ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

河合隼雄

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

非科学的怪獣映画は実は聖なる作品?

1960年代や1970年代あたりのアニメや怪獣映画を見ると、いくら子供向けとはいえ、あまりの非科学性、非論理性に、どう反応して良いか分からないことがあるが、いまだ、それを見ても、何も感じないという人も多いと思う。
ロケットで飛び続けたら、宇宙人が住む別の惑星に着くという話が普通に描かれていることも多いが、そんな作品を子供の時に見たら、深刻な悪影響を受けるものだろうか?
しかし、今の時代ですら、大人でも、ロケットで宇宙人がいる惑星に行けると思っている人も少なくないかもしれない。
それはまるで、新幹線で岡山から浜松まで行くような感覚かもしれない。
そして、そういったアニメや映画の、子供への影響が真面目に考察された話はあまり聞いたことがない。

そんな中、子供の時に、非常に非科学的な怪獣映画を見た人が、面白いことを考えた話があり、私はちょっと感動してしまった。
『ガメラ対大悪獣ギロン』(1969)という怪獣映画がある。「大悪獣」とは凄いネーミングだが、ただの(?)怪獣である。
日本人と西洋人の10歳くらいの少年2人が、宇宙人に拉致され、宇宙人の宇宙船で地球外に連れて行かれる。その宇宙船が妙に小さい。
少年2人は、宇宙を飛びながらも、精神的には平静で強気だ。当時は、恐がらない勇敢な腕白坊主が流行っていたのかもしれないが、このメンタルの強さは異常だ。
すると、宇宙船の窓から外を見ていた少年達の目に、子供の味方ガメラが飛行しながら近付いてくるのが見えた。
この宇宙船とガメラが偶然出逢うなど、どう考えても確率的に考えられない。
しばらくガメラと宇宙船は並行飛行するが、宇宙船が速度を上げ、ガメラを引き離す。
それまで、脚のロケット噴射だけで飛んでいたガメラは、腕と頭も引っ込め、腕からもロケット噴射し、回転して飛ぶ。それでなぜ飛行速度が上がるのか不明だが、とにかく、ガメラの必死さは伝わって来るように感じる。
だが、宇宙船は速く、ガメラから遠く離れ、ガメラからは見えなくなる・・・と言っても、ガメラは頭を引っ込めているので、元々、見ていないような気もする。
そして、宇宙船はある惑星に到着し、少年達は宇宙船の外に出るが、やがて、感動的なことにガメラが到着する。
いったいどうやって、ガメラはこの惑星を特定出来たのだろう?
高速道路で時速200kmで走っている車を時速60kmで追いかけ、すっかり見えなくなったその車の行く先を勘で探り当てるどころではない難しさのはずだが。

この映画を子供の時に見た人(西洋人だったかもしれない)が、こんなことを語っていたらしい。

ガメラが大宇宙で少年達が乗った宇宙船を見つけたり、少年達が連れて行かれた惑星を発見したのは、ガメラの超感覚であると共に、神の意思が働いていたとしか考えられない。
そして、この映画では奇想天外なストーリーであったが、普通の出来事も、同じなのではないだろうか?
つまり、人が、入学した学校や就職した会社で誰かと出逢い、そこで何をするかも、偶然ではなく、その人の超感覚が働いたり、神のような存在に導かれているのである。

そう考えれば、この怪獣映画も、単なる非科学的な娯楽映画ではなく、ある意味、哲学映画、宗教映画、聖なる英知の映画になる。
どんなものも見る人次第なわけだ。
そして、この人が言ったことは、我々全員に当てはまる。
我々は、超感覚を働かせており、多くの人が神と呼ぶ高い存在に導かれていることは間違いないように思えるのだ。
そう考えれば、一切の不安はなくなるように感じるのである。

また、心理学者の河合隼雄さんが、人間は死んだら月に行くと信じている小学生の女の子を肯定的に見ていた話がある。
ストーリーを持った人間は強い。
いや、ストーリーを持たない人間は脆い。
もちろん、ストーリーの内容にもよるだろうが、このことは間違いないと思う。
そんなところからも、宗教の価値が分かるように思う。
まあ、物質的な権威で腐敗した宗教は害悪であろうが。

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(1)ガメラ対大悪獣ギロン ※Amazon Video(有償)
(2)マーフィーの超感覚力で成功する(ジョセフ・マーフィー)
(3)マーフィーの「超」能力!(ジョセフ・マーフィー)
(4)こころの最終講義(河合隼雄)

