、神々の王ゼウスだ。
ふたごは、両方神だとも、両方人間だとも、あるいは、片方が神で片方が人間だとも言われる。
つまり、完全な神ではないが、神の魂も持っているのだ。
エマーソンは、人間の魂と神の魂は溶け合うものだと言った。
ならば、神の魂と溶け合うことだ。
そうすれば、不完全ながら、神の力と共に、良心も輝くはずである。








奇怪な引寄せの実話

物理学者の保江邦夫さんの著書『神様につながった電話』の中に、保江さんが外国のどこかで、海を泳いでいて、5、6匹のイルカを引き寄せ、それらのイルカと一緒に泳いだという話が書かれていた。引き寄せるといっても、エサとかを使ったのではなく、一種の超能力を使ったのである。
また、その保江さんが敬う女性(年金暮らしというから、60歳以上だろう)は、やはり外国の海で、魚の大群を引き寄せ、海の中に島が浮かんでいるような状態になったのだという。
私は、外国ではなく、自分の家の庭であるが(笑)、中学1年生の時、沢山の猫を引き寄せたことがある。
狭い庭なのだが(笑)、近所にこれほどの数の猫がいたのかというくらい沢山来て、私を取り囲んで走り回り、私が座ると膝の上に乗ってきた。

少し前では、こんなことがあった。
新型コロナウイルスの発生など予期しない数年前のことだ。
兵庫県内で会食し、その後、喫茶店で雑談しようと思ったが、話をするのに良い喫茶店がなかなかなかった。時間も夜の9時頃で、探すのも難しそうだった。
しかし、国道沿いに1つの喫茶店を見つけて入ると、広い店内なのに、客が一人もいない。
だが、店内の造りは決して悪くない。
繰り返すが、コロナウイルスなど、名前も知らなかった時である。
「こりゃ好都合!」と思い、良い席を選んで、ゆったりと雑談していた。
時間や場所を考えても、これから客が増えるとは思えない。好きなだけ快適に会話出来る。
ところが、しばらくしたら、少しずつ客が増え、左右の席も埋まったので、改めて店内を見ると、満席である。
「まあ、そろそろ帰るか」と思って支払いをすると、店主が、「あなたは福の神です」と言う。
なるほど、私は、猫だけでなく、人間も引き寄せるようだ(笑)。

いや、それだけではない。
もっと奇怪な話をしよう。
テレビをあまり見ない方もいると思うが、時代劇や現代ドラマなど、テレビドラマの多くは、多くが週1回の放送で、十数回から数十回レベルで完結すると思う。
私は、子供の時、毎週見ている訳でもなかったが、たまたまある時代劇を見ていた。
それで、1年後か数年後か忘れたが、その、たまたま見た回を見たいと強く思った。
私が、レンタルビデオなんてものの存在を知るのは、その10年後くらいで、再放送をしてくれない限り、見ることが出来ないと思った。
テレビ放送予定を書いた雑誌みたいなものはあったと思うが、私は見たことはなかった。
しかも、もう一度見るだけでなく、録画して何度も見たいと思った。
それでどうしたかというと、録画用のリモコンを手に持ち、放送が始まったら録画ボタンを押すことにした。
まあ、一生かかっても、録画出来るかどうか分からないほどの確率と思う。
しかし、すぐに私の目的の時代劇の目的の回が放送された。
そのようなことを、少なくとも3回はやった。
1つは、今述べた時代劇。後の2つは、ドキュメンタリーとワイドショー番組で、特にワイドショーは再放送はしないはずと、後で思った。
何度か、教育学者の七田眞さんの本で、一人の男性ホームレスが、「神様の奇跡が起こる」と唱え続け、宝くじで1億円を2回当てた、七田さんが「正真正銘の事実」というお話を紹介したが、私のも、不思議さで言えば負けていないと思う。
まあ、私は宝くじを買ったことがないので、一度も当たったことはないが(笑)。

実をいうと、私には、こんな話は本1冊書けるほどある。
もちろん、そんなことは、私や保江さんみたいな人だけでなく、誰でも出来る。
では、どうすれば、そんなことが出来るのかとうと、ちょっと思いつきを言う。
それは、石ノ森章太郎さんの『幻魔大戦』(原作:平井和正)を読むことだ。
これは、東丈(あずまじょう)という名の、子供の時から出来損ないの高校生が、超能力に目覚める話だ。
私は、これを何十回も読んでから、何かの感覚を掴んだ。
「漫画の王様」石ノ森正太郎さんが「新しい聖書を書くつもりで書いた」というほどの作品である。
原作者の平井和正さんは、小説の形で『幻魔大戦』をライフワークとした。
元々、漫画家を目指してた平井さんは、石ノ森さんに会って、「こんな天才に敵うはずがない」と思って、小説家に転身したそうだ。
ここらにも、何かの因縁を感じるのである。













