引き寄せ書の世界最大のベストセラーである、ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』で、引き寄せの力、あるいはは、万能の潜在意識を、アラジンの魔法のランプの魔神にたとえている部分がある。
アラジンの魔法のランプのお話は、『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』の中のお話だが、大人用のものをちゃんと読んだ人は、日本人ではそんなに多くないと思う。
子供向け版の『千夜一夜物語』では、『千夜一夜物語』のほんの一部のお話を取り上げ、しかも、かなり改変してあるのが普通だ。
本来、『千夜一夜物語』は大長編で、しかも、かなり大人向けで、露骨にエロエロだ。
しかし、大人向きの、深くて良いものでもある。
私が読んでいる大場正史訳は、大変な労作であり、優れたものだと思うが、その作品では、アラジンの魔法のランプのお話のタイトルは『アラジン、まはた不思議なランプ』になっている。
尚、Wikipediaには、このアラジンの魔法のランプのお話や、アリ・ババと40人の盗賊のお話は『千夜一夜物語』の正規のお話でないとされているが、原典が発見されており、『千夜一夜物語』の正規の話であるとする研究もある。
私は、小学3年生か4年生の時、子供向けの『アラジンと魔法のランプ』を読んで、大変に面白く思い、想像の翼を広げたことを憶えてる。
ところで、魔神を呼び出せる魔法のアイテムには、魔法のランプの他に、魔法の指輪があり、私のお気に入りは、子供の時から、魔法の指輪の方だった。
だって、何と言っても携帯に便利だし、全体的な利便性でも比較にならない。
まあ、魔法のランプがあれば、セキュリティ抜群の大邸宅を作り、そこに引きこもっていれば良いのだが、子供の時は、そんな発想はなかったし、やはり、自由で軽々といきたいものだ。
指輪の魔神の力は、ランプの魔神の力に劣るが、とはいえ、指輪の魔神だって極めて高級で、その力も恐るべきもので、何の不満もない。
要は、ランプの持ち主と喧嘩でもしない限り、指輪で十分以上である。
想像力豊かな子供だった私は、母親の刺繍の道具である金属製の指ぬきを魔法の指輪に仕立てて使っていたが、もちろん、効果は絶大であった。
そもそも、『ザ・シークレット』にも書かれているように、我々の潜在意識こそが魔神なのであるから、実に、当然と言えば当然である。
しかし、当時から私は、面白いことに気付いたし、その気付いたことは、今も納得出来る。
つまり、そんな巨大な力を所有しても、大したことに使うことはないということだ。
我々が今、本当に魔法のランプや魔法の指輪を手に入れたとしたら、魔神に何を命じるかというと、切羽詰まった事情でもない限り・・・いや、たとえあっても、何も命じないものだ。
魔神にとっては、100憶円だって容易いことだが、100憶円を所有する器量のない者にとって、100憶円を持つことは恐ろしいことである。
J.F.ケネディが大統領就任演説で、「兵器は隔絶するほど強力であってこそ使用されない」みたいなことを言ったが、まあ、似てないこともないかもしれない。
そして、重要なことは、我々は、実際に魔法のランプや魔法の指輪を持っているに等しいことである。
しかも、使おうと思えば本当に使える。
それが分かってこそ、使うべきことに使おうとするだろう。
『アラジンと魔法のランプ』を読み、魔神の力のイメージを得て、自分が実際に魔神を所有していることを認識することは良いことである。
まあ、大抵の人は子供っぽいとか馬鹿馬鹿しいとか言ってやらないと思うが、そんな人には、潜在意識の巨大な力は無縁である。
それに、『千夜一夜物語』は、知恵に満ちた、しかも、面白いものなので、お奨め出来ると思う。
私も、これから読もうと思う。
尚、私が愛読する『アラジン、または魔法のランプ』および『アリババと四十人の盗賊』が含まれたものは、下の最初にご紹介しているグーテンベルク21版の「巻9の2」である。
