ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

法華経

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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「私は誰か?」と問うべき壮大なお話

何歳になった人だって、夢の中で、自分が高校生や、あるいは、小学生になっていることがある。
そんな夢の中で、自分は本当はいい大人で、高校生や小学生ではないと分かっている場合もあるが、自分が本当に小学生だと思っている場合もある。
あるいは、自分がお城に住む王子様やお姫様だと思っていることもあるかもしれない。

だが、現実の自分も、これらのような夢を見ているのと全く変わらないのかもしれないのだ。
今、認識している自分は、本当の自分とは似ても似つかない。

小学生になっている夢の中で「私は誰か?」と問うと、現実世界の自分であることを思い出すかというと、そうではない。
「私は誰か?」と問うと、思考は消え、自分が小学生であるという想いがなくなるだけだ。
それは現実世界でも同じで、「私は誰か?」と問うと、現実世界での身分の認識が消え、さらに数多く「私は誰か?」と問うと、だんだんと本当の自分が誰かを思い出す。

エマーソンが好んだお話に、大きな権力も財産もある公爵が、酔っぱらうと自分が公爵であることを忘れ、貧乏な庶民であると思い込むというものがある。
このお話の真意は、我々は今現在、酔っぱらって、自分を人間だと思い込んでいるということだ。

野の花
AIアート44
「野の花」
※ゲーテの詩より
Kay


『法華経』の「長者窮子の譬え」が、これらのようなことを壮大に語ったものだ。
世界一の金持ちの息子が、子供の時に行方が分からなくなったが、その子供は貧しい庶民として50年以上過ごし、自分は貧しくて卑しい人間であると思い込んでいた。
やっと息子を発見した父親は、心がねじけた息子を、自分が父親であると告げないまま、あの手この手で導き、20年以上かけて、息子の心を真っすぐにし、死の直前、息子と主だった者達を枕元に呼び寄せ宣言する。
「これは私の実の息子である。私の全財産をこの息子に譲る」
もちろん、この大金持ちは仏の喩えで、その息子とは我々のことである。
我々は、仏(ブッダ、如来)の正当な後継者で、仏なのであり、キリスト教的に言えばキリストで、父なる神と等しい存在である。

上に挙げた、いわば「記憶喪失状態」の者・・・夢の中で小学生になった自分、酔っぱらって自分を貧しい庶民と思っている公爵、心がねじけ、自分を貧しく卑しい人間であると思っている世界一の大金持ちの息子といった者達は皆、1つの方法で、真の自分を思い出すことが出来る。
それは「私は誰か?」と自分に問うことだ。
1度や2度問うだけでは思い出すことはないだろう。
しかし、たゆまず続ければ、それで必ず思い出す。
それは、自分が正気で、現実の自分こそが自分なのだと「思い込んでいる」我々も同じなのだ。
我々は記憶喪失であり、自分を虫けらのような惨めな存在であると思い込んでいる。
だが、「私は誰か?」と問えばどうなるか、上のお話の中で最も近いのは、『法華経』の「長者窮子の譬え」である。








『老子』第18章を一言で言えば「思い出せ」

今回は、『老子』第18章である。
この章を一言で言えば「思い出せ」だ。

あなたの現状をたとえて言えば、こんな感じになる。
あなたは4歳か5歳まで、広大で強大な王国の王子、あるいは、王女で、王位の唯一の継承者だった。
だが、王国を離れてしまい、平民として暮らすようになり、そのまま現在に至る。
あなたは、幼い頃にはお城にいたことをぼんやりと憶えているが、あまりに微かな記憶だ。
しかし、ある時、誰かが「あなたは王子(王女)なのだ」と言う。
だが、思い出せない。
けれども、どうしても思い出す必要があると感じ、あなたは「私は誰か?」と自分に問う。
王子(王女)であるらしいことは分かっている。
それを思い出すために「私は誰か?」と問うのである。
たゆみなく「私は誰か?」と問ううちに、だんだん、自分が王子(王女)であることを思い出し、ついに、はっきり思い出した。
王子(王女)である記憶が戻れば、神秘力も戻って来る。
よって、あなたは、堂々とお城に入り、自分が王であることを宣言し、王位につく。

イエスは、「お前の国はどこだ?」と尋ねられた時、「私の国はこの世のものではない」と答えた。
そんなちっぽけなものではないからだ。
だが、その気になれば、この世とて簡単に支配出来るのである。
イエスは、十字架上で、ナザレのイエスの身体を離れ、すぐに、別の身体に入った。
だから、新たな身体に入ったイエスを見ても、弟子達の誰も、それがイエスだと分からなかった。
イエスは、いつでも、肉体から離れることも、新たな肉体に入ることも出来るのだった。
これは、我々にも出来ることである。
ただ、上のお話のように、自分が誰か忘れ、そんな力はないと思い込んでいるので、今は出来ないのである。

