ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

燃えよドラゴン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

思考が消えた状態とは

思考を消すことが悪いことだ、あるいは、恐ろしいことだという誤解があると思う。
そこで、思考が消えた状態に近いものを示そう。
それには、催眠術の話が参考になり、また面白いと思う。
私は中学1年生の時からの催眠術使いであるが、かなりの名人の催眠術もいろいろ見た。
私自身は、そんなに催眠術はうまくないが、私が催眠術にかけられることは全くない。

たとえば、催眠術でこんなことが出来る。
40代でも50代でも良いが、催眠術で年齢をどんどん退行させる。
「18歳になりました。13歳になりました。10歳になりました・・・」
催眠状態になれば、そんな暗示を容易く受け入れ、例えば、7歳にして自由にさせると、7歳の子供のように話し、7歳の子供のように振舞う。
本当に催眠術にかかっている場合は、芝居がかった様子がなく、自然なため、それほどの滑稽さは感じない場合が多かったと思う。
催眠術を解いた後、その7歳の子供になった人に聞くと、よほど深い催眠に入った場合でなければ、「自分は本当は大人だ」という自覚はあったと言う。

この、催眠術にかけられて7歳になった状態が、ある部分で、思考が消えた状態に似ている。
7歳の子供として思考してはいるのだが、その思考と一体化せず、自分は大人であるという意識がある。
言うなれば、7歳の子供としての思考は自動的に起こっているのであり、自分が起こしているのではないと分かっているのだ。
思考が消えた状態でも、「おはよう」と言われたら「おはよう」と返し、「今日はどこに行くのですか?」と聞かれたら、「今日は午後から買い物に行きます」と答えるが、その思考や反応は自動で起こっており、自分が思考者や行為者であるという自覚がない。
それはまるで、自分が劇を演じているのを見ているようだ。
『燃えよドラゴン』という映画で、少林寺拳法の達人リーは、
「良い戦いは、少人数で演じる劇に似ています。拳自ら打ち、私は打たない」
と言ったが、自分が戦っているという自覚があるうちは達人ではないということを、うまく表している。

百合と少女のイラスト
AIアート224
「百合と少女のイラスト」
Kay


思考が消えてしまえば、人生は演劇で、自分は劇を演じる役者だ。
そして、その劇は、幼稚園のお遊戯程度のものだ。
上の『燃えよドラゴン』の武術の達人が勝つように、こういった状態では思うままである。
まあ、ご参考までに。








ドラゴンの礼で勝つ

人生がうまくいく方法について、偉い、あるいは、怪しいスピリチュアリスト達が言うような、超高度なものの中にも、なかなか素晴らしそうなものもあるが、そういったものは効果を保証することは出来ない。
しかし、普通に起こり来る問題に対しては、「元気があること」「直観が冴えていること」の2つがあれば、トータルで良い成績を納められるように、世界も、そして、人間も出来ている。
元気については、脳内物質の1つであるエンドルフィンと、ステロイドホルモンの1つであるテストステロンが適度に発生すれば良い。
エンドルフィンについては、ガッツポーズを取れば出るのだから、元気を出したい時にガッツポーズを取れば良い。
また、笑顔になると、やはり、エンドルフィンが出るので、無理にでも笑うと良い。
テストステロンは、TEDでもトップクラスの支持を得ている社会学者のエイミー・カディが、パワーポーズを取ることで増大すると証言している。代表的なポーズが、スーパーマンやワンダーウーマンのように、腰に手を当てて仁王立ちになることである。
また、筋肉運動もテストステロンを増大させるので、スクワット、プッシュアップ(腕立て伏せ)を出来る範囲でやるという手もある。
元気を出すのは、割と簡単だ。

