「こわいもの知らず」の時代というのは、何をやっても楽しいし、そんな人を見ていると心踊るものだ。
スポーツで言えば、15歳の時の浅田真央さんや、オリックス時代のイチローがそれに近いと思う。
あの頃の浅田さんは、楽しくてスケートをやっていることがはっきり伝わってきて、見ている人達も楽しくさせたと思う。
なぜなら、浅田さんもイチローも、初めはさして期待されておらず、失うものがなくて、文字通り、「何もこわくなかった」からだ。
だが、浅田さんは16歳くらいの頃からは、見ていても、「辛い」としか思えなかった。
イチローは、どういうやり方だったのかは分からないが、マスコミなど、外の声を気にせずにいることができたので、長く、こわいもの知らずでいられたが、やがては、やっぱり楽しそうではなくなってきた。

プロ野球で、大学や社会人で活躍していたり、甲子園の優勝投手や、高校ホームラン記録の更新者となると、初めから期待され、注目されてしまう。
そんな選手達は、みんな最初からつまづき、多くは、大成しないまま消えていく。
田中将大さんが成功したのは、野村克也さんのおかげだろう。
おそらく、野村さは、田中投手に対し、本当にそれほど期待していなかったのかもしれないが、入団した頃は、田中投手をちっとも重く扱っていなかったはずだ。
そもそも、野村さんは、自分がプロ野球球団に入ったのは、優秀な選手達の練習相手に雇われただけで、期待どころか、数年でやめるしかない状態だったそうだ。それは、初めのうちは気楽で楽しかったはずで、野村さんは、そんな時代の良さをよく知っていたのだ。

期待されて入ってくる選手達は、既に栄光を得ている。そんな選手達は、なぜ、やっている本人も、見ている我々も、あまり心躍らないのかというと、そんな選手達は、失う恐れのために奮闘しているからだ。
こういうことなのだ。
期待されておらず、金も栄誉も無い時は、自由を動機にやっている。
しかし、一度、金や栄誉を掴むと、「失敗したら消される」という恐怖を持ってしまい、その恐怖を動機にやっているのだ。
自由が目的であれば、生命力は開き、エネルギーに満ちているが、恐怖の回避が目的であれば、生命力は塞き止められ、エネルギーは枯渇する。
生命エネルギーが足りないと、怪我や病気をするようになり、精神にも躍動感が無くなる。
ミュージシャンなども、いったん成功して人気者になると、「人気がなくなれば消される」という恐怖のために、「うける」曲を創り、歌うようになり、そんな音楽は本当の躍動感がない。
しかし、初音ミクはどれほど人気者になっても、何も恐れない。そして、失うものが無いクリエイター達が次々に新しい曲を創るので、永遠に輝くのである。
初音ミクは、元々がさほど期待されていなかったし、開発会社も、ある程度、初音ミクを手放していたからそうなったのだ。
クリプトン・フューチャー・メディア社が、普通の会社のように、「初音ミクの一切は当社のもの」という態度になれば、ミクもすぐに死んでしまうのである。

自然な状態では、子供には恐怖がないので、生命力に満ちていて、見ていても楽しい。
しかし、大人になれば、「失敗すれば生きていられない」恐怖を知り、身体も心も固くなって老化していく。
だが、老人になって、死をいくらかでも克服すると、また生命力を取り戻し、いわゆる、「子供に返る」。
しかし、死後の世界のことを信じて、死の恐怖を克服するようなことは絶対にない。
あくまで、自然や生命の真理を、頭ではなく、心で感じることによって、あまり死が恐くなくなるのだ。
霊界の研究をやっていたような人の死に際なんて醜いものだ。
しかし、金も名誉もなく、年を取って物欲もなくなった老人であれば、木の葉は枯れて落ちても、また新しい芽が出てくることを美しいと感じるようになり、年を取って死ぬことは、何ら悲惨なことではないことを、自然に分かるようになるのだ。
そんな老人にとって、死後の世界だの、天国だの、極楽浄土だのといったもののことなど、どうでも良いのである。

今は、子供でも、成績の良い優等性は、「優等性でなくなったら僕は不要な存在。もう生きていけない」という恐怖を持たされ、哀れ、子供のうちから恐怖を動機にして生きるようになってしまう。
そんな子供達の生命力は制限をかけられ、若いうちからエネルギーが枯渇し、何をやっても楽しくないし、実際に、何もする気がなくなってしまうのだ。

楽しく、生き生きとしていたければ、自由を目的に生きることだ。
自由は、いくら金や物を得ても得られない。
むしろ、そんなものを多く持てば、それらに縛られてひどく不自由になる。
自由は、精神の囚われを消すことによって得られる。
主義、信念、こだわり、偏愛、個人的嗜好・・・そんなものを捨てれば自由になる。
そのためには、余計な金や物を求めず、栄誉を得ても、そんなものはさっさと捨ててしまうことだ。
そして、一切の権威を認めてはならない。権威こそが恐るべき束縛なのだ。
私はいかなる権威も認めないし、いかなる個人も崇拝しない。
そのようにして、ただ自由と幸福を目的として自然に生きることだ。
そうであれば、生命は花開き、エネルギーに満ちて楽しく生きることができ、何の恐怖もなく死ぬのである。









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