ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

為末大

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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人間に才能なんてものはない

モーツァルトは神童の代名詞のようなもので、幼い時に、いきなり、ピアノを凄い腕前で弾き、素晴らしい曲を作った・・・なんて聞いたか見たかした覚えがある。
しかし、そんな話は、必ずと言って良いほど誇張がある・・・ないはずがない。
幼いモーツァルトがロクに練習もせず名演奏をしたという話は、実際は、モーツァルトは、なんらかの理由でそれなりの期間、猛練習していたに違いないのだ。
幼いモーツァルトが作った曲も、実際は大したことないものだったが、「立派な曲」にされてしまったのだろう。
よくある話じゃないか。
ただ、モーツァルトが恵まれた環境にあり、音楽をやる時間がたっぷりあり、また、音楽を好きになる出来事や状況があったのは確実だと思える。

イギリスの作家コリン・ウィルソンが『至高体験』で書いたように、「天才とは全て、内なる衝動」なのである。
イチローは、天才と言われるのが嫌なように思うが、彼も、どれだけ練習したかはあまり言わない。
しかし、メジャーの大打者テッド・ウィリアムズ(出塁率メジャー記録保持者。最後の4割打者。三冠王2度はメジャーの歴史で2人)は、少年時代から、起きている時間の全てをバッティングの練習に注ぎ込んでいると言われるほどだった。
イチローも負けていなかったのだとと思う。
国際的な陸上選手だった為末大さんは「アスリートは才能が99%」と言ったらしく、私も長く信じていたが、多分、それは間違いだ。
ある人類屈指の水泳選手がいて、その選手の体形が泳ぐためにいかに有利かと語られたことがあったが、名スイマーの全部が、そんな体形をしている訳ではない。
短足で不向きと言われながら、陸上の短距離で無敵を誇ったマイケル・ジョンソンは極端な例だが、どう見ても、向いているとは思えない競技で成功したアスリートは多いし、成功したら、向いている点が無理矢理に強調されるものなのだ。

まあ、超一流の話は我々に縁遠いので、私がなぜプログラミングが上手くなったかという話をすれば、暇で他にやることがなかった・・・以外に特に理由はない。
昔の話だが、パソコンの普及期、標準言語だったBASICをマスター出来る者は100人に1人とか言われたが、それが極端な言い方であることは確かとしても、実際、プログラミングをマスターした者は少なかった。
しかし、プログラミングをマスター出来なかった理由は、その気がないか、暇がないかのどちらかでしかない。
理系か文系か、若いか年配か、男か女か、要領が良いかドン臭いか、対話などでの感じで頭が良いか悪いか・・・一切、関係ない。
集中力があるとか、のめり込む・・・などと言えば聴こえは良いが、自分の殻に閉じこもるとか、周囲を無視して自分勝手に行動出来る者がプログラミングをマスターしたように思う。私が全くそうだ。
だが、テッド・ウィリアムズやイチローも、伝え聞く範囲では、極端なまでにそうなのだ。
イチローは修学旅行が嫌で、それに行かなくて済むよう、甲子園に出るために大活躍したと言うし、テッド・ウィリアムズは周囲の都合を一切無視してバットを振ったし、私も社員旅行などは、どれほど常務等の役員に脅されても絶対に行かなかった(あれほどの時間の無駄と精神の苦痛はない。今は、私がいた会社でも無理に社員旅行に行かせるのはパワハラであるという認識が外部から教えられた)。

人間に才能などない。
その気になって時間を注ぎ込んだ者だけが勝利する。それだけが事実だ。
スポーツでも仕事でも、スタート時点で頭抜ける者がいるものだが、そんな者は大抵、ある時期からうまくいかず、むしろ、スタート時点で「向いてない」と言われた者が逆転してトップに立つものである。
才能で成功したかのような者の裏側に何があったかなんて誰も知らないし、ジャーナリズムなんてのは、本当に肝心な情報を知らせないのが鉄板(確実なこと)である。







