大人とは、ある意味「常識がある」ことだろう。
ところが、常識は非常に難しい。
場所や時代が違えば常識が大きく変わることがあるし、同じ場所や時代でも育ちや属するグループによっても常識が全く異なることが少なくない。
とはいえ、人間である限りは、時代、場所、立場に関わらず持つべき常識がある。
ところが、持つべき常識が露骨に無視されることが多い。たとえば「弱い者いじめはいけない」だ。
アメリカの作家カート・ヴォネガットは、
「地球で持つべきルールはたった1つだ。人に優しくしろ」
と言ったが、このルールは常識と言い換えても良いだろう。
大いに賛成したいところだが、これが人類の常識になることはないだろう。
それに、「一見優しい」と「本当に優しい」は違うというややこしい現実もある。
誰も聞いちゃいないが、私の「地球で持つべき常識」は「弱い者いじめをしない」ことだが、これも、人類の常識になることはないだろう。こちらは「一見弱い者いじめをしない」と「本当に弱い者いじめをしない」という違いを生じないので、ヴォネガットのものより優れていると思うのだが。
つまり、人間は複雑・・・いや、複雑怪奇だ。
しかし、そうでもない。
「常識」を「冗談」と言い換えると良い。
『プリデスティネーション』という2014年のオーストラリア映画がある。
原作は、ロバート.A.ハインラインの『輪廻の蛇』だ。
私は、この映画の冒頭の、バーでの、ジョンという若者(坊やという雰囲気)と中年バーテンダーとの会話が好きでたまらず、何度も見る。
ジョンの毒舌が凄く良いのだ。
そして、ジョンの毒舌をうまく受け流すバーテンダーも良い。
要は、この2人は持っている常識が相当異なるのである。
ジョンが酒(オールド何とかという酒)を注文し、バーテンダーがグラスに注ぐと、ジョンは「瓶ごと」と言う。
バーテンダーが「悲しい酒ってやつか?」と言うと、ジョンが「お前に何が分かる?」と食ってかかり、バーテンダーは驚き「ほんの冗談だよ」と少したしなめるように言う。
つまり、バーテンダーの冗談がジョンに通じなかったわけだ。
それからしばらくして、バーテンダーがジョンに「お前に興味が出てきた」みたいなことを言うと、ジョンは「お前、ゲイか?」と言い、バーテンダーが明らかにむっとして背中を向けると、ジョンは「ほんの冗談だよ」と言う。
これは、ジョンの冗談がバーテンダーに通じなかったのではなく、ジョンの冗談は「笑えない冗談」、つまり、不適切な冗談であったわけだ。
常識に比べ冗談は、軽くて緩い。
そんな冗談が通じること、そして、笑えない冗談を言わないことが「最低限の大人」だ。
そして、冗談が通じない、あるいは、ちゃんと冗談を言えないと、物凄く苦労する。
言われた冗談が、多少気に食わなくても、悪意がなく、モラルに反しなければ笑ってやることが、「冗談が通じる」ことだ。
そして、冗談を悪意なくモラルに反せずに言うことが、「ちゃんと冗談を言える」ことだ。
『涼宮ハルヒの憂鬱』で、ハルヒ(高1の美少女)は、高校入学時のクラス内の挨拶で、
「ただの人間には興味ありません。この中に、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら私のところに来なさい」
と言う。
これを聞き、キョン(高1男子)は「これ、笑うとこ?」と心で言う。
つまり、「冗談だよね?」と思ったのだが、他のクラスメイトや教師もそう思ったことだろう。
しかし、誰も笑わなかった。ハルヒの表情がマジだったので冗談と断定出来なかったのだろう。
もし、ハルヒ自身が笑っていたら、皆、安心して笑ったことだろう。
だが、ハルヒは冗談を言ったのではなかった。
そして、その後、キョンがハルヒと会話をする中で、ハルヒは、冗談が通じないし、一切冗談を言わない(言えない)ことが分かる。
もし、ハルヒのような人間がいたら、生きていけないほど物凄く苦労する。
だが一方で、ハルヒは世界的な人気者だ。
現実と架空の話をごっちゃにしてはいけないかというと、そうでもない。
ハルヒには、ただ1つの欠点があるだけだ。
それは「余計なことを言う」ことで、あのクラスでの挨拶は言うべきではなかった。
きっと、あなたもハルヒのような人だろう。
だったら、余計なことを言わず、黙っているべきだ。
そして、冗談が通じるようにならなければならない。
それには、思考を消せば良く、そのためには、瞑想をすれば良い。
ハルヒにも今今瞑想(今今メソッド)を教えてやりたいものである。
そうしたら、きっとハルヒは「何それ?バッカじゃないの?」と言うだろうが、そうしたら、「バカだよ」と笑ってやれば良い。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)国のない男(カートヴォネガット)
(2)涼宮ハルヒの憂鬱(谷川流)
(3)プリデスティネーション(字幕版) ※Amazon Prime Video
AIアート1143
