ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

知性

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

所詮、能力が問題だ

庶民の子供が、初めてお金持ちの友達の家に行った時、大なり小なり、「あれ?この家、自分の家とは違う」と感じると思う。
2つか3つしか部屋がない狭いアパートに住んでいる子が、ちょっとお金持ちの子の少し大きな家に行っても、「え!これ全部が1つの家?」とショックを受けることもある。
ところで、家の大きさや調度品等だけでなく、その家がお金持ちであることを支える「規律正しさ」のようなものを実感することもあるだろう。
自分の家よりはるかに綺麗に掃除され、整理整頓が行き届いているし、とにかく何かきちんとしているのだ。
だが、もっと深刻に感じることを発見する庶民の子供もいる。
それは「知性の差」だ。
品格の差という部分もあるが、それもまた知性の差として感じることが多いと思う。
お金持ちの家の友達と、そのお金持ちの親との会話が、自分の家の場合とかなり、あるいは、全く違う。
そして、その子の親が話す言葉や立ち居振る舞いなどが、自分の親と違う。
庶民の家の子供が、頭が悪い場合は、それほど深刻ではない。頭が悪い子は、違うことは分かっても、それほど気にしない。せいぜい、「羨ましい」と思うだけだ。
しかし、庶民の子供が、それなり以上に頭が良ければ、「この違いは何だろう?」と考え、「人間の等級」みたいな考えに行きつくが、それが知性の差であることには、なかなか思い至らないかもしれない。しかし、知性の差を何となくは感じているのである。

世の中では、「豊かさの差」というものは当たり前に表現されても、「知性の差」、もっとはっきり言えば「知能の差」について表現することはタブーであるようなところがある。
それで、「金持ち、貧乏」ということは語られても、「賢い、馬鹿」については、真面目に話されることはない。

『若草物語』の4姉妹のマーチ家は、元々裕福であったが、裕福だった頃の記憶があるのは、4姉妹の中では長女のマーガレットだけであった。
それで、非常に豊かな隣人であるローレンス家に招かれて行くと、ローレンス家の息子のローリー(セオドア)と仲が良かった次女のジョーはともかく、三女のエリザベスや四女のエイミーは非常に驚く。
だが、マーチ家も元々は裕福で、知的には低くなかった。それで、変な言い方かもしれないが、驚きながらも、良い驚き方であった。

知性というか知能は、生まれつき決まっている。
裕福な家の親は知能が高い場合が多く、その子供は遺伝により、やはり知能が高い。
ちなみに、研究により、知能の遺伝率は、背の高さの遺伝率よりずっと高いことが分かっているらしい。
子供のIQ(知能指数)は、両親のIQの平均になる確率が高いようだ。それで、たとえば、非常にIQが高く金持ちの父親が、若くて可愛いがIQが低い女性と結婚して、子供のIQが「そこそこ」程度になるという話がある。

英才教育を施せば、知能の発達は速くはなるようだ。
それで、8~10歳なのに12~14歳並の知能になり、クラスの中で飛び抜けて勉強が出来るようになったりする。
しかし、12歳を過ぎるくらいになると、生まれつきの知性が高くないと、脳の成長が止まってしまい、他の子に追いつかれる。
だから、小学生の時は大袈裟にでも神童、天才と言われていたのが、中学生になると、平凡な生徒になったり、自信をなくして落ちこぼれてしまうまでになるケースも多いようだ。私も、実際にそんな例を見た。小学5年生の時はIQ130の素晴らしい優等生だったのが、高校を卒業した後は大学浪人した後、そこそこレベルの大学に入ったが、見た雰囲気でも、昔の賢かった頃の面影はなかった。

だが、人間の脳は恐ろしく高性能で、本当の能力を引き出せば、誰でも相当な知能を持てるのだと思う。
要は、頭が良いというのは、知力の発揮を妨げている要因が少ないということで、生まれつき頭が良い者は、そんな知力の発揮を妨げる何かを抑制する遺伝子を持っているのだと思われる。
頭を良くする方法を書いた本は少なくないが、それらの本は、生まれつき頭が良く、知力の発揮を妨げる要因を遺伝的に持たない優秀な人間によって書かれているので、生まれつき頭が悪い者には的はずれなことが多い。しかし、頭の良い著者も、実感がないせいで、それが分からない。

