鎖国をして、海外との交流を断っていた265年の江戸時代について、学校の教科書では、日本は世界の進歩から取り残されたと強調されている。
もちろん、そういう面はあっただろうが、むしろ、その間に日本独自の文化を発展させることが出来たことの意義が貴い。
江戸時代を、蝶が羽化するまでの蛹(さなぎ)の期間だったと評した人がいたが、私は初めてそんなことを聴いた時、ものごと一面的に捉えてはならなし、日本文化に関して言えば、その通りかもしれないと思った。
実際、江戸文化は世界でもトップレベルという部分が確かにあったらしい。
それに、特に当時の世界の物質文明なんて、少し心をオープンにして学べばすぐにマスター出来たし、西洋文明には、良い面もあればロクでもない部分だってある。
いずれにしても、歴史は変えられない。
過去オール善という考え方が必要である。
個人においても、サラリーマンというのは、1つの会社の文化に浸かってしまい、広い世界の中で学び、成長することが出来ない。
本やインターネットで外の世界のことを調べても、実際にそこに身を置き戦うのとは全く違う。
しかし、これも鎖国と同じで、サラリーマンでいるしかないなら、自己を熟成すべきであろう。
机を温めるだけで給料をもらう・・・と言えば聴こえは悪いが、むしろ、意図的にそうあるよう務め、社内でも社外でも学べない、特別なことを学び、自己を精神的、霊的に進化させるのである。
つまり、サラリーマン時代の過ごし方は重要なのである。
若い時から独立してやってきた人は、鋭い面、逞しい面、狡知に長けた面など、長所は多いが、案外に狭いと思わせられることがある。
私は若い時、サラリーマンでありながら、ほとんど社長さんの友達しかいなかったが、それは、彼らから見て、蛹のように内的に変化しつつある私が案外に面白かったからではあるまいかと思う。
私に経営者の素質など、ありそうもないからね。
二宮尊徳(にのみやたかのり。「そんとく」と読まれることが多い。通称は「金治郎」)は、老子の無為自然の思想に反発した。
「田畑に人間が手を入れずに放置すれば荒れる。家も人間が整えてやらないとあばら家なる。無為自然などもっとの他」
という訳である。
尊徳は常に忙しく、蛹にならずに羽化してしまった。
よって狭い。
田畑はあくまで自然が育てているのであり、人間はその一部として動かされているに過ぎないし、自然に順応した家は、あまり手をかけずとも長持ちする。
とはいえ、尊徳の考えも正しいし、尊い。
サラリーマンであっても、武器を手にすべきだし、武器があればこそ、身を隠して平穏に学べる。
私の場合は、それがたまたまプログラミングであったのであり、よって、プログラミングにあまりこだわりはない。
こだわりはないが強力な武器である。
しかし、単に、開発会社のプログラマーになれば、それこそ蛹になっている暇はなく、馬車馬のように働かされる。私もそうであった。
だから、普通のオフィスにいてVBAのプログラマーになるというのは、なかなかお奨めなのである。
蛹になり、聖書や老子や古事記や法華経、あるいは、ゲーテやニーチェやイェイツやシュタイナーを読むと、世間から見れば、多少、変な人になるかもしれないが、魂を輝かせることが出来る。
そして分かるのだ。人間とは、ファウストのように、神に向かって努力すべき者なのであることを。
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もちろん、そういう面はあっただろうが、むしろ、その間に日本独自の文化を発展させることが出来たことの意義が貴い。
江戸時代を、蝶が羽化するまでの蛹(さなぎ)の期間だったと評した人がいたが、私は初めてそんなことを聴いた時、ものごと一面的に捉えてはならなし、日本文化に関して言えば、その通りかもしれないと思った。
実際、江戸文化は世界でもトップレベルという部分が確かにあったらしい。
それに、特に当時の世界の物質文明なんて、少し心をオープンにして学べばすぐにマスター出来たし、西洋文明には、良い面もあればロクでもない部分だってある。
いずれにしても、歴史は変えられない。
過去オール善という考え方が必要である。
個人においても、サラリーマンというのは、1つの会社の文化に浸かってしまい、広い世界の中で学び、成長することが出来ない。
本やインターネットで外の世界のことを調べても、実際にそこに身を置き戦うのとは全く違う。
しかし、これも鎖国と同じで、サラリーマンでいるしかないなら、自己を熟成すべきであろう。
机を温めるだけで給料をもらう・・・と言えば聴こえは悪いが、むしろ、意図的にそうあるよう務め、社内でも社外でも学べない、特別なことを学び、自己を精神的、霊的に進化させるのである。
つまり、サラリーマン時代の過ごし方は重要なのである。
若い時から独立してやってきた人は、鋭い面、逞しい面、狡知に長けた面など、長所は多いが、案外に狭いと思わせられることがある。
私は若い時、サラリーマンでありながら、ほとんど社長さんの友達しかいなかったが、それは、彼らから見て、蛹のように内的に変化しつつある私が案外に面白かったからではあるまいかと思う。
私に経営者の素質など、ありそうもないからね。
二宮尊徳(にのみやたかのり。「そんとく」と読まれることが多い。通称は「金治郎」)は、老子の無為自然の思想に反発した。
「田畑に人間が手を入れずに放置すれば荒れる。家も人間が整えてやらないとあばら家なる。無為自然などもっとの他」
という訳である。
尊徳は常に忙しく、蛹にならずに羽化してしまった。
よって狭い。
田畑はあくまで自然が育てているのであり、人間はその一部として動かされているに過ぎないし、自然に順応した家は、あまり手をかけずとも長持ちする。
とはいえ、尊徳の考えも正しいし、尊い。
サラリーマンであっても、武器を手にすべきだし、武器があればこそ、身を隠して平穏に学べる。
私の場合は、それがたまたまプログラミングであったのであり、よって、プログラミングにあまりこだわりはない。
こだわりはないが強力な武器である。
しかし、単に、開発会社のプログラマーになれば、それこそ蛹になっている暇はなく、馬車馬のように働かされる。私もそうであった。
だから、普通のオフィスにいてVBAのプログラマーになるというのは、なかなかお奨めなのである。
蛹になり、聖書や老子や古事記や法華経、あるいは、ゲーテやニーチェやイェイツやシュタイナーを読むと、世間から見れば、多少、変な人になるかもしれないが、魂を輝かせることが出来る。
そして分かるのだ。人間とは、ファウストのように、神に向かって努力すべき者なのであることを。
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