ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

独学

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
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教わらない、人真似をしない

イタリアのヴァイオリニストだったニコロ・パガニーニ(1782~1840)は、あまりの演奏の上手さに、「悪魔に魂を売って演奏能力を手に入れた」と言われ、そのために、死後36年間も、どこの墓地でも埋葬させてくれなかったという。
彼は、半年ほどは人に習ったらしいが、ほぼ独学で演奏技術をマスターした。
アインシュタインも大学には入ったが、講義には全く出なかった。彼は子供の時からずっと独学だった。
私の知人に、大変に車の運転が上手い男がいるが、彼は中学生の時から車を運転していた。誰も教えてくれるはずがなかったが、「運転したい」という情熱で勝手に運転をマスターしたのだ(決して真似しないように)。
私のプログラミングも完全に独学であるが、それだけでなく、私も学校の授業は聞いたことがない。
私の知り合いのゴルフ好きな男は、「最初は絶対に良い先生に習わないといけない」と言っていたが、彼はさして上手くはなく、政木和三さんのように、全く独学どころか、従来のレッスンや技術を完全無視した人が、プロもいる大会で優勝し、エージシュート(年齢以下のスコアで回ること。プロでも達成者は極めて稀)も2度達成している。
また、政木さんはピアノも、一度も習わずにプロの腕前で演奏し、自分で作曲・演奏したCDも出している。

この世のほとんどのことは、習う必要はないのかもしれないと思う。
むしろ、習うことで能力を束縛され、駄目になってしまうことが多いのではないかと思う。
独学である程度やれるようになった者が「基礎はちゃんと教わっておけば良かった」と言うことがよくあるような気もするが、それは単に「俺は本当はもっと才能がある」と言いたい(あるいは思いたい)だけではないのか?
独学で成功した者ほど、むしろ基礎を独学でしっかり作っているのである。

引き寄せこそ、教わる必要がない、そして、教わると駄目になることが多いことの典型であると思う。
もちろん、いかなることでも、上級者や達人を観察して技術を盗むべきである。
だから、本当に優れた師は弟子にテクニックを教えないのである。
引き寄せの優れた教科書の1つと思われる『マスターの教え』でも、マスターは「あくまで私のやり方を教えるが、それぞれは自分のやり方でやらなくてはならない。本当のマスターは人真似をしない」と言っている。
引き寄せの古典『信念の魔術』では、著者のブリストルが、まさに、引き寄せの駆け出しの頃からの、自分がやったことを正直に書いていて、非常に参考になる。
YouTubeに沢山ある、引き寄せ名人達の多少怪しげな動画にも、良い気付きを与えてくれるものがよくある。
良い独学者は勉強熱心である。
だが、他人のやり方に振り回されずに、我が道を行くのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)マスターの教え(ジョン・マクドナルド)
(2)信念の魔術(C・M・ブリストル)

幼馴染
AIアート2174
「幼馴染」
Kay

魚の釣り方は教えられない

老子の『授人以魚 不如授人以漁』という言葉の意味である、「魚を与えるより、魚の釣り方を教える方が良い」という格言は、よく知られている。
しかし、ほとんど全ての人が、最も肝心なことに気付かない。
その肝心なこととは、「魚の釣り方なんて教えられない」ということだ。
「そんな馬鹿な。ちゃんと教えれば、釣れるようになる」と思うだろうか?
そうではないのだ。
教えられるのは、ごく基本やちょっとしたアドバイスだけで、それらすら、不要と言えば不要だ。
本当に釣り方を修得する気なら、上手い人の釣り方を見て、後は、とにかく、やってみるしかない。
もちろん、一通り、上手い人の話を聞いたり、適当に本を読むのも良いかもしれない。
しかし、実際にやらないと分からないし、やってみれば、案外簡単だと分かるはずだ。

教えられて分かるのは、学校の勉強くらいのものだが、教えられて分かることって、全く役に立たないのだ。
だから、学校で学ぶことは、上級生にだって教えられるような簡単なことを除き、何の役にも立たないのである。
(よって教師は不要で、実際、上級生が教えた方が千倍も良い)
また、数学が出来るやつって、先生に教わって出来るようになったのではなく、教わるのをやめて、自分で学んだ者なのだ。
先生に教わって、試験の点数だけ取れるようなった者は、本当は分かっていないのである。
そんな、何の役にも立たない、学校、教師、塾、予備校が幅を利かせる国が発展するはずがない。
よって、今、日本は衰退に向かってまっしぐらである。

