西洋的物質主義、合理主義、資本主義の中では、サービスは有償であり、何かをしてもらおうと思ったら対価を支払わなければならない。
日本では「サービスします」と言ったら、今でも無料の感覚があるかもしれないが、昔よりは西洋的になってきたと思う。
サービスを無料と考えることは日本人の欠点と見なされ、むしろ、社会の健全性を保つためには、無料でサービスを提供してはいけないと言う者もいると思う。
だが、今でも、日本人が海外に行くと、チップという仕組みに違和感を感じる場合が多い。
一方、西洋人が日本の飲食店などでチップを渡すと、渡された方が混乱する。
これらから考え、やはり、日本では今も「サービス=無料」の感覚が強いのだろう。
昔、日本に来た西洋人が、日本の飲食店で、店員にかなりの迷惑をかけた時、店員にやや額の大きいチップを与えようとしたら、その店員は「私は職務を果たしただけ」と受け取りを拒否したのだが、その西洋人は感動したという。

確かに難しい面もある。
サービスを受ける側が、サービスのコストを安く考えてしまって、サービス提供側には大きな負担となるようなことを「この位は無料でやってもらって当然」と思ったり、立場が強い者が弱い者に、無料サービスを強要するということもよくある。
また、特にビジネスの場においては、無料で提供したサービスでも責任が発生する・・・つまり、提供したサービスの品質を保証しなければならない場合が普通なので、それが様々な問題を引き起こす。そのあたりを見誤ったら大きな損害となり、会社が倒産することも有りうる。

『葬送のフリーレン』というアニメで、勇者ヒンメルは優れた剣士であるが、困った人を見たら放っておけず、必ず手助けをするが、それも、適当に助けるのではなく、完全に助ける。このアニメの善玉の登場人物たちも、皆そうである。
これを見て、良いと思う人が多いだろうが、一方で、「こんな甘ったれた考え方を、日本の子供や若者に持たせては大変だ」と考える人も多く、実のところ、私も、そう思わないでもないのだ。
良いサービスには、きっちり対価を払うというのが優れた考え方であるという面も確かにある。

だが、証拠もないし、私の思い込みかもしれないが、無償で何かをしてあげる者は、無償で何かをしてもらうことが多いものだ。
イエスは、「隠れて良いことをしたら神が報いて下さる」と言うが、日本では、西洋なら善行と思われるようなことを、当たり前の行為として、堂々とすることが多かったし、今でも、そのようにする人がいる。
ただ、日本でも、西洋的に、神に願う時には、生贄を捧げる・・・つまり、対価を支払わねばならないという考え方があるが、神様って報酬を要求するのかなあと思う。生贄という考え方は、やはり、「無償ではサービスしないぞ」という考え方を持った者の発想のように思えるのだ。
引き寄せも、対価は必要ない。無料で何でも引き寄せることが出来る。
ただし、それはやはり、普段から、無償でサービスを提供する者の場合かもしれない。
ボランティアとか言うのではなく、近所の老人や身体の不自由な人の家のゴミ出しや力仕事をごく当たり前に無償で行う者は、やっぱり運が良いのだと思う。
親切や施しが趣味のような人が最も幸運なような気がする。
まあ、証拠はなく私の思い込みかもしれないし、押しつけがましい親切もいけない。
だが、余計な親切をして怒られてしまった時、当たり前に平謝りに謝る者が神様に好かれているようにも思う。

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(1)パイロットが空から学んだ運と縁の法則(坂井優基)
(2)人生の扉をひらく「万能の鍵」(ラルフ・ウォルドー トライン)
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(4)葬送のフリーレン ※Amazon Prime Video

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