常識はとても大切だが、革新的なことを行う時には非常識・・・クレイジーでなければならないことがあるだろう。
つまり、ポジティブな意味での常識は極めて重要だが、ネガティブな意味での常識は不要である。
逆に言えば、ポジティブな意味での非常識は素晴らしいが、ネガティブな意味での非常識ほど悪いものはない。
これは「科学的」ということにも言えるだろう。
ポジティブな意味での科学的は良いことだが、ネガティブな意味での科学的というものもある。
ポジティブな意味での非科学的が光ることもあるが、ネガティブな意味での非科学的は災難の元である。
ところで、科学的とは何だろう?
科学理論に合っていることだと思っている人が多いが、科学理論が間違っていることなど珍しくない。
科学理論として長く信じられていたことが間違っていたなんてことは、いくらでもある。極端に言えば、天動説は宗教的というだけでなく、昔は科学的であった。
科学的とは、予想が出来ることと言えるかもしれない。
今日や明日の天気が予想出来るというのは科学的だが、10年後の特定の日の天気の予想は、今のところ非科学的だ。
しかし、科学という言葉がなかった時代でも、空の様子を見て、今日とか明日の天気をかなり予想出来る人がいたが、これは、経験的であると共に、やはり科学的なのだ。
つまり、予想出来ることが科学的で、予想出来ないことが非科学的だ。
引き寄せとか、潜在意識の法則は、ポジティブな意味で、極めて非常識で非科学的だ。
だから、引き寄せを行う時には、ポジティブな意味で、非常識、非科学的に徹しなければならない。
「20世紀最大の詩人」と言われたノーベル賞作家W.B.イェイツの戯曲『カルヴァリー』に印象的な場面がある。
十字架に磔にされたイエスがローマ兵に言う。
「私が神に祈れば、私はすぐに解放される」
すると、ローマ兵は答える。
「それがどうした?それは我々の神ではない。我々の神はサイコロだ。予期せぬことでさえあれば、何でも起こることが最善なのだ」
これを聞いたイエスは屈服し、
「神よ、なぜ私を見捨てた?」
と言う。
似たようなことが、漫画『カードキャプターさくら』にある。
大魔術師が転生した小学生のエリオルが、妖魔スピネルに言う。
「スピネル、この世で一番楽しいことは何か知っているかね?」
答が浮かばないスピネルが、
「何ですか?エリオル」
と尋ねると、エリオルは、
「予想しないことが起こることだよ」
と言う。
つまり、エリオルは強いのだ。
イエスを屈服させたローマ兵のように。
親鸞は、念仏を唱えれば、現世で救われ、死ねば極楽浄土に行けると言った。
これは、非常識で非科学的である。
だが、親鸞に、なぜそんなことが言えるのかと尋ねたら、親鸞はこう言ったらしい。
「師の法然上人が言ったのだ。嘘だったら諦める。どうせ私に他の道はない」
私は昔から、阿弥陀如来真言を唱えれば幸運に恵まれると決めている。
このことに関しては非常識、非科学的に徹しているのだ。
それで概ねうまくいっている。
うまくいかないとしても、それが宇宙の叡智の配慮であり、結果、悪かったことは一度もない。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)イェイツ(渡辺久義)
(2)カードキャプターさくら(1)(CLAMP)
(3)歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(4)密教の聖なる呪文(正木晃)

AIアート2315
「火星の朝」
Kay
つまり、ポジティブな意味での常識は極めて重要だが、ネガティブな意味での常識は不要である。
逆に言えば、ポジティブな意味での非常識は素晴らしいが、ネガティブな意味での非常識ほど悪いものはない。
これは「科学的」ということにも言えるだろう。
ポジティブな意味での科学的は良いことだが、ネガティブな意味での科学的というものもある。
ポジティブな意味での非科学的が光ることもあるが、ネガティブな意味での非科学的は災難の元である。
ところで、科学的とは何だろう?
科学理論に合っていることだと思っている人が多いが、科学理論が間違っていることなど珍しくない。
科学理論として長く信じられていたことが間違っていたなんてことは、いくらでもある。極端に言えば、天動説は宗教的というだけでなく、昔は科学的であった。
科学的とは、予想が出来ることと言えるかもしれない。
今日や明日の天気が予想出来るというのは科学的だが、10年後の特定の日の天気の予想は、今のところ非科学的だ。
しかし、科学という言葉がなかった時代でも、空の様子を見て、今日とか明日の天気をかなり予想出来る人がいたが、これは、経験的であると共に、やはり科学的なのだ。
つまり、予想出来ることが科学的で、予想出来ないことが非科学的だ。
引き寄せとか、潜在意識の法則は、ポジティブな意味で、極めて非常識で非科学的だ。
だから、引き寄せを行う時には、ポジティブな意味で、非常識、非科学的に徹しなければならない。
「20世紀最大の詩人」と言われたノーベル賞作家W.B.イェイツの戯曲『カルヴァリー』に印象的な場面がある。
十字架に磔にされたイエスがローマ兵に言う。
「私が神に祈れば、私はすぐに解放される」
すると、ローマ兵は答える。
「それがどうした?それは我々の神ではない。我々の神はサイコロだ。予期せぬことでさえあれば、何でも起こることが最善なのだ」
これを聞いたイエスは屈服し、
「神よ、なぜ私を見捨てた?」
と言う。
似たようなことが、漫画『カードキャプターさくら』にある。
大魔術師が転生した小学生のエリオルが、妖魔スピネルに言う。
「スピネル、この世で一番楽しいことは何か知っているかね?」
答が浮かばないスピネルが、
「何ですか?エリオル」
と尋ねると、エリオルは、
「予想しないことが起こることだよ」
と言う。
つまり、エリオルは強いのだ。
イエスを屈服させたローマ兵のように。
親鸞は、念仏を唱えれば、現世で救われ、死ねば極楽浄土に行けると言った。
これは、非常識で非科学的である。
だが、親鸞に、なぜそんなことが言えるのかと尋ねたら、親鸞はこう言ったらしい。
「師の法然上人が言ったのだ。嘘だったら諦める。どうせ私に他の道はない」
私は昔から、阿弥陀如来真言を唱えれば幸運に恵まれると決めている。
このことに関しては非常識、非科学的に徹しているのだ。
それで概ねうまくいっている。
うまくいかないとしても、それが宇宙の叡智の配慮であり、結果、悪かったことは一度もない。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)イェイツ(渡辺久義)
(2)カードキャプターさくら(1)(CLAMP)
(3)歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(4)密教の聖なる呪文(正木晃)

AIアート2315
「火星の朝」
Kay
