ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

目標設定

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

引き寄せの奇妙さ

西洋の成功プログラムでは、とにかく、目標設定ありきである。
目標設定を重要視しない成功プログラムはない。
西洋の成功プログラムは、確固としたビジネスサービスであり、セミナーにしろ、メディア(DVDやCD)を使うものにしろ、まともなものは非常に高価だ。
それらのプログラムの主要部分は「目標設定のやり方」を教えることである。
そして、あらゆる成功プログラムの目標設定メソッドに共通しているのが、短期目標から長期目標まで、細かく設定していくことで、「今日の目標」から「生涯の目標」まで、明確に設定するのである。

ところが、別に大金を払わなくても、これだけ分かればいいのではないかと思わせるデータがある。
それは、こんなものだ。
アメリカで、高齢者に対し、次の3つの、どのグループに属すかアンケートを行ったらしい。
(1)余裕のある生活をしている
(2)助けを借りずに生活している
(3)援助を必要としている
結果、(3)が最も多く75%、次が(2)で22%、(1)は3%だった。
(やや昔のデータで、今はもっと悪いかもしれない)
だが、それぞれのグループごとに、完全に共通していることがあった。
(3)のグループの人達は、目標を持たなかった。
(2)のグループの人達は、何らかの目標を持っていた。
(1)のグループの人達は、目標を紙に書いていた。

よって、目標を紙に書けば良いだけである。
だが、97%の人間は、目標を紙に書かないのである。

このアンケートにどのくらい信憑性があるかは分からないが、目標が明確である場合に、良い結果が出ることは間違いないようだ。
例えば、アメリカのある有名大学では、卒業時に、20年後に持つ資産の目標額を書かせることにしていた。
そして、データがたまってきた時に分析が行われ、ある事実がはっきり分かった。
目標資産の額を明確に書いた者は2%だったが、その2%の者が持っている資産が、残りの98%の者が持つ資産より大きかったのだ。

合わせて言えば、「明確な目標」を持てば成功間違いなしというところだ。
ところが、そうではなかった(笑)。
いや、アンケートがそうなのだから、そうでもある。
つまり、上の2つの例では、「結果として」、目標を持っていたり、目標が明確だった者がうまくいった。
だからといって、無理に目標を持たせるようなことをしても、これがさっぱりうまくいかなかったのだ。
たとえば、そこらの自己啓発セミナーに行けば、必ず目標を書かされる。
適当に誘導して目標を出させるのだが、セミナー受講生なんて、ほとんどが想像力が貧困なので「2億円」なんて目標を書くのだが、それも書くというよりは書かされるのである。
もちろん、誰も達成しない。
要は、成功する人は「元々」目標を持っていたのである。
それを、今、目標を持っていない者に、無理に目標を持たせても駄目なのだ。

正しい目標というものは、潜在意識から出て来るもので、かなり神秘的なものだ。
では、潜在意識から目標をもらい、元々、目標を持っていることにすれば良い・・・という、とんでもないことが、自己啓発プログラムの開発者やセミナー講師とは全く関係のないところで分かっている。
インターネットの歴史も20年を超え、SNSの在り方が落ち着いてきたから分かったのかもしれない。
昔は、インターネットの掲示板といえば、いわゆる「バトル(戦い)」の場で、誹謗中傷だらけのひどい場所だった。
しかし、いまどき、SNSで他者を攻撃するのは、かなり頭の弱い人で、今のSNSでは、普通の人でも、馬鹿はスルーするのが常識だ。
ちょっと前置きが長くなった。
しかし、もう1つだけ言えば、SNSによる自動的な学習機能と共に、量子力学が、量子力学という学問そのものでなくても、その考え方が一般に浸透してきたことも、正しい目標設定について分かってきた理由だ。
インターネットというのは、1つの人工知能と言って良い。
で、正しい目標設定であるが、ポイントは「いつ達成するか」ということなのである。
そして、その答は「今」なのである。
これは、奇妙なことのように思える。
目標とは、10年、20年、あるいは、それ以上をかけて達成するというのが常識だ。
ただし、それは世間の常識だ。
説明し難いのであるが、いつか達成しようと思っている限り、目標は達成されないし、幸運はやって来ない。
たとえ大統領になるのだって、今達成しなくてはならない。
これは、目標に対して短絡的になるということではない。
今、無一文だが、100万ドル欲しいからといって銀行強盗をやるのは、ある意味正しいのであるが、当然ながら、賢い選択ではないし、同時に、人生破滅の目標も、「今」達成してしまう。
つまり、銀行強盗の目標は、人生破滅という目標とセットだ。
しかし、それを今達成する目標にすれば、やっぱりうまくいってしまうのである。
あなたは、歌手になりたい、プロスポーツ選手になりたい、YouTuberになりたい、美少女になりたい、画家になりたい・・・などといった目標を持っているかもしれない。
それを、今達成出来ないなら、それは、潜在意識からの目標ではなく、叶わない。
しかし、今達成する気になれば、どんな馬鹿げた望みも実現する。

