中将姫(ちゅうじょうひめ。747~775)は、奈良時代に存在したとされる架空の女性である。
名の「中将」は、内侍(ないし)という 三位中将という位を持つ役職から来ていると思われる。
内侍は天皇の近くで、天皇の言葉を仲介したり、天皇に意見を述べたりするのだから、かなりの高位と思える。
中将姫が内侍になったのは13歳の時で、彼女は美貌と才能に恵まれた女性であったという。
折口信夫の『死者の書』のヒロインは、郎女(いらつめ。若い女性のこと)としか書かれていないが、中将姫、あるいは、中将姫をモデルにしているのだと思う。
細かい解説は複雑なので省くが、中将姫は美貌と才能のため、14歳くらいからは不遇の人生となり、当麻(とうま)寺で、念仏三昧で過ごすようになる。
ただ、念仏といっても、中将姫は、法然(1133~1212)よりずっと前の人なので、念仏も「南無阿弥陀仏」を唱えることではなく、まさに「仏を念ずる」というものであったと思われる。
中将姫は、阿弥陀経という、浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)の1つを千回写経することで、解脱というのかどうかは分からないが、普通の人間を超えたのだと思う。また、中将姫が阿弥陀経を唱える声は見事で、彼女の殺害を命じられて来た者も、その声を聞くと彼女を殺せなかったようである。
中将姫の念仏とは、阿弥陀経に書かれていることを想いイメージすることであったのだと思う。
仏教のお経全般に言えるが、特に、この阿弥陀経、あるいは、観無量寿経はイメージを掻き立てるもので、観無量寿経となると、イメージトレーニングのためのものとも思われるのである。
ちなみに、法然が浄土三部経の中で最も重視したのは観無量寿経で、空也上人が重視したのが阿弥陀経、親鸞は無量寿経を重視したといわれている。
折口信夫の『死者の書』では、中将姫は「なも 阿弥陀(あみだ)ほとけ。あなたふと(何と尊いのでしょう)阿弥陀ほとけ」と唱えている。これは、中将姫が阿弥陀経を読経、写経する中で、自然に出てくるようになった言葉であると思われる。

AIアート697
「朝陽」
Kay
今の時代、南無阿弥陀仏という念仏自体に特別な力があると言うのは無理がある。
だが、念仏に特別な力を与えるのは人間で、言い換えれば、人間は、念仏にしろ、他の言葉にしろ、特別な力を持たせることが出来るのである。
また、仮に特別な力みたいなものはなくても、念仏やマントラ、呪文を繰り返し唱えることで思考を消せば、神的な力を発揮することはありえるというか、むしろ当たり前だと思えるのだ。
それこそが、人間が言葉に与える特別な力である。
中将姫のことを想うと、そんな気がしてくるのである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)死者の書 (折口信夫。角川ソフィア文庫)
(2)死者の書(上) (ビームコミックス)
(3)竹内街道物語 ※中将姫の物語あり
(4)時空を翔ける中将姫
(5)モオツァルト・無常という事(小林秀雄)※中将姫物語の能『当麻』を小林秀雄が美しく描写
(6)浄土三部経(現代語版) 浄土真宗聖典
(7)浄土三部経 下: 観無量寿経・阿弥陀経(中村元)
名の「中将」は、内侍(ないし)という 三位中将という位を持つ役職から来ていると思われる。
内侍は天皇の近くで、天皇の言葉を仲介したり、天皇に意見を述べたりするのだから、かなりの高位と思える。
中将姫が内侍になったのは13歳の時で、彼女は美貌と才能に恵まれた女性であったという。
折口信夫の『死者の書』のヒロインは、郎女(いらつめ。若い女性のこと)としか書かれていないが、中将姫、あるいは、中将姫をモデルにしているのだと思う。
細かい解説は複雑なので省くが、中将姫は美貌と才能のため、14歳くらいからは不遇の人生となり、当麻(とうま)寺で、念仏三昧で過ごすようになる。
ただ、念仏といっても、中将姫は、法然(1133~1212)よりずっと前の人なので、念仏も「南無阿弥陀仏」を唱えることではなく、まさに「仏を念ずる」というものであったと思われる。
中将姫は、阿弥陀経という、浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)の1つを千回写経することで、解脱というのかどうかは分からないが、普通の人間を超えたのだと思う。また、中将姫が阿弥陀経を唱える声は見事で、彼女の殺害を命じられて来た者も、その声を聞くと彼女を殺せなかったようである。
中将姫の念仏とは、阿弥陀経に書かれていることを想いイメージすることであったのだと思う。
仏教のお経全般に言えるが、特に、この阿弥陀経、あるいは、観無量寿経はイメージを掻き立てるもので、観無量寿経となると、イメージトレーニングのためのものとも思われるのである。
ちなみに、法然が浄土三部経の中で最も重視したのは観無量寿経で、空也上人が重視したのが阿弥陀経、親鸞は無量寿経を重視したといわれている。
折口信夫の『死者の書』では、中将姫は「なも 阿弥陀(あみだ)ほとけ。あなたふと(何と尊いのでしょう)阿弥陀ほとけ」と唱えている。これは、中将姫が阿弥陀経を読経、写経する中で、自然に出てくるようになった言葉であると思われる。

AIアート697
「朝陽」
Kay
今の時代、南無阿弥陀仏という念仏自体に特別な力があると言うのは無理がある。
だが、念仏に特別な力を与えるのは人間で、言い換えれば、人間は、念仏にしろ、他の言葉にしろ、特別な力を持たせることが出来るのである。
また、仮に特別な力みたいなものはなくても、念仏やマントラ、呪文を繰り返し唱えることで思考を消せば、神的な力を発揮することはありえるというか、むしろ当たり前だと思えるのだ。
それこそが、人間が言葉に与える特別な力である。
中将姫のことを想うと、そんな気がしてくるのである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)死者の書 (折口信夫。角川ソフィア文庫)
(2)死者の書(上) (ビームコミックス)
(3)竹内街道物語 ※中将姫の物語あり
(4)時空を翔ける中将姫
(5)モオツァルト・無常という事(小林秀雄)※中将姫物語の能『当麻』を小林秀雄が美しく描写
(6)浄土三部経(現代語版) 浄土真宗聖典
(7)浄土三部経 下: 観無量寿経・阿弥陀経(中村元)