頭が悪い者の頭が良くなる方法を語れるのは、生まれつきの頭は悪いが、そんな頭を良くする方法を発見し、実際に自分の頭を良くすることが出来た者だろう。
ただ、ある限度以上に頭が悪いと、自発的に自分の頭を良くしようと思わないので、そんな風に、本質で頭を良くする方法が分かるのは、たとえば、生まれつきのIQが100から110位だが、IQ120以上まで脳力を高めたといった感じの者だろう。
まずは、「求めよ、そうすれば与えられるだろう」の通り、賢くなりたいと願うことが重要である。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)若草物語 (オルコット。角川文庫)
(2)アインシュタイン・ファクター(リチャード・ポー、ウィン・ウェンガー)
(3)頭脳がよくなる! (ウィン・ウェンガー)
(4)ご冗談でしょう、ファインマンさん(上) (R.P.ファインマン。岩波現代文庫)
(5)イーロン・マスク(上)(ウォルター・アイザックソン)
(6)言ってはいけない―残酷すぎる真実―(橘玲)

寝室の大切さ
AIアート1444
「寝室の大切さ」
Kay

スマートフォンが諸悪の根源

スマートフォンの起源は、1996年のノキア社のPDA(パーソナル・デジタル・アシスタント)端末らしいが、実際は、2007年6月のアップルのアイフォンからスマートフォンの普及が始まったと言って良いだろう。
古いとは思えない映画やアニメでも、スマートフォン以前の携帯電話(ガラケー、フィーチャーフォン)が普通に使われているのを見ても、スマートフォンの発展が急激なものであることを感じる。

ところで、多くの人が、常に携帯電話の画面を見るようになったのは、ガラケーにメール機能がついてからだと思われる。
スマートフォンが登場する以前だが、当時会社員だった私は、珍しく昼間に電車に乗った時、若い奥さん風の人達が全員、ガラケーを手に持ち、じっと画面を見つめているのを見て、ぞっとした。
なぜ、ぞっとしたかというと、それらの人達に知性が全くないことを、直観的にだが強烈に感じたからだ。
こんな人達が普通なのだ。
つまり、知性が全くない人間が大量に溢れる時代になる・・・いや、もうなっている。これがぞっとせずにいられるだろうか。

そして、恐ろしいことに、ガラケーの時代から、自分も携帯電話を出して見ていないと、人間として仲間外れにされている・・・逆に言えば、自分も携帯電話を出してずっと見ていると、周囲の人間との同胞意識を感じてほっとする感じがするのである。

シンプルに言うが、おそらく断言出来ることは、
「携帯電話(今ではスマートフォン)を見る時間が長いほど頭が悪くなる」
である。
単なる私見であるとはいえ、かなり自信があるが、スマートフォンを常に見ているような人でIQ110以上の者は絶対にいない。
元々、IQ120とか130以上でも、スマートフォンを度々見るようになったら、IQは110以下に落ちるし、もっと落ちることもありうる。
岡田斗司夫さんの動画で見たが(元ネタは有名なベストセラーである)、スマートフォンを持っているだけで(身近に置いてあるだけで)、即座に知性が低下することが確認された実験もあるらしいが、私はそれは間違いなく本当だと思う。

知性を低下させないためには、スマートフォンを所有しないことが一番だが、スマートフォンも、マップ、ナビ、タクシーアプリなどは必要だし、この情報社会では、インターネットの情報が必要なことも多い。
そこで最善の手を考えるなら、家の中など、パソコンが使える状況では、スマートフォンではなく、パソコンを使うことだ。
というのは、スマートフォンの方が、軽い・・・つまり、それほど重要でない情報を扱うことが圧倒的に多いからだし、パソコンの場合は、長い文章を書けるからということもある。
ガラケー時代から、携帯電話が知性を低下させる大きな要因が、長い文章を書かないことだ。
私は、家に居る日は、朝、スマートフォンの充電率が100%から始めたら、寝るまで90%近くは残っている。

堀江貴文さんという人は、パソコンは使わず、全てスマートフォンで行うと言いつつ、SNSには馬鹿が圧倒的に多いと言う。
ところが、そんなSNSの中の馬鹿の特徴を堀江さんは「長い文章を読めないこと」と言う。
長い文章を読めない原因は、長い文章を書かないからだと言えると思う。
堀江さんは地頭が極端に良いので、本当にパソコンを使わなくても知性を保てるのかもしれないが、スマートフォンしか使わないと、普通の人は皆、馬鹿になるのであり、堀江さんすら知性の低下が見られると思う。

尚、スマートフォンを使うと引き寄せの力も確実に落ちると断言出来る。
なぜかと言うと、軽薄な情報というのは、自我が好むものであり、スマートフォンを使うと自我が活性化するが、引き寄せの邪魔をする最大のものが自我であるからだ。
長い文章というのは、一見、自我(=心=思考=左脳)が作っているように見えるが、実際は、向こう側(=潜在意識=高次元=直観=右脳)からのメッセージが来ないと書けるものではないことは、あまり知られていないと思う。

馬鹿になりたくなければ、また、引き寄せが出来ないようになりたくなければ、なるべくスマートフォンを使わないことであると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)スマホ脳(新潮新書)
(2)頭には、この刺激がズバリ効く! (ウィン ウェンガー)
(3)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(4)人生が楽になる 超シンプルなさとり方(エックハルト・トール)