やや難しいのは直観だ。
これに関して面白いのは、ガッツポーズやパワーポーズで、エンドルフィンやテストステロンを出すと、かえって直観が冴えないことだ。
そこで、直観を発揮するための簡単な方法は何かというと、意外なことだ。
映画『燃えよドラゴン』の中で、中国の少林寺で、カンフーの達人リーが、少年の弟子を指導した後、少年が礼をすると、リーはその頭をぽかりと叩く。
つまり、顔を伏せる礼をしてはならず、礼をしながら、相手を見なければならないと言うのだ。
これは、常に相手を警戒するという意味に取られていると思うし、それもあるが、実は、もっと重要な意味がある。
背中と首を前に倒して礼をしながら顔を上げる、このポーズは、直観を最高にする。
物理学者で合気道家の保江邦夫さんが、『神様ののぞき穴』で、上体と首を前に倒し、顔を上げるポーズを「龍の首」として紹介していたが、それとほぼ同じである。
「ドラゴン」と「龍」が通じていて、とても面白い。
保江さんの本では、パワーポーズではうまくいかなった時に、龍の首でやればうまくいったセールスマンの例が紹介されていたが、パワーポーズと龍の首(ドラゴンの礼)をうまく使い分けると良い。
多くの場合、パワーポーズより龍の首(ドラゴンの礼)の方が強力で、こちらは、神秘的な力がある。
だが、元気を出していきたい時は、ガッツポーズやパワーポーズが良いだろう。
そして、パワーポーズでうまくいかなくても、龍の首(ドラゴンの礼)なら勝てるだろう。

以上の2系統の武器で、百戦危うからずである。








9割いい加減に、だが、1割は生真面目に

私は、アニメは、萌えキャラが登場するものしか見ない。
いや、萌えキャラしか見ない。
どういうことかというと、萌えキャラが出ていると、その作品は、作り物っぽくなる・・・もっと言えば、嘘っぽくなる。
アニメは、非現実的でなくてはならない。

ウィリアム・バトラー・イェイツ(ノーベル賞を受賞した、「20世紀最大の詩人」と言われるアイルランドの詩人・作家)は、
「良い役者は自分が泣いたりしない。ハムレットもリア王も陽気だ」
と詩作の中で言っている。
つまり、シェイクスピアの作品なんて、全部、浮世離れしているから良いのである。
リア王のお話も、お伽噺のようなもので、幕が引けば、リア王も笑顔を振りまき、可愛い末娘役の子に萌えているかもしれない。
『燃えよドラゴン』でも、ブルース・リー演じる武道家リーは、
「良い戦いとは、少人数で演じる劇に似ている」
と言っていたのが面白い。
つまり、どこか醒めた、どこか傍観者的な態度が必要なのであると思う。

イーロン・マスクも、ニック・ボストロムも、この世界はシミュレーテッド・リアリティ・・・超高性能コンピューターが作り出す仮想世界・・・早い話が、作り物であると断言している。
『投影された宇宙』では、著者マイケル・タルボットは、主に量子物理学の立場から、この世界はやはり実体ではない、見せかけのものであると説く。
古代インド哲学では、この宇宙が幻影であるというのは、よく知られている。
室町時代の歌謡集である『閑吟集』の有名な唄、
「何しようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」
(そんなに真面目くさってどうする。人生は夢だ。ただ狂え)
の通りと言って良いだろう。

ただ、『天使のささやき』の中で、植島啓司氏が、良い心構えを語っていたのを覚えている。
つまり、「9割いい加減に、しかし、1割は生真面目に」だ。
悲劇の王を演じるリア王も、9割陽気だが、1割は真面目にやっているし、リーは、9割お遊戯でも、1割は真面目に戦っている。
私の好きな言葉、「神を信頼しろ。だがラクダはつないでおけ」も同じ意味だ。
今朝も書いたが、「安心しろ。だが控え目に」「安心しろ、だが欲張るな」である。
そして、念仏を唱えるのが一番である。









