ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

潜在意識の力

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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魔法のランプ、あるいは魔法の指輪

引き寄せ書の世界最大のベストセラーである、ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』で、引き寄せの力、あるいはは、万能の潜在意識を、アラジンの魔法のランプの魔神にたとえている部分がある。
アラジンの魔法のランプのお話は、『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』の中のお話だが、大人用のものをちゃんと読んだ人は、日本人ではそんなに多くないと思う。
子供向け版の『千夜一夜物語』では、『千夜一夜物語』のほんの一部のお話を取り上げ、しかも、かなり改変してあるのが普通だ。
本来、『千夜一夜物語』は大長編で、しかも、かなり大人向けで、露骨にエロエロだ。
しかし、大人向きの、深くて良いものでもある。
私が読んでいる大場正史訳は、大変な労作であり、優れたものだと思うが、その作品では、アラジンの魔法のランプのお話のタイトルは『アラジン、まはた不思議なランプ』になっている。
尚、Wikipediaには、このアラジンの魔法のランプのお話や、アリ・ババと40人の盗賊のお話は『千夜一夜物語』の正規のお話でないとされているが、原典が発見されており、『千夜一夜物語』の正規の話であるとする研究もある。

私は、小学3年生か4年生の時、子供向けの『アラジンと魔法のランプ』を読んで、大変に面白く思い、想像の翼を広げたことを憶えてる。
ところで、魔神を呼び出せる魔法のアイテムには、魔法のランプの他に、魔法の指輪があり、私のお気に入りは、子供の時から、魔法の指輪の方だった。
だって、何と言っても携帯に便利だし、全体的な利便性でも比較にならない。
まあ、魔法のランプがあれば、セキュリティ抜群の大邸宅を作り、そこに引きこもっていれば良いのだが、子供の時は、そんな発想はなかったし、やはり、自由で軽々といきたいものだ。
指輪の魔神の力は、ランプの魔神の力に劣るが、とはいえ、指輪の魔神だって極めて高級で、その力も恐るべきもので、何の不満もない。
要は、ランプの持ち主と喧嘩でもしない限り、指輪で十分以上である。

想像力豊かな子供だった私は、母親の刺繍の道具である金属製の指ぬきを魔法の指輪に仕立てて使っていたが、もちろん、効果は絶大であった。
そもそも、『ザ・シークレット』にも書かれているように、我々の潜在意識こそが魔神なのであるから、実に、当然と言えば当然である。
しかし、当時から私は、面白いことに気付いたし、その気付いたことは、今も納得出来る。
つまり、そんな巨大な力を所有しても、大したことに使うことはないということだ。
我々が今、本当に魔法のランプや魔法の指輪を手に入れたとしたら、魔神に何を命じるかというと、切羽詰まった事情でもない限り・・・いや、たとえあっても、何も命じないものだ。
魔神にとっては、100憶円だって容易いことだが、100憶円を所有する器量のない者にとって、100憶円を持つことは恐ろしいことである。
J.F.ケネディが大統領就任演説で、「兵器は隔絶するほど強力であってこそ使用されない」みたいなことを言ったが、まあ、似てないこともないかもしれない。
そして、重要なことは、我々は、実際に魔法のランプや魔法の指輪を持っているに等しいことである。
しかも、使おうと思えば本当に使える。
それが分かってこそ、使うべきことに使おうとするだろう。
『アラジンと魔法のランプ』を読み、魔神の力のイメージを得て、自分が実際に魔神を所有していることを認識することは良いことである。
まあ、大抵の人は子供っぽいとか馬鹿馬鹿しいとか言ってやらないと思うが、そんな人には、潜在意識の巨大な力は無縁である。
それに、『千夜一夜物語』は、知恵に満ちた、しかも、面白いものなので、お奨め出来ると思う。
私も、これから読もうと思う。
尚、私が愛読する『アラジン、または魔法のランプ』および『アリババと四十人の盗賊』が含まれたものは、下の最初にご紹介しているグーテンベルク21版の「巻9の2」である。
ちくま文庫版では、どれに収録されているか私は知らないので、第1巻をご紹介しておく。