ちくま文庫版では、どれに収録されているか私は知らないので、第1巻をご紹介しておく。
アラジンの魔法のランプのお話は、『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』の中のお話だが、大人用のものをちゃんと読んだ人は、日本人ではそんなに多くないと思う。
子供向け版の『千夜一夜物語』では、『千夜一夜物語』のほんの一部のお話を取り上げ、しかも、かなり改変してあるのが普通だ。
本来、『千夜一夜物語』は大長編で、しかも、かなり大人向けで、露骨にエロエロだ。
しかし、大人向きの、深くて良いものでもある。
私が読んでいる大場正史訳は、大変な労作であり、優れたものだと思うが、その作品では、アラジンの魔法のランプのお話のタイトルは『アラジン、まはた不思議なランプ』になっている。
尚、Wikipediaには、このアラジンの魔法のランプのお話や、アリ・ババと40人の盗賊のお話は『千夜一夜物語』の正規のお話でないとされているが、原典が発見されており、『千夜一夜物語』の正規の話であるとする研究もある。
私は、小学3年生か4年生の時、子供向けの『アラジンと魔法のランプ』を読んで、大変に面白く思い、想像の翼を広げたことを憶えてる。
ところで、魔神を呼び出せる魔法のアイテムには、魔法のランプの他に、魔法の指輪があり、私のお気に入りは、子供の時から、魔法の指輪の方だった。
だって、何と言っても携帯に便利だし、全体的な利便性でも比較にならない。
まあ、魔法のランプがあれば、セキュリティ抜群の大邸宅を作り、そこに引きこもっていれば良いのだが、子供の時は、そんな発想はなかったし、やはり、自由で軽々といきたいものだ。
指輪の魔神の力は、ランプの魔神の力に劣るが、とはいえ、指輪の魔神だって極めて高級で、その力も恐るべきもので、何の不満もない。
要は、ランプの持ち主と喧嘩でもしない限り、指輪で十分以上である。
想像力豊かな子供だった私は、母親の刺繍の道具である金属製の指ぬきを魔法の指輪に仕立てて使っていたが、もちろん、効果は絶大であった。
そもそも、『ザ・シークレット』にも書かれているように、我々の潜在意識こそが魔神なのであるから、実に、当然と言えば当然である。
しかし、当時から私は、面白いことに気付いたし、その気付いたことは、今も納得出来る。
つまり、そんな巨大な力を所有しても、大したことに使うことはないということだ。
我々が今、本当に魔法のランプや魔法の指輪を手に入れたとしたら、魔神に何を命じるかというと、切羽詰まった事情でもない限り・・・いや、たとえあっても、何も命じないものだ。
魔神にとっては、100憶円だって容易いことだが、100憶円を所有する器量のない者にとって、100憶円を持つことは恐ろしいことである。
J.F.ケネディが大統領就任演説で、「兵器は隔絶するほど強力であってこそ使用されない」みたいなことを言ったが、まあ、似てないこともないかもしれない。
そして、重要なことは、我々は、実際に魔法のランプや魔法の指輪を持っているに等しいことである。
しかも、使おうと思えば本当に使える。
それが分かってこそ、使うべきことに使おうとするだろう。
『アラジンと魔法のランプ』を読み、魔神の力のイメージを得て、自分が実際に魔神を所有していることを認識することは良いことである。
まあ、大抵の人は子供っぽいとか馬鹿馬鹿しいとか言ってやらないと思うが、そんな人には、潜在意識の巨大な力は無縁である。
それに、『千夜一夜物語』は、知恵に満ちた、しかも、面白いものなので、お奨め出来ると思う。
私も、これから読もうと思う。
尚、私が愛読する『アラジン、または魔法のランプ』および『アリババと四十人の盗賊』が含まれたものは、下の最初にご紹介しているグーテンベルク21版の「巻9の2」である。
ちくま文庫版では、どれに収録されているか私は知らないので、第1巻をご紹介しておく。