引き寄せも、良い本は、書いてあることはどれも同じなので、後は、実践あるのみで、魚釣りや数学同様、自分で修得しなければならない。
本気になれば、潜在意識が必ず助けてくれるのである。
私は、引き寄せのメソッド(手法)では、今に集中する「今今メソッド」が最も良いと思うが、それも、どんなふうにやるかは、自分で工夫しないといつまでも分からない。
幸い、素晴らしいテキスト『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』があるので、楽であるが、やはり、自分でちゃんとやらないと身に付かない。

イチローが高校生を指導した後、「ちゃんとやってよ」と言ったらしい。
それで、イチローの心情がよく分るのである。
イチローは、「真面目にやれ」とか「必死にやれ」と言ったのではない。
とても珍しい「ちゃんとやって」と言ったのである。
そして、ちゃんと出来る者は、千人に一人もいない。
学校の影響で、誰かが答を知っていると思い込んで、誰かに教えてもらおうとする者が圧倒的多数である一方、「俺は自分でやる」とは言うが基礎が分かっていないやつも多い。
基本は基本で、原則、見て覚える。
言葉で教わると、ほとんどの場合、間違ったことを教わる。教える方もかなり間違えているものだ。
よって、見ることもちゃんとしなければならない。
そして、後は、誰にも頼らず、自分で何とかするのである。
これが、「ちゃんとやる」ということだ。
だが、この心構えさえあれば、ほとんどのことは、簡単なのだ。
だが、さっきも言ったが、学校の影響で、「誰か(学校では先生)が答を知っていて、それを教えてもらえば良い」と思っている者に見込みはない。








神秘学を学ぶメリット

学校の勉強がよく出来るかどうかは、良い成績を取ることに対し、興味や情熱がなければならない。
だが、もっと根本的な問題があり、それは、学校や試験に肯定的感情を持っているかだ。
学校や試験に否定的感情を持っていれば、学校の勉強や、試験で良い点を取ることに全く興味がない。
そして、学校や試験に対し、否定的な感情を持っている子供はかなりいるし、しかも、強い否定的感情を持っている子供もいる。まあ、私がそうだったが(笑)。
学校や試験に対し、否定的な感情を持っている子供に、「しっかり勉強しなさい」とか「良い点を取れ」と高圧的に強要すれば、その子はストレスを感じて、ノイローゼになったり、逸脱を起こして不道徳・非倫理的な行為を行ったり、犯罪行為を行うこともあり得る。

そして、むしろ、今の日本の学校や試験に対し、否定的な感情を持つ方が正常であり、それでも、学校の勉強をすることや、試験で良い点を取るよう脅迫的に強要される「まともな」子供は、危うい状態になる。
一方、勉強や試験で良い点を取ることに興味がある子供でも、それが純粋な興味ではなく、損得勘定や、優越感といった自我の満足といった目的である場合が大多数なので、成績の良い子は、将来、社会を堕落させることに加担することが多いのである。

学校時代、どうであったかに関わらず、独学をした方が良い。
ところが、学校のおかげで、特に、数学や美術や音楽に対し、偏見や苦手意識を持つことで、これらが嫌いになった人が多いのである。
しかし、これらは、自分の好きなように勉強すれば、確実に面白いものである。
特に、数学の基礎が分からにと、不都合なこともあるかもしれないので、学校向けのものでなくていいから、ある程度はやっておくことをお勧めする。
数学嫌いの人には、数字が嫌いという人がよくいるが、まずは、数字の面白さを知るようにすれば良いと思う。
例えば、素数というものは、良い説明をされれば確実に面白く、そして、素数にだけ強くなっても、数学に強いように見えるし、実際に、数学的思考をするようになるので、そこから徐々に広げていけば良いのである。
学校では、素数の面白い勉強はしないので、数学は得意だが素数について肝心なことを知らない人も多いので、そんな人にすぐに勝てるのである。
素数に強くなり、自信がつけば、こっちのものだ。
「自信があれば、実力はついてくる」というのが真実なのである。
数学でも、物理でも、化学でも、苦手になったのには、「そこから一気に分からない」という時があったはずで、それを、そのまま放置したからである。
だから、とにかく、分かるところからやれば良いのである。
初歩的なことでも、分かり始めると自信がつく。そうすれば、本当に必要な実力がつくのである。

そして、本当に強力な武器になる学問は、世俗的には経済学だが、本質的には、何と呼んで良いか分からないが、それを一応、神秘学と呼んでおく。
そりゃ、経済学が世界を動かし、神秘学は、世界の実体を動かすのだからだ。
神秘学のテキストは、聖書や仏典や『バガヴァッド・ギーター』や老子や荘子、あるいは、古事記などだ。
これらは、物語の形式で書かれていて分かり易いはずであるが、やはり、時代が違うし、上手く翻訳されていない部分もあるので、読んでも、なかなか神秘力を得られない。
そこで、それら聖典のエッセンスを現代的な概念で説明してくれている賢い人の本があるが、例えば、ウスペンスキーなどは、多少の数学を使う。数学と言っても、初歩的な範囲なのだが、数学に苦手意識があると、理解し難くなってしまうのである。だから、多少は数学に対する自信を持っておいた方が良いかもしれない。

