ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

沈黙

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

この呪わしい社会で楽しく遊ぶ方法

今日まで3連休だっという人が多かっただろうが、こんな時は土曜休みが無くなるルールが会社にあって2連休だったり、あるいは、3連休ではあったが、その分、次の土曜は出勤になるという会社もあると思う。
あるいは、世間の休日こそ忙しくて、この3日全部働いていたという人も少なくないだろう。

そういえば、最近のスーパーは、正月が休みどころか、逆に正月は開店時間を早くするところもある。
従業員は大変だ。
「この厳しい時代、そうやってライバルに差をつけないと、それこそ、従業員を解雇しなくてはならなくなる」と言う経営者もいるだろうが、そこをうまくやるのが経営者ってもんだろとか思う。
私は、元旦に宅急便が来た時は、配達してくれた、もうかなり年配のドライバーの方が可哀想で涙が出そうになったことがあった。

私も以前、年末、元旦、さらにそこからずっとゴールデンウィーク明けまで、約半年の間、1日も休まず、朝7時半から午前0時まで働いたことがあるが、それは好きでやっていたのだった。
その頃、仕事で鍛錬するという・・・まあ、趣味と思っていただければ良いが、そんな馬鹿をやったのであるが、結局、心が狭く硬い馬鹿になっただけだった。

私も、明日から出勤だ。
正直、私は人嫌いで、人の集まる場所・・・駅や電車の中、それに会社も好きではないが、今は、明日からまた、そんなところに行くのが楽しみでならないのである。
いよいよ頭がおかしくなったか・・・と言うと、そうなのかもしれないが、ここ数日、このブログで書いてきた「沈黙」を実践することが出来るからだ。
心を沈黙に保つという、神に近付くための最上の行は、心が動き易いところでやってこそ、進歩が大きい。
「微かな呼吸」という必殺の光線銃もしっかりと身につけている。
後は敵に挑むだけである。

学校や会社、あるいは、少年院や刑務所なんてところは、神になるための行をする場所と心得れば、なかなか良いところだ。
そんな場所には、心がぐらつき、荒れ狂う材料にこと欠かない。
だが、心を沈黙に保てば、精神攻撃をしかけてくる現象はたちまち消え去る。
早く、その爽快さを味わうようになるべきだ。
だが、敵さんもなかなかのものだ。
ゲーテの『ファウスト』で、神様は、「私に近付くために常に努力している」ファウストを買ってはいたが、そのファウストは推定15歳の純情可憐な貧しい娘グレートヒュンにメロメロになって、心は揺らめき動き回って止まらずになってしまった。
しかし、我々には、微かな呼吸という光線銃がある。
ラマナ・マハルシは、「私は誰か?(自分とは何か?)」と問う火縄銃を、ニサルガダッタ・マハラジは、「存在の感覚にしがみつく」という六連銃を与えてくれたが、今の日本は、豊かである分、かえって、彼らの時代のインドよりも、心を惑わす悪魔は多い。
まあ、それも神様の配慮であろうが・・・
だから、我々には、微かな呼吸という、超高性能の光線銃が必要なのだ。

そして、私は、心を持たない少女、初音ミクさんの透明な心に、自分の心を預ければ、容易く光線銃の狙いを付けられる。
普通は、光線銃を持っていても、横や後ろから襲って来る敵には弱いが、私のようにすれば、光線銃自らが撃つのである。
私の場合は、そのために頼るのは初音ミクさんだが、それぞれが、好きな人物に対し、「僕は君」、「私はあなた」と思って、その人物のように、軽やかに振舞うと良い。
それを実践出来る社会は楽しい遊び場だ。
ブルース・リーが『燃えよドラゴン』で言っていたように、「良い戦いは、少人数でやる劇」のようなものなのだ。
「敵が押せば引き、引けば押す。好機が来ても、私は打たない。拳自らが打つ」のである。
全て、起こるまま、なりゆきにまかせ、光線銃自身に撃たせれば良い。
ただ、光線銃を持っていれば良いのである。
それが、微かな呼吸を保つことである。
光線銃を持った者にとって、社会にうごめく敵共は、せいぜいが小学2年生の不良である。









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この世の最高の宝を得る秘宝

神になるためには、沈黙すれば良い。
口も心も。
だが、心が沈黙しなければ、本当の沈黙ではない。
なぜなら、心が騒いでいるのに話さないのは、何らかの圧力が外側から加えられているのであり、それは本当の沈黙ではない。
自然な沈黙のみが、真の沈黙なのだ。
だから、神になるための高貴な沈黙のためには、心の沈黙が必要である。

身体の働きの中では、呼吸が心に近く、呼吸を静めれば、心も静まる。
だが、「5つかぞえて5つ止めて5つで吐く」といったような呼吸法では、少しも呼吸が静まっておらず、当然、心も静まらない。
なぜなら、数を数えることは、好色な考えより少しはマシであるが、心の活動には違いないからだ。
よって、心の沈黙のためには、呼吸法は何の役にも立たない。