『老子』第18章でも、我々が本当のことを忘れてしまったので、力を失い、ロクでもない状況になってしまったことが書かれている。
そこで、我々は、自分が神であることを思い出すために「私は誰か?」と自分に問わなければならない。

尚、初めの話と同じような話が、『法華経』の第4章『信解品』にある『長者窮子の譬え』である。








「私は誰か?」の有意義な問い方

くどい文章を避けるため、大雑把な表現を使って書こうと思う。
よって、極端な解釈をしないで欲しいが、わずかな許容の精神があれば大丈夫で、それで最大の恩恵が得られると思う。

我々の唯一の目的は、我々が元々そうであったように、神のようなものになることである。
そのための最良の方法は「私は誰か?」と自分に問うことである。
これ自体は、インドの聖者ラマナ・マハルシが言ったことであるのだが、ただ単純に、「私は誰か?」と自分に問うというだけでは、おそらく、全くうまくいかない。

最も良いのは、『エイリアンインタビュー』を読み、自分が誰であるかの概要を理屈で掴んでおくことだ。
ただ、私はそうではなかったが、これをやることで、かえって誤解を持ってしまうこともあるかもしれない。
そこで、『バガヴァッド・ギーター』にも、我々が誰か、あるいは、何であるかが書かれているので、そちらを見るのも手である。
(しかし、一般的には『エイリアンインタビュー』の方が圧倒的に分かり易いと思う)
これらを読んでも、自分がそこに書かれている通りのものであることを実感することは出来ない場合が圧倒的に多いはずだ。
現在の人間の魂の状態が、それを実感出来ないような状態であるからだ。
そこで、『エイリアンインタビュー』や『バガヴァッド・ギーター』を読み、自分が何であるかを、大雑把でいいから把握し、それを信じられなくても、否定しないという心でいる。
そして、自分が本当にそれ(『エイリアンインタビュー』や『バガヴァッド・ギーター』に書かれているようなもの)であるか、あるいは、別の何かであるかを確認するつもりで「私は誰か?」と自分に問うのである。
すると、答は自ずと明らかになる。

我々は、ただ「私は誰か?」と問うと、特定の人物としての誰であるかと考える傾向が強い。
すると、「私は山田太郎だ」とか「〇〇大学△△部の学生だ」とか「私は営業社員だ」などという結論に囚われてしまう。
そこで、答の範囲を、世間的なものを超え、大きな範囲に広げるために、『エイリアンインタビュー』や『バガヴァッド・ギーター』を読むのである。

また、『法華経』の第4章「信解品(しんげぼん)」の「長者窮子の譬え」に、自分が誰か忘れてしまったまま、何十年も苦労している男の話があるが、この男がまさに我々である。
これを読み、この男と自分が同じようなものであると思い、では自分は誰かと自分に問うつもりで「私は誰か?」と問うのも良いと思う。
この話を読んだだけで魂の力を回復させた人もいるのである。








イエスと釈迦の引き寄せの教えはそっくり(超重要)

人間は、引き寄せの能力を、誰でも標準的に持っている。
標準的なのだから、そのやり方は簡単で、特別な人しか知らなかったり、学問を積まないと分からないようなものではない。
だが、当たり前のこととして学ぶ必要がある。
たとえば、歩くこと、走ること、泳ぐことのようなものだ。
人間は、見て学ばない限り、2足歩行、ランニング、スイミングは出来ない。
狼に育てられた人間の子供には2足歩行が出来ない。
江戸時代までの日本人は、飛脚と忍者以外は走ることが出来なかった。
人間は、泳ぎは、誰かから学ばない限り出来ない。

引き寄せのやり方を、現代のほとんどの人が知らないのは、学校や社会やテレビによって、忘れさせられたからだ。
別に、学校は子供達に、特に引き寄せのやり方を忘れさせるのではないが、子供達の自然な思考能力を奪うのである。
斎藤一人さんがよく、引き寄せのやり方について「俺と他の人との違いは、俺はなぜか知っていたということだ」と言うが、斎藤さんが知ってるなら、誰でも知ってるはずなのだ。
けれども、確かに、斎藤さんだけがよく知っているように見える。
それはなぜか?
簡単なことだ。
斎藤さんは中学校しか出ていない上、元々、学校が嫌いで、小中学校だって、真面目に通わなかったり、先生の言うことなど信じなかったからだ。
だから、斎藤さんは、引き寄せのやり方を忘れなかったのである。

