ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

目標設定

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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楽しいか楽しくないか、それだけが問題だ

引き寄せの実践に際し、目標は具体的に立てろという話がある。
売上げ目標なら、たとえば「3500万円」というふうに、数字できちんと表さないといけないというわけだ。
また、彼氏が欲しい場合なら、その彼氏に望むことを具体的に示す・・・たとえば、身長180センチで、月給50万円で、ベジタリアンで、スキーが上手いといった感じだ。
これが正しいかというと、単に「楽しければその通り」ということで、確かに、具体的目標を立てた方が楽しくなる場合も多い。
しかし、やる気のないセールスマンが、上司から「売上目標金額を決めろ」と言われ、本当は100万円も売りたくないが、1000万円くらい言わないと文句を言われると分かっているので、目標を1000万円としても、そんな目標のことを考えても楽しいはずがない。そして、そんな目標は達成されない。だが、多くの会社では、そんなことをしているのだ。

『その望みは宇宙がかなえてくれる』という本で、著者のモーア(女性)は、彼氏を得ようと、彼氏の具体的なスペック(「太極拳が出来る」という項目もあった)を設定したところ、だいたい、それに合った彼氏が出来た。しかし、長続きせず別れ、再度、やってみても同じ(だいたい望み通りの彼氏が出来るが別れる)だった。
ところが、「私にぴったりの彼氏を頂戴」と宇宙にお願いしたら、そうなって、今度はもっと楽しかった。
このことについて、モーアは「宇宙は賢いのだから、全部、まかせておけばいいのよ」といったことを書いていたと思うが、宇宙が賢いのは確かとしても、彼女は勘違いしている。
彼氏について、具体的なスペックを考えた時も、それなりに楽しかったので、それに似た彼氏が出来たが、楽しくない部分もあったのだ。
だから、楽しくないことも起こり、別れてしまったのだ
だいたい、新しい彼氏や彼女、あるいは、新しい友人も・・・いや、あらゆる出来事だって、予想通りなんてのは、それほど楽しくはなく、「思いもかけないこと」が一番楽しいに決まっている。

目標を立てるのが正しいとか、立てないのが正しいとかではなくて、立てるのが楽しければ立てるのが正しく、立てずにやるのが楽しければ立てないのが正しいのである。
ただし、ビジネスなんて、多くの場合、目標を立てた方が楽しいから、立てた方が良い場合が多い。それだけのことなのだ。

今、月給の手取りが10万円で、もっと欲しいという場合だって、「もっとたくさん」と思っても、あまり楽しくないものだ。
ところで、引き寄せの本の多くでは、「出来るだけ多く、具体的に」なんて書かれているが、これも、「多い」とか「具体的」といったことが重要なのではなく、楽しいかどうかの問題なのだ。
そんな本の教えの通り「月給手取り100万円」としても、その金額に実感がわかず、本当の楽しさを感じなければ、それば叶わない。
別に、「身の丈に合った目標を」と言うのではなく、「楽しいと感じる目標を」ということで、たとえば「30万円」と設定し、その金額が入ることを考えると楽しくなるなら、その通りになるのである。

彼女のいない男が、アダルトゲームをやったりエッチな漫画を見ると彼女が出来ないというのは、これも別に、そんなゲームや漫画で満足してしまうからなのではなく、アダルトゲームをやっても、楽しい面も少しはあっても、楽しくない部分の方が多いからだ。
アイドルの追っかけを情熱的にやっていても、本心では、それほど楽しくないので、アイドルのような彼女が出来ないのである。
好きなクラスメイトとちょっと会話をして「楽しいなあ」と思ったら、その人とは別の彼氏や彼女が出来るのである。ところが、その人に執着すると、楽しくないことが起こるので、彼氏や彼女が出来ないのである。
まさに、彼氏や彼女を作る場合は、細かいことは考えず、彼氏や彼女が出来た時の楽しい気持ちだけ感じたら、あっさり出来てしまう。
これを細かく考えると、面倒なことや憂鬱なことも浮かんで楽しくなくなり、結果、やっぱり、彼氏や彼女が出来ないのである。
全ては、楽しいか楽しくないかだけなのである。








死ななければ大勝利

目標を設定し、それに集中すると目標を実現してしまうことを、「ラベリング効果」とか「自己成就予言」と言って、科学的に信憑性があるらしい。
もし、目標が達成出来ないなら、それは、その目標に集中し続けることが出来なかったからだ。
なぜ、目標に集中し続けることが出来ないのかというと、意欲がなくなってしまったり、別の目標が出来てしまうからだ。
ではなぜ、意欲がなくなったり、別の目標が出来てしまうのかというと、早い話が、目標の設定を間違っていたのだ。

誤った目標とは何かというと、多くは次の2つである。
1つは、目標が高過ぎること。
300万円も貯金がない人が、いきなり1憶円を目標にしても、自分がそれを得られると心から思うことが出来ない。
もう1つは、その目標が真の願望でなく、子供っぽい憧れや見栄で目標を決めた場合だ。例えば、アイドルになるとか、サッカー選手になるとかだ。
いずれの場合も、目標をすぐに意識しなくなったり、目標がコロコロ変わる。

「これを死んでも叶えてやる」という、執念めいた目標は、時に短期間で叶うことがあるが、そんな執念めいた目標を支える熱望も、冷める時はあっけなく冷め、熱望が覚めた時というのは、惨めであったり、喜劇か茶番のように感じる。
なぜ、そんなことが起こるのかというと、それが、自主的に望んだことではなく、他者に「望まされた」ことだからだ。この他者とは、テレビや、洗脳効果のある映画や小説、あるいは、引き寄せの本みないなものだ。

目標を紙に書いて部屋の壁や天井に貼ったり、あるいは、カードにして持ち歩き、度々見ると叶うのは、目標に対する意欲が変わらなかった場合だけだ。
しかし、凡人が「1憶円」なんて書いても、1憶円が欲しいとは思うだろうが、すぐに熱意が消えているはずだ。

では、どんな目標なら熱意を持ち続けられるかというと、簡単なことなのだが、引き寄せの本には、まあ、書かれていない。
で、それがどんな目標かというと、危機感を伴ったものだ。
何の危機かというと、根本的には生命の危機だが、人間は、愛や名誉を失うと生きていられないので、愛や名誉の危機も含まれるが、危機感のない愛や名誉の喪失の危機は含まない。
なぜ、そんなことが言えるのかというと、人間の脳にインプットされた命令は「生きろ」だけだからだ。
明石家さんまさんが「生きてるだけで丸儲け」と言ったらしく、この言葉の評判も良いが、この言葉は随分、誤解されている。
ほとんどの人は、この言葉を、「生きてるだけで満足しなさい」という、「足るを知る」の慎ましい思想と思っている。
そうではない。さんまさんは、本能的、あるいは、経験的に、人生の真理を掴んでいる。
「生きてるだけで丸儲け」とは、本当は、「生きてるだけで大勝利」と言うべきなのだ。
「死ななければ大勝利」だと、もっと良いかもしれない。
芸人の世界では、生きるだけで難しいし、さんまさんも、何度か死にかけたのだと思うし、また、本当に死んだ人も見たに違いない。
それで得た悟りのようなものを、さんまさんは、一般向けに「生きてるだけで丸儲け」と言ったのだろう。
だが、誰にとっても、「生きていれば大勝利」「死ななければ大勝利」なのである。

「俺には野球しかない」と本当に思えたら、プロの選手かどうかは分からないが、実業団チームに入って、そこに馴染んだり、高校野球の監督になったりと、それぞれに合う道で成功する。
描いていた形とは別の形で願いが叶っているという人は多く、それが、人間という、欠けた存在の特徴なのである。
「死ななければ大勝利」「生きてこれを続けられさえすれば大勝利」と思えば、案外に大きな成果が転がり込んでくるものである。








限度はあるが、目標は曖昧に

成功法則や引き寄せの法則では、「目標を具体的に」というものが多い。
例えば、金持ちになりたいと思うだけでは駄目で、「期限」と「金額」を明確にしないといけないと言う。
家が欲しい場合には、場所や広さ、部屋数、間取り、庭や門の様子等を全て明確にし、そのために、理想とする家の写真や絵を飾ることが勧められる。
欲しい彼氏や彼女の外見や性格に関する詳しいことを決めておき、さらには、いつまでに欲しいのか決めろと言われたりする。
そして、そうやって願ったものと、ぴったり、あるいは、ほとんどぴったりのものを、設定した期限通りに得たという話がある。

だが、そういうふうにしたい人、あるいは、そいういうふうにする必要がある願望を除き、普通の人は、もっと適当にやった方が良いと思う。
例えば、20XX年YY月XX日までに一億円得る・・・なんて目標は、ガチガチの左脳思考で、自我的思考だ。
そんな目標を立てると、自我は肥大し、欲望が大きくなり、緊張し、疲れると思う。
まるで、何月何日のダービーで優勝しろと言われた馬や、優勝が義務とされているプロ野球の監督になるようなもので、やってる当人は、絶対に楽しくないし、少なくとも、普通の人にやれることではない。
せっかくの楽しいはずの目標が、具体的な目標を立てると、そんな野球の監督のように、「やらされている」感じになってしまうのだ。
実際、ガチガチの目標の世界に生きている人は、消耗し尽くし、いずれ病気になったり。性格が破綻することが多いのだと思う。そもそもが、大半は失敗するのだ(プロ野球の監督のほとんどは失敗する)。
プロ野球の監督を、一見うまくやっているような人は、超人的な根性があったり、執念めいた意地があったりする特別な人なのだが、そんな人達だって、本当は苦しいのである。お金や名誉のために、そんなことを続けていると、まあ、あまり良いことはないと思う。

そして、おかしいのが、具体的な目標を強調する指導者が、自己暗示や口ぐせの重要性を語る際、マイナスの自己暗示や口ぐせについて、こんなことを平気で言うことだ。
「子供の時、親に『お前は駄目な子だ』『お前は大したことは出来ない』『ほら、失敗するよ』と言われ続けた子は、そんな言葉が潜在意識に入ってしまい、実際に、駄目で、大したことが出来ない、失敗する人間になる」
「お前は駄目だ」「大したことは出来ない」「失敗する」なんて、超抽象的で、少しも具体的ではないじゃないか?
それでも実現すると言っているのである。
全く変な話だ。
良いことは具体的なことが、悪いことは曖昧なことが実現するなんて馬鹿な話は無い。
つまり、曖昧な悪い暗示が実現するなら、曖昧な良い暗示も実現するのだ。

そもそも、アメリカで最高のアファーメーションと言われているものの1つが、
「私は健康だ。私は豊かだ。私は素晴らしい」
という、実に曖昧で大らかなものなのだ。
これだと、健康に制限をかけず、どこまでも健康であっていいし、豊かさにも制限をかけず、いくら豊かであっても良い。
素晴らしいアファーメーションだ。

曖昧さの欠点があるとすれば、何も考えないこと・・・早い話が、曖昧な目標も立てなくなることであり、そんな人間がいることも確かだ。
「何か面白いことないかなあ」といつも言っているような人間だ。
自分は何をしたいのか、どこに行きたいのかといった目標は持たないといけない。
例えば、ミュージシャンになりたいとか、科学者になりたいとかだ。
しかし、ミュージシャンになりたいと言っても、単に、ギターを弾きながら雑音のような歌を歌っている者も、高校生や大学生などによくいるので、そんな連中を見ると、確かに「目標は具体的に」と言いたくなる気持ちも分かる。
だが、大切なのは、「適当に」「ほどほどに」である。
これに関しては、アインシュタインがうまいアドバイスをしてくれている。
「出来るだけ単純に。だが、限度を超えないように」

目標設定も、具体的にすべき部分も確かにある。
だが、お金が目的なら、「豊か」とか「富裕」としておけば、自分のイメージの範囲で、「豊か」「富裕」な金額が自動設定される。
丁度、子供の時に、親に「お前は駄目なやつだ」と言われた時の駄目が、どれほどの駄目さかは、その時々の自分がイメージ出来る範囲での駄目になるようにだ。

貧乏な人が、いくら「目標一億円」だの「目標年収3千万円」だのと言っても全くピンと来ない。
しかし、単に「私は豊かだ」とアファーメーションをすれば、「借金が返せるだけ」「今、欲しいと思うものが買えるだけ」のお金が入ることが自動的にイメージされ、その言葉を、心で丁寧に数多く繰り返せば、必ず実現する。

アインシュタイン的に言えば、
「目標は明確に。ただし、限度を超えないように」
で良いが、むしろ、
「目標は曖昧に。ただし、曖昧過ぎないように」
に近い。
人間には想像力がある。ある程度は曖昧な目標にし、後は、想像力で広げていくのが良い。
残念なことに、悪い目標の場合には、それをやっている人がすごく多いのである。
それを、良い目標でやれば良いのである。








何でもいいから願いを叶える

名を聞けば、誰でも知っている有名な事業家、政治家、スポーツ選手、ミュージシャンらが使っている、高価な自己開発教材がある。
また、3日くらいで、百万円くらい必要なセミナーもある。
さらには、10日から20日くらいで、とんでもない費用がかかる自己実現トレーニングみたいなものもある。
それらの中には、評価が高く、それなりに歴史のあるものだってある。
ところが、そんな教材やセミナーで、何をするのかというと、目標設定なのである。
要するに、自分に相応しい目標を定めることが、いかに重要で、しかし、同時に、いかに難しいかということである。

世の中の大半の人間は、目標を持っていない。
いや、持っていると言う者もいるが、その目標を聞くことが出来れば、あまりの下らなさに驚く。
なぜ、そんな下らない目標を持つのかというと、学校、テレビ、さらには、会社で、おかしな訓練をされてしまったからだ。
つまり、我々は、子供の時から、目標を自分で考えるのではなく、誰かに与えられてきたのだ。
まだまともな子供が、学校が嫌いになる主な理由は、この、目標を与えられることだ。つまり、選択肢は、最初から決められている(しかも嫌な選択ばかり)のが耐えられないのである。
例えば、算数のテストが80点だったら、次は90点を取ろうなんて目標を与えられる。
そうやって訓練され、いつしか、与えられた目標を当然のように受け入れるロボット人間、つまり、奴隷が出来上がる。

中には、自分独自の目標を持っていると言う者、あるいは、自分ではそう思っている者もいる。
しかし、目標を与えられる訓練をされている者は、チャチな目標、あるいは、変な目標しか持てない。
例えば、資格を取るとか、女優になるとか、いい歳こいたオッサンが女子高生(あるいはもっと若い)の彼女を作るとか・・・

そして、学校やテレビに想像力を壊され、自分で目標を立てられない者が、高額なセミナーに行ったり、高価な教材を使っても、大半は駄目なのだ。
優秀なトレーナーがマンツーマンで長期間指導したって、ほとんどうまくいかないだろう。

今はもう知らない人が多くなったが、中国の世界的カンフー俳優だったブルース・リー(1940~1973)が、だいたいでこんな内容のメモを残していたらしい。
「私、ブルース・リーは、2千万ドルの財産を持ち、武道家として安らかに生きる」
つまり、彼の目標は2千万ドル(現在で約20憶円)と、武道家に専念することだったわけだ。
おそらく、彼も、何かの自己開発教材を使っていたのだと思うが、それは彼を幸福にしなかったのだ。
彼だけでなく、表向きはそれなりに成功している人々が、そういった自己開発教材を使っているおかげで、実際は非常に不幸なのだと思う。

ジョセフ・マーフィーの本の中で、マーフィーが講演で、
「何でもいいから、『私は〇〇だ』と言いなさい。その〇〇になるから」
と言ったのが良いと思う。
人間や宇宙は、「私は〇〇だ」と言えば、そうなるようなっている。
ただ、マーフィーらも、ほとんど書かないが、「心の中で、穏やかに丁寧に唱える」ことが大切だ。
そして、唱える内容は、もう本当に「何でもいい」。
上で述べた、資格を取る(例:「私は基本情報資格者だ」)、女優になる(例:「私は女優だ」「私は人気アイドルだ」)、女子高生の彼女を作る(例:「私は女子高生の彼氏だ」)でも良い。
唱え続けることが出来れば実現するが、ほとんどが続かない。
2日や3日、1回か2回唱えただけでは叶わない。
だが、意外と簡単に叶ってビックリすることだってある。例えば、給料を2倍にするとか、課長になるとかなら叶い易い。
ロクでもない目標は、唱えていたら、気が重くなったり、恥ずかしくなったり、自分が惨めになったりで、どうにも唱え続けられないものだ。
おそらく、ブルース・リーだって、あの目標は、あまり気持ち良くなかったと思うが、何かの教材に洗脳されたか、あるいは、彼は根性があり過ぎたので、唱え続けることが出来たが、それが不幸を呼んだのだと私は思う。
この、何でもいいから「私は〇〇だ」と言えというのは、『マーフィー世界一かんたんな自己実現法』に載っていたものだが、『マスターの教え』に簡単な説明がある。








本当の目標と妄想の目標はこう区別する

人間には2種類がある。
目標がある人間と目標がない人間だ。
目標がない人間は、波間に漂う船のようなもので、波や風(世間や他人)に翻弄され、自分がどこに行くのか分からず、遅かれ早かれ、座礁するか沈没するかだ。
目標は、人に言ってはならない。
だから、学校や会社で、目標を言わされる(書かされる)ことがあったら、その時は「空気を読んで」適当な目標を書いておくことだ。
本当の目標は隠さないといけない。
だが、本当の目標を持たなくてはならない。

ところが、本当の目標を持てる人は滅多にいない。
けれども本当の目標は、誰でも持てるはずのものだし、また、持つべきだし、別に難しいことでもないのに、ほとんど誰も本当の目標を持っていない。
なぜ、そんなことになっているのかと言うと、学校やテレビのためだ。
学校教育やテレビ洗脳では、人々が奴隷の目標以外の目標を決して持たないよう、強力に思想統制している。そんな事実にも気付いていない者が多い。

また、愚かな目標を持ってはならない。
いい歳になった普通のサラリーマンが、プロ野球のスター選手になる(アイドルとか女優とかも多い)みたいな種類の目標を、自分では本物の目標だと思っている人は案外多いのである。
そんな妄想の目標を持ってしまうのは、やはり、学校やテレビのせいかもしれないし、怪しい書籍やネットの影響も大きいと思う。
だが、なぜ愚かな目標を持ってしまうのかなど、どうでも良い。
愚かな目標を持たなければいいだけだ。
まあ、正しい目標か、妄想の目標かの判断が難しい目標も、確かにある。
30代以上の、ロクに運動もやったことがないサラリーマンがプロ野球のスター選手になるという目標は明らかに妄想だが、たとえ絵を描いたことがあまりないような人間でも、画家になるというのなら、そんな実例はいくらかはある(大画家にもいる)。
岡本太郎も、『今日の芸術』で、「あなたも本日ただいまから芸術家になれる」なんて書いているのでややこしい。

自分の目標がまっとうかどうかは、頭で判断しない方が良い場合がある。いや、ほとんどがそうかもしれない。
洗脳された思想による妄想の場合、頭で考えたら判断を誤るからだ。
そもそも洗脳ってのは、理性的思考を歪めるものだからね。

世の中にある、数十万円、数百万円もする高額な自己啓発教材っていうのは、目標設定の仕方を教えるものだ。
中には怪しい教材もあるが、歴史があり、一流の人物達が使っているものもある。
つまり、目標設定は、それほど難しいということだ。
だが、『イットワークス(It Works)』という本が1冊あれば良い。最高の人物が書いた、目標設定の最高の教材で、それを善意で翻訳し、電子書籍(Kindle)で180円で売ってくれている人がいるが、立派な翻訳だ。
しかし、別の方法もある。
目標があれば、「私は〇〇だ」(〇〇が目標。例:画家)と、唱えれば、目標は叶う。
(ただし、心の中で、丁寧におだやかに、数多く唱えれば)
本物の目標でなければ、数多く、長い期間唱えられない。
唱えるのがおっくう(あるいは苦痛とか、シンドイとか感じる)だったり、忘れてしまうようなものであれば、それは本当の目標ではない。
実に簡単なことだ。

別に、現実的な目標、身の丈に合った目標を持てと言うのではない。
人間は本来神であり、不可能はない。
しかし、単に、自我がちやほやされたがっていることを目標だと勘違いする者が多いのである。
何かのテレビCMで、子供達が、将来の目標を話すものがあった。
「人々を感動させる歌手になる」
「サッカー選手になってセリアAに入る」
これらは、単に、「ちやほやされたい」という欲望を反映した目標だ。
そもそも、本物の目標なら、人に言ってはいけない。
まあ確かに、子供の時は、妄想的な目標も必要ではあるかもしれないが・・・ここらは複雑なので、今回は述べない。
だが、子供のうちから、「本当の目標は心に秘めておくもの」だと知っておくべきである。親や、まして、学校の先生などに決して言ってはならない。
言わされそうになったら、「タテマエ」と自覚しながら、空気を読んで「らしい」ことを言えば良い。
それも立派な知恵だ。
ただし、「タテマエ」とはいえ、達成出来ることを言うよう心がけるべきだ。嘘つきになれと言っているのではない。

あなたは、目標を立て、「私は〇〇だ」と、心の中で、丁寧におだやかに唱えれば良い。数多く。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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