こんな話をすると、頭で納得出来る解釈を作り、「それは、実はこういうことですね?」と言う者がいる。それが大半かもしれない。
しかし、いかなる解釈も不要なのだ。
本当に、今、達成する必要がある。
少なくとも、その気にならないといけない。
言い換えれば、作家になりたいなら、もう作家になっていなければならないということだ。
禅の公案とは、奇妙な話ばかりだ。
しかし、奇妙だと思ってはならず、「なるほど、いかにも」と思わないといけない。
でないと超能力を得られない。
そこで、禅ではないが、『荘子』を読み、その奇妙な話に、「いかにも」と思う訓練をするのもありである。
だが、学校とテレビに洗脳された人々には引き寄せは出来ない。
とりあえず、ここまでとする。








なりゆきにまかせる達人

本人は、引き寄せなんてことを言ったことはないと思うが、私が、一番の引き寄せの名人として参考にしているのは、やはり、UFO研究者の矢追純一さんである。
矢追さんは、自伝的著書が2冊あるのと、Webのインタビュー記事で、考え方についての情報を得易いが、とにかく、単純で簡単である。
まず、「僕は頭が悪いので、考えることを諦めた」と言う。
世の中には、自分は頭が良いと思っている馬鹿が多いが、人間である限り、アインシュタインだろうがホーキングだろうが大したことはない。
また、人間には何の力もない。
だから、矢追さん流には、大きな流れに乗れば良いということになるが、これは、荘子やラマナ・マハルシら聖賢が言ったことと同じだ。
ただ、矢追さんは、目標ははっきりさせるところが、荘子らと異なると言えば異なる。
たとえば、大学受験に関しては、矢追さんは高校時代、妹2人を養うのに忙しく(両親はおらず資産もない)、高校には全く通っておらず、受験勉強もほとんどしなかったらしい。
だが、東大と中央大学法学部(司法試験合格者は東大以上)を受験し、昔のことだから、受験科目の多かった東大はそれほど本気でなかったらしいが、中央大は合格と自分で決めていたので、受験後、受かっているのは当たり前として、結果発表のことは忘れて旅行に行き、帰ってきたら合格通知が来ていたという。
私は、そもそも、中央大法学部合格というのは、矢追さんが考えた目標ではなく、潜在意識が出してきたものだと思う。
こう言うと、「そうじゃない」と思う人もいるだろうが、人間が自分で思考をしているわけではないことは、科学的にも分かっているようである。
まあ、ここらは、どっちでも良く、自分で納得した目標・・・つまり、見栄とか過ぎた欲ではない目標であれば良いのである。
たとえば、高級車が欲しいという場合も、単に、それが楽しいなら良い目標だが、優越感を満たしたくて乗りたいなら、潜在意識の目標ではなくエゴ(自我)の目標なのである。

矢追さんは、10歳くらいの時、戦後で治安が乱れまくり不穏な状態だったことは日本の戦後以上だった満州で、母親に、「自分で稼いで来い。稼がないと家に入れない」と言われたのだが、なんとそれは、4歳の妹も同じだった。
そして、やるしかないと決めたらそれが出来たし、母親は母親で逞しく生きていた。
また、小中学校では、家で勉強することは許されなかったが、成績はオール5が当然と決めつけられ、4でもあったら殴られた。
そして、上で少し書いたが、高校生の時に母親が死ぬと、妹2人を引き取って自分で養った。だが、悲壮感は全くなかったらしく、深夜まで働いた後は、毎日、飲みに行っていたらしい。
これも、やれるかどうかなど全く考えず、出来るのが当たり前と決めつけていたのだろう。
かといって、必死で努力したとかいうのではなく、気楽にやったのだと思う。
このように、矢追さんは、若いうちに、余計なことは考えず(考える余裕がなく)、ただやるしかない訓練をしたので、「考えることを放棄し、大きな流れに乗る」という人生哲学に自然に導かれたのだろう。

