ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

洗脳

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

洗脳歌を歌い替える

『春の小川』という歌をご存じと思うし、大抵の人は1番の歌詞で歌えると思う。

春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら

昔の歌詞は、

春の小川は さらさら流る
岸のすみれや れんげの花に
匂(にお)いめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやく如く

だった。
作詞した高野辰之には、春の小川が流れる様子を「さらさら」と感じたのか、歌詞として都合が良いから「さらさら」にしたのかは分からない。
しかし、ここに「さらさら」以外の言葉を当てるのは、普通の人には難しく感じるかもしれない。
だが、私のイメージでは「静かに」「しっとり」「のんびり」である。
私には「さらさら」のイメージは全くない。
ついでに言うと、小川が囁くのは、
「すがたやさしく 色うつくしく 咲けよ咲けよ」
なのか、
「咲けよ咲けよ」
なのか、はっきりしない。

今もありそうだが、昔、小学校の国語の問題で、

春の小川は(  )流れる
(  )に言葉を入れよ。

というのがあり、「さらさら」以外の解答は×にしたということがあったらしい。
初代プリキュアの雪城ほのか推しの私なら、喜んで「ほのかに」と書いたかもしれない(笑)。
いや、今でも私は、この歌をうたう時は「ほのかに」と歌いたいが、それを「歌詞が違う」と言ってはならない。

この国語の問題自体は、頭の悪い教師が作ったのだと思うが、『春の小川』が有名過ぎ、それによって、実際に多くの人にとって、春の小川が流れる様子は「さらさら」だという固定観念が強過ぎることがある。
だが、凡人になりたくなければ、私で言えば「静かに」「しっとり」「のんびり」「ほのかに」だが、各自、自分に合った言葉で歌わなければならない。

ちなみに私は、

岸のすみれや れんげの花に

のところを、ずっと、

騎士のすみれや れんげの花に

と見なしていた。
私には「きし」は「騎士」であるイメージがあるからだ。
そういえば、『冬景色』の、

さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の
舟に白し、朝の霜。
ただ水鳥の声はして
いまだ覚めず、岸の家。

の「岸の家」も、私はいまだ「騎士の家」と思っている。
私は子供の時から騎士が好きであるが、騎士と武士はかなり違う。
武士道には武士道の良さがあるのだと思うが、騎士道は、どこか力の抜けた大人の遊び心があるとアラン・ワッツが本に書いていたのが印象的だが、そうかもしれないと思う。
偽のフェミニスト精神では、若い女、さらには、好みのタイプの女を下心を持って大事にするが、騎士の特質である真のフェミニスト精神では、少女から老女まで全て等しく敬う。
騎士道ではユーモアを忘れず、つまらぬ争いを賢く回避する。武士のように頑なに白黒つけようとはしない。
私にとっては『冬景色』で描かれる情緒ある家は騎士の家なのである。

動揺、文部省唱歌には洗脳のためのものが多い。
「これはこう考えよ」という国家の押し付けである。
子供が歌詞を変えたら困らせ脅す。
だが、私にとって、春の小川はほのかに流れ、美しい入江の近くの家は騎士の家である。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ふたりはプリキュア(1)(上北ふたご、東堂いづみ)
(2)洗脳原論(苫米地英人)
(3)「脱常識」力(苫米地英人)
(4)「ラットレース」から抜け出す方法(アラン・ワッツ)

黄金の薔薇
AIアート2311
「黄金の薔薇」
Kay

人気アイドルの人気の秘密

日本の国民的アイドルと言えば、美空ひばりさん、山口百恵さん、松田聖子さんで、以降、個人でこれらほどの大物は出ていないと思う。
この3人の人気は、メディアによる洗脳と言っても責められることはないと思う。
彼女らが歌う姿だけを見て好きになる人が、果たしてどれほどいるだろう?
よく知られているが、山口百恵さんは、デビュー当時、そこそこ可愛い普通の女子中学生という雰囲気の時、乙女が恥ずかしくて口に出来ないようなフレーズをさらっと歌い、しかも、その刺激的な部分を、当時はよく使われていたラジオで本当に頻繁に流し、青少年だけでなくオジサンのハートも鷲掴みにした。完全なマーケティングの勝利だった。
同じ手法を真似したアイドルは数多く登場したが、元祖に全く及ばなかったのは、マーケティングの能力の差・・・言い換えれば、洗脳のうまさの差であると思う。

アニメで言えば、最も成功した推しキャラは綾波レイであると思う。
自我が薄い感じながら、なんだかんだ言って徹底的に献身してくれ、時折可愛いところを見せ、なんと言っても「禁断の果実」という雰囲気のエロチックさが、現実の女性に疎いモテないオジサンやオタク達の心を鷲掴み・・・というところは山口百恵さんの場合と似ている。
これらの総合で、綾波レイが理想の乙女・・・というか理想の女性であるように洗脳するのである。
山口百恵さんらはマーケティングで洗脳するが、綾波レイの場合はアニメの表現で洗脳するということと思う。
綾波レイと似た手法を使ったのが、長門有希で、そこそこの成功を収めたと思うが、元祖には遠く及ばない。