KayのAI書。2020年5月30日発売。
誰でも実用的なAIを作れるよう、これ以上はないほど、易しいテーマから始めました。
ただし、その易しいテーマでAIを使うのと同じ方法で、数学の難問ゲーム「モンティ・ホール問題」をAIに解かせます。解くのはAIです。あなたは考えなくて良いのです(そもそも、モンティ・ホール問題は考えたって解りません)。
一方、あなたは、13や29が素数であることは判りますが、AIにはそれが判りません。
AIは、人間に不足している推測能力を拡張し、それによって、これまでは望めなかった成果を得られる可能性があります。
この本をきっかけに、そんな力を握っていただきたく思います。

石ノ森章太郎さんの「新しい力」

石ノ森章太郎さんの漫画作品『サイボーグ009』は、「神との戦い」が始まるところで連載が休止されている。
それは随分昔の話で、当時、石ノ森章太郎さんは石森章太郎というペンネーム(本名は小野寺章太郎)だった。
「神との戦い」は、まさに、神との戦いと言えるが、その神とは、あまりに進歩した宇宙人で、はるかな昔に地球にやってきて人類を科学的に作ったのは彼ら「神」だった。
しかし、久々に(何億年振りかは分からないが)「神」は再び地球にやって来ると、人類の出来はあまりに悪く、がっかりした「神」は、現在の人類はいったん消し去り、再度、作り直すことを決定する。
人類の言う科学力とは別次元の科学力を持つ彼ら「神」に敵対することなど全く不可能であるが、それでも、サイボーグ戦士達は、人類を存続させるため、「神」との「戦い」を決意する。
009ことジョーが、これは勝ち目はないのだから、「戦い」ではなく「抵抗(レジスタンス)」だと言うのを見て、私は、「レジスタンス」の元々の意味が「抵抗」であることを知ったものだ。
ところが、絶対に万に1つも勝てる望みのない戦いを始めるに当たって、人類最高の頭脳である001ことイワンは、サイボーグ戦士達に「新しい力」を授けると言うところでお話は終わっていた。
石森章太郎は、「長い連載で、私もサイボーグ戦士達も疲れたので、いったん休止する。しかし、必ず続きを描く」と述べたが、後に『サイボーグ009』自体は新作が作られ、神との戦いも匂わせてはいたが、正式な創造紳との戦いの新編は描かれなかった。
やがて、石ノ森は悪性リンパ腫(血液の癌)に罹り入院するが、病院のベッドで、小説の形で、神との戦いを書き続け、死後、石ノ森の息子の小野寺丈さんが5年かけて原稿を編集・加筆し、『サイボーグ009 完結編 conclusion GOD'S WAR』を全3冊で発表した。

大きな関心事は、連載が休止される直前に001が言った、皆に与える「新しい力」だ。
天才、石ノ森が、どんな発想を見せるのだろう?
そして、それは、ただの「お話」ではなかった。
ちょっと小説の内容に触れるが、009が女神と初めて戦うシーンが、私には非常に印象的だった。
他のサイボーグ戦士達も、それぞれ「神」に遭遇しているが、「戦い」にはならなかった。
「ちょっと構ってもらえた」のかどうかも怪しい。それほど、「神」にとって、サイボーグ戦士達の存在は小さい。我々の感覚で言えば、蚊にも及ぶまい。
だが、ジョーは女神と正面切って戦うことになる。
無論、力の差から言って、ハエが宇宙船を止めるようなものである。
009が誇る最高メカニズムの「加速装置」も、女神から見れば止まっているに等しい。
ところが、奇跡と言うのも奇妙な奇跡であるが、女神を驚かせた。女神に「驚く」という感情があることを初めて知る。
009が「新しい力」を発現させたのだ。

この「新しい力」は本物だ。
石ノ森さんは、この力を使ったからこそ、医者に「生きているのが奇跡」と言われる状況で、作品を創造し続けたに違いないのだ。
そして、私も、ほんの1パーセントかもしれないが、この「新しい力」を使うようになった。
まあ、ほとんどの時は忘れてしまうのであるが、2~3年に一度は思い出しているだろうか?
しかし、今後はもっと使うことにしようと思う。
神も感動させるかもしれないその力は、使う目的があるなら、使うことが人間の使命である。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード