ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

特技

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

特技があることの有利さ。たとえ変な特技でも。

小学4年生の時、たまたま家が近く、親同士が知り合いだったせいか、よく一緒に登下校する女の子がいた。
ある日の学校の音楽の時間、彼女がクラスメイト全員の前でピアノ演奏を披露した時のことは鮮烈な記憶になった。
すごい腕前だった。私には、プロのピアニストとの区別がつかず、別に音楽専門ではなかったが、そこそこ上手かった先生よりもずっと上手かったはずだ。
彼女は、幼い時からピアノ教室に通わされていた。それは強制的にやらされていた感はあったが、それでも、長い時間の積み重ねの威力を思い知らされた思いだった。
私は、そんなものが自分にも何かあれば良かったのにと思ったものだった。
まあ、確かに彼女はやらされていただけで、楽しくはなかったようで、中学からは運動部(指を酷使する競技だった)に入ってピアノを止めたし、また、彼女とよく一緒にいた私は、彼女の性格が少々おかしいことも気付いていた。
だが、特技があることで自信を持てるのは良いことだ。
その他の子でも、人に出来ないことが出来る子が感じさせる自信のある雰囲気は羨ましいものだった。そんな子達は、必ずしも勉強が出来たり、容姿が良いわけでもなかったが、やっぱりどこか堂々としていた。
本当に何でもいいから、子供に、他の子が出来ない何かを出来るよう配慮してやることは大切だ。
ただし、あくまで、その子が好きなことや、好きになるようなことでないといけないが。

私の場合は、小さなことであったが、小学4年生の時に従兄が天体望遠鏡を譲ってくれ、大したことはなかったが、そのことで、天体望遠鏡と天文の知識が持てたことは、その後長く大きなアドバンテージになった。
また、大学のレスリング部の主将でもあったその従兄が、同時に、高速腕立て伏せを教えてくれたことも有難いことになった。
あまり真面目にはやらなかったが、それでも普通の子よりずっと鍛える結果になり、小5の時には、少し背が高いだけで痩せていた私が、意外な怪力であることで、クラスメイト達を驚かせることがあった。
また、高校の体育の時間に軽々と腕立て伏せをする私を見て、ややガラの悪い連中も、私には遜(へりくだ)っていたものだった。

永遠の一瞬
AIアート463
「永遠の一瞬」
Kay


子供だけでなく、大人も、何かちょっとした特技・美技を持っておくと良い。
いくつになろうが、時間さえかければ、かなりのことが出来るものだ。
たとえば、ピアノに全く触ったこともない中年に、一曲だけ名曲を演奏出来るよう指導する教室なんてのが人気があるらしい。
それに、何か1つ出来るようになると、その関連でいろいろ出来るようになる。
たとえば私は、普通の女性なら、その頭上を軽々と回し蹴りを通過させることが出来る。これは見栄えもし、喜ばれる(相手と状況に配慮することは必要)。
他にもいろいろ出来、おかげで私はモテモテだった(?)。
1つ上げれば、催眠術をマスターしたおかげで、中学生の時、いろいろ楽しい思いが出来た(詳しくは言えないが、相手も喜んでいたw)。
まあ、般若心経を全部唱えられる・・・なんてのは微妙というか、おそらく駄目で、適切なことを選ばないといけないが(笑)。
大俳優だった丹波哲郎さんは指2本で角材を叩き折るなんてことを特技にしていたが、彼も宴会芸的特技の有益さを知っていたのだろう。
(丹波さんも催眠術の名人で、女優さん相手に大いに活用し、高倉健さんがそれを見て、丹波さんに催眠術を教わったという話がある)
ついでに言えば、私は、名刺で割り箸を切断・・・どころか、割り箸が入っているペラペラの紙で、割り箸4本を同時切断出来る。本当に何でもありだ(笑)。
そして、私は今は魔法の技を得意としている。
詳細は書かれていないが、『マスターの教え』で、マスターが、そんな技を見せる場面がある。
さあ、あなたも。