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王者の魂

謝罪会見というものがよくある。
問題を起こして世間に迷惑をかけた社長さんらが、テレビカメラの前で禿げ頭を深々と下げ、それを記者達のカメラのフラッシュが照らすというのが恒例のようだ。
人気者だが、刑務所に入れられた者達も、出所時に、テレビカメラや記者や野次馬の前で、やっぱり深く頭を下げる。

本来、頭を下げるというのは、上下関係をはっきりさせるということであり、別段、「謝罪する」という意味はないのだが、上とか下にこだわる卑しい人間性が、こんなおかしな慣習を作ったのだろう。
私は、誰にも頭を下げて欲しくないし、頭を下げるのを見たくもない。

多くの歌手が、歌い終わった後に頭を下げ、古いタイプの歌手なら、歌う前にも頭を下げる。
これは、「お金を払って下さい」という意味で、やはり、払ってもらう方と払う方の上下関係をはっきり示すことである。
決して、高潔な意味がある訳ではない。
就職の面接の際、部屋に入ってくるなり、応募者は頭を深く下げ、面接が終わって出て行く前にも、最大に頭を下げる。
これもまた、「お金を下さい」と媚びているだけで、応募者の優秀さや人間性の高さなど、全く表していない。

頭を下げるというのは、謙虚さを示しているのではない。
単に、上下関係を形にし、不当なお願いをし、時に、相手を油断させて足元をすくおうとすることなのだ。

映画『燃えよドラゴン』で、ブルース・リー演じる武道の達人リーが、少林寺で少年の修行者に稽古をつけてやった後、相手の少年が頭を下げると、その頭を叩く。
うつむいていたからだ。
リーは、お辞儀をする時も、相手から目を離すなと教える。
これは、「いかなる時も警戒を解くな」という意味でもあるのだろうが、それだけとは思えない。
そのように、こっちを見たまま頭を下げられると、あまり良い気はしないかもしれない。
だが、それは同時に、媚びていない、不当な要求をする気がないことを示している。
私なら、こっちの礼の方がまだ好きだ。

初音ミクさんが、コンサートで、おそらく一番変な姿で歌う『キャットフード』という歌の中に、「媚びない、それが私自身」という言葉があるが、良い言葉であると思う。
媚びない女が一番いい女だということを知っている男性は・・・昔は多かった。
今は、頭を下げる女が好きな男が多い。
今の男に本当の力がないのだ。
つまり、頭を下げる男ばかりなのだ。

王者は頭を下げない。
岡本太郎は決して頭を下げなかった。
ポーズで下げる時は笑っていた。
あなたは王者になるのだから、頭を下げてはならない。
ポーズで頭を下げても(世間的には必要だ)、うつむいてはならない。
老子は、本物の王者は自分を、「みなしご、孤独な者、不作な者」と自称すると言う。
たとえそうでも、王者は頭を下げないのだ。

時代劇小説『木枯し紋次郎』に登場する、一番いい女は誰だろう。
それは、帰ってきた紋次郎シリーズでも、一番最後に登場する、ふみという名の娘だ。
しびれるほどいい女とは、こういうのを言うのだ。
ふみは、事情はあるが、娘とはいえ、商家の主だった。
彼女の使用人が、柔らかいものだが、武士の顔に当ててしまい、激怒した武士が「手討ちにしてやる」と凄む。
ふみは、武士の前に正座し、謝るが、頭は下げず、武士をじっと見ている。
そして、私を切れと言う。
軽視されたと感じた武士はさらに怒りを燃やし、いよいよ大刀を抜き、ふみに向かって振りかざすが、やがて脂汗を流し、逃げるように立ち去る。
彼女こそ、本物の王者である。
その彼女も、紋次郎には頭を下げるのだが、「軽く」とちゃんと添えて書かれていた。
紋次郎は、ポーズとしては頭を下げるが、やはり、媚びて頭を下げることは絶対にない。
あなたは、ふみと紋次郎の魂を喰らって王者になるがよい。









