私は、ラマナ・マハルシがこう言ったことについて深い感慨は持っていたが、意味がはっきりしなかった。
「その事業家は大きな事業を成しつつある。しかし、彼は何もしていない」
「国の財務長官は、責任感を持ち細心の注意を払って務めを果たしている。しかし、彼は何もしていない」
だが分かった。
共に、思考していないという意味だ。
「事業家は思考しないことで大きな事業を成す」
「財務長官は思考しないことで大きな責任を果たす」
もちろん、世間一般の常識とは真逆である。
いや、世間一般どころか、スピリチュアルなことが好きな人達ですら納得しない。
だが、こういう言い方なら、まだ受け入れてもらえる。
「事業家は無意識(あるいは潜在意識)にまかせることで大きな事業を成す」
「財務長官は無意識(あるいは潜在意識)にまかせることで大きな責任を果たす」
しかし、これなら、「どうすれば無意識にまかせることが出来るのか?」という問題が残る。

AIアート93
「天使はなぜ飛べるのか?」
Kay
世界最高の精神科医であり、「魔法を使って治している」とまで言われたミルトン・エリクソンは、こんなことを述べている。
「私は仕事の山を前に無意識に入る。すると、経過は全く憶えていないが、気がついたら仕事は片付いている」
エリクソンは難しいと言われる。
彼のテクニックは、彼が死んで半世紀近く経つ今でも研究が続けられている。
一般的に言っても難しいのは、やはり、彼の「無意識に入る」である。
彼は簡単に無意識に入り、他の人も無意識に入らせることが出来た。
しかし、どうすればそれが出来るのかが分からないというわけだ。
何のことはない。
思考を消せば無意識に入ることが出来る。
だから、上記のエリクソンの言葉を言い直すとこうだ。
「私は仕事の山を前に思考を消す。すると、経過は全く憶えていないが、思考が戻ったら仕事は片付いていることが分かった」
それに、「無意識に入る」「無意識になる」という言い方は間違いである。
思考は消さなければならないが、「意識はある」のである。
「意識がない」、つまり、眠ったり、失神していては何も出来ない。
言葉とは大切である。
言葉がいい加減であるために、何十年も、ことによっては、何百年、さらにそれ以上も誤解を与え続ける。
意識を保ったまま、思考を消す最上の方法は「私は誰か?」と自分に問うことである。
思考のし過ぎで、そろそろ人類は終焉を迎えようとしている。
だが、思考を消した者は何も困らない。
それを分からず、誰も「私は誰か?」と問わず、思考の範囲で分かることをしたがる。
手遅れになるかもしれない。
「その事業家は大きな事業を成しつつある。しかし、彼は何もしていない」
「国の財務長官は、責任感を持ち細心の注意を払って務めを果たしている。しかし、彼は何もしていない」
だが分かった。
共に、思考していないという意味だ。
「事業家は思考しないことで大きな事業を成す」
「財務長官は思考しないことで大きな責任を果たす」
もちろん、世間一般の常識とは真逆である。
いや、世間一般どころか、スピリチュアルなことが好きな人達ですら納得しない。
だが、こういう言い方なら、まだ受け入れてもらえる。
「事業家は無意識(あるいは潜在意識)にまかせることで大きな事業を成す」
「財務長官は無意識(あるいは潜在意識)にまかせることで大きな責任を果たす」
しかし、これなら、「どうすれば無意識にまかせることが出来るのか?」という問題が残る。

AIアート93
「天使はなぜ飛べるのか?」
Kay
世界最高の精神科医であり、「魔法を使って治している」とまで言われたミルトン・エリクソンは、こんなことを述べている。
「私は仕事の山を前に無意識に入る。すると、経過は全く憶えていないが、気がついたら仕事は片付いている」
エリクソンは難しいと言われる。
彼のテクニックは、彼が死んで半世紀近く経つ今でも研究が続けられている。
一般的に言っても難しいのは、やはり、彼の「無意識に入る」である。
彼は簡単に無意識に入り、他の人も無意識に入らせることが出来た。
しかし、どうすればそれが出来るのかが分からないというわけだ。
何のことはない。
思考を消せば無意識に入ることが出来る。
だから、上記のエリクソンの言葉を言い直すとこうだ。
「私は仕事の山を前に思考を消す。すると、経過は全く憶えていないが、思考が戻ったら仕事は片付いていることが分かった」
それに、「無意識に入る」「無意識になる」という言い方は間違いである。
思考は消さなければならないが、「意識はある」のである。
「意識がない」、つまり、眠ったり、失神していては何も出来ない。
言葉とは大切である。
言葉がいい加減であるために、何十年も、ことによっては、何百年、さらにそれ以上も誤解を与え続ける。
意識を保ったまま、思考を消す最上の方法は「私は誰か?」と自分に問うことである。
思考のし過ぎで、そろそろ人類は終焉を迎えようとしている。
だが、思考を消した者は何も困らない。
それを分からず、誰も「私は誰か?」と問わず、思考の範囲で分かることをしたがる。
手遅れになるかもしれない。