科学的な考え方は、世間的なことでも役に立つ。
プログラマーになるのに、数学そのものは、あまり必要ないが、数学的な考え方は必要だ。
心理学や哲学だって、数学的な考え方は必須なのであるが、なぜか日本の大学では、これらの学問が文学部にあったりで、これらを学ぶ学生は(教師ですら)数学は小学生並という人もおり、それでは、これらの学問を本当に学ぶこと、そして、役立てることは出来ない。
神秘学も同じであるが、神秘学は、本当は、強力で実用的である。
本来は、純粋な魂があれば、何も知らなくて良いのであるが、世間に背を向けて生きるのでないなら、少しで良いから、神秘学を学んでおくと、利益が大きいと思う。








学びのアンダーグラウンド

独学の天才と言えば、私が思い浮かべるのは、エジソンとアインシュタインだ。
エジソンは小学校中退で、アインシュタインは大学は出ているが、少年時代から学校は大嫌いで、大学も講義に出たことはなかったと思う。
では、どうやって勉強したかというと、本で勉強したということになるだろうが、彼らが本当はどうやって勉強したかは、よく分からない。
エジソンは教師であった母親から教わったようだし、アインシュタインだって、本だけで勉強したかどうかも分からない。
彼らはひきこもりではなく、かなり社交的であったことは、大人になってからの活動を見れば分かる。
私は、彼らが、本だけで勉強したのであれば良いなと思っていたし、そう信じていた。
それで、私は、中学生の時から学校の授業を一切無視し、独学したが、才能の差や勉強量が少な過ぎたことが主な原因だろうが、天才発明家や天才科学者とは程遠い。
それに、本だけで勉強する非効率さも分かってきた。思い違いをそのまま放っておくことが多い・・・というより、独りよがりな考えに陥りがちだ。
アメリカでは、学校がロクでもないものであることは、ずっと前から分かっていたことだが、学校を変えるのは無理そうだから、子供を別の方法で育てましょうということで、アンスクールという、子供の主体性に任せる教育法が出来ている。「教育」と言っても、大人が教えるのではなく、何をどう学ぶかは子供が決めことで、教育(エデュケーション)ではなく、学習(ラーニング)と言うのが正しい。
そして、これには、大人の援助は必要だが、大人の役割は、やはり、教えることではなく、子供が自由であることと共に、うまく他者と交流出来るよう配慮することである。まあ、どうしても一人が好きな子は、それはそれで尊重しなくてはならないが、注意深く見なければならない。
子供にとって必要なものは、指導者としての大人ではなく、自分より年下の子供同様、学ぶ相手として、大人もその1つとして必要というに過ぎない。
学校では、同い年の子供と教師としか接することがないという異常な状態であり、それでまともな知性が育つはずがない。
子供は、あらゆる年代の人達と接する必要があるのだ。
おそらく、エジソンもアインシュタインも、子供の時から、それなりに、いろんな年代の人達と接したのだと思う。
ただ、それも、少な過ぎたのかもしれないというのは、実際は、彼らも人間的にはかなり歪んだ部分があることが知られるようになったが、それには、かなりの異常性も感じるからだ。彼らの場合、天才であることから、それ(異常性)が拡大される傾向もあるのだが、普通の人と比べて深刻であるとすれば、もしかしたら、必要なだけの他者との接触がなかったのかもしれない。
ところで、女の子の場合は、可愛い子なら10歳くらいから、普通でも、12、13歳から性的魅力が出てくるが(最近は過剰に刺激されて早熟になっているが)、それだと、広い年代の男と接触する間に、誘惑も多くなる。しかし、それはあって当たり前と考え、対策をちゃんと教えると共に、そういうのも悪いことではないと考えるべきだろう。
それを、今の日本では、女の子は年代の違う男とは接触してはならないし、しないという建前を絶対視する異常さのせいで、問題がアンダーグラウンド化しているのであることは・・・いちいち言うまでもないのだが・・・
という訳で、新しい学びの場を誰かが作らないといけないのだが、私が作ろうかなとも思うのである。
アンダーグラウンドというものは、当分は、マフィアやヤクザ同様、多分なくならないし、悪くないと言えばそういう面もあり、芸術に昇華することも確かにあるのだが、不幸も生み出すことは否めない。
アンダーグラウンドがどういうものかは、今年の「マジカルミライ2019」でも歌われた、天才、田中Bさんによる、私の大好きなこの歌で。
【鏡音リン】深海シティアンダーグラウンド【オリジナルPV】-YouTube-