暗い青春だった人が明るく生きるには

予備校に通う夢を見た。
予備校に在籍している設定で、自分でもそう思い込んでいた。
予備校では、ウェブサイトや、予備校の壁や、チラシに、講座の紹介が書かれていて(例えば、「東大理系数学ハイレベル講座。講師:〇〇先生」みたいに)、現代でも、申し込み書を予備校の窓口で渡すことが多いのだと思うが、ウェブで出来ることも多いと思う。
で、私は(夢の中で)ある大きな予備校に行くと、顔見知りの受験生(実は初めて会うのだが、知っているような気がした)がいて、言葉を交わす。
私は、もう半年、ここに来ていないことに気付いた(捏造の記憶)。
リアル世界でもそうだったが、一応は進学校の高校生だったが、受験に全く興味がなかった・・・いや、受験を嫌悪していた。
私は、顔見知りの受験生(本当は初めて見る)に、「講座は申し込んでいるのか?」と尋ねると、彼は「当たり前だ」と言い、講座の教室に向かう集団の中に飲まれていった。
どうも、私も、半年以上前に申し込んだ講座が継続しているはずだが(これも捏造の記憶)、今行っても、授業が分かるはずもないので、予備校から出たかったが、あちこちで教員が立ってにらみをきかせている。
そして、実際、予備校の外に出ようとしている生徒を捕まえ、「どこに行く気だ?」と問い詰めている。
こりゃ駄目だと思ったが、とにかく、ここに居ても仕方ないので、予備校から出ようとしたら、なぜか簡単に出られた。
しかし、出られたところで、行くところもなく、この寒いのに、外でうろうろ歩くしかない。
実は、私は今でもそうで、時間つぶしが下手・・・というか、全くできない。
「スターバックスにでも行けばいいだろ?」と言われても、スタバがどこにあるか、さらに、どれがスタバかも分からない。
それに、スタバの利用の仕方も分からない。
人に連れられて喫茶店に入ることはあるが、利用の仕方を全く憶えられない。これはリアルでもだ。
私には、喫茶店は非常に敷居の高い場所で、出来れば一生入りたくない(笑)。

夢とはいえ、私の実人生そのものだ。
なんと暗い青春を送って来たのだろう(笑)。
これでは、変な人間になるのは当たり前だ(笑)。
ネットで人気者の成田悠輔氏(経済学者。イエール大助教授)は、学校に全く適応出来なかったが、試験などはゲーム感覚でクリアすればいいだけなので都合が良かった・・・ようなことを言っていたと思うが、そんなことが出来るのは、極端にIQが高いやつである。
私は頭がお馬鹿な上、試験をゲーム化するにも、ゲームが好きでないし、学校の試験はあらゆる意味で嫌悪していたのだから、うまくいくはずがない。

これじゃ、私は、落ちこぼれどころか、社会の最下層に一直線のはずだったが(そうなりかけたが)、まあ、なんとかうまいことやっているのは、19歳の時に、ジョセフ・マーフィーの本に出会ったからで、潜在意識の力を最低限でも、意図的に使えたからである。
それと、やはり、何か特技を持とうと意図していたことが良かった。
例えば、プロレスラーになろうと(笑)、腕立て伏せやスクワットをやったり、次が占いで、いろんな占いを熱心に勉強したものだ。
その次は、霊界や霊能力で、かなり熱心だったが、職業にならなかった。
それで、転職を繰り返していた中で、ある零細だが技術系の会社で、私は事務員だったが(仕事は全然しなかった)、前の席の技術課長に、「君、これからはプログラミングだよ。プログラミングをやりなさい」と言われ、何となく始めたのがきっかけでプログラマーになった。
とはいえ、世間一般で言うプログラマーとは全然違い、普通の仕事を朝から晩までやるなんてことはなく、ほとんど働かなかったが、私には、マーフィー法則(今で言う引き寄せと同じ)があるので、良い想いばかりしていた。
今は、佐川幸義流四股とAIと協力するイラスト制作にハマっているが(笑)。

それで思うが、やはり、特技は必要である。
その特技は、世間で言われる特技である必要はない。
私の占いや、霊能力は、職業にならなかったとはいえ、個性は作ったし、それは生きるために非常に役に立つことだった。
それ以前にも、ナイフ投げ(我流)、空手(我流)、プロレス(我流)、秘法格闘技(我流)など、いろいろやったが、どんなことでも、自主的に、つまり、人に言われてやったことでないことは、どれも有益であった。
現代人は、人に言われてやることばかりだが、自主的にやることが大事で、自主的でありさえすれば、何でも良いのである。
ゲーテは、「最低の事でも、何もしないよりはずっと良い」と言ったが、それは、あくまで自主的にやることであるはずだ。ゲーテは肝心なことを言い忘れたのだ。
イタリア映画『愛のほほえみ』で、8歳の可愛い少女オルガは、「あたし、やっちゃいけないって言われることは全部したいの」と言ったが、素晴らしい心構えだ。きっといい女になる(笑)。
もちろん、これは、彼女がやりたいことを、周囲から、「やってはいけない」と言われた経験から、そうなったのだと思うが、凡人がやるなということはやるべきことに決まっている。まあ、そのくらいの気構えで良いのだと思う。








