ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

法華経

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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『老子』第18章を一言で言えば「思い出せ」

今回は、『老子』第18章である。
この章を一言で言えば「思い出せ」だ。

あなたの現状をたとえて言えば、こんな感じになる。
あなたは4歳か5歳まで、広大で強大な王国の王子、あるいは、王女で、王位の唯一の継承者だった。
だが、王国を離れてしまい、平民として暮らすようになり、そのまま現在に至る。
あなたは、幼い頃にはお城にいたことをぼんやりと憶えているが、あまりに微かな記憶だ。
しかし、ある時、誰かが「あなたは王子(王女)なのだ」と言う。
だが、思い出せない。
けれども、どうしても思い出す必要があると感じ、あなたは「私は誰か?」と自分に問う。
王子(王女)であるらしいことは分かっている。
それを思い出すために「私は誰か?」と問うのである。
たゆみなく「私は誰か?」と問ううちに、だんだん、自分が王子(王女)であることを思い出し、ついに、はっきり思い出した。
王子(王女)である記憶が戻れば、神秘力も戻って来る。
よって、あなたは、堂々とお城に入り、自分が王であることを宣言し、王位につく。

イエスは、「お前の国はどこだ?」と尋ねられた時、「私の国はこの世のものではない」と答えた。
そんなちっぽけなものではないからだ。
だが、その気になれば、この世とて簡単に支配出来るのである。
イエスは、十字架上で、ナザレのイエスの身体を離れ、すぐに、別の身体に入った。
だから、新たな身体に入ったイエスを見ても、弟子達の誰も、それがイエスだと分からなかった。
イエスは、いつでも、肉体から離れることも、新たな肉体に入ることも出来るのだった。
これは、我々にも出来ることである。
ただ、上のお話のように、自分が誰か忘れ、そんな力はないと思い込んでいるので、今は出来ないのである。

『老子』第18章でも、我々が本当のことを忘れてしまったので、力を失い、ロクでもない状況になってしまったことが書かれている。
そこで、我々は、自分が神であることを思い出すために「私は誰か?」と自分に問わなければならない。

尚、初めの話と同じような話が、『法華経』の第4章『信解品』にある『長者窮子の譬え』である。








「私は誰か?」の有意義な問い方

くどい文章を避けるため、大雑把な表現を使って書こうと思う。
よって、極端な解釈をしないで欲しいが、わずかな許容の精神があれば大丈夫で、それで最大の恩恵が得られると思う。

我々の唯一の目的は、我々が元々そうであったように、神のようなものになることである。
そのための最良の方法は「私は誰か?」と自分に問うことである。
これ自体は、インドの聖者ラマナ・マハルシが言ったことであるのだが、ただ単純に、「私は誰か?」と自分に問うというだけでは、おそらく、全くうまくいかない。

最も良いのは、『エイリアンインタビュー』を読み、自分が誰であるかの概要を理屈で掴んでおくことだ。
ただ、私はそうではなかったが、これをやることで、かえって誤解を持ってしまうこともあるかもしれない。
そこで、『バガヴァッド・ギーター』にも、我々が誰か、あるいは、何であるかが書かれているので、そちらを見るのも手である。
(しかし、一般的には『エイリアンインタビュー』の方が圧倒的に分かり易いと思う)
これらを読んでも、自分がそこに書かれている通りのものであることを実感することは出来ない場合が圧倒的に多いはずだ。
現在の人間の魂の状態が、それを実感出来ないような状態であるからだ。
そこで、『エイリアンインタビュー』や『バガヴァッド・ギーター』を読み、自分が何であるかを、大雑把でいいから把握し、それを信じられなくても、否定しないという心でいる。
そして、自分が本当にそれ(『エイリアンインタビュー』や『バガヴァッド・ギーター』に書かれているようなもの)であるか、あるいは、別の何かであるかを確認するつもりで「私は誰か?」と自分に問うのである。
すると、答は自ずと明らかになる。

我々は、ただ「私は誰か?」と問うと、特定の人物としての誰であるかと考える傾向が強い。
すると、「私は山田太郎だ」とか「〇〇大学△△部の学生だ」とか「私は営業社員だ」などという結論に囚われてしまう。
そこで、答の範囲を、世間的なものを超え、大きな範囲に広げるために、『エイリアンインタビュー』や『バガヴァッド・ギーター』を読むのである。

また、『法華経』の第4章「信解品(しんげぼん)」の「長者窮子の譬え」に、自分が誰か忘れてしまったまま、何十年も苦労している男の話があるが、この男がまさに我々である。
これを読み、この男と自分が同じようなものであると思い、では自分は誰かと自分に問うつもりで「私は誰か?」と問うのも良いと思う。
この話を読んだだけで魂の力を回復させた人もいるのである。