目標は、ごちゃごちゃ自分で考えるというのではなく、思い付きや行きあたりばったりで良いのだろう。
矢追さんが、UFO番組やUFO研究で有名になったのも、なりゆきと言えばなりゆきだ。
荘子も、いっさいをなりゆきにまかせろと言ったが、矢追さんの言う、大きな流れに乗るというのがそれなのだろう。
あるいは、潜在意識にまかせるとも言える。
なりゆきにまかせる中で、潜在意識から目標が送られてきたら、それをやれば成功する。言い方を変えれば、目標も潜在意識にまかせるのである。








楽しいか楽しくないか、それだけが問題だ

引き寄せの実践に際し、目標は具体的に立てろという話がある。
売上げ目標なら、たとえば「3500万円」というふうに、数字できちんと表さないといけないというわけだ。
また、彼氏が欲しい場合なら、その彼氏に望むことを具体的に示す・・・たとえば、身長180センチで、月給50万円で、ベジタリアンで、スキーが上手いといった感じだ。
これが正しいかというと、単に「楽しければその通り」ということで、確かに、具体的目標を立てた方が楽しくなる場合も多い。
しかし、やる気のないセールスマンが、上司から「売上目標金額を決めろ」と言われ、本当は100万円も売りたくないが、1000万円くらい言わないと文句を言われると分かっているので、目標を1000万円としても、そんな目標のことを考えても楽しいはずがない。そして、そんな目標は達成されない。だが、多くの会社では、そんなことをしているのだ。

『その望みは宇宙がかなえてくれる』という本で、著者のモーア(女性)は、彼氏を得ようと、彼氏の具体的なスペック(「太極拳が出来る」という項目もあった)を設定したところ、だいたい、それに合った彼氏が出来た。しかし、長続きせず別れ、再度、やってみても同じ(だいたい望み通りの彼氏が出来るが別れる)だった。
ところが、「私にぴったりの彼氏を頂戴」と宇宙にお願いしたら、そうなって、今度はもっと楽しかった。
このことについて、モーアは「宇宙は賢いのだから、全部、まかせておけばいいのよ」といったことを書いていたと思うが、宇宙が賢いのは確かとしても、彼女は勘違いしている。
彼氏について、具体的なスペックを考えた時も、それなりに楽しかったので、それに似た彼氏が出来たが、楽しくない部分もあったのだ。
だから、楽しくないことも起こり、別れてしまったのだ
だいたい、新しい彼氏や彼女、あるいは、新しい友人も・・・いや、あらゆる出来事だって、予想通りなんてのは、それほど楽しくはなく、「思いもかけないこと」が一番楽しいに決まっている。

目標を立てるのが正しいとか、立てないのが正しいとかではなくて、立てるのが楽しければ立てるのが正しく、立てずにやるのが楽しければ立てないのが正しいのである。
ただし、ビジネスなんて、多くの場合、目標を立てた方が楽しいから、立てた方が良い場合が多い。それだけのことなのだ。

今、月給の手取りが10万円で、もっと欲しいという場合だって、「もっとたくさん」と思っても、あまり楽しくないものだ。
ところで、引き寄せの本の多くでは、「出来るだけ多く、具体的に」なんて書かれているが、これも、「多い」とか「具体的」といったことが重要なのではなく、楽しいかどうかの問題なのだ。
そんな本の教えの通り「月給手取り100万円」としても、その金額に実感がわかず、本当の楽しさを感じなければ、それば叶わない。
別に、「身の丈に合った目標を」と言うのではなく、「楽しいと感じる目標を」ということで、たとえば「30万円」と設定し、その金額が入ることを考えると楽しくなるなら、その通りになるのである。

彼女のいない男が、アダルトゲームをやったりエッチな漫画を見ると彼女が出来ないというのは、これも別に、そんなゲームや漫画で満足してしまうからなのではなく、アダルトゲームをやっても、楽しい面も少しはあっても、楽しくない部分の方が多いからだ。
アイドルの追っかけを情熱的にやっていても、本心では、それほど楽しくないので、アイドルのような彼女が出来ないのである。
好きなクラスメイトとちょっと会話をして「楽しいなあ」と思ったら、その人とは別の彼氏や彼女が出来るのである。ところが、その人に執着すると、楽しくないことが起こるので、彼氏や彼女が出来ないのである。
まさに、彼氏や彼女を作る場合は、細かいことは考えず、彼氏や彼女が出来た時の楽しい気持ちだけ感じたら、あっさり出来てしまう。
これを細かく考えると、面倒なことや憂鬱なことも浮かんで楽しくなくなり、結果、やっぱり、彼氏や彼女が出来ないのである。
全ては、楽しいか楽しくないかだけなのである。