平安
AIアート1131
「平安」
Kay

モラルのない者に引き寄せは出来ない

昨日まで、私は、共産主義国家が民主主義国家を侵略する手口は、学校やマスメディアを支配し、共産主義思想を植え付けていくことだと理解していたが、元KGB(ソ連国家保安委員会)スパイのユーリ・ベズメノフのインタビューを聞いて、そうではないと分かった。
まあ、そういったこと(共産主義思想の植え付け)も一部あるのだとは思う。しかし、肝心なことは、やはり、学校やマスメディアを利用するのであるが、それで行うことは、「モラルの破壊」である。
なぜなら、モラルを持たない人間には正しい判断が出来なくなるからだ。
正しい判断が出来ない人間は弱いので、容易くコントロール出来るのである。

いや、別に、思想話をしたいのではない。
目的は、あくまで、弱い人間、駄目な人間、惨めな人間が力を得る鍵を解明することである。

現在の日本でも、多くの啓蒙家が、共産主義国家が、いかに、アメリカ、日本、その他の民主主義国家の学校やマスメディアを乗っ取り、共産主義思想を洗脳しているかという話をしている。
共産主義思想とは、自分の物・・・つまり、個人資産を持たず、皆で公平に共有し、全ての人が平等であることだ。
これ自体は、1つの理想だ。だが、なぜ共産主義国家が腐敗するのかというと、国民には平等を強い、優秀な者、やる気のある者でも、多くを持とうとするなと説くが、国民には内緒で、権力者は大きな資産を保有して贅沢三昧し、快楽を貪るからだ。
権力者がこれを実現するには、国民を「弱い馬鹿」にする必要があり、そのためには、モラルを破壊することが最も効果的なのである。

日本も、すでに、学校、マスメディアが乗っ取られ、共産主義国家の支配が進んでいる。
しかし、人々を見ても、特に共産主義思想は見られない。
だが、モラルは、もう悲惨なまでに破壊されていることが分かる。
それを具体的に書くと、あまりにもドロドロするし(書きたくない)、そもそも、モラルを持たず、正しい判断が出来ない者は、それを見ても反発するだけだろう。

私は、子供の時から、なぜ日本人はモラルが低くなり続けているのだろうと疑問を持つと共に、自分のモラルのなさに気付いて愕然としていた。
「いや、日本人のモラルの高さは海外で有名だ」と言う人もいるだろう。
例えば、災害が起こっても略奪が起こらず、ワールドカップサッカーでは、観戦後、会場のゴミ掃除をする。
もしかしたら、まだ、日本には、モラル的にマシな部分もあるのかもしれない。
だが、実際には、災害の際、悪いことをする者は、以前からいっぱいいて、しかも、どんどん増えているし、海外の重要文化残に落書きをする馬鹿もいた。
そして、何より、外国との比較はともかく、根本的なモラルを持たない者が多過ぎることは確かだ。

まあ、とにかく、他人のことはどうでも良い。
モラルがない者には、正しい判断が出来ないのは、モラルがなければ、本当の知性を得られないからだ。
いくら試験の成績が良く、数学や物理学が出来たり、討論が上手くても、モラルを持たなければ知性は低く、能力はない。
学歴は立派な馬鹿が多いことはご存じと思う。
例えば、昔、東大生に「頭が良いと思う人間を5人上げよ」というアンケートをしたら、アインシュタインやジョン・フォン・ノイマンらと共に自分を上げる馬鹿が大勢いたというから、そんな昔に既に、東大でも、知性の低下と、その元となるモラルの破壊は進んでいたのだろう。

ところで、モラルがないと、引き寄せも不可能なのである。
引き寄せは、詳細な説明は難しいが、宇宙の知性とも言うべきものにアクセスすることで発動する。
それには、ある程度の、学問などとは異なる純粋な知性が必要だが、モラルを持たない者には、それがない。
だから、まるでダメ男に引き寄せを教えてもうまくいかないことが納得出来るのである。

ヒトラーは、元々はモラルを持つ、知性の高い人間で、その部分を捉えて崇拝する実力者は案外に多いのである。
しかし、権力を得る中で、ヒトラーはモラルを失い、同時に知性を失くして、彼の判断は滅茶苦茶になり、多大な人間に被害を与えると共に、ナチスは滅びるべくして滅びた。
せっかく優秀だった彼を、おかしな方向に行かせたのも、つまるところ、モラルを失ったドイツの権力者達で、そんな者達こそ問題にされるべきなのである。

私には、はっきりとは分からないが、国の根本的な神話や聖典は、権力者に改ざんされている恐れもあるのではないかと思う。
しかし、民間伝承の童話や、報酬なしに書かれたおとぎ話的なものには、モラルが生きていると思うのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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