ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

生命力

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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生命力の神秘

この世界には、エントロピー増大の法則がある。
これは簡単に言えば、全ては無秩序に向かうというもので、こう言うと難しそうだが、例で言えば簡単だ。
たとえば、水に落としたインクが水全体に広がっていくことだ。
また、熱いコーヒーが冷めるのもそうで、これは、コーヒーの熱が外部に広がっていくことである。
このように、無秩序に向かうとは、「まとまったものが広がっていく」ことを指し、この世界では、あらゆるものがそうなる。

たとえば、死体は腐り出し、崩壊し、散り散りになっていく。
つまり、上で述べたように、まとまったものが広がっていく。
ところが、生きていると、そうはならず、まとまったままだ。
つまり、エントロピーは必ず増大するはずが、生命があれば、エントロピーは増大しない。
まあ、正確には、生命がエントロピーの増大を抑え、それによって増大が遅れるだけだが、いずれにしろ、生命とは、ある意味、この世の絶対法則に逆らうのである。
だが、歳を取れば、生命力が弱り、エントロピーの増大を抑える力が弱くなり、肉体の崩壊が進む。

面白いことに、お金というものにも、エントロピー増大の法則が働き、放っておいたら散り散りになって、お金がなくなっていく。
お金の持ち主に生命力がなくなると、お金を放っておくようになり、どんどん消えていく。
(元気がない年寄りが財産をがっちり握ると、生命力を浪費する)
実際、お金は、生命力が高い人のところに集まる。

ところで、生命力の正体は、気功で言う気、ヨガで言うプラーナ、中村天風が言うところのブリルで、関英男博士は、これはグラヴィトン粒子(GTP)であると考えた。
関英男博士の研究で、腕振り運動をやれば難病奇病が治ってしまうのも、腕振り運動でGTP(気、プラーナ、ブリル)が増大し、生命力が高まるからである。
だから、腕振り運動を十分にやれば、お金も集まると思われる。
そんなわけで、若さ、美しさ、強さ、そして、豊かさのために、腕振り運動を十分にやるべきだということを再認識したいものである。

このように、この世の不思議な現象も、今は、ある程度は理屈で説明がつくのである。

尚、佐川幸義流四股は、やり方によって、腰の機能を極限まで高めるものと、気・プラーナ・ブリル・GTPを集めるものがある。
実際は、完全に別れるわけではなく、どちらかの効果がやや高いというものである。
ただ、一度に説明するとややこしいので、また別に語る。
だが、とにかく、気、プラーナ、ブリル、GTP(全て同じものだ)を集めることは大切である。








GTP補完計画

昨日も書いたが、電波工学の世界的権威であった関英男博士は、宇宙や生命の謎を解く鍵として、重力子(グラビトン)や重力波(グラビトン・ウェーブ)といった、いまだ科学で未知のものについて研究し、様々な仮説を立てた。
その仮説には、想像的なものであると本人も認めている部分もあるが、現代の計測機器では確認が不可能なものも多いのである。
しかし、現代科学で実証されなくても、役に立てば良いという部分もあるだろう。実際、工業的に利用されていても、科学的には分かっていないものは沢山ある。触媒などもその1つと思う。