死ななければ大勝利

目標を設定し、それに集中すると目標を実現してしまうことを、「ラベリング効果」とか「自己成就予言」と言って、科学的に信憑性があるらしい。
もし、目標が達成出来ないなら、それは、その目標に集中し続けることが出来なかったからだ。
なぜ、目標に集中し続けることが出来ないのかというと、意欲がなくなってしまったり、別の目標が出来てしまうからだ。
ではなぜ、意欲がなくなったり、別の目標が出来てしまうのかというと、早い話が、目標の設定を間違っていたのだ。

誤った目標とは何かというと、多くは次の2つである。
1つは、目標が高過ぎること。
300万円も貯金がない人が、いきなり1憶円を目標にしても、自分がそれを得られると心から思うことが出来ない。
もう1つは、その目標が真の願望でなく、子供っぽい憧れや見栄で目標を決めた場合だ。例えば、アイドルになるとか、サッカー選手になるとかだ。
いずれの場合も、目標をすぐに意識しなくなったり、目標がコロコロ変わる。

「これを死んでも叶えてやる」という、執念めいた目標は、時に短期間で叶うことがあるが、そんな執念めいた目標を支える熱望も、冷める時はあっけなく冷め、熱望が覚めた時というのは、惨めであったり、喜劇か茶番のように感じる。
なぜ、そんなことが起こるのかというと、それが、自主的に望んだことではなく、他者に「望まされた」ことだからだ。この他者とは、テレビや、洗脳効果のある映画や小説、あるいは、引き寄せの本みないなものだ。

目標を紙に書いて部屋の壁や天井に貼ったり、あるいは、カードにして持ち歩き、度々見ると叶うのは、目標に対する意欲が変わらなかった場合だけだ。
しかし、凡人が「1憶円」なんて書いても、1憶円が欲しいとは思うだろうが、すぐに熱意が消えているはずだ。

では、どんな目標なら熱意を持ち続けられるかというと、簡単なことなのだが、引き寄せの本には、まあ、書かれていない。
で、それがどんな目標かというと、危機感を伴ったものだ。
何の危機かというと、根本的には生命の危機だが、人間は、愛や名誉を失うと生きていられないので、愛や名誉の危機も含まれるが、危機感のない愛や名誉の喪失の危機は含まない。
なぜ、そんなことが言えるのかというと、人間の脳にインプットされた命令は「生きろ」だけだからだ。
明石家さんまさんが「生きてるだけで丸儲け」と言ったらしく、この言葉の評判も良いが、この言葉は随分、誤解されている。
ほとんどの人は、この言葉を、「生きてるだけで満足しなさい」という、「足るを知る」の慎ましい思想と思っている。
そうではない。さんまさんは、本能的、あるいは、経験的に、人生の真理を掴んでいる。
「生きてるだけで丸儲け」とは、本当は、「生きてるだけで大勝利」と言うべきなのだ。
「死ななければ大勝利」だと、もっと良いかもしれない。
芸人の世界では、生きるだけで難しいし、さんまさんも、何度か死にかけたのだと思うし、また、本当に死んだ人も見たに違いない。
それで得た悟りのようなものを、さんまさんは、一般向けに「生きてるだけで丸儲け」と言ったのだろう。
だが、誰にとっても、「生きていれば大勝利」「死ななければ大勝利」なのである。

「俺には野球しかない」と本当に思えたら、プロの選手かどうかは分からないが、実業団チームに入って、そこに馴染んだり、高校野球の監督になったりと、それぞれに合う道で成功する。
描いていた形とは別の形で願いが叶っているという人は多く、それが、人間という、欠けた存在の特徴なのである。
「死ななければ大勝利」「生きてこれを続けられさえすれば大勝利」と思えば、案外に大きな成果が転がり込んでくるものである。








限度はあるが、目標は曖昧に

成功法則や引き寄せの法則では、「目標を具体的に」というものが多い。
例えば、金持ちになりたいと思うだけでは駄目で、「期限」と「金額」を明確にしないといけないと言う。
家が欲しい場合には、場所や広さ、部屋数、間取り、庭や門の様子等を全て明確にし、そのために、理想とする家の写真や絵を飾ることが勧められる。
欲しい彼氏や彼女の外見や性格に関する詳しいことを決めておき、さらには、いつまでに欲しいのか決めろと言われたりする。
そして、そうやって願ったものと、ぴったり、あるいは、ほとんどぴったりのものを、設定した期限通りに得たという話がある。

