1960年代や1970年代あたりのアニメや怪獣映画を見ると、いくら子供向けとはいえ、あまりの非科学性、非論理性に、どう反応して良いか分からないことがあるが、いまだ、それを見ても、何も感じないという人も多いと思う。
ロケットで飛び続けたら、宇宙人が住む別の惑星に着くという話が普通に描かれていることも多いが、そんな作品を子供の時に見たら、深刻な悪影響を受けるものだろうか?
しかし、今の時代ですら、大人でも、ロケットで宇宙人がいる惑星に行けると思っている人も少なくないかもしれない。
それはまるで、新幹線で岡山から浜松まで行くような感覚かもしれない。
そして、そういったアニメや映画の、子供への影響が真面目に考察された話はあまり聞いたことがない。
そんな中、子供の時に、非常に非科学的な怪獣映画を見た人が、面白いことを考えた話があり、私はちょっと感動してしまった。
『ガメラ対大悪獣ギロン』(1969)という怪獣映画がある。「大悪獣」とは凄いネーミングだが、ただの(?)怪獣である。
日本人と西洋人の10歳くらいの少年2人が、宇宙人に拉致され、宇宙人の宇宙船で地球外に連れて行かれる。その宇宙船が妙に小さい。
少年2人は、宇宙を飛びながらも、精神的には平静で強気だ。当時は、恐がらない勇敢な腕白坊主が流行っていたのかもしれないが、このメンタルの強さは異常だ。
すると、宇宙船の窓から外を見ていた少年達の目に、子供の味方ガメラが飛行しながら近付いてくるのが見えた。
この宇宙船とガメラが偶然出逢うなど、どう考えても確率的に考えられない。
しばらくガメラと宇宙船は並行飛行するが、宇宙船が速度を上げ、ガメラを引き離す。
それまで、脚のロケット噴射だけで飛んでいたガメラは、腕と頭も引っ込め、腕からもロケット噴射し、回転して飛ぶ。それでなぜ飛行速度が上がるのか不明だが、とにかく、ガメラの必死さは伝わって来るように感じる。
だが、宇宙船は速く、ガメラから遠く離れ、ガメラからは見えなくなる・・・と言っても、ガメラは頭を引っ込めているので、元々、見ていないような気もする。
そして、宇宙船はある惑星に到着し、少年達は宇宙船の外に出るが、やがて、感動的なことにガメラが到着する。
いったいどうやって、ガメラはこの惑星を特定出来たのだろう?
高速道路で時速200kmで走っている車を時速60kmで追いかけ、すっかり見えなくなったその車の行く先を勘で探り当てるどころではない難しさのはずだが。
この映画を子供の時に見た人(西洋人だったかもしれない)が、こんなことを語っていたらしい。
ガメラが大宇宙で少年達が乗った宇宙船を見つけたり、少年達が連れて行かれた惑星を発見したのは、ガメラの超感覚であると共に、神の意思が働いていたとしか考えられない。
そして、この映画では奇想天外なストーリーであったが、普通の出来事も、同じなのではないだろうか?
つまり、人が、入学した学校や就職した会社で誰かと出逢い、そこで何をするかも、偶然ではなく、その人の超感覚が働いたり、神のような存在に導かれているのである。
そう考えれば、この怪獣映画も、単なる非科学的な娯楽映画ではなく、ある意味、哲学映画、宗教映画、聖なる英知の映画になる。
どんなものも見る人次第なわけだ。
そして、この人が言ったことは、我々全員に当てはまる。
我々は、超感覚を働かせており、多くの人が神と呼ぶ高い存在に導かれていることは間違いないように思えるのだ。
そう考えれば、一切の不安はなくなるように感じるのである。
また、心理学者の河合隼雄さんが、人間は死んだら月に行くと信じている小学生の女の子を肯定的に見ていた話がある。
ストーリーを持った人間は強い。
いや、ストーリーを持たない人間は脆い。
もちろん、ストーリーの内容にもよるだろうが、このことは間違いないと思う。
そんなところからも、宗教の価値が分かるように思う。
まあ、物質的な権威で腐敗した宗教は害悪であろうが。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ガメラ対大悪獣ギロン ※Amazon Video(有償)
(2)マーフィーの超感覚力で成功する(ジョセフ・マーフィー)
(3)マーフィーの「超」能力!(ジョセフ・マーフィー)
(4)こころの最終講義(河合隼雄)

AIアート1464
「神秘光」
Kay
ロケットで飛び続けたら、宇宙人が住む別の惑星に着くという話が普通に描かれていることも多いが、そんな作品を子供の時に見たら、深刻な悪影響を受けるものだろうか?