私の場合、変わった覚え方をしていたのだ。
だから、私は、子供の時から、満天の星空の中から、何の手がかりもなく土星を特定したり、以前見たテレビ番組を、好きな時に再放送させたりといった、確かに凄いが、あまり役に立たないことが出来たのだ。
もちろん、私も学校が大嫌いで、大嫌いになる理由があった(その理由は関係ないので言わないが)。

引き寄せのやり方は、イエスと釈迦で特に違いはない。
イエスは、「お前には、神という大金持ちの父親のようなものがいて、お前を超絶愛しているので、頼めば良い」と言う。
釈迦も、「お前には、仏という途方もない金持ちの父親がいる。そして、お前は、仏が超愛している仏の後継者なのだ」と言う。
これらは
◆『新約聖書』の「ルカ福音書」の「放蕩息子の譬」
◆『法華経』第4章「信解品(しんげぼん)」の「長者窮子の喩え」
である。

そして、面白いことに、上記の福音書と法華経の該当部分を読めば分かると思うが、これらの話を端的に統合した訓練が、これまで何度も取り上げた「神実現の呼吸法」である。
(1)息を静かに吐きながら「私はこれではない」と心で唱える。
(2)息を静かに吸いながら「私は誰か?」と心で唱える。
(3)息を吸いも吐きもせず「私は神である」と心で唱える。

以下に、私が愛読する聖書と法華経をご紹介する。








皆、間違いなく頭は良い

生まれつき、特別に頭が良いという人もいるのかもしれないが、人間は、磨きさえすれば、十分に頭は良くなると思う。
なぜなら、誰もが、恐るべき性能を持った脳を持っているのだからだ。
脳について少し調べれば、脳がいかに凄いものであるか、十分に分かると思う。
とにかく、我々全員が持っている脳が、とんでもなく高性能なものであることだけは間違いのないことだ。
頭が良いとか天才とか言ったところで、それは単に、正しく方向付けされているだけのことだ。

南部陽一郎という物理学者が、あまり名を知られていないのは、天才過ぎたからかもしれない。
南部博士は、2008年にノーベル物理学賞を受賞した他、多くの権威ある賞を得ているが、それでも、彼が本当に評価されるのは未来だと思われる(南部博士は2015年に94歳で死去)。
その南部博士も、高校時代は物理学が苦手で単位を落としているし、東大時代に、湯川秀樹と朝永振一郎に素粒子を勉強したいと言ったら、「天才でないと無理」と言われたらしい。
誰もが南部博士になれるわけではないが、普通に言う頭の良い人という程度なら、脳をほんのわずか磨けば誰でもなれる。
だが、多くの人は、親や学校の教師に、頭を使えなくなるようにしつけられてしまったのだと思う。

そして、世の中には、次のような人間が多くいる。
ちゃんと頭は付いているし、十分に善良なのだが、考え方がおかしくて、さっぱりうだつが上がらないという人間である。
ひょっとしたら、ほとんどの人がそうなのかもしれない。つまり、私やあなたもそうなのではないかと思う。
自分のことはよく分らないものだが、他人を見ていると、本当につくづくそう思う。
なぜ、肝心なところで、そんな変な判断をするのか、馬鹿な方向に行ってしまうのかと思う人が、やたら多い(ほぼ全員かもしれない)のである。
彼らは、時に優れたこともするのに、怠惰になってしまうことが多く、長い時間、つまらないことばかりやっている。
そして、ロクでもない目標を持ってしまい、エネルギーを無駄遣いするし、望ましい鍛えられ方をしない。
そんな人間だらけだし、私も、他人から見ればそうなのだろう。
なぜ、そうなってしまったのかというと、直接的には、やはり、家庭や学校の教育や、そして、テレビの影響が大きい。
だが、その裏側で、そうなるよう意図的に画策した者達がいるのかもしれない。これは陰謀論のような説ではなく、そう考える方が納得し易いからであるが、まあ、それはどうでも良い。そんなものに構っても仕方がなく、何より、自分の脳や考え方を、少しはマシに導かないといけない。

そして、人々や、何より、自分を良い方向に導いてくれそうに思えるスターやインフルエンサーなどが、今やYouTubeに沢山いるが、彼らのほとんどは偽物であり、言っていることも嘘である。
もし、本物がいるとしたら、おかしくなってしまった我々から見れば、決して、コカ・コーラのような爽やかさを感じないはずだ。
逆に言えば、「これは本物だ!」と心が(コカ・コーラのような)爽快感を感じるような人物は、まず偽物なのだ。
つまり、人に頼っちゃいけないということだ。
カリスマの言うことを聞いていれば幸せになれるなんて妄想を持ってはいけない・・・と、つくづく思う(笑)。

1つには、中山正和を読むと良いと思う。
また、彼は、『正法眼蔵』で賢くなり、『法華経』で磨いたということも参考にすれば良いだろう。












プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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