ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

火事場の馬鹿力

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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腕振り運動で簡単に無意識状態になる

最近、このブログで、無意識状態(催眠状態)になれば、異常に高い能力を発揮出来ることを述べてきた。
この無意識状態(催眠状態)を、失神している時とか、催眠術をかけられて操られている時と区別するため、トランス(変性意識)状態、超越意識状態などと言うこともある。

無意識状態で、超人的能力を発揮することについて、よく知られているものに「火事場の馬鹿力」がある。
火事になった時、か弱い女性が、我を忘れて、男が数人でも動かせないような家具を運び出したとかいうものである。
類似の話は多い。
自動車の下敷きになった息子を救うため、50kg少々しかない母親が、その自動車を持ち上げたが、同じことを、腕力のある大男が2人がかりでも出来なかった。
あるいは、2階の窓から幼い自分の子供が落ちかけているのを見て、母親が駆け寄り、直後、落下したわが子を下で受けとめて救ったが、後で物理学者が計算したら、その平凡な主婦は、サンダル履きのまま、オリンピック金メダリストより速く走ったのだという。

催眠術により、無意識状態にされた人に、後で、「催眠状態の時、どんな感じだったか?」と尋ねると、「自覚はあったし、覚えている」と言う。
ただし、催眠術師が、「(催眠状態にした時のことを)忘れろ」と暗示をかけて忘れさせることは出来る。
だが、表向きには記憶を封印しても、実際には記憶は消えていないし、その覚えていない記憶が、その人に影響を与えることもある。
例えば、催眠状態で、「ハサミを見たら靴を脱ぐ」と暗示をかけ、暗示を忘れさせる。
すると、その暗示をかけられた人にハサミを見せると、その人は靴を脱ぐ。
そこで、「あなたはなぜ靴を脱ぐのか?」と尋ねると、靴を脱いだ人には分からないし、靴を脱ぐのが、あまりに当たり前なので疑問にも思わない。
このような催眠術は悪用が可能だし、実際、悪用されることも多い。
催眠術は、かけられ易い人と、かけ難い人がいる。
私は、催眠術の名人や、催眠術を利用するセミナー(より、かけ易い集団催眠を使うことも多い)に何度も行ったが、私に催眠術をかけることが出来た人はいない。
下に書いたことをやれば、あなたも簡単にそうなる。

優れた人間は、無意識と親しくなり、味方にするのである。
まず、難しい方法で言うと、技を磨くことだ。
武術や芸術、その他、あらゆることに、無意識の助けなしには達しえない高い領域がある。
そんな達人の領域に達した者は、無意識を味方にしている。
達人の境地を描いた短編小説が、中島敦の『名人伝』で、これは元々、中国古典の『列子』にある話だ。
『名人伝』は一度、読んでおくと良い。
だが、普通の人は、達人になる修行はなかなか出来ない。
しかし、腕振り運動を行えば、もっと簡単に無意識を味方に出来る。
そのためには、なるべく力を抜いて腕振り運動をするのだ。
どんどん力が抜け、自分の力で振っているのではなく、自動で腕が振られている状態になった時、無意識が腕を振っている・・・つまり、無意識に腕を振らせているのだ。
その状態を、なるべく長くし、馴染み、心地良くあれば、あなたはもう、無意識と親しくなっている。
そんな時、無意識に対し、
「無意識よ(あるいは、「内なる私よ」でも良い)、体重を5kg減らして欲しい」
と頼めば、簡単にダイエットが出来る。
ただし、欲をかくと、自意識が強くなり、無意識が隠れるので、欲張らないことだ。








火事場の馬鹿力の原理と応用

「火事場の馬鹿力」とは、緊急事態の中で、人間が異常な(高度な)力を発揮することを言う。
例えば、家が火事になった時、か弱い女性が、大の男が2人でも動かせない貴重な彫刻を1人で運び出したなどで、報告例は無数にある。
中には信憑性が疑わしいものも少なくないが、科学者が検証した事例もあるようだ。
その(科学者が検証したもの)中には、自分の幼い子供がマンションの窓から落下するのを見て、落下地点に突っ走って救った主婦がいて、後で詳細に調べたら、その主婦はサンダル履きのまま、陸上男子短距離走の世界記録を上回る速さで走ったとしか考えられないというものもあった。
『トーチェ氏の心の法則』の中には、体重57.2kgの中年女性が、1634kgのステーションワゴンの下敷きになった息子を救うため、1人でそのステーションワゴンのバンパーを掴んで持ち上げた話が紹介されている。

火事場の力が発揮される時に共通することは、その力を発揮する者の理性が吹っ飛んでいた・・・パニックに陥り、理性的に考える能力が失われていたことである。
そこのところは、よく指摘される。
しかし、それでは説明が不足している。
正しくは、「まず、強い思念を起こし、それから、理性が消えた」である。
最初の、「強い思念を起こす」、言い方を変えれば、「強く何かを想う」「激しく決意する」ことが必要なのである。
もっと一般化して言えば、「目標を明確にする → 思考を捨てる」である。
この力が発揮されるのは、パニック時に限定されるのではない。いかなる場合でも起こせるのだ。
例えば、UFO研究家の矢追純一氏の大学受験の時の話がそれに当たる。
彼は、まともに学校に通ったのは中学の3年間だけで、高校時代は、妹2人を養うために働いていたこともあって(さらに労働後に朝まで遊ぶことに忙しくて)、高校には全く通わなかったらしいし、受験勉強もしなかった。しかし、特に当時は、東大より良いと言われた中央大学法学部法学科に合格した。
そのプロセスを取り出すと、まず、受験に合格すると強く決意する。その後は、何も考えない。矢追氏のいろいろな本を読むと、矢追氏はあらゆることを、そのようにするのだと思う。
『あるがままに生きる』の中で、著者の足立幸子氏はまさに、「強く思う、そして、ぼーっとする」と、公式のようにシンプルに表現している。