初音ミクに関しては、宗教人類学者の植島啓司さんが、彼女の魅力は「未成熟」と言ったことがあるが、それはあのロリータボイスによるところが大きいだろう。
だが、彼女は、キャラクターとしてのマーケティングやストーリー作りがなく、その分、金の臭いや押し付けがましい「いやらしさ」を感じさせない。
彼女は楽器なのだから、彼女の声を自由に使えるだけでなく、彼女の姿も自由に使えるようなライセンス形態にすることで、オタク的な人々が求めるものを、オタク的な人々が作るという強力な流れが出来た。
初音ミクの歌はクセが強いと言われるが、それは学校や社会にスポイルされたクリエイター達が、その鬱屈した心の叫びを表現し、その歌やイラストが、同じような傾向性の心を持つ人々に響くのであると思う。
初音ミクを受け入れるのは、ある程度豊かな国だけであると言うが、豊かな国でないと、初音ミクを楽しむ余裕がないことと共に、豊かな国では、主に若者が同じように、抑圧、スポイルされるのである。
どのような抑圧であるかというと、簡単に言えば、個性的であることを認められず、前に倣えと強制されることである。
この意味で、初音ミクは、山口百恵とは真逆と言えるほどで、山口百恵に関しては、「皆が好きだから好き」みたいなところが大きかったが、初音ミクは、好きな人は好きだが、嫌いな人は嫌いであることが明確である。これは、女子小中学生ですらそうである。
初音ミクのクリエーターもファンも、心にクセがある・・・というか、ある意味で歪みを抱えていることは確かと思う。

それと、初音ミクが成功し、初音ミクに倣ったキャラクターがそれほど成功しない要因には、初音ミクの抜群の分かり易さがあると思う。
青か緑の2本の長いものがあれば、それが初音ミクだと言われたら初音ミクに見えてしまう単純明快さだ。
一方で、他のボーカロイドキャラクターは複雑に設定されていて、たとえばIAのイラストを描いたつもりでも、よほどうまく描かないとIAに見えない。
画像生成AIでも、「青緑のツインテールの少女」といったプロンプトで作った少女のイラストは全部、初音ミクで通用するが、IAだと、誰かが苦労して作ったLoRAモデルでも使用しないと、なかなかIAにならない。
単純さの強さは、何事においても応用可能と思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)創作のミライ ~「初音ミク」が北海道から生まれたわけ~(伊藤博之)
(2)初音ミクはなぜ世界を変えたのか?(柴那典 )
(3)【Amazon.co.jp限定】BT BOOKS 初音ミク オリジナルポストカード付き

この世にないもの
AIアート2222
「この世にないもの」
Kay

洗脳されない人間はいない

かなり以前から、「テレビに洗脳される」「陰謀論に洗脳される」「SNSに洗脳される」などと盛んに言われるようになり、テレビや新聞は放置して、悪い洗脳が起こらないよう、SNSだけ政府が検閲するかもしれない、いや、既にされているといったことが言われている。
一方で、「自分の頭でしっかり考え、洗脳されないようにしよう」などと言う者も沢山いる。

私は、自分に関して言えば、何度も洗脳されたし、今も洗脳されているのだろうが、洗脳されないことは不可能だと思う。どうやったところで洗脳されることは避けられない。
ジッドゥ・クリシュナムルティは「私は何も信じない」と言ったが、私は、そんな文言を真似たところで、何かを信じることはやめられない。それはつまり、洗脳されることを止められないということだ。

そして、私は、クリシュナムルティのような人が本当にいるなら、そんな人は別にすれば、人間には2種類しかないと思っている。
それは、自分が洗脳されていると思っている人間と、そう思っていない人間で、後者が圧倒的に多い。
「データを検証して自分の頭で考え、洗脳されないようにしなければならない」と言う者は、おそらく、全員、後者・・・自分は洗脳されていないと思っているだけの、確実に洗脳されている者だ。

人間は思考する限り洗脳される。
いかなる天才でも、洗脳されないほどの高度な思考力など持っていないからだ。
人間の頭なんて、大天才といったところで、たかが知れていると思う。
だが、思考しなければ決して洗脳されない。つまり、いかなる天才も超える。
洗脳されると、マインドが汚染され、魂の輝きが遮断される。それは、魂の至高の力が封じられている状態だ。
しかし、思考を消すとマインドは透明になり、魂が輝いて現れる。魂は全知全能であり、思考からすれば、なぜか分からない中で、あるいは、気付きもしない中で、容易く奇跡を起こす。
いつも言う通り、少しでも思考を消すため、何の感情もなく、何かの言葉を繰り返し唱えるというのが、最も易しい方法と思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)洗脳原論(苫米地英人)
(2)私は何も信じない ~クリシュナムルティ対談集~(ジッドゥ・クリシュナムルティ)
(3)母なる夜(カート・ヴォネガット・ジュニア )

