ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

無念無想

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

最強は無念無想

引き寄せが上手くなり始めると、宇宙(あるいは人生)が、訓練なのか試験なのか分からないが、「ちょっかい」をかけてくるのかもしれない。
つまり、嫌なことが起こるのである。
その嫌なことに、「クール」に対応出来れば、引き寄せの力がさらに強くなる。クールとは、想念を起こさずにいることである。

たとえば、私の例で言えば、先日の、9月の2日と3日の、初音ミクさんのライブコンサート「マジカルミライ」でのことが、それに当たるかもしれない。
9月2日のライブは、席が31列目ということもあり、あまり期待しなかったのが良かった。
期待しないとは、余計なことは考えないということだ。
すると、私の席の左右がずっと少女で、前は小柄な女性ばかりと、快適この上ない環境で、ライブを十分に楽しめた。
もちろん、私は、左右の少女には、最大気を使い、小さくなって、ペンライトは控え目に振った。
2日目は、9列目で、しかも、前は通路で遮るものは何もない。しかも中央に近い。
これで左右がまた可愛い女の子だったらと思ったが、早い時間に入場したに関わらず、右の席に肥満した(失礼!)一目で中年と分かる男性が、ゆったりと座っておられた。
パイプ椅子を連結した狭い幅しかないので、太った人がそんなふうに座ったら、左右にはみ出てしまうのに・・・
さらに左は、若い男女のカップルだったが、自分さえ楽しければいいというタイプで、ライブ中、ノリノリでオーバーアクションし、私の目の前まで平気でペンライトを振り、しかも、少しずつこっちに寄ってきたらしく、小休止時(アンコール時)、席が半分ほどずれていた。そうならないよう気を付けたつもりだったが。
その後は、寄ってきたら押し返したが、その人の調子は変わらない。
身体の大きな男である私だからまだ良かったが、女性だったら、黙って我慢するしかなかっただろう。
また、ツイッターで見たが、録音禁止のライブを録音し、ホテルで集まって、それを鳴らして大騒ぎしていた馬鹿がいたようだ。
こういった連中は、マナーがどう以前にIQがひどく低いのだとしか私には思えない。
ライブが終わると、右の太った男性が「去年も来てましたね。私、隣だったのですよ」と言うが、去年は、コロナのため、横1席は空ける配置だったし、正直、中年の男のことなど憶えていない。
しつこく話しかけてくるが、私には「無神経+肥満したオジサン」は好ましくなく、また、その話し方がどこか厭らしいので、私は「申し訳ないが憶えていない」で相手にしなかった。
まあ、不覚にも気分を害してしまったわけだ。

一瞬、嫌な気持ちになるのは構わない。人間だし、感情があるのだから。
しかし、そこで、すぐに想念を消さなければならなかった。
それが出来なかったので、不快な経験になったのだ。
想念を起こさずにいれば、そんな連中は消えてなくなったのではないかと思う。
それで、「あれ、横に変なやついなかったっけ?まあ、いないからいいか」となっていたのではないか?
それもよくあることだからである。
ただ、ライブの後だったが、想念を消したので、ライブは楽しい思い出になった。

修練が進めば、「想念を起こさない」と決めさえすれば、想念は消えるのだろうし、これは、平常時なら、誰でも出来ると思う。
しかし、感情が乱れている時であれば、とにかく、「今」に集中することだ。今やっていることに全力で集中するのである。「今、今、今、・・・」と心で唱えても良い。
ある自殺しかけた男性は、胸に包丁を突き立てた状態で、「今、今、・・・」と唱えていたら、心が落ち着き、その後、全ての問題(主に経済問題)が解決したという。
コリン・ウィルソンは、19歳の時、人生に絶望し、まさに、口に青酸カリを入れようとした時、全力で今に集中したのだろう。そこで人生が変わり、ただのヒッピーだったのが、悪い生活でなくなり、数年後には世界的作家になった。

