積極的な悪と、消極的な善ではどちらが強いかと言うと、圧倒的に、積極的な悪だ。
さらに、悪が悪の望みを叶えるには、盗む、騙す、脅すといった、短絡的で楽な方法が有効なので、さらに悪は強い。
善が望みを叶えるには、能力を磨き、信用を得、そして、周囲への配慮をしながら進むという、効率が悪く、時に損なことをしなければならないのだから、善が強くなるのは容易なことではない。
「じゃあ、悪でいいじゃん」と、悪になって良い思いをして喜ぶ者は多く、世界は、積極的な悪に牛耳られている状況だ。
だから、世の中が悪いなんて嘆いても仕方がない。
実際、悪いのだから。
私はかつて、誰でも、いくらなんでも子供のうちは、正義のヒーローやヒロインに憧れるものだと思っていた。
だが、そうではなかった。
外見だけは、正義のヒーローやヒロインを気取るが、中身は子供の時から堕落しており、ヒーローやヒロインの強い立場で、他者を虐げてでもやりたい放題したがる。そして、それに何の後ろめたさもない。
子供のうちから、自分の親や世間の影響で、見えるものだけを現実とし、得をすることしか頭になく、損をするのは馬鹿と心得ている。
法や世間の教義に触れない限り・・・いや、触れてもバレない限り、利益や快楽を得るためには何でもしようとするのだ。
正しく生きることは、厳しい。
見えないものの存在を信じるだけでなく、見えないものを見えるものより価値があると心得て敬う馬鹿は、損をし、踏みにじられることも多い。
だが、見えないものを大切にすることが、本当に正しいことなのである。
しかし、いくら悪い人間でも、心の奥には善があり、その善の声は良心として聞こえている。
だが、心は目に見えず、耳に聞こえない。
だから、心の中にしかない良心をないがしろにし、他人の心も、見えないのだからないとして無視し、他人がどれほど苦しもうが全く意に介さない。
そんな人間が世界を動かしている。なら、このままいけば、この世は亡者が争う地獄になる。いや、もうなっていると感じることもある。
だが、本当は、外の世界より、内なる世界の方がはるかに大きく、そして、はるかに強く、美しい。
外に向けた心を内に向ける時である。
心を内に向けると言っても、もちろん、引きこもることではない。
見た通りに受け取らず、直観を働かせることだ。
見かけに幻惑されてはならない。
そのために、荘子は、是非好悪から離れ、あるがままに見ろと言った。それは正しいが、ほとんど誰も出来ない。
それは、ぼーっと見ている状態で、この「ぼー」とは、心が希薄になっていることだ。
そうなるためには、呼吸を、止まっているかのように微かにし、薄目で見ることである。
それに慣れて、直観を味方にしたあなたに適し得る者はいないであろう。
さらに、悪が悪の望みを叶えるには、盗む、騙す、脅すといった、短絡的で楽な方法が有効なので、さらに悪は強い。
善が望みを叶えるには、能力を磨き、信用を得、そして、周囲への配慮をしながら進むという、効率が悪く、時に損なことをしなければならないのだから、善が強くなるのは容易なことではない。
「じゃあ、悪でいいじゃん」と、悪になって良い思いをして喜ぶ者は多く、世界は、積極的な悪に牛耳られている状況だ。
だから、世の中が悪いなんて嘆いても仕方がない。
実際、悪いのだから。
私はかつて、誰でも、いくらなんでも子供のうちは、正義のヒーローやヒロインに憧れるものだと思っていた。
だが、そうではなかった。
外見だけは、正義のヒーローやヒロインを気取るが、中身は子供の時から堕落しており、ヒーローやヒロインの強い立場で、他者を虐げてでもやりたい放題したがる。そして、それに何の後ろめたさもない。
子供のうちから、自分の親や世間の影響で、見えるものだけを現実とし、得をすることしか頭になく、損をするのは馬鹿と心得ている。
法や世間の教義に触れない限り・・・いや、触れてもバレない限り、利益や快楽を得るためには何でもしようとするのだ。
正しく生きることは、厳しい。
見えないものの存在を信じるだけでなく、見えないものを見えるものより価値があると心得て敬う馬鹿は、損をし、踏みにじられることも多い。
だが、見えないものを大切にすることが、本当に正しいことなのである。
しかし、いくら悪い人間でも、心の奥には善があり、その善の声は良心として聞こえている。
だが、心は目に見えず、耳に聞こえない。
だから、心の中にしかない良心をないがしろにし、他人の心も、見えないのだからないとして無視し、他人がどれほど苦しもうが全く意に介さない。
そんな人間が世界を動かしている。なら、このままいけば、この世は亡者が争う地獄になる。いや、もうなっていると感じることもある。
だが、本当は、外の世界より、内なる世界の方がはるかに大きく、そして、はるかに強く、美しい。
外に向けた心を内に向ける時である。
心を内に向けると言っても、もちろん、引きこもることではない。
見た通りに受け取らず、直観を働かせることだ。
見かけに幻惑されてはならない。
そのために、荘子は、是非好悪から離れ、あるがままに見ろと言った。それは正しいが、ほとんど誰も出来ない。
それは、ぼーっと見ている状態で、この「ぼー」とは、心が希薄になっていることだ。
そうなるためには、呼吸を、止まっているかのように微かにし、薄目で見ることである。
それに慣れて、直観を味方にしたあなたに適し得る者はいないであろう。

