ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

知能

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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頭を良くする簡単な方法

天は人の上に人を作らずと言うが、現実的には、人間の能力には差があり、その中でも重要な頭の良さにも明確な差がある。
これもまた、現実の話として、公立の中学では、頭の良さが極端に違う者同士が、同じ教室、あるいは、隣の席にいたりする。
ただ、中学校では、頭が特に良い者にとっても、頭が悪い者が邪魔になることはあまりなく、その頭の良い者がよほど性格の悪い人間でない限り、頭が悪くて何ごとも上手く出来なくて困っている者がいたら、助けることが多いと思う。
高校や大学以上では、それほど極端に頭の良さに差がある者と関わることは少ないと思う。
だが、社会人になると、超大企業の場合は少ないかもしれないが、頭の良さがかなり異なる者が、同じ部署、あるいは、他の部署や取引先の関わり合う人間にいたりする。
そして、頭の良い者にとっては、頭の悪い者に足を引っ張られたりするうちに、頭が悪い者に嫌悪感を持つようになることがある。
ここらが、頭が悪い者がいても、利害関係があまりない中学の時と違うところだ。

自分のことは、とりあえず棚に上げるが、会社の中で、「こいつ本当に馬鹿だな」と思った人は確かに少なからずいる。
ただ、その者が本質的に・・・つまり、生まれつき頭が悪いのかというと、そんな場合もあるのかもしれないが、あまり多くないと思うのだ。
その理由は、「こいつ、頭が悪いな」とうんざりさせられるような者でも、何かの時に、妙に鋭かったり、物覚えが良かったりということがあって「あれっ」と驚くことがよくあったからだ。
「こいつ馬鹿だと思っていたけど、実は頭悪くないんじゃね?」
とか思うが、それでも、仕事で関わると、「アホにもほどがある」と思うのである。
だが、やはり、馬鹿に見えても、ほとんどの者は、本質ではかなり優秀なのだ。
それなのに、なぜ馬鹿なのかというと、家庭や学校で、頭を使えないように、あるいは、間違った頭の使い方をするように教育されているからとしか思えない。

有名な映画監督だった伊丹十三氏が、心理学者の岸田秀氏の本を読んだ時のこんな感想を語っていた。
「自分が、かぶせられた帽子を外されたカブトムシのように感じた」
つまり、自分の能力を封印していたものから解放されたということである。
まあ、誰もが、岸田氏の本を読んだらそうなるとは限らないが、我々は、学校やテレビなどで付けられた、能力の見えない手枷足枷を壊さなければならないことは確かだ。

その方法をクドクド説明せず、シンプルに言う。
1つは、仏・菩薩の真言を淡々となるべく多く唱える。例えば、観世音菩薩真言なら「オン、アロリキャ、ソワカ」だ。これを唱えると良い。有声、無声どちらでも良いが、無声をお勧めする。
1つは、少し温度が高い蒸しタオル(熱いと感じるほど温度が高くてもいけない。適度に絞った濡れタオルを1/6程度にたたみ、電子レンジで600W1分30秒加熱する)を、後頭部の下の方に5分当てる。
そして、プログラミングをやったことがなければ、Excel VBAか、Access VBAを練習して欲しい。マスターするごとに頭が良くなるから。
そうすれば、さらに良いことに、社員募集面接で「Exce VBA、滅茶苦茶出来ます」「Access VBA、滅茶苦茶出来ます」と言ったら、良い条件で採用されるだろう。頭が良くなっているので、仕事も出来るはずである。
尚、一応言っておくと、頭が良過ぎると、普通の職場では仕事がうまくいかず、辛いことになる可能性があるので、自分がそうだと思ったら、就職せず、個人事業をやることだ。








日本の教育方針は無視しないと危ない理由

頭の良さとは、測定出来るものではない。しかし、次のような方法で、推測が出来るかもしれない。
我々は、よく、「(A)は、だいたい、(X)だ」という言い方をする。例えば、「挨拶がきちんと出来る人は道徳的な人だ」とかである。
実際は、挨拶が出来るからと言って、その人が道徳的であるという保証はないが、ほぼ合っていると考えて良い。
これを、「挨拶が出来ることと道徳的であることとは相関性がある」と言う。
頭の良さも、何かに相関性があるかもしれない。