どんな方法でも良いが、想念を消すことが、神のようになって人生を謳歌するコツなのだと思う。
そのために、マントラやアファーメーションなどの方法もあるが、今に集中することが最も簡単かもしれない。








考えても仕方がないことは考えない

人間の問題には、2通りある。
1つは、しっかり考えて対処する必要があるもの。例えば、仕事や借金や子供の成績不振や不登校などだ。
もう1つは、考えても仕方がないことだ。
多くの人間は、考えるべきことを考えずに先延ばしにし、考えても仕方がないことを考えたがる。
もし、人間に、「頭が良い」と「頭が悪い」があるなら、そのような人間が、頭が悪いのである。
一方、考えるべきことを考え、考えても仕方がないことを考えない人間は、頭が良い。

ちなみに、考えるべきことと考えても仕方がないことの両方を考えるのは凡人。
考えるべきことと考えても仕方がないことの両方を考えないのは、天才か狂人である。

ところで、考えても仕方がないことを考えることをやめると、不思議なこと、あるいは、奇跡が起こる。
例えば、脚が痛い人が、何か驚くべきことが起こったり、何かに集中する必要が生じたりで、脚が痛いことから意識が離れると、脚が痛くなくなることがよくある。
面白い話がある。
ボクシングの試合で、チャンピオンと挑戦者が戦ったのだが、挑戦者は、チャンピオンが桁外れに強いことを知っていたので、恐くてたまらずガタガタ震えていた。
そのまま試合をしていれば、挑戦者は確実に惨敗していただろう。
ところが、挑戦者は、恐くても、なんとか緊張を保っていたが、ゴングが鳴った途端、恐怖が限界値を超え、頭の中が真っ白になった。
挑戦者が我に帰った時、自分は立っていて、チャンピオンはマットの上で伸びていた。
これは、挑戦者が、チャンピオンの強さという問題をきれいに忘れることによって起こった奇跡で、ある世界タイトルマッチの実話であり、同じ話がいくつもある。
もちろん、この挑戦者は、普段、熱心に練習するという、考えるべきことをきちんとやったから、奇跡が起こったのである。

ある有名大学の入試でも、こんな話がある。
ある受験生は、受験勉強に励んでいたが、受験前に病気になってしまい、勉強をすることが出来ず、入試も、医者にギリギリで許可されたが、コンディションは最悪だし、勉強も不十分と思えた。
試験が始まり、問題を見ても、さっぱり理解出来ない。
「これは駄目だな」と諦めたが、せめて1問でも解こうと思い、何も考えずに、その1問に意識を向けたら、なんとなく解けてしまった。
「では、もう1問」とやっているうちに、解ける問題もあり、終わってみると、駄目ではあったが、満足感もあった。
ところが、これが合格していたのである。
これも実話である。
この受験生は、自分が病気であることや、勉強が不十分なこと、入試が難しいといった、考えても仕方がないことを考えるのを止めた時、奇跡の逆転が起こったのである。
無論、この奇跡も、この受験生が、普段、熱心に勉強するという、考えるべきことをやったおかげで起こったのである。

『ウルトラマン・ティガ』で、ダイゴがレナに、「僕は人間だから、出来ることをやる」と言ったのが印象的だった。
また、『美少女戦士セーラームーン』の原作「デス・バスターズ編」で、強大な敵を前に、地場衛(ちばまもる。タキシード仮面)が「俺たちは俺たちに出来ることをやろう」と言い、アニメの方でも、そのようなことを言っていたと思う。

奇跡の手術の腕を持つと言われる医者の中には、まともに考えたら、状況は非常に悪いと思える手術に向かう時、お祈りをしたり、信仰する宗教の礼拝堂の鐘の音を思い出したり、讃美歌を頭の中で演奏し、考えても仕方がないことは忘れ、自分に出来ることを淡々とするという人がいるようだ。