しかし、今の時代ですら、大人でも、ロケットで宇宙人がいる惑星に行けると思っている人も少なくないかもしれない。
それはまるで、新幹線で岡山から浜松まで行くような感覚かもしれない。
そして、そういったアニメや映画の、子供への影響が真面目に考察された話はあまり聞いたことがない。
そんな中、子供の時に、非常に非科学的な怪獣映画を見た人が、面白いことを考えた話があり、私はちょっと感動してしまった。
『ガメラ対大悪獣ギロン』(1969)という怪獣映画がある。「大悪獣」とは凄いネーミングだが、ただの(?)怪獣である。
日本人と西洋人の10歳くらいの少年2人が、宇宙人に拉致され、宇宙人の宇宙船で地球外に連れて行かれる。その宇宙船が妙に小さい。
少年2人は、宇宙を飛びながらも、精神的には平静で強気だ。当時は、恐がらない勇敢な腕白坊主が流行っていたのかもしれないが、このメンタルの強さは異常だ。
すると、宇宙船の窓から外を見ていた少年達の目に、子供の味方ガメラが飛行しながら近付いてくるのが見えた。
この宇宙船とガメラが偶然出逢うなど、どう考えても確率的に考えられない。
しばらくガメラと宇宙船は並行飛行するが、宇宙船が速度を上げ、ガメラを引き離す。
それまで、脚のロケット噴射だけで飛んでいたガメラは、腕と頭も引っ込め、腕からもロケット噴射し、回転して飛ぶ。それでなぜ飛行速度が上がるのか不明だが、とにかく、ガメラの必死さは伝わって来るように感じる。
だが、宇宙船は速く、ガメラから遠く離れ、ガメラからは見えなくなる・・・と言っても、ガメラは頭を引っ込めているので、元々、見ていないような気もする。
そして、宇宙船はある惑星に到着し、少年達は宇宙船の外に出るが、やがて、感動的なことにガメラが到着する。
いったいどうやって、ガメラはこの惑星を特定出来たのだろう?
高速道路で時速200kmで走っている車を時速60kmで追いかけ、すっかり見えなくなったその車の行く先を勘で探り当てるどころではない難しさのはずだが。
この映画を子供の時に見た人(西洋人だったかもしれない)が、こんなことを語っていたらしい。
ガメラが大宇宙で少年達が乗った宇宙船を見つけたり、少年達が連れて行かれた惑星を発見したのは、ガメラの超感覚であると共に、神の意思が働いていたとしか考えられない。
そして、この映画では奇想天外なストーリーであったが、普通の出来事も、同じなのではないだろうか?
つまり、人が、入学した学校や就職した会社で誰かと出逢い、そこで何をするかも、偶然ではなく、その人の超感覚が働いたり、神のような存在に導かれているのである。
そう考えれば、この怪獣映画も、単なる非科学的な娯楽映画ではなく、ある意味、哲学映画、宗教映画、聖なる英知の映画になる。
どんなものも見る人次第なわけだ。
そして、この人が言ったことは、我々全員に当てはまる。
我々は、超感覚を働かせており、多くの人が神と呼ぶ高い存在に導かれていることは間違いないように思えるのだ。
そう考えれば、一切の不安はなくなるように感じるのである。
また、心理学者の河合隼雄さんが、人間は死んだら月に行くと信じている小学生の女の子を肯定的に見ていた話がある。
ストーリーを持った人間は強い。
いや、ストーリーを持たない人間は脆い。
もちろん、ストーリーの内容にもよるだろうが、このことは間違いないと思う。
そんなところからも、宗教の価値が分かるように思う。
まあ、物質的な権威で腐敗した宗教は害悪であろうが。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ガメラ対大悪獣ギロン ※Amazon Video(有償)
(2)マーフィーの超感覚力で成功する(ジョセフ・マーフィー)
(3)マーフィーの「超」能力!(ジョセフ・マーフィー)
(4)こころの最終講義(河合隼雄)

AIアート1464
「神秘光」
Kay