神秘光
AIアート1464
「神秘光」
Kay

身近な人が困難にある時

自分の家族や友人といった身近な人が悪い状態にある時、どうすれば良いだろう?
悪い状態とは、間違いなく、余計なことを考えている状態である。
その状態から脱出するには、思考を消すメソッドや、もっと軽いものでいえば、固定観念を消すためのマイナスを疑うメソッドといったものをやれば良いのだが、そこまで悪い状況にある・・・つまり、余計な思考にとりつかれている者は、そんなことをやらないものだ。
それで、どうすれば良いかと言うと、見守るしかない。
無理に、今今メソッドやマイナスを疑うメソッドをやらせるわけにはいかない。どうせやらないか、やっても続かない。

何度かご紹介した、心理学者の河合隼雄さんの講演会の話をまた取り上げる。
不登校の子供を持つ父親が、河合隼雄さんに相談に来た時の話だ。
その父親は、河合さんに、
「先生、不登校の子が学校に行くようになるスイッチってないですかね?」
と尋ねたが、彼の子供の不登校の原因は、まさにこの質問の中にある。
彼は、スイッチを押す程度のことしかしたいと思っておらず、子供と向き合う気がないのである。
こんな父親は論外である。
しかし、世の中には、「子供の成績を上げるスイッチ」「妻が優しくなるスイッチ」「夫が出世するスイッチ」を押すことだけをしたい者が多い・・・いや、今や、圧倒的なのだ。
では、どうすれば良いのかと言うと、見守れば良いのである。
決して余計なことを言ったりせず、必要なことだけを言ってやり、余計なことをしたりせずに、必要なことだけをしてやって、少し離れて見守るのだ。

引き寄せも同じで、余計なことをしなければそれで良い。
しかし、人間は愚かなので、ついつい余計なことをしてしまう。
そこで、余計なことをしなくて済む方法を取る。
上の不登校問題で言えば、「私の子供は本当に不登校なのか?」と疑うのである。
「あの子は本当に不登校なのだろうか?本当は問題なく学校に行っているのではないか?」
と疑うのだが、あくまで疑うだけである。
疑うことによって、子供が学校に行くようになると思ってはならない。
これで、魔法のように子供が学校に行くというよりは、子供が学校に行かない原因が分かり、それが解消する。
上の例で言えば、原因は子供をモノ扱いしていた父親にあるのだから、そこらが変容する場合が多いかもしれない。
しかし、それぞれの場合でどうなるかは分からない。

そして、最初の話に戻れば、悪い状態にある身近な人に対し、余計なことをせずに見守りながら、「本当に悪い状態なのだろうか?実はすっかり良いのではないのか?」と疑うと良いと思う。
実は、その人の悪い状態を作っていたのもあなたなのだ。
だから、あなたの幻想が消えれば、その人の悪い状態という幻想も消える。

五感で感じることは全て幻想で、目で見えるものも全て幻想である。
『星の王子さま』に、「本当に大切なものは目に見えない」と書かれているが、逆に言えば、「目に見えるものは、それほど大切ではない」のである。
吉本隆明さんの『共同幻想論』によれば、幻想には3つある。
1つは、自分1人の幻想である「個人幻想」。
1つは、家族など身近な人で共有する「対幻想」。
1つは、大きなグループで共有する「共同幻想」。
見かけはその通りだが、実は全て個人幻想だ。
だから、吉本隆明さんが言う通り、国家が幻想だとしても、それも自分1人で変えられる。
だが、いきなりそこまでいかなくても、国家が自分に手出し出来ないようには出来る。

マイナスを疑うメソッドは日々実践して磨くと良い。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)こころの最終講義(河合隼雄)
(2)改訂新版 共同幻想論(吉本隆明)
(3)私は何も信じない ~クリシュナムルティ対談集~

天然美少女
AIアート1192
「天然美少女」
Kay

引き寄せの心構えは親孝行の心構えと同じ

引き寄せが出来ない人は、引き寄せの重要な問題から逃げているのである。
「重要な問題から逃げる」ということについて、心理学者の河合隼雄さんの京大での最終講義である『こころの最終講義』に書かれていた、次のエピソードが私に刺さった。
不登校の子供を持つ父親が河合隼雄さんに、
「先生、子供が学校に行くスイッチってないですか?」
と尋ねた話だ。
この父親は、子供の重要な問題に向き合う気は全くないのだ。
それで、面倒でない、簡単な方法を求めるのである。