内にある神秘の力の使い方

どれほど優秀な人間だろうが、1人で出来ることはたかが知れている。
では、チームプレイなら良いのかというと、そうでもない。
よく、人間が協力した時の力は、1+1=3、2+2=10と、単なる足し算ではないと言う人がいる。
確かにそうかもしれず、10や20の力で済む小さなことでなら、チームのメリットは明らかだが、1000とか2000の力が必要なことでは、どうでも良いことだ。
大きなことをするには、人間の心の中にある、不思議な力を使わなければならない。
その力のことを、大雑把に潜在意識の力と言ったり、超意識とか、超越意識と言われることもあるが、これに関しては、共通した定義を作るほど正確なことは解っていない。
だが、その力を「神」と呼んだ聖書は、その力の原理を正しく記述している。
そして、我々は、その力の原理に則り、この力を活用出来れば良いのである。

つまり、心の中に大きな力があるのなら、自分で事を為さず、その大きな力にやってもらえば良いというのは単純な理屈である。
このことを、聖書では「神が私の代わりに戦ってくれる」と言う。
例えば、今が戦国時代として、あなたはそこそこの剣の腕前を持ち、10人ほどのチームメイトも、全員がわりと強いとしよう。だが、そんな程度で安心出来るだろうか?
敵が百人以上の、鍛えられ、戦い慣れた賊や兵士なら、全く勝ち目はない。
けれども、神の軍団が味方なら、それはレーザー砲を持った精鋭軍団よりはるかに強いのだから、あなたは全く心配する必要がない。
神の軍団に代わりに戦ってもらい、のんびりしていれば良い。
世の中のことは、この喩え通りである。
とはいえ、たとえ神の軍団が味方でも、あまりにリラックスして酔っ払って崖から転落したら最後だし、遊びまわって敵に捕まったり、不摂生で病気になってはどうにもならない。あるいは、神の軍団の力を自分の力と思い違いし、嫌がる女の子に無理強いして付き合ってもらおうとしたら、誰かに隙をつかれて刺されたり、そもそも神の軍団に見捨てられかねない。つまり、神は代わりに戦ってくれるが、あなたはあなたで、すべきことをしないといけない。
このことを、スーフィー(イスラム神秘主義)では、「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」と言ったのである。
神(潜在意識の力)が代わりに戦ってくれる。
しかし、あなたは、代わりに戦ってもらえる、守ってもらえるだけの者でなければならない。
そのためには、放埓(勝手きまま)にふるまたい気持ちを抑え、自己に制約を課せば良いだけである。
例えば、朝は必ず5時に起きるとか、満腹するまで食べて自分を甘やかさないとか。
天下でも取りたいというのでなければ、かなりゆるい制約で良い。
自分に制約を課していれば、つまり、掟を決めて守っていれば、「神が代わりに戦ってくれる」と思い易い。
そして、実際に、「神が代わりに戦ってくれる」と言葉で言ったり、思ったりすれば良い。
これが、人間を超えた力の使い方である。

新型コロナウイルスに対しても、科学的研究ももちろん大事であるが、それよりも、人間は自分が出来る、当たり前のことをして、後は神様に戦ってもらうと良い。
というより、それより他にやりようがない。今回の新型コロナウイルスはまだ、何とか出来そうな気がするかもしれないが、もっと凄いのが出てくる可能性はいくらでもある。
オリンピックや高校野球甲子園大会で大儲けを狙って大衆を煽り、密集するほどに集めるようなことや、人々を奴隷にして、満員電車で通勤させ、オフィスに閉じ込めることもやめなければならない。
そして、皆が、自分に向いたことをやり、互いに尊重し、思いやりを持って接する。
そんな世界であれば、ウイルスに苦しめられるはずがない。







プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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