人間は氏でも育ちでもない

『BLOOD-C』というアニメで、最初に語られえたのが、「人間は生まれだろうか?育ちだろうか?」という疑問だった。
いわゆる、「氏(うじ)か育ちか」論争として知られるものである。
生物学・・・というか、科学の世界では、これまでは、圧倒的に氏論が主流だ。つまり、あらゆる生き物は遺伝子によって全て決まる。
これは、ダーウィン派にとっては、絶対的真理であるが、当のダーウィンは、晩年、そうは思わなくなっていたらしい。
氏論として、よく知られている話に、陸上競技選手だった為末大さんが「アスリートは才能が99%」と言い、一流のスポーツ選手になれるかどうかは、持って生まれた才能、即ち、DNAで決まるのであり、才能がなければ、いくら努力しても無駄というものがある。
しかし、生物学者のブルース・リプトンは、「DNAに生命体をコントロールする力はなく、重要なのは環境」と言い、最先端の生物学研究もそれを認め始めていると説く。

モーツァルトが幼い時に素晴らしいピアノ演奏をし、優れた作曲をしたのは、まさに天才のなせるわざとと考えられることが多い。
イチローは、自分は天才ではないと言うが、まあ、ほとんどの人は、本人のそんな言い分を信じないだろう。
西尾維新さんの『物語シリーズ』のどれだったか覚えていないが、天才バスケットボール選手の少女が、「サッカーや野球をやっている多くの子供が、大きくなったらセリアAに入るだの、メジャーリーガーになるだのというが、才能がなければ全く不可能」と言うのが、何か実感がこもっていたように感じたものだ。
もちろん、いかに才能があっても、環境や本人の意思がなければ駄目なことは言うまでもない。

また、人間もそうだが、生物は、ごく幼い時に、脳に刷り込まれたことによって、一生が決まるという説もある。
人間でいえば、3歳までに、何を脳に覚えさせたによって才能が決まるのであり、モーツァルトも一流アスリートも、3歳までに彼らの才能を発揮させるための刷り込みが脳に行われたのである。

結論は出ていないのだと思う。
私は、ごく最近までは、為末派・・・つまり、氏論者だった。
ところが、ずっと昔は育ち論者だった。
しかし、今は、「氏か育ち」ではなく、「意思と環境派」であり、最終的には、意思が重要であると思う。
ジャン=ピエール・プチの『宇宙人ユミットからの手紙』という、まあ、あまり信用されていないかもしれない本があるが、その中で、イエス・キリストは他者のDNAに影響を与えることが出来たようなことが書かれていたが(実際は、イエスは他者に影響を与えるDNAを持っていただと思うが、そのように考えても良いのではと思う)、私は、それが本当だったのではないかと思う。非科学的と言われるかもしれないがね。
と言うのは、人間ってのは、何かのきっかけで、全く別人にコロっと変わってしまうものだからだ。
そんな時、多くの場合、変わった本人も「自分は少し前の自分と全く違う人間」と感じていることがある。

私は、子供の時、大好物だった食べ物が、突然、嫌いではないが、あまり好きでなくなったり、好きで仕方がなかった女の子への興味が、やはり突然なくなるといった経験があるが、これも、本質が変わったからであるのだと思う。
天才の支配霊・・・こういった言い方が好きでなければ、天才の生命体が宿ると天才になるという話があり、実際、ある日突然、何かの才能に目覚める人もいる。
しかし、それらも、本人の意思と全く無関係ではない。

という訳で、とりあえず個人的な考え方とするが、才能も意思次第であり、DNAは意思の力で変化もするし、意思の力で発動する。
そのやり方も、セミナーに何十時間も行かないと分からない複雑怪奇なものではなく、誰でも自然にやれることで、むしろ、「専門家」に教わることで不自然になる。
要は「人間は変われる」と覚えておくだけで良い。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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