モーツァルトは神童の代名詞のようなもので、幼い時に、いきなり、ピアノを凄い腕前で弾き、素晴らしい曲を作った・・・なんて聞いたか見たかした覚えがある。
しかし、そんな話は、必ずと言って良いほど誇張がある・・・ないはずがない。
幼いモーツァルトがロクに練習もせず名演奏をしたという話は、実際は、モーツァルトは、なんらかの理由でそれなりの期間、猛練習していたに違いないのだ。
幼いモーツァルトが作った曲も、実際は大したことないものだったが、「立派な曲」にされてしまったのだろう。
よくある話じゃないか。
ただ、モーツァルトが恵まれた環境にあり、音楽をやる時間がたっぷりあり、また、音楽を好きになる出来事や状況があったのは確実だと思える。
イギリスの作家コリン・ウィルソンが『至高体験』で書いたように、「天才とは全て、内なる衝動」なのである。
イチローは、天才と言われるのが嫌なように思うが、彼も、どれだけ練習したかはあまり言わない。
しかし、メジャーの大打者テッド・ウィリアムズ(出塁率メジャー記録保持者。最後の4割打者。三冠王2度はメジャーの歴史で2人)は、少年時代から、起きている時間の全てをバッティングの練習に注ぎ込んでいると言われるほどだった。
イチローも負けていなかったのだとと思う。
国際的な陸上選手だった為末大さんは「アスリートは才能が99%」と言ったらしく、私も長く信じていたが、多分、それは間違いだ。
ある人類屈指の水泳選手がいて、その選手の体形が泳ぐためにいかに有利かと語られたことがあったが、名スイマーの全部が、そんな体形をしている訳ではない。
短足で不向きと言われながら、陸上の短距離で無敵を誇ったマイケル・ジョンソンは極端な例だが、どう見ても、向いているとは思えない競技で成功したアスリートは多いし、成功したら、向いている点が無理矢理に強調されるものなのだ。
まあ、超一流の話は我々に縁遠いので、私がなぜプログラミングが上手くなったかという話をすれば、暇で他にやることがなかった・・・以外に特に理由はない。
昔の話だが、パソコンの普及期、標準言語だったBASICをマスター出来る者は100人に1人とか言われたが、それが極端な言い方であることは確かとしても、実際、プログラミングをマスターした者は少なかった。
しかし、プログラミングをマスター出来なかった理由は、その気がないか、暇がないかのどちらかでしかない。
理系か文系か、若いか年配か、男か女か、要領が良いかドン臭いか、対話などでの感じで頭が良いか悪いか・・・一切、関係ない。
集中力があるとか、のめり込む・・・などと言えば聴こえは良いが、自分の殻に閉じこもるとか、周囲を無視して自分勝手に行動出来る者がプログラミングをマスターしたように思う。私が全くそうだ。
だが、テッド・ウィリアムズやイチローも、伝え聞く範囲では、極端なまでにそうなのだ。
イチローは修学旅行が嫌で、それに行かなくて済むよう、甲子園に出るために大活躍したと言うし、テッド・ウィリアムズは周囲の都合を一切無視してバットを振ったし、私も社員旅行などは、どれほど常務等の役員に脅されても絶対に行かなかった(あれほどの時間の無駄と精神の苦痛はない。今は、私がいた会社でも無理に社員旅行に行かせるのはパワハラであるという認識が外部から教えられた)。
人間に才能などない。
その気になって時間を注ぎ込んだ者だけが勝利する。それだけが事実だ。
スポーツでも仕事でも、スタート時点で頭抜ける者がいるものだが、そんな者は大抵、ある時期からうまくいかず、むしろ、スタート時点で「向いてない」と言われた者が逆転してトップに立つものである。
才能で成功したかのような者の裏側に何があったかなんて誰も知らないし、ジャーナリズムなんてのは、本当に肝心な情報を知らせないのが鉄板(確実なこと)である。
しかし、そんな話は、必ずと言って良いほど誇張がある・・・ないはずがない。
幼いモーツァルトがロクに練習もせず名演奏をしたという話は、実際は、モーツァルトは、なんらかの理由でそれなりの期間、猛練習していたに違いないのだ。
幼いモーツァルトが作った曲も、実際は大したことないものだったが、「立派な曲」にされてしまったのだろう。
よくある話じゃないか。
ただ、モーツァルトが恵まれた環境にあり、音楽をやる時間がたっぷりあり、また、音楽を好きになる出来事や状況があったのは確実だと思える。
イギリスの作家コリン・ウィルソンが『至高体験』で書いたように、「天才とは全て、内なる衝動」なのである。
イチローは、天才と言われるのが嫌なように思うが、彼も、どれだけ練習したかはあまり言わない。
しかし、メジャーの大打者テッド・ウィリアムズ(出塁率メジャー記録保持者。最後の4割打者。三冠王2度はメジャーの歴史で2人)は、少年時代から、起きている時間の全てをバッティングの練習に注ぎ込んでいると言われるほどだった。
イチローも負けていなかったのだとと思う。
国際的な陸上選手だった為末大さんは「アスリートは才能が99%」と言ったらしく、私も長く信じていたが、多分、それは間違いだ。
ある人類屈指の水泳選手がいて、その選手の体形が泳ぐためにいかに有利かと語られたことがあったが、名スイマーの全部が、そんな体形をしている訳ではない。
短足で不向きと言われながら、陸上の短距離で無敵を誇ったマイケル・ジョンソンは極端な例だが、どう見ても、向いているとは思えない競技で成功したアスリートは多いし、成功したら、向いている点が無理矢理に強調されるものなのだ。
まあ、超一流の話は我々に縁遠いので、私がなぜプログラミングが上手くなったかという話をすれば、暇で他にやることがなかった・・・以外に特に理由はない。
昔の話だが、パソコンの普及期、標準言語だったBASICをマスター出来る者は100人に1人とか言われたが、それが極端な言い方であることは確かとしても、実際、プログラミングをマスターした者は少なかった。
しかし、プログラミングをマスター出来なかった理由は、その気がないか、暇がないかのどちらかでしかない。
理系か文系か、若いか年配か、男か女か、要領が良いかドン臭いか、対話などでの感じで頭が良いか悪いか・・・一切、関係ない。
集中力があるとか、のめり込む・・・などと言えば聴こえは良いが、自分の殻に閉じこもるとか、周囲を無視して自分勝手に行動出来る者がプログラミングをマスターしたように思う。私が全くそうだ。
だが、テッド・ウィリアムズやイチローも、伝え聞く範囲では、極端なまでにそうなのだ。
イチローは修学旅行が嫌で、それに行かなくて済むよう、甲子園に出るために大活躍したと言うし、テッド・ウィリアムズは周囲の都合を一切無視してバットを振ったし、私も社員旅行などは、どれほど常務等の役員に脅されても絶対に行かなかった(あれほどの時間の無駄と精神の苦痛はない。今は、私がいた会社でも無理に社員旅行に行かせるのはパワハラであるという認識が外部から教えられた)。
人間に才能などない。
その気になって時間を注ぎ込んだ者だけが勝利する。それだけが事実だ。
スポーツでも仕事でも、スタート時点で頭抜ける者がいるものだが、そんな者は大抵、ある時期からうまくいかず、むしろ、スタート時点で「向いてない」と言われた者が逆転してトップに立つものである。
才能で成功したかのような者の裏側に何があったかなんて誰も知らないし、ジャーナリズムなんてのは、本当に肝心な情報を知らせないのが鉄板(確実なこと)である。

