ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

生きがい

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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生きがいの見つけ方

生きがいを持つにはどうしたら良いかというコメントが多くあった。
世間では、むしろ、夢を持つにはどうしたら良いかという話が多いが、本当は、皆、生きがいが欲しいのである。
夢というのは、将来の希望のことであろうが、それは幻想に過ぎない。生きがいをもって生きていれば、未来なんかどうでも良いはずである。
Winkの『One Night In Heaven ~真夜中のエンジェル~』なんて歌にもあったが、「今一瞬が全て」である。

生きがいとは、快楽ではない。
美味しいものをいっぱい食べるとか、美女をはべらせるとか、イケメンにかしずかれるなんてのは、生きがいを奪いこそすれ、決して生きがいにはならない。

生きがいとは、リアルに生きることだ。生きていると実感できることだ。
サルトルは、戦火の街を歩き回った時、生きていることを強く実感し、精神が溌剌とするのを感じた。
ロシアン・ルーレットをご存知だろうか?回転式弾倉を持つ拳銃(リボルバーという)に弾を1発込め(2発以上のこともあるが)、弾倉をでたらめに回転させた後、銃口を自分のこめかみに向け、引き金を引くのである。「カチッ」という音がして、命拾いをした時、生きているという実感が、ふつふつと沸き起こる。無論、命が助かっても、精神を破壊してしまう危険はあるが、そうでなければ、これは病みつきになるという話もある。

もちろん、そういった過激なことをやるべきではない。
だが、ヘミングウェイやトルストイといった、生の喜びを鮮やかに表現した文豪達がギャンブル好きであったように、賭けというものは、リスクが大きいほど、妙に生きている実感を感じさせるのだ。
ギャンブルってのは、長くやっている人というのは、儲けることが目的ではない。スリルを感じることが目的なのだ。

人生の岐路に立った時、理屈や計算で道を選ぶと後悔するものだ。そんな時は、素直に好きな方を選ぶべきだ。得な方ではない。好きな方だ。
そして、どうしても分からないなら、駄目になりそうな方、損な方を選べば良い。
岡本太郎は、常に、破滅する方を選んだと言っていたが、彼は、さぞや生きがいに溢れていたことだろう。
それも恐ければ、せめてコインを投げることだ。

岡本太郎は、軍隊時代、30も過ぎて、18や19の兵隊達と一緒に最下級の2等兵として中国大陸に送られた。
旧日本軍とは愚かなものであったらしく、夜中にしごきと称した、上官のいじめがあった。上官は下級兵を部屋に呼び出し、殴って日頃の鬱憤を晴らすのである。
1人の上官が、次々に獲物を呼び出す中、岡本太郎は、いつも4番目に行った。殴る方は、4番目が一番調子が出るからである。

まあ、そこまで気合を入れることもないし、本当は、入れてはならない。
岡本太郎も、結局は病気で死んでしまった。やはり無理があったのだ。とはいえ、普通の人とは比較にならない生きがいある人生だったろう。しかし、我々は、彼を超えなければならない。

1つには、腹を鍛えなければならない。
その意味はというと、どうも現代人は、理屈というか、ちっぽけな知性や思考にとらわれて生きがいを失くしているからだ。
腹を鍛えるとは言っても、腹筋とか、インナーマッスルという意味ではない。腹にある、生命力の根源を活性化させるのだ。
腹を鍛えれば、頭の考えが慎んで引き下がり、腹の中から生命力が湧き上がることに、例えば、D.H.ロレンスのような作家はよく気付いていた。彼は、そのことについて本を書いたが、「これを読もうなんて自惚れるな」とまず釘を刺すのを忘れない。
複式呼吸のやり方をいろいろ工夫すると良いだろう。
だが、別にこだわる必要はない。複式呼吸など不要という人もいる。
分かりにくければ、下腹部に片手を当て、腹に常に力を入れると良い。黒住宗忠は、いつもそうしていた。宗忠は、元々は凡人だったが、後に、キリスト級の超人的な神人となった。

そして、後は、信頼する神なり仏に全てを任せ、何も心配せずに生きることだ。
だが、別にそれで、良いことがあるとか、願いが叶うということではない。そんなことも込みで、全て任せるのである。
何か思いが浮かぶごとに、「南無阿弥陀仏」と念仏でも唱えるのも1つの手であろう。
あるいは、腹に力を込めることでも意識すれば、思いは消えるだろう。腹の鍛え方の指導では、日本屈指であった、明治、大正の偉人、岡田虎二郎は、「腹から力が抜けた時に悪しき考えを起こすのである。腹から力を抜いてはいけない」と言ったという。
ラマナ・マハルシは、常に、「私は誰か?」と問えと言ったし、ニサルガダッタ・マハラジは、「存在する」という感覚に常にしがみつけといった。
気に入った1つをやれば良いと思う。

そうやっていても、困難は起こるだろう。
だが、それが良いのである。困難がなければ、腹に力を込めることも、念仏も長続きはしない。苦難を歓迎するまでになれば、そろそろ生きがいも掴めるであろう。
くれぐれも、得をしようなどという、浅ましいことを考えず、人に親切にすることだ。そうすれば、きっと生きがいは見つかるだろう。