崇められるほどの特技を身に付けるには

高度な特技がないと人生は苦しい。
ところで、これから何か特技を身に付けたいと思う場合、すぐ思いつくような技能は、それが本当に好きな場合を除き、やめた方が良い。
すぐ思いつく技能・・・例えば、絵や音楽演奏や武術などだ。
なぜ、すぐ思いつくものはやめた方が良いのかというと、上手いやつが無限にいるからだ。
例えば、ツイッターで絵の上手い人をフォローしたり、上手い絵が添付されたツイートに「いいね」ボタンを押すと、ツイッターのシステムは、上手い絵のツイートをどんどん知らせてくるが、もう本当に、物凄く上手い人が、いくらでもいることが分かる。しかし、そんな上手い人達ですら、その絵の腕前で、高いお金を稼いでいる人は、ほとんどいないのだ。だから、自分に、よほどの才能がある確証でもない限り、やめた方が良い。

では、プログラマーはどうかと言うと、これは、私が言うのは難しいのだ。
と言うのは、私は、世の中には、優秀なプログラマーは本当に少ないと思っている。
それなら、今から始めても活躍出来るように思える。
しかし、私が、ロクでもないプログラマーと思っている人だって、上に述べたような絵描きにたとえると、恐ろしく上手い絵描きなのかもしれないのだ。
確かに、冷静に考えると、大したことがないと思うプログラマーだって、素人が、そのレベルに達するのは、なかなか難しい。
だから、やはり、ゼロから始めて、IT業界で活躍出来るようになるのは難しいかもしれない。
まあ、確かに、本当にロクでもないプログラマーもいるかもしれないが、そんな下手なプログラマーは、良い思いはしていないし、これからも出来ないだろう。

それで、もういい歳だが、稼げて、良い想いが出来るような特技を身に付けたければ、次のような特技を選ぶと良いと思う。
1つは、とても珍しい特技で、なおかつ、一定の需要があるものだ。だが、これは、むしろエリート的な特技だ。例えば、危険なスタントマンとか、パイロットとか、ワニの捕獲とかで、習得は難しいだろう。
もう1つは、もっと現実的だ。
それは、何かの分野の中の、特定のものに特化することだ。
例えば、あくまで、もののたとえであるが、絵の中でも、虫の絵、さらには、ゴキブリの絵に特化するといった感じだ。
「ゴキブリを描かせたら天下一」というほどであれば、必ず成功する。
野球でも、メジャーリーグにだって、打つのも走るのもさっぱりだが、守備だけは超人的に上手くて、高年俸で雇われている野手や、ナックルボールしか投げないが、勝てるので、やはり稼いでいるピッチャーもいる。
プログラマーにだって、JavaScriptしか出来ないが、それで本当に恐ろしいと思うほど凄いシステムを作れる者や、Excel VBAなら達人で、それだけで稼いでいる人もいる。
ただし、自分で達人と思っているだけでは駄目で、本当に達人でないといけない。
だが、特化型で超優秀なプログラマーは、良い想いをしている者が多い。

ジゴロ(女性の援助で生きている男)なんてのも、本当に口説きの達人なら、かなり優雅な者もいる。
ゴーリキーの『二十六人の男と一人の女』にも、他に何も出来ないが、女を口説くことだけは失敗したことがないロクデナシ男が登場し、26人の男が女神と崇める16歳の美少女を楽々落として見せた。
そして、本物のジゴロは、どんな女でもござれと言うのではなく、特定のタイプしか駄目な場合がほとんどで、これも、特化型なのである。
今は難しいかもしれないが、1つだけの楽器で、いくつかの曲だけ弾けるという者が、それがべらぼうに上手く、音楽の高等教育を受けた者より、はるかに稼げたこともあった。
格闘家の堀部正史さんの本で読んだが、ヤクザの世界でも、芸術的な脚折りのスライディングキックだけで、名を馳せていた者もいたらしい。