引き寄せが出来ない人も同じで、
「引き寄せが出来るスイッチってないですか?」
と言うのである。
不登校の子供が学校に行くスイッチがないのと同様、引き寄せが出来るスイッチもない。

どうすれば良いのかというと、こんな喩えが役に立つ。
母の日に、母親に、花をあげる人がいる。
そんな時、多くの母親は憂鬱になる。
花束の場合は、
「この花生ける花瓶あったかしら」とか「花瓶、出すのが面倒だわ。ホコリまみれだから洗うのも億劫だし」
で、鉢植えの場合は、
「置く場所、あるかしら」「毎日、水やらないといけないのかしら」
と思って気が重くなる。
そして、花が枯れた時の捨てる手間も、思うとゲンナリする。
土台、余裕あるスペースに住み、空いた花瓶がいつも常備されているお年寄りなんて、そうはいない。
だが、花を贈った方は、それで何か良いことをした気になって満足する。
愚か者である。
つまり、上の話であれば、これが「親孝行のスイッチ」だと思っているのだ。
親孝行のスイッチなどない。
年老いた親を旅行に連れて行く人もいるが、これはどうだろう?
これも「1日か2日、我慢して旅行に連れて行けば、数年は何もしなくても不道徳にはならないわ」といった、「スイッチ1回押せば数年大丈夫」という思惑があるのだ。
大概の老人は、旅行に行くより、家でいつものテレビ番組を見てのんびりしたいのだ。
では、スイッチでない本当の親孝行とは何か?
「出来るだけ顔を見せてあげなさい」という馬鹿も多い。
そんな不味い顔、誰が見たいものか(笑)。
本当の親孝行とは何か?
こんな当たり前の問に答えられる人が滅多にいない。
それは、親が困っている問題を解決してあげることだ。
しかし、これは、ほとんど誰もやってあげようとしない。
それどころか、親が困っていることを話す素振りを見せたら、慌てて逃げだすのだ。あるいは、そんなことを聞かずに済むという理由で親に近付かないのだ。電話もさせない雰囲気をいつも出していたりする。
まあ、それで親は鍛えられるのだから、そう悪いことばかりではないのだが。

では、引き寄せの重要な問題は何かと言うと、「自分のやり方でやる」である。
そして、卑しくも引き寄せが出来る者が持っている心構えは、
「文句を言わない」
「楽をしない」
「言い訳しない」
である。
まあ、「楽をしない」と思っていたら楽になるが、「楽をしよう」と思ったら苦しいことが多くなる。
他のことも同じである。
一言で言えば、何かのアニメの歌(作詞はタツノコプロの社長だったと思う)のフレーズにある、
「真っすぐ胸張って、受け止めてやるさ俺の宿命」
である(『愛あるかぎり』。アニメ『新破裏拳ポリマー』エンディング曲)。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)こころの最終講義(河合隼雄)
(2)オリジナル・ビデオ・アニメーション「新 破裏拳ポリマー」MUSIC COLLECTION [CD]
(3)新 破裏拳ポリマー(Amazon dアニメストア for Prime Video)
(4)成功の扉(マイク・ハーナッキー)
(5)マスターの教え(ジョン・マクドナルド)

水の潤い
AIアート1114
「水の潤い」
Kay

コンステレーション(星座)

「難しいことを易しく説明するのが本当に賢い人。無能な優等生ほど易しいことを難しく説明する」
というのは、当たっている部分もあると思う。
ただし、「易しく説明された難しいこと」は、あくまで概念であり、それで全部を分かった気になると痛い目に遭う。
「知識ゼロの俺に分かるように言え」などと言う傲慢な人間には何も分からない。

ところで、いくら賢い人だろうと、易しく説明出来ないこともある。
たとえば、あるとても賢い男性がいて、彼には、好きな女性がいるとする。
その男性に、「お前の好きなその女性について易しく説明しろ」と頼むと、その男性がいくら賢くても、まず、易しい答は返ってこない。
「つまりだな、お前の好きなその女性は、可愛くて性格が良いということなんだな?」
と言うと、その男性は、
「そうではない。そうとも言えるが、そうではない」
と言うだろう。
こんな場合、少々頭のおかしな男性なら、
「彼女は女神のような人さ」
と「易しく」説明するかもしれないが、そんな答では何も分からない。

