『春の小川』という歌をご存じと思うし、大抵の人は1番の歌詞で歌えると思う。
春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら
昔の歌詞は、
春の小川は さらさら流る
岸のすみれや れんげの花に
匂(にお)いめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやく如く
だった。
作詞した高野辰之には、春の小川が流れる様子を「さらさら」と感じたのか、歌詞として都合が良いから「さらさら」にしたのかは分からない。
しかし、ここに「さらさら」以外の言葉を当てるのは、普通の人には難しく感じるかもしれない。
だが、私のイメージでは「静かに」「しっとり」「のんびり」である。
私には「さらさら」のイメージは全くない。
ついでに言うと、小川が囁くのは、
「すがたやさしく 色うつくしく 咲けよ咲けよ」
なのか、
「咲けよ咲けよ」
なのか、はっきりしない。
今もありそうだが、昔、小学校の国語の問題で、
春の小川は( )流れる
( )に言葉を入れよ。
というのがあり、「さらさら」以外の解答は×にしたということがあったらしい。
初代プリキュアの雪城ほのか推しの私なら、喜んで「ほのかに」と書いたかもしれない(笑)。
いや、今でも私は、この歌をうたう時は「ほのかに」と歌いたいが、それを「歌詞が違う」と言ってはならない。
この国語の問題自体は、頭の悪い教師が作ったのだと思うが、『春の小川』が有名過ぎ、それによって、実際に多くの人にとって、春の小川が流れる様子は「さらさら」だという固定観念が強過ぎることがある。
だが、凡人になりたくなければ、私で言えば「静かに」「しっとり」「のんびり」「ほのかに」だが、各自、自分に合った言葉で歌わなければならない。
ちなみに私は、
岸のすみれや れんげの花に
のところを、ずっと、
騎士のすみれや れんげの花に
と見なしていた。
私には「きし」は「騎士」であるイメージがあるからだ。
そういえば、『冬景色』の、
さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の
舟に白し、朝の霜。
ただ水鳥の声はして
いまだ覚めず、岸の家。
の「岸の家」も、私はいまだ「騎士の家」と思っている。
私は子供の時から騎士が好きであるが、騎士と武士はかなり違う。
武士道には武士道の良さがあるのだと思うが、騎士道は、どこか力の抜けた大人の遊び心があるとアラン・ワッツが本に書いていたのが印象的だが、そうかもしれないと思う。
偽のフェミニスト精神では、若い女、さらには、好みのタイプの女を下心を持って大事にするが、騎士の特質である真のフェミニスト精神では、少女から老女まで全て等しく敬う。
騎士道ではユーモアを忘れず、つまらぬ争いを賢く回避する。武士のように頑なに白黒つけようとはしない。
私にとっては『冬景色』で描かれる情緒ある家は騎士の家なのである。
動揺、文部省唱歌には洗脳のためのものが多い。
「これはこう考えよ」という国家の押し付けである。
子供が歌詞を変えたら困らせ脅す。
だが、私にとって、春の小川はほのかに流れ、美しい入江の近くの家は騎士の家である。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ふたりはプリキュア(1)(上北ふたご、東堂いづみ)
(2)洗脳原論(苫米地英人)
(3)「脱常識」力(苫米地英人)
(4)「ラットレース」から抜け出す方法(アラン・ワッツ)

AIアート2311
「黄金の薔薇」
Kay
春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら
昔の歌詞は、
春の小川は さらさら流る
岸のすみれや れんげの花に
匂(にお)いめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやく如く
だった。
作詞した高野辰之には、春の小川が流れる様子を「さらさら」と感じたのか、歌詞として都合が良いから「さらさら」にしたのかは分からない。
しかし、ここに「さらさら」以外の言葉を当てるのは、普通の人には難しく感じるかもしれない。
だが、私のイメージでは「静かに」「しっとり」「のんびり」である。
私には「さらさら」のイメージは全くない。
ついでに言うと、小川が囁くのは、
「すがたやさしく 色うつくしく 咲けよ咲けよ」
なのか、
「咲けよ咲けよ」
なのか、はっきりしない。
今もありそうだが、昔、小学校の国語の問題で、
春の小川は( )流れる
( )に言葉を入れよ。
というのがあり、「さらさら」以外の解答は×にしたということがあったらしい。
初代プリキュアの雪城ほのか推しの私なら、喜んで「ほのかに」と書いたかもしれない(笑)。
いや、今でも私は、この歌をうたう時は「ほのかに」と歌いたいが、それを「歌詞が違う」と言ってはならない。
この国語の問題自体は、頭の悪い教師が作ったのだと思うが、『春の小川』が有名過ぎ、それによって、実際に多くの人にとって、春の小川が流れる様子は「さらさら」だという固定観念が強過ぎることがある。
だが、凡人になりたくなければ、私で言えば「静かに」「しっとり」「のんびり」「ほのかに」だが、各自、自分に合った言葉で歌わなければならない。
ちなみに私は、
岸のすみれや れんげの花に
のところを、ずっと、
騎士のすみれや れんげの花に
と見なしていた。
私には「きし」は「騎士」であるイメージがあるからだ。
そういえば、『冬景色』の、
さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の
舟に白し、朝の霜。
ただ水鳥の声はして
いまだ覚めず、岸の家。
の「岸の家」も、私はいまだ「騎士の家」と思っている。
私は子供の時から騎士が好きであるが、騎士と武士はかなり違う。
武士道には武士道の良さがあるのだと思うが、騎士道は、どこか力の抜けた大人の遊び心があるとアラン・ワッツが本に書いていたのが印象的だが、そうかもしれないと思う。
偽のフェミニスト精神では、若い女、さらには、好みのタイプの女を下心を持って大事にするが、騎士の特質である真のフェミニスト精神では、少女から老女まで全て等しく敬う。
騎士道ではユーモアを忘れず、つまらぬ争いを賢く回避する。武士のように頑なに白黒つけようとはしない。
私にとっては『冬景色』で描かれる情緒ある家は騎士の家なのである。
動揺、文部省唱歌には洗脳のためのものが多い。
「これはこう考えよ」という国家の押し付けである。
子供が歌詞を変えたら困らせ脅す。
だが、私にとって、春の小川はほのかに流れ、美しい入江の近くの家は騎士の家である。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ふたりはプリキュア(1)(上北ふたご、東堂いづみ)
(2)洗脳原論(苫米地英人)
(3)「脱常識」力(苫米地英人)
(4)「ラットレース」から抜け出す方法(アラン・ワッツ)

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「黄金の薔薇」
Kay