「強く思う、そして、ぼーっとする(何も考えない)」は、はた目から見ると、強く決意したところは見えず、その後は、がむしゃらにやっているように見える。
矢追氏だって、1冊の参考書を数日だけは読んではいたらしい。
そういえば、大手教育会社(世界でも屈指)の人に聞いたが、東大に合格したある受験生は、一科目につき、参考書を1冊覚えたのだと言う。彼は、いまどき、どの参考書も同じだと言うのだが、評判の良い本がどれかは分かるので、それを選んだのだろう。彼のやり方を採用すれば、教育会社だの予備校はいらないかもしれない。

そういえば、私がプログラミングをマスターしたプロセスを思い出すと、「プログラミングをマスターすると決意する(強く思う)。そして、後は何も考えない」だった。
確かに、深夜2時、3時までパソコンに向かっていたが、それは自動的にやっていたことで、努力でも何でもなかった(他人から見れば努力に見えるだろうが)。
高校生で、ブログのアフィリエイトで、月100万円以上稼いでいた者がいたが、彼も、稼ぐと強く決意した後にやっていたことは、少しも理性的ではなかった。やたらブログを数多く開設し、ひたすらそれをいじっていたように見えた。ノウハウ書は、ほとんど見なかったらしい。なるほど、普通の大人は、ノウハウ書をいつまでも見て考えているだけなのだ。








愚か者がなぜ時に奇跡を起こすのか?

「怖いもの知らず」という言葉は、無知で未熟な愚か者を指す言葉として使われる。
しかし、我々は怖いもの知らずであることが、時に偉大な力になることを認めざるをえない。
英語の格言に、

Fools rush in where angels fear to tread.
愚か者は天使の恐れる場所に走りこむ。

というものがある。これは、怖いもの知らずを表す格言だ。つまり、愚か者は怖いもの知らずなのだ。しかし、そんな愚か者が、天使でも不可能なことをやり遂げてしまうことがある。
自分の子供がマンションの窓から落下するのを見た母親が猛然とダッシュし、見事子供を救った。しかし、後で物理学者が計算したら、その母親が走った速さは、世界記録を超えていたとしか言えなかった。しかもサンダル履きで。ある意味、彼女は愚かな状態であったが、その愚かさが奇跡を起こしたのだ。
こういったことは火事場の馬鹿力として知られ、実際、緊急時に、大の男が数人がかりでも動かせないものを、か弱い女性が1人で運んでしまったという話はあちこちにある。しかし、愚かでなければ、そんなことをしようとはしないだろう。

今は、健康上での事故の恐れから実施されることはあまり無いと思われるが、饅頭食い大会というものが行われたことがあり、相撲の力士級の体格の持ち主が脱落していく中、細身の男性が優勝してしまったという話がある。その男性は漫画を読みながら、飄々(ひょうひょう)と食べ続けた。彼が言うのには、自分がどれだけ食べたか考えたら食べられなくなるので、漫画を読むことで気をそらすの勝利の秘訣なのだそうだ。これもまた、饅頭を食べ過ぎると身体に悪いということを知らないという、怖いもの知らずの状態がもたらした力と言える。

だが、怖いもの知らずがいつもうまくいくとは限らず、それどころか、多くの場合は悲惨な結果となる。
ある男が、夜中に山中を越えてやってくると、到着した場所の人々はぞっとした。その山は、昼間でも危険な難所だったのだ。やって来た男は、ほとんど山道を歩いたことがない怖いもの知らずだったからやれたのだが、普通は命を落としている。
医学的には、愚か者と言うしかないような、怖いもの知らずのことをやりながら健康な者もいれば、同じことをして命を落とし、医者を満足させる者もいる。

怖いもの知らずが、愚か者の愚行になるか、奇跡の達成をもたらすかの違いは、何によるのだろう?
それは、無欲に徹することが出来るかどうかだ。
歌でいえば、美空ひばりさんの『柔』にあるとおり、「勝つと思うな思えば負けよ」「人は人なり、のぞみもあるが、捨てて立つ瀬を越えもする」である。
この歌は、実際に武道の達人から聞いたことを、作詞者の関沢新一さんが詩にしたものと聞く。達人には、勝とうという欲望はない。
イエスが、「幼い子供のようにならなければ天国に入れない」と言い、「金持ちが天国に行くのは、駱駝が針の穴を通るほど難しい」と言ったことも、そのような意味にも取れると思う。しかし、金持ちだって、自分の金のことを忘れていれば天国に入れるはずだ。
若くありたいと思っていろいろやる者はかえって老ける。年齢のことなど忘れている者がいつまでも若いのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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