つまり、何を言いたいのかと言うと、本当に大切なことは言葉で説明出来ないということだ。
『星の王子さま』であったが、建物としての家を説明する時、大人相手に「ゼラニウムの花が咲いていて、レンガは赤で・・・」と説明しても駄目で「一千万円の家」と言ったら、大人は「なるほど分かった」と言い、友達について説明する時も、「痩せてて、サッカーが好きで、歌がうまくて・・・」では駄目で、「お父さんが弁護士」と言えば、なぜか大人は「なるほど、そんな子か」と分かる。
これも、説明する人は、その家とか友達が好きなのだが、説明を受ける大人は、そんなものには本当は興味がないからである。

河合隼雄さんというのは、本当に優秀な心理学者だと思うが、彼の講演内容を書いた本で、彼が「コンステレーション」について普通の人に説明するところを読むと面食らう。
河合さんは、分かり易く説明しようとしているようにも見える。
しかし、いい感じで分かり易い説明をしていると思ったら、すっと話が違う方向に飛んでしまい、そこで全く分からなくなる。
そんなことが何度も繰り返される。
また、話としては難しくないのに、ひどく抽象的な説明をして、話をはぐらかしているようにも思える。
まるで馬鹿の説明だ。
なぜ、そんなことになるのかというと、河合さんが「コンステレーション」に対して、それだけの思い入れがあるからで、それはまるで、好きな女性に対する想いにも似ていて、そんなふうに話さざるを得ないのだろう。河合さんほどの人でも、好きなもの、思い入れのあるものに対してはそうなのだ。
つまり、河合さんは、「コンステレーション」が、人間という複雑で神秘的で奇妙なものを説明出来る鍵になると思い、特に、最初にそれを知った時に衝撃を受けたのである。

心理学用語の「コンステレーション」について、まともな説明を聞くと、
「コンステレーションとは星座という意味で、心理学では配置とか布置と言う」
などと、最初のところから「?」が浮かび、聞けば聞くほど分からなくなる。
多分、言っている人も分かってないのだ(笑)。

私なりの「コンステレーション」の説明をすると、
「精神の中には星座がある。星座の星とは個々の記憶のことで、個々の記憶の一定の集まりが星座、つまり、コンステレーションだ」
となり、やっぱり分からないが、その理由は、「精神」「記憶」「個々の記憶」「個々の記憶の一定の集まり」という言い方が曖昧で、厳密性がなく、いろんな意味に取れるからだ。

なぜ、「コンステレーション」について述べたのかというと、引き寄せが出来る人と出来ない人、あるいは、引き寄せが出来ることと出来ないことは「コンステレーション」で決まるからだ。
精神の中の「コンステレーション(星座)」、つまり、記憶(星)の集まりが外の世界に現れてしまう。
お金について言えばこうだ。
お金の「コンステレーション(星座)」は人によって違う。
ある人は、それは「働かないと得られないもの」「苦労して得るもの」「自分には沢山得られると思えないもの」「沢山持っているほど偉い人と見なされるもの」といった「星(記憶)」から構成された「星座(コンステレーション)」である。
この人のような「コンステレーション」を持っていたら、お金の引き寄せは出来ない。
お金の引き寄せが出来る人の、お金に関する「コンステレーション」は、「簡単に得られるもの」「何をやっても得られるもの」「いつでも誰かがくれるもの」「どこにでも豊富にあり、欲しいと思えば流れ込んでくるもの」といった「星(記憶)」で構成された「星座(コンステレーション)」だ。

実際、世界は「私」の「コンステレーション」次第だ。
で、好ましい「コンステレーション」を作るために、河合隼雄さんのような人は、凄く難しいアプローチをし、数パーセントでも成功したら大変な成果になる。
しかし、引き寄せをそのやり方でやると、誰も引き寄せが出来ない。
だが、多くの引き寄せの手法は、それに似た、それでいて、河合隼雄さんのような深い学問体系があるわけではない、いい加減な知識や思い込みで語られているのだから、成果が出る人は少ない。
そこで、「コンステレーション」をばっさり消してしまうというのが、古代からの英知で、ラマナ・マハルシや荘子などの賢者は、それを教えていた。

怪談を聴く子
AIアート605
「怪談を聴く子」
Kay


「私は私」のマントラで「コンステレーション」を解体させる。
悪い「コンステレーション」が発動したら、「それが何?」のマントラで、それを止めてしまう。
そこから始めないと、うまくいかないと思った。
だが、それでうまくいくと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)こころの最終講義(河合隼雄の講演)
(2)無意識の構造(河合隼雄)
(3)自我と無意識(C.G. ユング)
(4)エスの本(ゲオルク・グロデック著、岸田秀・山下公子訳)
(5)星の王子さま(サン=テグジュペリ)
(6)ラマナ・マハルシの教え
(7)荘子〈1〉 (中公クラシックス)