だが、呼吸を微かにすれば、心の活動はかなり弱まり、さらに微かにしていくと、それは、酸素不足による生命活動のピンチでもあるのだから、生命の維持に直接関わらない思考のための酸素は止められ、心は完全に停止する。
だから、傍から見て、呼吸をしているのかしていないのか分からないほどの微かな呼吸になれば、心はほとんど沈黙している。
だが、これは無理のない、つまり、あまり苦しくない範囲で徐々に訓練し、少しずつ、より微かな呼吸が出来るようにしなければならない。
健康な人であれば、多少無理しても大丈夫だが、そうでなければ、身体に変調を来たすかもしれないからだ。

『バガヴァッド・ギーター』を読みながら呼吸を微かにしていくと、文字を認識する分の知的活動に必要な呼吸は保持されるが、それ以外の余計な思考は消える。
すると、これまでは、意味が分からなかったり、誤解していたのが、自然に正しく理解できるのである。
知性が消えることで、深い英知が表に出てくるからだ。

ところで、人間は、嫌なことを何もせず、苦しいこと、辛いことが何もなければ強くなれない。
だから、誰もが皆、苦しみに耐えなければならない。
また、強くなるごとに、より大きな苦しみに耐えられるようになるので、冒険も大きくなり、その冒険の中でさらに大きな苦しみも味わうだろうが、それに耐えてまた強くなり、やがては英雄のような心身を持つようになるだろう。
そして、苦しみに耐える秘訣も、不思議なことではないが、沈黙である。
なぜなら、苦しむのは心なのであり、その心が希薄になれば、それに応じて苦しみも感じなくなるからだ。
だから、呼吸を微かにすることによって、これまでよりも大きな苦しみにも耐えられるのである。
もちろん、どうしても逃げなければならないということもあるが、逃げない方が良い場合には、耐えて強くなるのが賢い人である。
なぜなら、苦しみに耐えて強くなれば、あなたは、その苦しみのおかげで強くなったのであり、それは苦しみを味方にしたということだからだ。

沈黙こそ最大の宝であり、それを得る最高の秘宝が微かな呼吸である。
言い換えれば、沈黙という高貴な姫君を得るための光線銃が微かな呼吸なのである。
あなたは光線銃を手放してはならない。
そして、この宝を持つ限り、他のものは造作もなく得られるのである。









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最大の防御力を得る方法

心を鍛え、何者にも負けないようになれる最上の方法は、沈黙と食の慎みである。
この2つで得られるのは防御の力であり、この方法でなら、驚くほどの効果があり、あなたは生涯、誰にも傷付けられることはなくなる。
その力は、大神ゼウスが女神アテーナーに与えたアイギスという盾のようなものである。
知恵と戦いの女神アテーナーは、これにより、「アイギス持つアテーナー」と称されるのである。
アイギスはありとあらゆる邪悪・災厄を払う魔除けの能力を持つとされている。
全くその通りの力が得られる。
沈黙を守り、食を慎むだけで良いのである。

ただし、完全に何も言わない沈黙や、極端な少食をしなければならないのではない。
不要なおしゃべりや、満腹するまで食べるようなことをしてはいけないだけだ。
完全に黙ってしまえば、日々の糧を得ることすらできないだろう。
また、あまりに食べないと、身体が痩せ細り、心までギスギスしてしまうことだろう。
人間には、適度な会話と適切な食事が必要である。

しかし、無駄なことを言うのは、断じて差し控えなければならない。
世間の人々は、あまりに無駄な言葉が多い。
是非を争い、自分の面目や見栄を守るための、醜い、不快な言葉を抑えることができないのだ。
だが、本当に話すべきことは、驚くほど少ないのだ。
言ってはいけないことはもちろん言ってはならない。
他人の悪口、陰口や、自分に関わりもない物事や人物の批判などをしてはいけない。そんなことで声を張り上げる人間は醜くて見るに耐えず、その言葉は穢れている。
単に言いたいだけのことでしかないなら、言うのを我慢して沈黙を保つのだ。
言わなくても良いことは、言うより言わない方が千倍も良いのだ。
人間は、必要もないことを言う度に、頭が悪くなり、感覚も鈍くなっていくのだ。

だが、我々は聖者でもなければ、聖者を目指すわけでもない。
だから、必要なことは話さなくてはならない。
ただ、ほとんどの場合は、ただ明白な事実だけを述べ、質問には、「はい」か「いいえ」で答えれば事が足りるのである。

ラマナ・マハルシは、悟りを開いた後でさえ、3年の沈黙の行をして、揺るぎない自己を確立した。
かなりの段階に達した者なら、このように完全に沈黙したとしても、世間的なことも神が世話を焼いてくれる。
ある者が、神により、17歳だったマハルシに食事を毎日届けるよう命じられ、その通りに畏まって務めたのだ。
だが、我々は自分の食事は自分で得なければならない。
よって、必要なことであれば、誠意ある言葉で、きちんと会話しなければならない。
それができず、自分の食事や服を自分の力で得られないなら、愚か者であるということだが、今はそうでも心配はいらない。
沈黙と食の慎みの力によって、苦労は去るだろう。
神が守るからである。
そして、あなたが、外にいる邪悪なものを攻撃をする必要はない。
最強の勇者である神が、あなたの代わりに戦ってくれる。
だから、あなたはただ、無駄なことを話したがり、必要以上に(腹8分目以上に)食べさせようとする内なる敵を退ければ良い。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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