1万時間の法則と言って、1万時間をかければ、プロになれるという話がある。
それなら、特化したことで1万時間をかければ、達人になれる可能性が高い。
私は、誰にも負けない見事なゴキブリの絵が描ける者を、世の中がと言うより、神が見捨てないと思う。
1万時間は、1日4時間で7年弱、2時間では14年弱だ。
実際は、それほどの時間はかからない場合が多いかもしれないが、そのくらいを覚悟しておくと良いと思う。








理不尽で残酷な世の中をどう生きるか

世の中には駄目なやつがいる。
人に尊敬されるとか、リーダーになるとか、世の中で評価されるようなことをやる等といった可能性が全くない者だ。
こんなことを言うと「差別だ」と言う人や思う人がいると思うが、現実にそんなやつがいることを認めた方が良いと思う。
つまり、この世は、駄目な者にとっては残酷な世界と言える。
そして、この世界が残酷なものであることを認め、しかも、神秘を全く受け入れない者であれば、この世がそのようなものであることは、仕方がないことであり、受け入れるしかないという結論になる。
駄目な者は、つまらないことでしかなくても、出来る範囲で精一杯のことをするしかない。

確かに、駄目な者が大逆転をしたという話もある。
例えば、旧ソ連で実際にあったらしいが、ただの肉体労働者に催眠術をかけ、「お前は偉大な画家だ」と暗示をかけたら、その労働者は猛然と絵を描き始め、最初は下手だったが、見る見る上達し、ついには、作品がクレムリン宮殿に飾られるほどになったという。
しかし、言うまでもなく、この場合は、たまたま、その労働者に絵の天分があっただけで、他の人達に同じことをしても、ほぼ誰も画家になれないだろう。
これは極端な例であったが、「以前は駄目だったが、努力して駄目でなくなった」者というのは、やはり、元々能力があったと見なすのが自然である。
また、成功した者が、以前の自分を、実際以上に駄目であったと語ることは大変に多い。人間は、自分をドラマチックに見せるのが好きなものだ。

コンピュータープログラミングだって、「誰でも出来る」と言う者は多いが、どうしたって出来ない者はやはりいる。
一方、IQが高ければ、ちょっと頑張れば、楽々プログラミングが出来るようになる。
学校の勉強だって、IQが高ければ、授業をちょっと真面目に聞いていれば試験で良い点が取れるが、IQが低ければ、かなりの努力をしても、大した成績は取れない。

駄目な者は、1つのことだけをやるのが正解と私は思う。
私も、学校で全科目やったら、努力しても成績は全教科最低になるのは分かっていたので、数学に特化して、数学だけはそこそこの点が取れた。
運動神経がないやつが、空手や少林寺拳法をまともに習っても、全然強くなれないので、1つの攻撃に絞って神技に高めるのが正解であると私は思う。
つまり、どんな駄目なやつでも、1つの「これだけ」に絞れば、それに関してだけは人に優るようになれる。
いかに理不尽で残酷な世の中でも、そのくらいの能力は駄目な者にも与えられているのである。
プログラミングでも、Excel VBAだけであれば、時間がかかるかもしれないが、実用的なプログラミングが出来るようになれる。ただし、それをしようと思ったら、VBAの小難しいテクニックを得意気に言ったりSNSに書いたりするような者を相手にしないこと。連中の言うマニアックなテクニックなど、私もほとんど知らないし出来ない。まずは、本当に必要なことをしっかりやらないと、誰でも出来るはずのことが、永遠に出来ないことになる。
他にも、話術、コピーライティング、経済学、社会保険など、特化して「これだけメチャクチャ出来ます(分かります)」と言えるようになれば、良い思いが出来、不安がなくなるだろう。








虫けらの必殺芸

人生で勝つためには、何か1つ、必殺の切り札が必要であると時々(一昨日の記事、「絶対に負けないための切り札」など)書くが、私が本当に好きな必殺の切り札の話がある。
しかしこれは、本当に、ロクでもない必殺技・・・概ね、白い目で見られる、あるいは、軽蔑される必殺技だ。
だが私は、この必殺技のことを思い出す度に、感慨にふける・・・どころか、涙するのだ。
ある、ヤクザのオッサンの必殺技だ。
そうだ、ヤクザのおじさんなんて呼んでもらえない、そんな人間(ゴロつき、ならず者)の必殺技である。
もったいぶって言うほどのことでもないので簡単に言えば、喧嘩相手(この喧嘩は、ヤクザ同士の出入り、殺し合いである)の足元に滑り込んで、相手の脚を蹴って折る「脚折りキック」だ。
ある著名な実践格闘家は、若い時に喧嘩武道を探求していた時、わざわざヤクザの出入りの現場まで赴き、噂に聞く「脚折りキック」を現場で「見学」させてもらい、その手練の技の素晴らしさに感動したことを著書に書かれていた。

