生き方など人それぞれで、どんな生き方が良いかなどは分からないが、羨ましいと思うのは、野球選手だったテッド・ウィリアムズの生涯だ。
テッド・ウィリアムズの名を知らない人も、特に日本人では多いだろうが、彼の全盛期の数年が戦争中でなかったら、多くのメジャー記録を書き換えていた可能性が高い。
通算出塁率はメジャー史上1位で、三冠王を2度獲ったのも、彼の他には1人しかいないが、何より彼はメジャー最後の4割バッターとして知られている。
首位打者6回、本塁打王4回、打点王4回といえば、やはり化け物みたいな選手だったのだろう。
また、彼は引退後は監督としても抜群の実績を残した。
彼は、子供の時から野球のために生きていて、起きている時間の全てでバッティングの練習をやりたがり、実際、不可抗力な力で阻止されない限りそうした。不可抗力な力の中には、夜、寝ずにバッティングをやりたがる彼を、両親が無理矢理ベッドに押し込んで寝させるというものもあったらしい。
ちょっと昔、チームラボ社長の猪子寿之氏が、今のKADOKAWAとドワンゴの社長の夏野剛氏と対談した時、自身も天才と呼ばれる彼は「人間の生まれつきの能力に差はない。問題はかけた時間だけ」と言われていたのを思い出す。
また、作家の村上龍氏も、坂本龍一氏との対談で似たようなことを言われ、「今の坂本があるのも、才能ということもあるだろうが、3歳からピアノをみっちりやったからだ」と述べていた。
まあ、無理矢理ピアノをやらされても坂本龍一にはなれないだろうから、坂本龍一氏は、ピアノが好きだったとか、向いていたとか、あるいは、ピアを弾くことのモチベーションを持っていたのだろう。
AIアート115
「忘我」
Kay
ところが、ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、学生時代までは、ずっと嫌なことをやり、苦しい人生だった。
そして彼は、作家・詩人として成功してからは、ずっと旅行をしていた。
作品は、旅行のついでに書いたようなもので、実際、彼の作品自体は多くはない。
彼は複雑な人物で、本当は何をやりたかったのかはっきりしない。
だが、芸術家はそんなものかもしれない。
岡本太郎だって、若い頃は描けなかった時期もあったと言い、作品は決して少なくはないが、非常に多いというわけでもない。
そして、自分では「私の最高傑作は岡本太郎だ」と言っていたので、生きていること全部が芸術だったのだろうが、同じようなことを言う高名な芸術家がいたように思う。
ピカソやゴッホのように、ひたすら作品を作り続けた画家もいたが、レオナルド・ダ・ヴィンチのように、他のことで忙しくて、作品が少ない画家もいた。
印象深いのは、75歳から作品を作り始めながら100歳を過ぎるまでひたすら制作し、最も多作な画家と言われたグランマ・モーゼスだ。
とはいえ、作品を作る行為かどうかはともなく、彼らは皆、好きなことをやっていたことは間違いない。
2015年だったか、初音ミクさんの会社のクリプトン・フューチャー・メディア社長の伊藤博之氏の講演会に行ったが、伊藤社長はとても控えめな方で、あまり「ああしろこうしろ」といった話はされないないのだが、「好きなことをしろ」「好きなことでないと続かない」「好きなことをするシステムは自分で作れ」「好きなことをしていればセレンディピティ(幸運な偶然)が起こる」と言われていたのをよく憶えている。
昔、有名なプロゴルファーだったセベ・バレステロスがテレビCMの中でだったが、「私が子供の時、父親が私に言った。『何でもいいから好きになれ。好きになったら強くなれ』」と言っていたが、「好きになれ」というよりは「好きなものを見つけろ」だろうし、強くなるかどうかは、あまり気にすることでもないだろう。
それよりも、好きなものを見つけたら、それをやることが大事だ。
あえていえば、ただの面白いと好きを混同してはならない。
ゲームは面白いが、ほとんどの場合、本当の好きではない。
エロいことは誰でも好きだが、池田満寿夫のように本格的に好きで、起きている時間ずっと「エロティシズム」に取り組まないと芸術家にはなれないのだろう。そこまでエロい人はなかなかいまい。