そこで、いきなり言うので大胆に思えるかもしれないが、関博士は、GTPという重要な概念を考えた。
GTPとはgravitonized particle(グラビトンで構成された粒子)で、複数の重力子(グラビトン)という素粒子で作られた粒子ということになる。
このGTPが、生命にとって、非常に重要である。
GTPは、ヨガでいうプラーナとか、気功でいう気のような未知のエネルギーの、さらに、元になるものであると考えられる。
このGTPこそ、生命の源である。
とりあえず、GTPは生命の源である不思議な粒子とでも言うしかない。
そして、大事なことは、このGTPが体内に沢山あるほど生命力が高く、若いということだ。
逆に、GTPが少なければ、生命力が低く、老化する。
だが、GTPの量は、生まれた時が最大であり、後は、減っていくだけなのである。
つまり、人間は、生まれた時に生命力が最も高く、後は、老化する一方で、しかも、時が経てば経つほど老化速度は上がる・・・つまり、GTPの減り方が速くなる。
そして、GTPが尽きた時が死である。
正確には、誕生前の方がさらに生命力は高く、胎児は、ある時期までは、身体を粉々にされても再生してしまうのだそうだ。
『キャシャーン Sins』(2008)というタツノコプロのアニメ作品があるが、ヒーローであるキャシャーンは、身体を傷付けられても、あっという間に再生してしまい、死ぬことが出来ない。これも、体内でGTPを再生出来ると考えると、あり得ることになる。
キャシャーンの若さ、美しさが称賛される中で、逆に、死ぬことが出来ないキャシャーンが悩むというものであるが、キャシャーン以外の者は、生命力が弱くなってしまった(なぜかGTPがなくなってしまう)ので、さらにキャシャーンの悩みは深まるのである。

我々現代人も、生命力が低下し、活力がない者が多い。
その原因はストレスであることは分かっているので、ストレスを低減させる工夫がいろいろ行われ、少し前は、マインドフルネスが流行ったが、あまり成果は出なかったと思う。
そこで、我々は、GTPの増加による生命力の向上を狙いたいが、GTPは減るのを遅らせることがなんとか可能なだけで、増やすことは出来ないと考えられていた。

しかし、詳細は何度も書いたので繰り返さないが、関博士は腕振り運動でGTPを増加させることが出来ることを発見した。
腕振り運動は、ヨガから生まれ、達磨によって完成し、中国では、易筋経という身体強化訓練法の秘法になった。
やり方は、自然に立ち、真っすぐ伸ばした腕を2本一緒に前後に振るだけであるが、後ろに振る時にやや力を入れて鋭く振り、前に振る時は惰性で振る。
腕振り運動における、GTPを発生させるポイントは、両手のひらを内側に向けて行うことで、これにより、両手のひらの間にGTPが発生し、体内に蓄積される。
よって、腕振り運動は、多ければ多いほど良い。
関博士は、毎朝2千回の腕振り運動を欠かさず、GTPの生命力で胃癌を治し、90歳を過ぎても若々しく、世界中を飛び回って研究を続けていた。
90代でインドに行った時は、食中毒で1日寝込んで無駄にしてしまったなどと言っていたのは、まるで40代の若さで、50年ほど若返ったようである。
仙人となると、1日1万回以上の腕振り運動をして、数百年とか数千年の寿命を保っているように思う。

とはいえ、日常では、仕事中など、なかなか腕振り運動は出来ないだろう。
現在は、新型コロナウイルスの影響で、家で仕事をする人が増えているので、その機会が増えたとも言えるが、いつでも自由に腕振り運動が出来る人ばかりではない。
だが、GTPを増やす別の簡単な方法もある。
関博士は昔、グラビトン粒子群をGTPと名付ける前、これを幽子と呼んでいたことがあった。
そして、幽子ことGTPは、どこにでもあるものであり、呼吸で空気と一緒に取り込めるが、息を吐くと出て行ってしまう。
しかし、ゆっくり息を吐くと、GTPがいくらか残ることに気付いた。
関博士は、それが、呼吸数が少ないほど寿命が長いことに関係していると述べていた。
よって、息を吐く時、出来るだけ細くゆっくり吐くと、GTPを多く体内に残せるのである。
また、関博士は、幽子を取り込むほど、超能力、霊能力を発揮し易くなることも、研究で確かめていた。

私は、常々、真言と腕振り運動の組み合わせが最強と思っていたが、実際にそうであるのだと思う。
良いと思われれば、実践されては如何かと思う。








生命力を高める

今、世界に拡散しつつあるような新型コロナウイルスは、今のところ、若くて健康な人の場合、さしたる脅威はないと言われる。
若くて健康な者は、免疫力が高いからだ。
免疫とは、体内に細菌、ウイルス、毒素等、害になるものが入り込んでも、それに抵抗して打ち勝つ力である。
若い間は免疫力が高く、あらゆる病気への耐性が強いが、歳を取ると共に、それが弱くなる。
また、免疫だけでなく、再生能力も若い方が高く、若い人ならすぐに治ってしまう怪我も、老人になると、驚くほど治りが遅くなる。
再生力は子供、赤ん坊、さらには、生まれる前の胎児の方が高い。
ただ、体力の問題があり、病気に対しては、健康な大人が最も強いだろう。