『浦島太郎』の警告

合法か違法か確認しなかったが、著名な心理学者の河合隼雄さんの講義をYouTuneで見たことがある。
私は河合隼雄さんの本はいくつか読んでいるが、講義はやはり一味違って面白い。
その中で、こんな面白い話があった。
河合さんが小学生の、おそらく低学年の時だろうが、学校の授業で『浦島太郎』の話を習った時、先生に、
「なぜ乙姫様は浦島太郎に玉手箱といったロクでもないものを渡したのか?」
と質問し、先生を困らせたという。
先生は結局、まともな返答をしなかったようだ。
そんな質問をする生徒はいなかったのだろうと河合隼雄さんは考えていたが、その通りなのだろう。
皆さんは、どうお考えになるだろうか?

ただ、河合隼雄さんは小さかったから、子供用の『浦島太郎』の話を読むか聞くかしたのだろうから、そのお話はかなり簡易化されたものだと思う。
まあ、『浦島太郎』のお話に正確な原本があるのかどうか疑問だが(というかまずないと思う)、乙姫様は浦島太郎に、玉手箱を決して開けないよう言っていたと思う。
それなら、開けた浦島太郎に非があるが、やはり、そもそも、そんなもの渡すなという疑問を持つかもしれない。
しかし、おそらくは知恵者である乙姫は、歌島太郎が乙姫との約束を破るほど困ったら、浦島太郎が玉手箱を開けてしまうのは仕方ないと考えたのかもしれない。

ところで、私も子供の時、『浦島太郎』の話には疑問を感じていたが、河合隼雄さんとは引っかかった箇所が違った。
竜宮城で浦島太郎が過ごした3年は地上での300年であったというが、もし、玉手箱が浦島太郎に地上での時間の経過を与えたとしたら、おじいさんになるどころではなく白骨になるはずだ・・・という疑問だ。
まあ、私ももっと大きくなってからなら、玉手箱は浦島太郎に地上の時間経過の30%程度を与えるよう調整されたマシーンだとか考えるが、子供の時は、そんなことに考えが及ばず、非常に疑問だった。
河合先生は、そこには疑問を感じなかったのだろうか?
いや、それよりも、やはり、乙姫様が玉手箱を浦島太郎に渡した意図の方が疑問だったのだろう。

有名なマーフィーの法則(ジョセフ・マーフィーの法則ではなく、航空機エンジニアであったエド・マーフィーの法則)には、「不安な箇所は必ずこける」というものがある。
つまり、「このヒモ引っ張るな」という張り紙をしておいたとしても、誰かが必ず引っ張るから、引っ張って欲しくないヒモなら、最初から引っ張るのが不可能な状態にしなくてはならないという教えで、エンジニアリングの世界でも有益な教えだ。
私も、ソフトウェア開発で必ず心がけていることだ。
なんとなく、乙姫様はエド・マーフィーより賢いと思えるので、乙姫様は、浦島太郎が開けてしまうこと前提で玉手箱を浦島太郎に渡したのだろう。

フェアリー
AIアート593
「フェアリー」
Kay


一応、『浦島太郎』のお話の説明はつく。
竜宮城は仮想世界であり、竜宮城の乙姫様やその他の存在達も仮想的な存在だったのだろう。
浦島太郎を拉致し、なんらかの目的で浦島太郎の精神を仮想世界に引き入れたのは、宇宙人か地底人といった存在と思われる。
浦島太郎は、仮想世界で、この上なく楽しく過ごしたが、やがて元の世界の方が良いと分かる。
それで、宇宙人か地底人かは分からないが、実験は完了である。
つまり、人間は、仮想世界で楽しく過ごすより、現実の方が重要なのである。
ITが進歩した世界では、もうすぐ竜宮城のような仮想世界で過ごすことが本当に可能になる。
いわゆるメタバース世界の実現だ。
メタ(旧フェイスブック)も、イーロン・マスクのニューラリンカも、それを目指している。
だが、日本人は『浦島太郎』の話を教訓に、そんなものは偽物であることを見破らなくてはならない。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)一寸法師・さるかに合戦・ 浦島太郎 日本の昔ばなしIII (岩波文庫)
(2)定本 昔話と日本人の心(河合隼雄)
(3)昔話の深層 ユング心理学とグリム童話(河合隼雄)
(4)こころの最終講義(河合隼雄)
(5)世界2.0 メタバースの歩き方と創り方
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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