「生きている」というのは、単純には、生物として生命活動を行っているという意味だ。
しかし、小説やアニメ等で「私は生きているとは言えない」といった言い方をする時は、「生き生きと生きていない」ということで、「自分らしく生きていない」ということだろう。
(人間らしく生きていないという、人間の尊厳に関わる問題もあるが、今回のテーマではないので触れない)
では、「自分らしく生きていない」とはどういうことかというと、「持って生まれた資質を生かし、個性的に生きていない」という意味と思って良いと思う。
やや回りくどい言い方をしたが、やはり、人間は個性的に生きなければ、本当に生きていることにならないのだ。
そして、個性的に生きなければ、人間の本来の力・・・神のような力が発揮出来ない。
現実的に言うなら、引き寄せの力が発揮されないのである。
人間社会は個性的に生きることが難しい。
いつの時代でもだが、特に現代はそう言えるかもしれない。
個性的に生きようとしたら、「出る釘は打たれる」のように、強い妨害に遭う。
だが、本来、個性的に生きるのは自己責任であり、それがやり難くても誰にも文句は言えない。
子供のことについて、心理学者やカウンセラーに相談しに来る親の中で、例えば、不登校の子供について、
「先生、子供が学校に行くスイッチってないですかね?」
と、言う者がいるらしい。
要は、こんな難しい問題を、苦労せず、簡単に・・・というより、「安易に」解決したいのだ。
こんな愚かな心構えだから、子供がおかしくなったのだろう。
この親は、子供と正面から向き合う気がなく、そんな面倒なことをしなくても済む都合の良い解決策を求めているのだ。
しかし、実際の解決法は、親が子供と正面から向き合うしかないのである。
個性についても同じだ。
「個性が出来るスイッチってないですかね?」
と思うような者に見込みはない。
しかし、1つないでもない(笑)。
別に、いい加減なことを言おうというのではなく、原理的なことだ。
つまり、人間の脳の中に組み込まれた唯一のコマンド(命令)は、「生きろ」だけである。
そして、最初に述べた通り、人間は、ただ生物として生きているだけでは生きているとは言えない。
だから、「生きている」と実感する時、その人は個性的に生きている。
そこで、「生きている」という言葉を言う、あるいは、思うことで、個性的に生きる道に導かれる。
「生きている」と唱えることで、潜在意識が個性的に生きられるよう、あなたを動かす。
ただし、そう導かれて個性的に生きようとしたら、必ずエゴの抵抗に遭う。
エゴは、無個性に生きる方が安全だと思っているからだ。
潜在意識に従うか(直観に従うこととほぼ等しい)、怠惰な心に従うか(これがエゴに従うことである)の選択は、あなたの自由である。
「生きている」が最強のアファーメーション、あるいは、呪文と言われる所以はこういうことである。
だが、呪文を唱えても、潜在意識の導きを受け入れるかどうかは、あなたの自由なのである。
しかし、小説やアニメ等で「私は生きているとは言えない」といった言い方をする時は、「生き生きと生きていない」ということで、「自分らしく生きていない」ということだろう。
(人間らしく生きていないという、人間の尊厳に関わる問題もあるが、今回のテーマではないので触れない)
では、「自分らしく生きていない」とはどういうことかというと、「持って生まれた資質を生かし、個性的に生きていない」という意味と思って良いと思う。
やや回りくどい言い方をしたが、やはり、人間は個性的に生きなければ、本当に生きていることにならないのだ。
そして、個性的に生きなければ、人間の本来の力・・・神のような力が発揮出来ない。
現実的に言うなら、引き寄せの力が発揮されないのである。
人間社会は個性的に生きることが難しい。
いつの時代でもだが、特に現代はそう言えるかもしれない。
個性的に生きようとしたら、「出る釘は打たれる」のように、強い妨害に遭う。
だが、本来、個性的に生きるのは自己責任であり、それがやり難くても誰にも文句は言えない。
子供のことについて、心理学者やカウンセラーに相談しに来る親の中で、例えば、不登校の子供について、
「先生、子供が学校に行くスイッチってないですかね?」
と、言う者がいるらしい。
要は、こんな難しい問題を、苦労せず、簡単に・・・というより、「安易に」解決したいのだ。
こんな愚かな心構えだから、子供がおかしくなったのだろう。
この親は、子供と正面から向き合う気がなく、そんな面倒なことをしなくても済む都合の良い解決策を求めているのだ。
しかし、実際の解決法は、親が子供と正面から向き合うしかないのである。
個性についても同じだ。
「個性が出来るスイッチってないですかね?」
と思うような者に見込みはない。
しかし、1つないでもない(笑)。
別に、いい加減なことを言おうというのではなく、原理的なことだ。
つまり、人間の脳の中に組み込まれた唯一のコマンド(命令)は、「生きろ」だけである。
そして、最初に述べた通り、人間は、ただ生物として生きているだけでは生きているとは言えない。
だから、「生きている」と実感する時、その人は個性的に生きている。
そこで、「生きている」という言葉を言う、あるいは、思うことで、個性的に生きる道に導かれる。
「生きている」と唱えることで、潜在意識が個性的に生きられるよう、あなたを動かす。
ただし、そう導かれて個性的に生きようとしたら、必ずエゴの抵抗に遭う。
エゴは、無個性に生きる方が安全だと思っているからだ。
潜在意識に従うか(直観に従うこととほぼ等しい)、怠惰な心に従うか(これがエゴに従うことである)の選択は、あなたの自由である。
「生きている」が最強のアファーメーション、あるいは、呪文と言われる所以はこういうことである。
だが、呪文を唱えても、潜在意識の導きを受け入れるかどうかは、あなたの自由なのである。