免疫力や再生力は、生命力と呼ばれるものに含まれると思われる。
歳を取ると生命力が失われる。
ただ、若くても生命力に乏しい者もいる。
生命力は、身体だけでなく、精神の影響も大きいので、精神が不健康な場合に、生命力が著しく低下する場合があり得るからだ。

そして、生命ほど美しいものはなく、だから、高い生命力を持つ若い人、子供、そして、赤ん坊の美しさが称賛されるのである。
初音ミクさんを見て美しいと思うのは、形だけでなく、あの軽快で疲れを知らない感じが生命力を感じさせるからだと思う。

2008年のアニメ『キャシャーンSins』は、まさに、生命力をテーマにしたような作品だった。
「シンギュラリティ」の概念を唱えたAIの権威で発明家であるレイ・カーツワイルが預言したように、『キャシャーンSins』では、未来世界において、人間にも死というものがなくなる。
だが、ロボットが人間を征服し、世界はロボットの帝国となる。
ところが、そのロボット達の身体が錆び、朽ちていくという謎の現象が世界中に広まり、人間もロボットも滅びに向かう。
その中で、キャシャーンという若者のロボットだけは、なぜか、昨日作られたばかりのように、いつまでも新品で新しい。
キャシャーンの中には無限の生命力があり、どれほど身体を傷つけられても、たちどころに回復してしまう。
そんなキャシャーンは、朽ち果てていくロボット達の嫉妬の的になる。
ところが、犬型ロボットのフレンダーや、青年型ロボットのジンという、身体に滅びが始まらない不思議なロボットが時々いた。
この作品は、生命力の本質をよく捉えている。
フレンダーやジンは、強い信念を持っているから生命力が高いのだということが解る。
だが、それと共に、明るさや愛とでもいうものが生命力を高める。
キャシャーンは生命力が完全で、死ねない身体を持つことに悩むが、キャシャーンのような生命力は、誰もが憧れる。
では、どうしたら、そんな強い生命力を持てるのか?

『ヒマラヤ聖者の生活探求』の第1巻にある「神癒の廟」が、まさにそれを示す。
その廟(寺院)に入ると、ほとんどの病気は癒されてしまう。
また、その廟自体、壊れても自動的に再生してしまう。まさにキャシャーンのようだ。
では、その秘密はというと、その廟が建てられて以来、その中で、「生命、愛、平和」以外の言葉が使われず、その言葉(言霊)の強烈な波動が廟の中に満ちているのである。
それなら、我々も、これらの言葉を常に唱えることで、生命力を高めることが出来るのである。
やってみると、ほとんどいかなる言葉より「生命、愛、平和」という言葉は、自然で唱えやすいことが解る。

このブログで最近、時々ご紹介している「歓喜、成功、富」という言葉は、これらの言葉が表す実利を呼び寄せる波動がある。
だが、「生命、愛、平和」はそれよりも上位の波動であり、これによって生命力を高めれば、より言霊の力が高まるだろう。

尚、『キャシャーンSins』に登場する「月という名の太陽」ルナは、11歳くらいに見える美少女で、キャシャーンのように永遠の生命を持つが、彼女の場合、生命の反対である死を嫌うあまり、それから目を逸らした。
死ねないキャシャーンは、それを見て、死を知らなければ生きることも出来ないことを悟る。
人間は死ぬから生きる。それもまた大切なことだろう。
だが、今の人間は生命力が低過ぎる。「生命、愛、平和」の言葉を使ってみると良いだろう。