「知識と知恵は違う」と言うことがある。
つまり、物知りだからと言って、必ずしも賢くないし、馬鹿である場合だって少なくないかもしれないということだろう。
ところが、知識量と頭の良さは、高い相関性があることは、分かっているらしい。
実際、「物知りだけど賢くない」というのは、むしろ例外で、知識が多ければ、思考力・問題解決能力も高い。
では、「試験の成績が良い人は頭が良いのか?」と問うなら、答は「ごく限定的にイエス」だ。
特に、学生の間は、試験の成績と頭の良さに、相関性はかなり認められると思う。
ただ、教科書の知識は、知識全体のほんの一部で、しかも、非常に偏った知識であることに注意しなければならない。
教科書に載っていることが、ものごとの基礎でも何でもないことは、多くの人が誤解している。
教科書に載っていることは、「1つの偏見」くらいに考えて丁度良いのである。
とはいえ、教科書の知識も1つの知識であることは確かで、多くの学生は、持っている知識の多くは教科書の知識なので、教科書の知識が多い方が、頭が良い可能性が高いのである。
しかし、ある学生が、教科書に書いてあることはあまり知らないが、教科書には載っていない何かに強い好奇心を持ち、多くの知識を得ていて、しかも、その知識量が非常に大きければ、学校の秀才よりずっと賢いかもしれない。
その代表がアルベルト・アインシュタインだった。
彼は、学校の試験の成績はサッパリだったが、科学の一般書に興味を持ち、沢山の知識を得ていた。
逆に、アインシュタインは知識を軽視していたという誤解もあるが、彼が軽視していたのは、教科書に載っているような知識だった。

社会人になると、学校での、教科書の知識量で優劣がついた頭の良さは容易く逆転する。
教科書の知識は、この世の情報のほんの一部で、しかも偏っているし、しかも、秀才だったとはいえ、いつまでも教科書の内容を覚えている訳ではないのだから、学校を終えてから知識を増やさないと、学校秀才も、あっという間に馬鹿になる。
だが、教科書をいつまでも覚えている者も問題なのだ。
教科書の知識を保持している大人が、教科書に載っていない知識も豊富であれば良いのだが、そんな(教科書の知識を保持している)者は、多くの場合、教科書に載っていること以外の知識に欠けている。
ところが本人は、教科書の知識が豊富な自分は、頭が良いと思っている滑稽なことが多いのだ。
学校や塾・予備校の先生には多いタイプと思う。
私の中学校の時の音楽の先生は、生徒に対しては、自分がいかにも大音楽家のように振る舞っていたが、大学や大学院程度で、しかも、専門分野しか知識がなければ、大人としては知識が少ない、つまり、馬鹿であるが、本人にその自覚がなく、自分は優秀だと思っている。面白かったのは、その学校に、本物の音楽家が善意で指導に訪れた時、その音楽教師の物凄く憮然とした顔が新聞に載っていたことだ。自分の馬鹿さを感じざるを得なかった教師の哀れな様子だったのだと思う。
専門馬鹿で、他のことをあまり知らず、しかも、その専門も学校レベルであるなら、そもそもが、世の中で通用しない。
よく、「教師はつぶしがきかない」と言われるが、広い範囲で知識豊富なら、そんなことは絶対にない。しかし、教師は偏った狭い知識しか持たない場合が多いのである。
だから、本当は、教師は子供に関わらせてはいけない人種なのである。

プログラマーでも、コンピューターやプログラミングの知識しかない者は、プログラマーとしても能力は低い。
ビル・ゲイツも、「優秀なプログラマーは、あらゆることを話題に出来る」と言っていたが、全く正しい指摘である。
学生のうちから、成績はそこそこでいいから、興味のあることをどんどん勉強し、本当に賢くなっておくことだ。
特に、これからの時代は、いくら「お勉強」だけは出来ても、学校の偏った狭い知識しかない者は全く駄目だ。
自分が好奇心を持てることをガンガン勉強する者が、ごく自然に上に立つ時代になった。だが、おかしなことに、日本は、世界で、この動きに最もついていけていない国なのだ。
だから、国の教育方針など、あまりに下らないだけでなく、危ないので、決して関わってはならない。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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