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自殺するなら、超人になれ

以前も書いたが、夏休み明けの時期は、子供達の自殺が急激に増える。
これに関し、学校関係者の言っていることを聴くと、子供達を保護しよう、慰めようというものばかりだが、それは何の解決にもならない。
良い成果を上げるために、必要不可欠なことは、学校関係者自ら、学校を否定することなのだ。
だが、彼らがそんなことをするはずがないので、決して、絶対に、子供達の自殺は防げないのである。

どういうことかというと、まず、これは十分に可能なことなのだが、遅くとも、中学2年生までに、学校がなくても、独学で勉強出来るようにしてあげないといけない。
そうすれば、学校に行かなければ、勉強が出来なくなるという不安が無くなる。
そんな不安は絶対に不要なのだ。
私は、中学2年生から、授業を全く聴いていなかったが、何の問題も無く、現在、上級のシステムエンジニアをしている。
独学と言っても、もちろん、中学や高校の全科目を勉強するような馬鹿な真似をする必要は全くない。
数学や科学の基礎(考え方)は、早いうちに最低限でも習得することが好ましいが、社会等の科目は、必要になれば、あるいは、興味を持った時点でやれば良い。
しかし、学校は、子供達や保護者にとって、不可欠の存在であろうとし、子供には独学が不可能であるように思わせ、そして、馬鹿げたほど多くの科目を詰め込まなければならないように強制する。
それだけでなく、国家の思想統制に反するものの考え方を許さない。
これでは、自殺候補の子供達に死ねと言っているに等しい。
以上のことから、子供達の自殺を防ぐためには、学校自体が学校を否定しなければならないという理由がお分かりであろうと思う。
私は、自分で学校を否定することで生き延びたのである。

そして、子供達には、力が手に入れられる道を示さなくてはならない。
もちろん、学校は、子供達に奴隷としての力しか認めず、それ以外の力を得させないよう、想像力を破壊する場所であるから、この点でも、学校は否定される必要がある。
学校に行かなくても、身体は鍛えないといけないが、体育の授業やクラブ活動でやるような、しんどいだけの時代遅れのやり方では駄目である。
学校では、良い身体の鍛え方は学べない。
授業時間やクラブ活動では出来ないような、長時間、ストレッチを根気良く淡々と繰り返すような運動が合う子もいるが、学校では決してやらせてもらえない。
これは、イチロー型のトレーング方法だ。
あるいは、腕振り運動を、何百回、何千回と淡々と繰り返すようなことは、決して許されないだろうが、これが根本的な力をつけるのである。

本田透さんの本で、『自殺するなら、引きこもれ』という本がある。学校は命を捨ててまで行くほどのところでないという点では良いのだが、それだけでは駄目なのだ。
子供達に、学校に行かずに済むだけの負け犬になったと思わせてはならない。
そうではなく、学校に行かないことは、学校に行っている子達より、よっぽど創造的で優れた人間になるチャンスを掴むことであることを、はっきりと言ってあげないといけないのだ。
そうすれば、学校に行くこと自体は苦にしない子も、「じゃあ、私も学校はやめて独学でいく」となるだろう。
そうやって、現代の学校をどんどん否定しなければ、子供の自殺だけでなく、若い人の、ひいては日本の活力を高めることはできないのである。
私なら、『自殺するなら、引きこもれ』ではなく、『自殺するなら、超人になれ』と言いたい。
そして、ちゃんと超人になる方法を教えてあげないといけない。
もし私が、もう一度、中学校や高校に行かなければ投獄すると言われたら、激しく戦うか、国外逃亡するだろう。なぜなら、そんなことをするくらいなら、死んだ方がマシだからである。
ああ・・・それと、初音ミクさんの歌はちゃんと聴くように。
ミクさんの歌には、沢山の人達の共感と感謝が満ちていて、自分の中の力を自分で引き出すヒントを与えてくれると思う。

だが、学校にも良いところがあることも述べておく。
それは、思想家の吉本隆明氏も言われたように、教師を反面教師として学べるということだ。
このことの価値は小さくはない。
世の中は学校以上に理不尽である。
しかし、誰もが、いつかは世の中に出て行く必要がある。
それなら、教師という馬鹿者によって鍛えられておくことにも大いに意味はあるのである。
私は、子供達に、教師と同等の私の愚かさを見せることを躊躇しない。世の中は、こんな下らない大人がうようよしているのだ。それをしっかり覚えておきなさい。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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