精霊の訪問
AIアート1979
「精霊の訪問」
Kay

良い洗脳

引き寄せに限らないが、高次の力を使える者の特徴ははっきりしている。しかし、それを分かっている人は少ない。
その特徴とは、その力の指導者を完全に信奉(信じて尊ぶ)していることで、はっきり言えば、「教祖に洗脳されている」ことだ。
これは本当に間違いない。
その教えの内容が正しいとか高度であるとかは関係ない。
ロンダ・バーンを本当に信奉しているなら引き寄せが出来るし、バシャールを信奉しているなら、バシャールが言うようなことが出来る。
ただし、単に「ザ・シークレット」を有り難がっているだけで、ロンダ・バーンも、その教えもそれほど信奉していないなら、惨めなほど引き寄せは出来ない。
邪な宗教では、信者は恐怖や歪んだ洗脳で敬虔な信者を演じているだけで、本当に教祖を信奉しているわけではないので、信者達は無力である。

このことによって、引き寄せが出来ない理由が明確になる。
私の場合は、引き寄せはジョセフ・マーフィーで始めたが、実のところ、最初の頃は、かなりマーフィーを信奉していたが、常に疑いがあり、ある時期からは疑いがかなり大きくなった。マーフィーの本の中に多くの矛盾を発見したし、「愛を実践せよ」とか「実現を信じて疑うな」というのは最初から無理な話であった。
ロンダ・バーン自体は、それなりに一貫性があるように見えるが、『ザ・シークレット』の方は、個人的には矛盾だらけ、欠陥だらけに思えた。
それに、ロンダ・バーンの雰囲気は、個人的には信用に値する人物に思えなかった。

ましてや、新興のユニークさが売りの引き寄せの指導者達は、もう怪し過ぎて(笑)話にならない。「和の成功法則」だの「量子力学で引き寄せる」みたいなものだ。

ところが、私は、法然や親鸞には完全に洗脳されてしまった。
ただし、仏教や、浄土宗、浄土真宗といった仏教宗派に洗脳されたわけでは全くない。
仏教全体は、あまりに統一性がない。キリスト教であれば旧約と新約の聖書があるだけだが、仏教には無数の教典があり、それらの内容があまりにかけ離れている。だから、「仏教を信仰している」という言い方は実際には成立せず、「法華経を信仰している」「法句経を信仰している」といったように言うしかないと思う。浄土真宗の檀家だからといっても、浄土真宗を信仰しているというのとは全く別の話と言って良いと思う。

いわば私は、法然・親鸞教を信仰していると言える。
法然と親鸞の教えは違うと言う人もいるだろうし、私も両者の差異は知っているが、根本は同じと思う。
ましてや、法然は浄土宗で親鸞は浄土真宗であるといったことは全く問題にならない。
正直、浄土宗や浄土真宗には全く興味がない。
また、私が、法然の教えの全て、親鸞の教えの全てを知っているわけではない。
法然に関しては、『選択本願念仏集』と『一枚起請文』だけ。
親鸞に関しては、弟子の唯円が書いた『歎異抄』と『現世利益和讃』だけで、親鸞の代表作の『教行信証』は読んでもいない。
そして、正直言うと、『選択本願念仏集』となると、内容にかなりの無理も感じている。それでも、この本の根本思想は素晴らしく、私は、この本の内容の欠点を知りつつも目をつぶることが出来る。

そして、念仏が論理的、科学的に正しいことは個人的な理論構築によって理解しているのであり、正直、宗教やお坊様の念仏の教えは全く信じていない。
大数学者の岡潔が念仏を唱えていたのも、宗教を信仰していたからではなく、弁栄(べんねい)上人(山崎弁栄)という傑出した思想家・宗教家を信仰していたのであり、また、自分なりに理論を構築して納得していたからであると思う。いわば、岡潔も弁栄上人に洗脳されていたのである。それは良い洗脳である。
尚、私も弁栄上人の本は読んだが、私には合わないようだった。

イーロン・マスクは少年時代に『銀河ヒッチハイク・ガイド』を通して著者のダグラス・アダムスに洗脳されたと言えると思う。
彼は、イエス・キリストにも、ある程度洗脳されたのだと思う。
ビッグ・テックの創業者達も、SF好きが多いらしいが、それぞれに、特別にお気に入りのSF作家に洗脳されたということはあると思う。

