テレビドラマの影響だと思うが、私は坂本龍馬といえば、「日本を変えてやるぜよ」という、鼻息の荒いセリフが思い浮かぶ。
映画のキャッチコピーなんかでも、「僕は世界を変える」なんて多そうな気がする。
しかし、もし、坂本龍馬が本当にそんなことを考えていたとしたら、彼はただの阿呆だろう。

私が昔知っていた人だが、公務員だったのが、パニック障害か何かで退職し、国か県か市かは知らないが、とにかくどこかから、ずっと援助を受けて生活しているらしい。
何年か振りで顔を見たところ、ぷくぷく太って、もう「のほほ~ん」とした平和な顔をしていた。
その彼が、暇だからだろう、ブログを始めたが、タイトルか副タイトルか忘れたが、「世界を変えてやるんだぜい!」という鼻息荒いものだった。
もう、とっくに消えているブログだとは思う。
言っては悪いが、彼は正真正銘の、救いようのない阿呆である。
それは、まるで駄目男君(私の職場にいる、派遣の雑用係。30をとおに過ぎた人生の落伍者)が、目標を聞いたら、「社長」、「理事長」、「高尚な仕事」と言うのと同じだ。

では、なぜ、彼らがとんでもない阿呆なのか?
それは、はっきりさせておいた方が良い。
自分がそうならないためにね。

1973年のノーマン・ジュイスン監督のアメリカのミュージカル映画『ジーザス・クライスト・スーパースター』で、イエス・キリストが、ユダに、
「貧しい人を救うだと?我々にそんな力があるとお前は本当に思っているのか?」
と、ちょっとキリストらしくないと思われるかもしれないことを言うのを、私は印象深く覚えている。
自覚は出来なかったが、このセリフ(ミュージカルだから歌だったが)で私は、この映画の制作者は馬鹿でないと思ったのだ。
馬鹿が作ったキリスト映画なら、イエスは自由自在にあらゆる人を救うだろう。

武内直子さんの歴史的な漫画『美少女戦士セーラームーン』で、危機的な状況にある時、タキシード仮面こと地場衛は、こう言う。
「俺たちは出来ることをしよう」
昔、これを読んだ時、しびれたものだ。
今思えば、当時、20代前半の著者は本当に賢い人だ。
アニメの『美少女戦士セーラームーン SuperS』のエンディングソングは、1つ目のは、なんと秋元康さんが作詞した『私たちになりたくて』という歌で、これも良い歌だったが、2つ目のは、武内直子さん自身が作詞した『“らしく”いきましょう』という名曲だ。
その中で、「ピンときたの 理系カンカク」という歌詞があるが、武内さんは理系脳の持ち主だろう(別に、彼女が薬学部出身だからではない)。

『ウルトラマンティガ』でも、ダイゴがレナに、
「僕は人間だから、自分にやれることをする」
と言ったのを、やはり印象深く覚えている。
ダイゴは人間を超えたウルトラマンなのだが、それでも、やはり同じなのだ。

そして、元マイクロソフト(日本法人)社長だった、成毛眞さんの『理系脳で考える』に、こう書いてあるのを見て、ようやくまとまった。
「世界を変えようと鼻息の荒い人よりも、目の前の課題をクリアしようとしている人の方が、あっさりと世界を変える」
成毛さんは、頭の良い人は理系脳の持ち主で、頭の悪い人は文系脳の持ち主だと言う。
ただ、理系脳の持ち主か文系脳の持ち主であるかは、出身学部が理系か文系かとは一致しない。
たとえば、元総理の鳩山由紀夫さんは、東大工学部から、スタンフォード大学大学院の工学部の博士課程を出てPh.D.まで取った、世間で言えば理系中の理系の超エリートだが、
「友愛という極めて抽象的な言葉を多用し、普天間飛行場の移転先について、これといった具体策のないまま、『最低でも県外』と公言してしまっている。できないことについて、あたかもできるかのように言及するのは本書で述べていく文系脳の極みだ」
と、早い話が、「馬鹿」と断言しているようなものだった。









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