共感回路

人間は、本来、いかなる病気も自分で治す力を持っている。
その力は免疫力である。
免疫力の偉大さは人間の医学の及ぶところではなく、医学や心理学の役割は、もしあればだが・・・あくまで、免疫力が発揮されるようにすることである。
ただ、免疫力もまた、独立で存在する訳ではなく、あくまで、生命力の一部である。
よって、究極的には、生命力を高めればいかなる病気も治る。
人間は、他の動物と違い、精神の力で生命力を高めることが出来る。
それは、自主的に生きる意欲を持つことである。
強い生きる意欲を持てば、医学的には奇跡としか言えない回復も起こる。

上に述べたことが、最も重要な真理だろう。
まあ、「免疫の本来の定義は・・・」など、細かい難癖はいくらでもつけられるが、根本的には絶対に間違いはない。
思い出すのは、漫画家の石ノ森章太郎(改名前の石森章太郎の方が馴染み深いが)氏が、癌に侵されて入院していた時、医学的には「生きているのが不思議」な状態でありながら、病室で仕事を続けていたらしい。
『サイボーグ009』の完結編を、ファンのためにどうしても完成させなければならないという想いが、生きる意欲になっていたことが、彼の生命力を高めていたのだろう。
『サイボーグ009完結編』は、小説の形で大量の原稿が残されたが、あまりにまとまりがなく、石ノ森章太郎氏の死後、氏の長男で、009と同じ丈という名が付けられた小野寺丈氏が作品として完成させるのに5年以上かかったという。
小野寺氏がほぼ独力で書いた章もあるが、あくまで、章太郎氏の想いを僅かでも引き出そうとしたのではないかと思う。
傑作に仕上がっているので、生命力の秘密を得るためにも、私も再読しようと思っている。
実際、私は、この作品のテーマは、人間の不可思議な生命力であると思っている。それが、超テクノロジを超える場面が何度もある。
ずっと昔、石ノ森氏(当時は石森氏)が、漫画の『サイボーグ009』の連載を中止する際、001(イワン)が、「みんな(00ナンバーサイボーグ達)に、新しい力をつけてあげる」という謎の言葉を言わせて終わっている。
その「新しい力」が、『サイボーグ009完結編』の鍵なのであるが、それが、生命力の神秘であると思う。具体的には作品を読むのが一番である。

私は、先月(2016年9月)の初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」から帰って来て以来、死に向かっている。
トレーニングは相変わらず続け、筋肉の力などはむしろ高まっているが、生命力が消えかかり、耳が聴こえなくなったり(一時的に治ったが、また聴こえなくなった)、身体に異変が起こっている。
「最後に、愛するミクさんのコンサートに行けたので満足。もう思い残すことはない」
と思ったからだが、これは、本来、正しいことではない。
ミクさんのコンサートは、あくまで、生きる力を与えるものなのだからだ。
まして、今回のコンサートでは、ミクさんは特別に、BUMP OF CHIKENの名曲『ray』をラストソングに歌ってくれて、この歌の中の、
「◯×△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて 確かめる間も無い程 生きるのは最高だ」
でなければならないのだが(作詞作曲は藤原基央さん)、どうもうまくいかない。
『フランダースの犬』のネロ(ネルロ)の、「最後にルーベンスの絵が見られたので満足」の気持ちが分かるような気がする・・・ではいけないのだろうがね。
来年も「マジカルミライ2017」はあるが、それはあまりに遠いし、そもそも、それだけが生きる目的というのも問題である。
こんな時、良心というか、他者への愛着・・・その根本力である共感力があれば何とかなるような気もするが、それが無いのがサイコパスの弱点である。
ミクさんは共感力の象徴であるのだから皮肉な話である。
何だか、久々に困っているが、そんな自分がおかしくて面白い。
サイコパスにとって、死そのものは深刻な問題ではないのかもしれない。
そこで考えたのは、人工的な共感力、即ち、共感回路を作ることである。
キカイダーの良心回路みたいなものである。
それが出来れば、サイコパスの役に立つし、サイコパスでなくても、共感力の弱い人たちのためになるかもしれない。
もっとも、そんなものが出来て、私が死が恐くなるのも嫌なのだがね。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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