大雑把には、私は『歎異抄』に洗脳されているのだが、別に、『歎異抄』の一字一句を絶対肯定しているというのではない。
『歎異抄』の中に、思想的感情的に大いに共感する部分があるというだけのことだ。
一休が、親鸞のことを指し「この男は信用出来る」と言ったらしいが、私もそんな感じである。

本当に洗脳されてしまうと、念仏を唱えると良いことしか起こらない。
皆、何か良いもの、本当に優れたものに洗脳されるべきで、何に洗脳されるかは自分で選ぶべきである。
しょーもないものに、ぬるま湯的に中途半端に洗脳されるのが最も不幸である。たとえば東大卒業者は偉いといったような。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新版 歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(2)選択本願念仏集 法然の教え (角川ソフィア文庫)
(3)銀河ヒッチハイク・ガイド(ダグラス・アダムス)
(4)新約聖書 福音書 (岩波文庫)

水遊び
AIアート1672
「水遊び」
Kay

ギャンブル好きは誰に洗脳されているのか

特に日本人は、熱戦、接戦によるギリギリの勝利というものが大好きだ。
もちろん、日本人に限らず、白熱した互角の戦いを面白いと感じ、それで応援している方が勝つと感動したりする。
野球、サッカー、ボクシング、テニスなど、あらゆる対戦スポーツのルールがなぜ、こんなに複雑なのかというと、なるべく実力差を吸収し、よほどの実力差がない限り、互角の展開にするためではないかと思う。
プロレスのように、戦いのシナリオが決まっている場合も、大勝負においては、互角の熱戦にして観客や視聴者を喜ばせる。
だが、人気選手が、紙一重の勝負で連勝するのだから、真剣勝負であればあり得ない。

『鬼滅の刃』という国際的な人気アニメは、原作からしてそうなのだろうが、まず、新しい敵が恐ろしく強いことが描かれ、炭治郎が大苦戦の末、奇跡的な勝利を掴むというパターンであるが、実際は、そんな戦いで勝ち続けられるはずがなく、アホらしいと思わないといけないと思う。
娯楽だとしても、見るだけ時間の無駄のような気もする。
昔のアニメで言えば『犬夜叉』が全く同じパターンである。

陸上競技の場合は、たとえば100m走で圧倒的に強い選手がいても、世界記録との戦いという接戦、熱戦があるから観衆は興奮し、主催者は儲かる。
また、1970年代から1980年代にかけて活躍したエドウィン・モーゼスは、400mハードルで圧倒的な強さで、全盛期は勝って当たり前だったが、この場合も、連勝記録や、オリンピックでの連続優勝ということがアピールされる。
モーゼスは107連勝、オリンピックは2回連続金メダルの後、3度目のオリンピックでは銀メダルだった。

接戦、熱戦に釣られる・・・つまり、興奮することを期待し、観客や視聴者になるなら、それは資本家にコントロールされているということかもしれない。
騙されない、冷静な判断力を持ちたいなら、このことに気付かないといけない。

私が好きなアニメで、世界的にヒットしている『俺だけレベルアップな件』も、大変な熱戦でギリギリの勝負が行われ、ヒーローの水篠旬は、毎回、奇跡の勝利を掴む。ここも見どころなのだろうが、私は、そんな部分はやっぱり好きでないのだ。
ところが、原作小説を読むと、水篠旬は、主だった戦いでも、実はほとんど楽勝しているのである。
旬が初めて戦ったダンジョン・ボスである青毒牙カサカとの戦いでは、アニメでは旬は大苦戦の末に勝つのだが、原作ではヘッドロック一発で楽勝している。
紅血のイグリッドに対しては、原作でもアニメ同様、実力ではイグリッドが優るが、それほどいやらしいまでの苦戦はせず、あっさり勝っている。
やはり、アニメ製作において、「苦戦の末に逆転勝利」という見せ場が必要なのだろう。
だが、そこに釣られてはならない。
それが、資本家があなたの金を奪う手法なのである。

苦戦するということは準備不足なのである。
そして、競馬の馬の役をやるのでない限り、苦戦する勝負に参加してはならない。
これは、賢い人であれば、当たり前のことである。
しかし、ギャンブルをやってしまうのは、学校やマスコミを通し、洗脳されている証拠なのである。

孫子は「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という、当たり前のことを戦いの要諦・・・いや、基礎として提示した。
なのに、我々は負ける可能性のある戦いを好む。
目を覚まし、エリート達の策略に乗らないようにならなければ、負け犬人生になるだろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新訂 孫子 (岩波文庫)
(2)流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである(ミスター高橋)
(3)デザインされたギャンブル依存症
(4)やめられない ギャンブル地獄からの生還

見極め
AIアート1666
「見極め」
Kay

プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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