「夏の忘れ物」
Kay
ところが、常識は非常に難しい。
場所や時代が違えば常識が大きく変わることがあるし、同じ場所や時代でも育ちや属するグループによっても常識が全く異なることが少なくない。
とはいえ、人間である限りは、時代、場所、立場に関わらず持つべき常識がある。
ところが、持つべき常識が露骨に無視されることが多い。たとえば「弱い者いじめはいけない」だ。
アメリカの作家カート・ヴォネガットは、
「地球で持つべきルールはたった1つだ。人に優しくしろ」
と言ったが、このルールは常識と言い換えても良いだろう。
大いに賛成したいところだが、これが人類の常識になることはないだろう。
それに、「一見優しい」と「本当に優しい」は違うというややこしい現実もある。
誰も聞いちゃいないが、私の「地球で持つべき常識」は「弱い者いじめをしない」ことだが、これも、人類の常識になることはないだろう。こちらは「一見弱い者いじめをしない」と「本当に弱い者いじめをしない」という違いを生じないので、ヴォネガットのものより優れていると思うのだが。
つまり、人間は複雑・・・いや、複雑怪奇だ。
しかし、そうでもない。
「常識」を「冗談」と言い換えると良い。
『プリデスティネーション』という2014年のオーストラリア映画がある。
原作は、ロバート.A.ハインラインの『輪廻の蛇』だ。
私は、この映画の冒頭の、バーでの、ジョンという若者(坊やという雰囲気)と中年バーテンダーとの会話が好きでたまらず、何度も見る。
ジョンの毒舌が凄く良いのだ。
そして、ジョンの毒舌をうまく受け流すバーテンダーも良い。
要は、この2人は持っている常識が相当異なるのである。
ジョンが酒(オールド何とかという酒)を注文し、バーテンダーがグラスに注ぐと、ジョンは「瓶ごと」と言う。
バーテンダーが「悲しい酒ってやつか?」と言うと、ジョンが「お前に何が分かる?」と食ってかかり、バーテンダーは驚き「ほんの冗談だよ」と少したしなめるように言う。
つまり、バーテンダーの冗談がジョンに通じなかったわけだ。
それからしばらくして、バーテンダーがジョンに「お前に興味が出てきた」みたいなことを言うと、ジョンは「お前、ゲイか?」と言い、バーテンダーが明らかにむっとして背中を向けると、ジョンは「ほんの冗談だよ」と言う。
これは、ジョンの冗談がバーテンダーに通じなかったのではなく、ジョンの冗談は「笑えない冗談」、つまり、不適切な冗談であったわけだ。
常識に比べ冗談は、軽くて緩い。
そんな冗談が通じること、そして、笑えない冗談を言わないことが「最低限の大人」だ。
そして、冗談が通じない、あるいは、ちゃんと冗談を言えないと、物凄く苦労する。
言われた冗談が、多少気に食わなくても、悪意がなく、モラルに反しなければ笑ってやることが、「冗談が通じる」ことだ。
そして、冗談を悪意なくモラルに反せずに言うことが、「ちゃんと冗談を言える」ことだ。
『涼宮ハルヒの憂鬱』で、ハルヒ(高1の美少女)は、高校入学時のクラス内の挨拶で、
「ただの人間には興味ありません。この中に、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら私のところに来なさい」
と言う。
これを聞き、キョン(高1男子)は「これ、笑うとこ?」と心で言う。
つまり、「冗談だよね?」と思ったのだが、他のクラスメイトや教師もそう思ったことだろう。
しかし、誰も笑わなかった。ハルヒの表情がマジだったので冗談と断定出来なかったのだろう。
もし、ハルヒ自身が笑っていたら、皆、安心して笑ったことだろう。
だが、ハルヒは冗談を言ったのではなかった。
そして、その後、キョンがハルヒと会話をする中で、ハルヒは、冗談が通じないし、一切冗談を言わない(言えない)ことが分かる。
もし、ハルヒのような人間がいたら、生きていけないほど物凄く苦労する。
だが一方で、ハルヒは世界的な人気者だ。
現実と架空の話をごっちゃにしてはいけないかというと、そうでもない。
ハルヒには、ただ1つの欠点があるだけだ。
それは「余計なことを言う」ことで、あのクラスでの挨拶は言うべきではなかった。
きっと、あなたもハルヒのような人だろう。
だったら、余計なことを言わず、黙っているべきだ。
そして、冗談が通じるようにならなければならない。
それには、思考を消せば良く、そのためには、瞑想をすれば良い。
ハルヒにも今今瞑想(今今メソッド)を教えてやりたいものである。
そうしたら、きっとハルヒは「何それ?バッカじゃないの?」と言うだろうが、そうしたら、「バカだよ」と笑ってやれば良い。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)国のない男(カートヴォネガット)
(2)涼宮ハルヒの憂鬱(谷川流)
(3)プリデスティネーション(字幕版) ※Amazon Prime Video
AIアート1143
「夏の忘れ物」
Kay