今回は、『老子』第18章である。
この章を一言で言えば「思い出せ」だ。
あなたの現状をたとえて言えば、こんな感じになる。
あなたは4歳か5歳まで、広大で強大な王国の王子、あるいは、王女で、王位の唯一の継承者だった。
だが、王国を離れてしまい、平民として暮らすようになり、そのまま現在に至る。
あなたは、幼い頃にはお城にいたことをぼんやりと憶えているが、あまりに微かな記憶だ。
しかし、ある時、誰かが「あなたは王子(王女)なのだ」と言う。
だが、思い出せない。
けれども、どうしても思い出す必要があると感じ、あなたは「私は誰か?」と自分に問う。
王子(王女)であるらしいことは分かっている。
それを思い出すために「私は誰か?」と問うのである。
たゆみなく「私は誰か?」と問ううちに、だんだん、自分が王子(王女)であることを思い出し、ついに、はっきり思い出した。
王子(王女)である記憶が戻れば、神秘力も戻って来る。
よって、あなたは、堂々とお城に入り、自分が王であることを宣言し、王位につく。
イエスは、「お前の国はどこだ?」と尋ねられた時、「私の国はこの世のものではない」と答えた。
そんなちっぽけなものではないからだ。
だが、その気になれば、この世とて簡単に支配出来るのである。
イエスは、十字架上で、ナザレのイエスの身体を離れ、すぐに、別の身体に入った。
だから、新たな身体に入ったイエスを見ても、弟子達の誰も、それがイエスだと分からなかった。
イエスは、いつでも、肉体から離れることも、新たな肉体に入ることも出来るのだった。
これは、我々にも出来ることである。
ただ、上のお話のように、自分が誰か忘れ、そんな力はないと思い込んでいるので、今は出来ないのである。
『老子』第18章でも、我々が本当のことを忘れてしまったので、力を失い、ロクでもない状況になってしまったことが書かれている。
そこで、我々は、自分が神であることを思い出すために「私は誰か?」と自分に問わなければならない。
尚、初めの話と同じような話が、『法華経』の第4章『信解品』にある『長者窮子の譬え』である。
この章を一言で言えば「思い出せ」だ。
あなたの現状をたとえて言えば、こんな感じになる。
あなたは4歳か5歳まで、広大で強大な王国の王子、あるいは、王女で、王位の唯一の継承者だった。
だが、王国を離れてしまい、平民として暮らすようになり、そのまま現在に至る。
あなたは、幼い頃にはお城にいたことをぼんやりと憶えているが、あまりに微かな記憶だ。
しかし、ある時、誰かが「あなたは王子(王女)なのだ」と言う。
だが、思い出せない。
けれども、どうしても思い出す必要があると感じ、あなたは「私は誰か?」と自分に問う。
王子(王女)であるらしいことは分かっている。
それを思い出すために「私は誰か?」と問うのである。
たゆみなく「私は誰か?」と問ううちに、だんだん、自分が王子(王女)であることを思い出し、ついに、はっきり思い出した。
王子(王女)である記憶が戻れば、神秘力も戻って来る。
よって、あなたは、堂々とお城に入り、自分が王であることを宣言し、王位につく。
イエスは、「お前の国はどこだ?」と尋ねられた時、「私の国はこの世のものではない」と答えた。
そんなちっぽけなものではないからだ。
だが、その気になれば、この世とて簡単に支配出来るのである。
イエスは、十字架上で、ナザレのイエスの身体を離れ、すぐに、別の身体に入った。
だから、新たな身体に入ったイエスを見ても、弟子達の誰も、それがイエスだと分からなかった。
イエスは、いつでも、肉体から離れることも、新たな肉体に入ることも出来るのだった。
これは、我々にも出来ることである。
ただ、上のお話のように、自分が誰か忘れ、そんな力はないと思い込んでいるので、今は出来ないのである。
『老子』第18章でも、我々が本当のことを忘れてしまったので、力を失い、ロクでもない状況になってしまったことが書かれている。
そこで、我々は、自分が神であることを思い出すために「私は誰か?」と自分に問わなければならない。
尚、初めの話と同じような話が、『法華経』の第4章『信解品』にある『長者窮子の譬え』である。