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ゆっくり力の驚異

どういう理屈かは分からないが、ゆっくりやれば、ほとんどのことはうまくいく。
ゆっくりやれば、定められた時間に遅れてしまうという危険は確かにある。
立派な人間は、普通のことでは約束の時間を守らなければならない。
しかし、大事なことでは、時間には間に合っても、出来が悪いよりは、遅れても仕上がりが素晴らしい方が良いのである。
一流の作家が原稿を締め切りまでに仕上げたら、翌日は嵐だ(稀な例外はある)。
こういうことをあまり大っぴらに言うのははばかられるかもしれないが、最高の仕事は、約束の時間からとんでもなく遅れた末に出来るのである。
だが、それは理屈で説明できる。締め切り日を決めるのは三流の仕事だからだ。
一流の仕事には、凡人が思うよりはるかに時間が必要なのである。

今の時代は、何でも、ぱっぱと早くやることが推奨される。
その結果、手抜きが流行る。
手抜きをやって、良い結果になることなんか絶対に、ただの1つもない。
そんなことは分かりきっているのに手抜きは後を絶たない。なんとも愚かなことだ。
建築などの仕事でも、手抜きをすれば、ほんの少しは得をすることもあるかもしれないが、その後で全てを失うである。

ゆっくりやるとは、先送りにすることじゃあない。
怠惰になることとは違うのだ。
すぐに着手し、常に、そのことを考えたり手を付けてはいるのだが、ゆっくりやるのだ。
種子がアスファルトも破って芽を出すように、ゆっくりやれば、驚くべき力を発揮する。

ゆっくりやるとは、丁寧にやることだ。
だが、丁寧にやっても、ゆっくりやればしんどくはない。むしろ、丁寧にやれば、宇宙からエネルギーがどんどん流れ込んできて、気持ちが良いし、元気になる。
そんなことは、誰もが経験済みではないのかな?

ゆっくり丁寧に食べれば百倍美味しいし、栄養が正しく吸収され、少食になり、身体がスリムになるだけでなく、健康で美しい体形になり、さらに肌まできれいになる。
ダイエット食品をかっ込んだって、仮に痩せても、どこかゴツゴツ、カサカサした身体になって魅力がなくなる。
美容なんて、実際は1円も必要ないのだ。

お風呂で身体を洗う時は、ゆっくり丁寧にやる練習と思って、楽しくやると良い。
特に頭を丁寧にゆっくり洗えば、抜け毛はなくなって、薄い髪も濃くなり、血行もよくなって気分は爽快となり、卒中も防ぎ、頭も良くなる。
薄毛対策にもお金なんて必要ない。

手抜き料理で彼を虜にしようなんて無理だ。
一度や二度は、便利な調味料による表面的な味の良さで誤魔化せるが、そんな料理はすぐに飽きる。
下手でもゆっくり作った料理は、たとえ不味くても、可愛いと思ってもらえるだけでなく、かえってすごく愛されてしまうことが多い。そして、ゆっくり丁寧に作っていれば、そのうち、それなりに上手くなる。

そして、ゆっくりやれば、結局は速い。ここが不思議なところなのだ。
プロレスのジャイアント馬場さんは、スローモーさを笑いのネタにされることがよくあったが、一流の対戦相手からすると、あの遅さが恐ろしかったのだ。
そして、分かる人が見れば、それは単に無駄がないのであり、しかも、危機一髪の場面では、信じられない速さで反応して逆転勝利することが実に多かったのである。
馬場さんに限らず、そこが一流と二流との差だ。
古武道の達人なんて、本当にゆっくり動いているが、ここ一番の技は速くて見えない。しかし、達人の技は無意識に発せられているのであり、彼は速く動こうなどとは考えていないのだ。
映画『燃えよドラゴン』で、リーが、「好機が来ても私は打たない。拳が自ら打つ」と言ったのが、そのことを表しているのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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