だが、そういうふうにしたい人、あるいは、そいういうふうにする必要がある願望を除き、普通の人は、もっと適当にやった方が良いと思う。
例えば、20XX年YY月XX日までに一億円得る・・・なんて目標は、ガチガチの左脳思考で、自我的思考だ。
そんな目標を立てると、自我は肥大し、欲望が大きくなり、緊張し、疲れると思う。
まるで、何月何日のダービーで優勝しろと言われた馬や、優勝が義務とされているプロ野球の監督になるようなもので、やってる当人は、絶対に楽しくないし、少なくとも、普通の人にやれることではない。
せっかくの楽しいはずの目標が、具体的な目標を立てると、そんな野球の監督のように、「やらされている」感じになってしまうのだ。
実際、ガチガチの目標の世界に生きている人は、消耗し尽くし、いずれ病気になったり。性格が破綻することが多いのだと思う。そもそもが、大半は失敗するのだ(プロ野球の監督のほとんどは失敗する)。
プロ野球の監督を、一見うまくやっているような人は、超人的な根性があったり、執念めいた意地があったりする特別な人なのだが、そんな人達だって、本当は苦しいのである。お金や名誉のために、そんなことを続けていると、まあ、あまり良いことはないと思う。

そして、おかしいのが、具体的な目標を強調する指導者が、自己暗示や口ぐせの重要性を語る際、マイナスの自己暗示や口ぐせについて、こんなことを平気で言うことだ。
「子供の時、親に『お前は駄目な子だ』『お前は大したことは出来ない』『ほら、失敗するよ』と言われ続けた子は、そんな言葉が潜在意識に入ってしまい、実際に、駄目で、大したことが出来ない、失敗する人間になる」
「お前は駄目だ」「大したことは出来ない」「失敗する」なんて、超抽象的で、少しも具体的ではないじゃないか?
それでも実現すると言っているのである。
全く変な話だ。
良いことは具体的なことが、悪いことは曖昧なことが実現するなんて馬鹿な話は無い。
つまり、曖昧な悪い暗示が実現するなら、曖昧な良い暗示も実現するのだ。

そもそも、アメリカで最高のアファーメーションと言われているものの1つが、
「私は健康だ。私は豊かだ。私は素晴らしい」
という、実に曖昧で大らかなものなのだ。
これだと、健康に制限をかけず、どこまでも健康であっていいし、豊かさにも制限をかけず、いくら豊かであっても良い。
素晴らしいアファーメーションだ。

曖昧さの欠点があるとすれば、何も考えないこと・・・早い話が、曖昧な目標も立てなくなることであり、そんな人間がいることも確かだ。
「何か面白いことないかなあ」といつも言っているような人間だ。
自分は何をしたいのか、どこに行きたいのかといった目標は持たないといけない。
例えば、ミュージシャンになりたいとか、科学者になりたいとかだ。
しかし、ミュージシャンになりたいと言っても、単に、ギターを弾きながら雑音のような歌を歌っている者も、高校生や大学生などによくいるので、そんな連中を見ると、確かに「目標は具体的に」と言いたくなる気持ちも分かる。
だが、大切なのは、「適当に」「ほどほどに」である。
これに関しては、アインシュタインがうまいアドバイスをしてくれている。
「出来るだけ単純に。だが、限度を超えないように」

目標設定も、具体的にすべき部分も確かにある。
だが、お金が目的なら、「豊か」とか「富裕」としておけば、自分のイメージの範囲で、「豊か」「富裕」な金額が自動設定される。
丁度、子供の時に、親に「お前は駄目なやつだ」と言われた時の駄目が、どれほどの駄目さかは、その時々の自分がイメージ出来る範囲での駄目になるようにだ。

貧乏な人が、いくら「目標一億円」だの「目標年収3千万円」だのと言っても全くピンと来ない。
しかし、単に「私は豊かだ」とアファーメーションをすれば、「借金が返せるだけ」「今、欲しいと思うものが買えるだけ」のお金が入ることが自動的にイメージされ、その言葉を、心で丁寧に数多く繰り返せば、必ず実現する。

アインシュタイン的に言えば、
「目標は明確に。ただし、限度を超えないように」
で良いが、むしろ、
「目標は曖昧に。ただし、曖昧過ぎないように」
に近い。
人間には想像力がある。ある程度は曖昧な目標にし、後は、想像力で広げていくのが良い。
残念なことに、悪い目標の場合には、それをやっている人がすごく多いのである。
それを、良い目標でやれば良いのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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