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人には生きがいが絶対に必要である

先日、テレビ放送されていた、アニメ映画『ルパン三世 血の刻印~永遠のmermaid~』で、ルパンが長年の相棒、次元大介に珍しいことを尋ねていた。
「何のために泥棒をしている?」
次元は、割とあっさり、「美味い酒を飲むため」と答えた。
ルパンは、それを肯定しながら、それだけではないはずと、煮え切らない態度をとった。

昔の子供向けアニメでこんな場面があった。
1世紀ほど前のヨーロッパと思えばいいが、母親と8歳か9歳くらいの娘が、夕飯の買い物をしていた。貧しい庶民である。
母親が、夫の酒を買おうとすると、娘が嫌がった。酒を飲んだ父親が恐いからだ。きっと、母親に暴力をふるったりもしているのだろう。
だが、母親は、「男の人は、家の外で嫌なことが沢山あるのよ。お酒を飲まないではいられないの」と言って、娘を諭す。
なんともよく出来た妻である。だが、やはり賢い妻ではない。
浮世のうさを晴らすために酒を飲むと、不幸になる一方だ。酒は、なんの解決にもならない。
酒は快楽物質であり、麻薬的な常習性がある。快楽を求めて飲むと、どんどん量が増える。行き着く先は破滅である。
酒を飲むこと自体が良いかどうかはさておくが、飲むなら楽しく飲むべきである。そして、酒を楽しく飲むには、酒の快楽に優る楽しいことが必要だ。
いや、酒だけではなく、快楽に飲み込まれないためには、本当に楽しめることが必要なのだ。
官能作家の団鬼六さんは、性の喜び、楽しさを大いに説くが、性の快楽というものも、あくまで、人生の生きがいあってこそのものだ。性の喜びは生きがいにはならない。それしか無い人間が、いかに不気味に醜いかは想像がつくはずだ。

ルパンも、別に難しく考えることはなかったはずだ。人間は、生きがいが必要だってことだ。
それを次元は、「美味い酒をのむため」と、端的に言ったのだ。生きがいがあれば、楽しく酒を飲めるのだ。

道元が中国に行っていた時、故人の語録を読んでいると、高僧が、「何をしているのだ?」と道元に尋ねた。
「貴い人の言葉を読んでいます」
「何のために?」
「知恵を得るためです」
「知恵を得てどうする?」
「人々を救うのに役立てようと思います」
「それが何になる?」
そう言われて、道元は答に詰まった。
道元は、庶衆救済の志を述べたのに、「それが何になる」と言われても仕方がない。
これが、ルパンに浮かんだ、「何のために泥棒をするのか?」だろう。
答は、言うまでも無く、「生きがいだから」である。
生きがいでもないのに、キリストぶって人々を救おうとすれば、虚栄心か富の欲望に満ちた、愚かな宗教家になるだけである。

以前、細木数子さんはよく、「あんた死ぬわよ」と言ったものだが、いい年になって生きがいを持っていないと、本当に死にかねない。
ただ、生きがいとは、快楽でも自己満足でもない。それをやっていれば、死んで悔いなしというものである。
酒もセックスもゲームもスポーツ観戦も、自分の生きがいあってこそのものであることを忘れてはならない。









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真の生きがいとは

人は、生きがいがあれば色鮮やかな人生を生きていけるが、生きがいがなければ、本能だけで動く空虚な灰色の人生を生きなければならない。
生きられると、生きねばならないの違いは大きいだろう。

だが、我々は、子供の頃に生きがいを壊されてしまっている。
子供の時、本当の生きがいは魔法使いになることだったのに、お医者さんになるとか、サッカー選手になるというものに、無理矢理変更させられなかっただろうか?
いつまでも子供の夢を見ていてはいけないという、もっともらしいことを言う者もいるが、だからといって、奴隷としての生きがいを持ってはならない。
テレビで、小学生の子供が、焼肉やハンバーグといった美味しいものを食べに行くのを最大の楽しみにしているのを見せた番組があったが、本来、子供というのは、楽しいことをやっていれば寝食を忘れるものである。あの子供は既に奴隷であり、生きていないのである。本当の生きがいがないと、人は食べることとセックスにしか関心を持たないのである。
それに引きかえ、魔法使いになるというのは、高貴で賞賛されるべき生きがいである。
ただ、それが、自分だけの、個人の欲望に基く生きがいであるなら、確かに、早く卒業すべき子供の夢であり、大人にとっては妄想である。
しかし、ただ金持ちを目指すのは愚かなことで、魔法使いになるついでに金持ちになることが合理的なら、そうすれば良いだけのことである。
「子供が私の生きがい」なんてのもとんでもない。子供は早くあなたを不要とするようにならなければ、そのあなたの生きがいとやらは死んだも同然なのだ。あなたは迷惑なのである。

つまるところ、人間の目標なんて1つしかない。神や仏になることだ。
だが、人に神や仏は見えない。だから、イエスは人の形をとった神の姿(それをキリストという)の手本を示し、目指すべき生きがいを人々が持ちやすくしたのだ。また、浄土系仏教の聖典『観無量寿経』では、仏の姿を見る方法と、それになる道を示した。興味深いのは、イエスも、『観無量寿経』も、それを成し遂げるまでは、神や仏がその人を守ることを保障している。つまり、本当の生きがいを持つ者は天に保護される。
サミュエル・スマイルズは「天は自分で自分自身を助ける者を助ける」と言ったが、本当に自分自身を助けるとは、真の生きがいを持って生きることである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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