自分に出来ることをやり、考えても仕方がないことは考えない。
これが最大の力を発揮し、奇跡も起こせる方法である。
考えても仕方がない問題に心を奪われたら、その問題は勢いを増し、どんどん大きくなる。
世界は心が創るのだからだ。
そこで、真言や神仏の名を唱えたり、般若心経の呪文を唱えたり、祝詞を上げたり、あるいは、腕振り運動をして、考えても仕方がない問題から意識を放すと、心は、もうその問題を作るのを止めるのである。
ある名力士は、迷いが生じたら、ひたすら四股を踏んだと言う。迷いとは、考えても仕方がないことであり、それを断ち切る者が達人である。








沈黙の力

人間は、非常に単純に出来ているところがあり、ガッツポーズをすれば元気が出る。
また、ヨガにライオンのポーズというものがあり、基本は舌を思い切り出すのだが、それだけで生命力が溢れ、ある有名な冒険家が、これを毎日習慣的にやっていることで、かなりの年齢になっても、驚くべき若さとバイタリティ(活力)を保っているようだ。
なぜ、こんな単純な方法が効果があるのかというと、やはり、人間の想像力のためと思う。
人間の想像力は、うまく使うと、驚くべき威力を発揮する。
例えば、古いNLP(神経言語プログラミング)の本に、多重人格を解消する方法が書かれていたが、あまりの単純さに驚く。
そのやり方はこうである。
右手の上に1つの人格、左手の上に別の1つの人格を想像し視覚化する。
そして、両手を近付けていき、両手が合わさった時、その2つの人格が融合する。
何重人格であろうと、ただ、この操作を繰り返せば良い。
だが、どうしても相容れない人格同士というものがあり、そんな場合は、手を近付けることが出来ないようだ。
そんな場合はどうすれば良いか?
単に、他の人が(場合によっては数人がかりで)手を合わせてやれば良いのである。
例えば、1つの人格は、初音ミクさんのようなボカロキャラが好きだが、別の人格は、人間のアイドルが大好きで、1人の人間の中で、
「人間の女なんて汚らわしい」
「二次元好きなんて、おかしいんじゃないの」
と反発し合っている。
それを、数人がかりで無理矢理融合してやれば、初音ミクさんも人間のアイドルも好きになるというわけである。
それが良いのか悪いのかは分からないが(笑)。

そして、こんな簡単な方法が、超人や超能力者になるために使えるのである。
そもそも、人間を超えた存在になるには、普通の人間のように頭の中でおしゃべりをするのを止め、無(無我、忘我、没我)になれば良いのである。
具体的にどんなふうにやるかは、いろんなバリエーションがあるが、例えばこんなものがある。
頭の中で、絶えず大声でしゃべり続けているロボット(あまり人間に似ていない、いかにもロボットという感じのものが良い)を想像し、そのロボットのバッテリーを切るのである。そのロボットのリモコン装置の電源スイッチを切るのが一番簡単と思う。
そうすると、頭の中のおしゃべりは止まり、頭の中は静かになり、無念夢想となるのだ。
あるいは、想像の中で、スピーカーから煩いCMメッセージを轟かせながら飛ぶ飛行機(昔はよくあった)をはるか彼方に飛ばしてしまったり、やはり、想像の中で、誰かが騒々しくおしゃべりをしているテレビの電源をリモコンで切ってしまうのである。
人によっては、大量の泡が湧き出ている海底を思い浮かべ、その泡をぴたりと止めるとか、荒れ狂う海の想像を、静かな海の想像に瞬間に切り替えるという方法を好んでいる。
単純で分かり易ければ何でも良い。
「思考停止」の一言で、頭の中のおしゃべりをぴたりと止められる人もいる。
頭の中のおしゃべりである自我の思考が停止した時、高次の思考である直観や閃きが訪れるのである。
慣れてくれば、そんな「クリアー」な状態にすぐになれる。
それを持続させることが出来れば、無意識の扉が開き、決意を持っていれば、それがそのまま形になるのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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