私がなぜ、このヤクザのオッサンの「脚折りキック」に感動するのか?
いや、上の話だけで感動する人もいるはずなのだ。
世の中には、沢山の素晴らしい必殺技がある。
英語やフランス語を高度に使えるとか、アラビア語やヒンディー語が流暢だとか、科学や技術、あるいは、医学のある分野のエキスパートとして丁重に招聘されるとか。
伝統芸能や伝統工芸の巨匠であるとか、オタクを萌えさせる絵が描けるイラストレーターだとか。
あるいは、Excelの達人であるとか、Javaプログラミングの名人とかである。
ヤクザの中にだって、空手や柔道の猛者だっているだろう。
だが、ほとんどの者が、「ご立派な」武器には縁がないと思う。
特に、この脚折りキックのオッサンはそうだったはずなのだ。
このオッサンは、子供の時、崩壊した家庭で育ったかもしれないし、学校で勉強が出来たなんてことはなかっただろうし、仲間外れにされていたか、あるいは、差別やいじめを受けていた可能性も高いと思われる。
そして、身体は小さく貧弱で、まともな喧嘩では強くなさそうだったようだ。
そのままでは、社会の底辺のその下でも底辺といった惨めな場所しか与えられなかったオッサンだ。
私は、心が病んでいるのかもしれないが、2019年に亡くなられた音楽家のOWAKAさんの『ワールズエンド・ダンスホール』(feat.初音ミク、巡音ルカ)の中の、「世界のすみっこでワン・ツー」なんて歌詞を聴くだけで泣けてしまう。世界のすみっこにしか居させてもらえない者がいるんだという、勝手な解釈で勝手に涙ぐむわけである。
そうだ、このオッサンの「脚折りキック」は、世界のすみっこにしか居られない者が生きるために身に付けた、せめてもの必殺技である。
この必殺技だって、集団戦の出入り(喧嘩)では、最初の一瞬でこそ役に立っても、その後でボコボコにされるか、殺されるかもしれず、実際、このオッサンも、そうなったかもしれない・・・いや、おそらく、そうなっただろう。
しかし、この半端者の中の半端者が、世界のすみっこで脚光を浴びたのである。
そのために、このオッサンは訓練もしただろうし、危ない目に遭いながら実戦でこの技を磨いたに違いないのだ。技が完成する前に殺されるか再起不能にされていた可能性の方が高いかもしれない。
まあ、こんなことでは想像力が働く私だ(笑)。

私が目指す必殺技は、このヤクザのオッサンの脚折りキックのようなものだ・・・などと言ったら、やはり、白い目、蔑んだ目で見られてしまうかもしれない。
『愛されなくても君がいる』(ピノキオピーfeat.初音ミク)では、「世界中が変な目で見てても、まだ君がそばにいてくれるなら」であるが、誰もそばにいてくれないものだ。
私は心情として、英語やスペイン語を目指すより、コガネムシ語や宇宙語を目指すのは、英語やスペイン語ではモノにならないし、多少やっても、上には上がいて、陽の目を見ないだろうからだ。
プログラミングだってそうで、C言語やJavaなどでは、上には上がいて、普通の腕になれても雑魚でしかない。
そこで私は、珍しいが優れたデータベースツールを選んで、それに多少熟達して良い思いが出来たが、ある小さな会社でも、そのツールを専門にしたおかげで、スキマのような市場で立派に存続している。
今で言えば、マイクロソフトAccessのようなデータベースツールだ(そのツールだって今でもあるが、安価なAccessで十分だ)。
Accessだって、「表側の人」には馬鹿にされるが、誰でもその気になれば習得出来、上手くなれば脚折りキックよりはずっと有益だろう。
既に広い場所が与えられている人のことは知らないが、世界のすみっこでワンツーするしかない人は、脚折りキック(のようなもの)を目指してはどうかと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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