イエスと釈迦の引き寄せの教えはそっくり(超重要)

人間は、引き寄せの能力を、誰でも標準的に持っている。
標準的なのだから、そのやり方は簡単で、特別な人しか知らなかったり、学問を積まないと分からないようなものではない。
だが、当たり前のこととして学ぶ必要がある。
たとえば、歩くこと、走ること、泳ぐことのようなものだ。
人間は、見て学ばない限り、2足歩行、ランニング、スイミングは出来ない。
狼に育てられた人間の子供には2足歩行が出来ない。
江戸時代までの日本人は、飛脚と忍者以外は走ることが出来なかった。
人間は、泳ぎは、誰かから学ばない限り出来ない。

引き寄せのやり方を、現代のほとんどの人が知らないのは、学校や社会やテレビによって、忘れさせられたからだ。
別に、学校は子供達に、特に引き寄せのやり方を忘れさせるのではないが、子供達の自然な思考能力を奪うのである。
斎藤一人さんがよく、引き寄せのやり方について「俺と他の人との違いは、俺はなぜか知っていたということだ」と言うが、斎藤さんが知ってるなら、誰でも知ってるはずなのだ。
けれども、確かに、斎藤さんだけがよく知っているように見える。
それはなぜか?
簡単なことだ。
斎藤さんは中学校しか出ていない上、元々、学校が嫌いで、小中学校だって、真面目に通わなかったり、先生の言うことなど信じなかったからだ。
だから、斎藤さんは、引き寄せのやり方を忘れなかったのである。

私の場合、変わった覚え方をしていたのだ。
だから、私は、子供の時から、満天の星空の中から、何の手がかりもなく土星を特定したり、以前見たテレビ番組を、好きな時に再放送させたりといった、確かに凄いが、あまり役に立たないことが出来たのだ。
もちろん、私も学校が大嫌いで、大嫌いになる理由があった(その理由は関係ないので言わないが)。

引き寄せのやり方は、イエスと釈迦で特に違いはない。
イエスは、「お前には、神という大金持ちの父親のようなものがいて、お前を超絶愛しているので、頼めば良い」と言う。
釈迦も、「お前には、仏という途方もない金持ちの父親がいる。そして、お前は、仏が超愛している仏の後継者なのだ」と言う。
これらは
◆『新約聖書』の「ルカ福音書」の「放蕩息子の譬」
◆『法華経』第4章「信解品(しんげぼん)」の「長者窮子の喩え」
である。

そして、面白いことに、上記の福音書と法華経の該当部分を読めば分かると思うが、これらの話を端的に統合した訓練が、これまで何度も取り上げた「神実現の呼吸法」である。
(1)息を静かに吐きながら「私はこれではない」と心で唱える。
(2)息を静かに吸いながら「私は誰か?」と心で唱える。
(3)息を吸いも吐きもせず「私は神である」と心で唱える。

以下に、私が愛読する聖書と法華経をご紹介する。








皆、間違いなく頭は良い

生まれつき、特別に頭が良いという人もいるのかもしれないが、人間は、磨きさえすれば、十分に頭は良くなると思う。
なぜなら、誰もが、恐るべき性能を持った脳を持っているのだからだ。
脳について少し調べれば、脳がいかに凄いものであるか、十分に分かると思う。
とにかく、我々全員が持っている脳が、とんでもなく高性能なものであることだけは間違いのないことだ。
頭が良いとか天才とか言ったところで、それは単に、正しく方向付けされているだけのことだ。

南部陽一郎という物理学者が、あまり名を知られていないのは、天才過ぎたからかもしれない。
南部博士は、2008年にノーベル物理学賞を受賞した他、多くの権威ある賞を得ているが、それでも、彼が本当に評価されるのは未来だと思われる(南部博士は2015年に94歳で死去)。
その南部博士も、高校時代は物理学が苦手で単位を落としているし、東大時代に、湯川秀樹と朝永振一郎に素粒子を勉強したいと言ったら、「天才でないと無理」と言われたらしい。
誰もが南部博士になれるわけではないが、普通に言う頭の良い人という程度なら、脳をほんのわずか磨けば誰でもなれる。
だが、多くの人は、親や学校の教師に、頭を使えなくなるようにしつけられてしまったのだと思う。