テッド・ウィリアムズの名を知らない人も、特に日本人では多いだろうが、彼の全盛期の数年が戦争中でなかったら、多くのメジャー記録を書き換えていた可能性が高い。
通算出塁率はメジャー史上1位で、三冠王を2度獲ったのも、彼の他には1人しかいないが、何より彼はメジャー最後の4割バッターとして知られている。
首位打者6回、本塁打王4回、打点王4回といえば、やはり化け物みたいな選手だったのだろう。
また、彼は引退後は監督としても抜群の実績を残した。
彼は、子供の時から野球のために生きていて、起きている時間の全てでバッティングの練習をやりたがり、実際、不可抗力な力で阻止されない限りそうした。不可抗力な力の中には、夜、寝ずにバッティングをやりたがる彼を、両親が無理矢理ベッドに押し込んで寝させるというものもあったらしい。
ちょっと昔、チームラボ社長の猪子寿之氏が、今のKADOKAWAとドワンゴの社長の夏野剛氏と対談した時、自身も天才と呼ばれる彼は「人間の生まれつきの能力に差はない。問題はかけた時間だけ」と言われていたのを思い出す。
また、作家の村上龍氏も、坂本龍一氏との対談で似たようなことを言われ、「今の坂本があるのも、才能ということもあるだろうが、3歳からピアノをみっちりやったからだ」と述べていた。
まあ、無理矢理ピアノをやらされても坂本龍一にはなれないだろうから、坂本龍一氏は、ピアノが好きだったとか、向いていたとか、あるいは、ピアを弾くことのモチベーションを持っていたのだろう。
AIアート115
「忘我」
Kay
ところが、ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、学生時代までは、ずっと嫌なことをやり、苦しい人生だった。
そして彼は、作家・詩人として成功してからは、ずっと旅行をしていた。
作品は、旅行のついでに書いたようなもので、実際、彼の作品自体は多くはない。
彼は複雑な人物で、本当は何をやりたかったのかはっきりしない。
だが、芸術家はそんなものかもしれない。
岡本太郎だって、若い頃は描けなかった時期もあったと言い、作品は決して少なくはないが、非常に多いというわけでもない。
そして、自分では「私の最高傑作は岡本太郎だ」と言っていたので、生きていること全部が芸術だったのだろうが、同じようなことを言う高名な芸術家がいたように思う。
ピカソやゴッホのように、ひたすら作品を作り続けた画家もいたが、レオナルド・ダ・ヴィンチのように、他のことで忙しくて、作品が少ない画家もいた。
印象深いのは、75歳から作品を作り始めながら100歳を過ぎるまでひたすら制作し、最も多作な画家と言われたグランマ・モーゼスだ。
とはいえ、作品を作る行為かどうかはともなく、彼らは皆、好きなことをやっていたことは間違いない。
2015年だったか、初音ミクさんの会社のクリプトン・フューチャー・メディア社長の伊藤博之氏の講演会に行ったが、伊藤社長はとても控えめな方で、あまり「ああしろこうしろ」といった話はされないないのだが、「好きなことをしろ」「好きなことでないと続かない」「好きなことをするシステムは自分で作れ」「好きなことをしていればセレンディピティ(幸運な偶然)が起こる」と言われていたのをよく憶えている。
昔、有名なプロゴルファーだったセベ・バレステロスがテレビCMの中でだったが、「私が子供の時、父親が私に言った。『何でもいいから好きになれ。好きになったら強くなれ』」と言っていたが、「好きになれ」というよりは「好きなものを見つけろ」だろうし、強くなるかどうかは、あまり気にすることでもないだろう。
それよりも、好きなものを見つけたら、それをやることが大事だ。
あえていえば、ただの面白いと好きを混同してはならない。
ゲームは面白いが、ほとんどの場合、本当の好きではない。
エロいことは誰でも好きだが、池田満寿夫のように本格的に好きで、起きている時間ずっと「エロティシズム」に取り組まないと芸術家にはなれないのだろう。そこまでエロい人はなかなかいまい。