そして、世の中には、次のような人間が多くいる。
ちゃんと頭は付いているし、十分に善良なのだが、考え方がおかしくて、さっぱりうだつが上がらないという人間である。
ひょっとしたら、ほとんどの人がそうなのかもしれない。つまり、私やあなたもそうなのではないかと思う。
自分のことはよく分らないものだが、他人を見ていると、本当につくづくそう思う。
なぜ、肝心なところで、そんな変な判断をするのか、馬鹿な方向に行ってしまうのかと思う人が、やたら多い(ほぼ全員かもしれない)のである。
彼らは、時に優れたこともするのに、怠惰になってしまうことが多く、長い時間、つまらないことばかりやっている。
そして、ロクでもない目標を持ってしまい、エネルギーを無駄遣いするし、望ましい鍛えられ方をしない。
そんな人間だらけだし、私も、他人から見ればそうなのだろう。
なぜ、そうなってしまったのかというと、直接的には、やはり、家庭や学校の教育や、そして、テレビの影響が大きい。
だが、その裏側で、そうなるよう意図的に画策した者達がいるのかもしれない。これは陰謀論のような説ではなく、そう考える方が納得し易いからであるが、まあ、それはどうでも良い。そんなものに構っても仕方がなく、何より、自分の脳や考え方を、少しはマシに導かないといけない。

そして、人々や、何より、自分を良い方向に導いてくれそうに思えるスターやインフルエンサーなどが、今やYouTubeに沢山いるが、彼らのほとんどは偽物であり、言っていることも嘘である。
もし、本物がいるとしたら、おかしくなってしまった我々から見れば、決して、コカ・コーラのような爽やかさを感じないはずだ。
逆に言えば、「これは本物だ!」と心が(コカ・コーラのような)爽快感を感じるような人物は、まず偽物なのだ。
つまり、人に頼っちゃいけないということだ。
カリスマの言うことを聞いていれば幸せになれるなんて妄想を持ってはいけない・・・と、つくづく思う(笑)。

1つには、中山正和を読むと良いと思う。
また、彼は、『正法眼蔵』で賢くなり、『法華経』で磨いたということも参考にすれば良いだろう。












信じられなくても願ってみる

思考する心より深い心は途方もなく巨大で、その中に、世界をどのようにでも作り変えることが出来る万能の力が秘められている。
その深い心を潜在意識と呼ぶ。
潜在意識は、思考する心が信じている通りに世界を作る。
自分が無力だと思っていれば、潜在意識の力によって無力になるが、多くの人は、幼い時に、親から、自分は無力だと教えられている。親だけでなく、学校やテレビや新聞は、直接的にではないかもしれないが、人々が、自分を無力だと思うような情報を流している。
あなたが無力だとあなたに教えた親だって、その親や学校やテレビや新聞等に、やはり自分は無力だと教えられたのである。
しかし、実際は、潜在意識の中には、万能の力が秘められており、思考する心が信じている通りに世界を作るのであるから、実際のあなたは無限とも言える力を持っている。
そして、どうやって、潜在意識の力を使うも何も、あなたは今すでに、その力を使っており、あなたが思う通りに世界は出来ている。

問題は、あなたが、自分の潜在意識の中に神のごとき力があることを知らないことだ。
だが、潜在意識の力について分かり易く書かれた本が沢山あるので、それを読めば、潜在意識の力について知ることが出来るだろう。
とはいえ、そんな本を読みながら、潜在意識の力があることを無理に信じようとしてはならない。
無理に信じようとしてはならないが、一方、頭から否定すべきではない。
だが、多くの人は、疑ったり、否定したりする。なぜなら、それが、親や学校やテレビの教育なのだからだ。
しかし、ただ淡々と読めば、それは真実であるのだから、自然に信じるようになる。
そして、うまくいく秘訣は、たとえ信じられなくても「そうであればいいなあ」と思うこと、つまり、自分の中に万能の力があることを願うことだ。
誰だって、そう願うはずである。
願うことすら出来ない人というのは、偽の力を信じてしまっている人なのである。
偽の力とは、世間の力のことで、例えば、権力とか、学歴とか、地位とか、お金などである。
それらは、刹那ではあるが、力や幸福を感じさせてくれる。しかし、偽の力は、所詮、悪魔の力、幻想の力で、いつかこっぴどく対価を支払わされる。
そんなものより、真実の力、潜在意識の力を願い、期待することだ。
そうすれば、やがて、信じられるようになり、信じれば、正しく考えるようになる。
正しく考えれば、望まなくとも幸運に恵まれる。

『法華経』の第25章の『観音経』に、万能の力を持つ観世音菩薩が登場する。
観世音菩薩は、本当は、外部にいる存在ではなく、我々の内部にいる力だ。
つまり、潜在意識の無限の力を観世音菩薩と呼んでいるのである。
そうであれば、観世音菩薩は確実に存在し、いかなる願いも叶う。
それを、誰にでも(子供にでも)分かるように書いたものが観音経である。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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