ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

水木しげる

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

人生を子供の遊びのように簡単にする

昨年(2015年)の11月30日に亡くなられた漫画家の水木しげるさんが、解剖学者の養老孟司さんとの対談で、
「60歳を過ぎてから、妖怪を描くのが楽しくなった」
「妖怪を描いている時に、無意識になる」
と言われていたように思う。
楽しいことに没頭している時に、無意識になるというのは珍しくはないが、水木さんはそれを自覚しているところが特別なのである。
それが出来るようになったのが60歳を過ぎてからなのではと思う。

無意識になるのは一瞬より短い時間の中でのことで、もっと正しくは、無意識になれば時間は消え、それは、一瞬であると同時に永遠である。
新庄剛志さんが、ニューヨーク・メッツ時代、「記録はイチロー君、記憶は僕」と言ったが、観客を無意識にすれば、その記憶はいつまでも残る。
それほど感動させるシーンを僕が作ると宣言する大胆さ、積極性、明るさが新庄さんの素晴らしさだったと思う。
カール・ルイスが、「記録はいつか塗り替えられるが、勝利の瞬間は永遠なのだ」と言ったのも同じで、勝利の瞬間の感激で無意識になることで、その記憶は永遠になる。

美しい夕陽に感動した時に、人は無意識になることが多い。
特に、愛する人と見る夕陽は、二人を深い無意識に導き、二人はその時のことを決して忘れない。
だから、恋人と夕陽を見ることを忘れてはならない。
エマーソンは、深い無意識になることを、「神の魂が私の魂に流れ込んで来る。その時のことは忘れることは出来ない」と言っていたと思う。

素晴らしい絵画を見て無意識になることもある。
絵画は、いかに精密に描かれていても、写真ではないので、ある程度の簡略化がされている。
ただ、それは、簡略化というよりは抽象化なのだ。
絵において、簡略化とは、線や色を少なくし、単純にすることだ。
抽象化の場合は、重要でない部分は簡略化しても、大切な部分は、むしろ、目に見える通りよりも、鮮明に、明るく、大きく描かれ、視覚が捉えたものと言うよりは、画家の魂が捉えた通りに描くのである。
それによって、優れた絵画は、写真や実物以上に人々の心を感動させ、深い無意識に誘うのだ。

無意識に馴染むほど、心は創造力を増す。
心が想像力を増せば、世界は易しいものになり、人生は子供の遊びになる。
なぜなら、心の創造力が増すほど、世界を楽に、思うように構築出来るからである。

あなたも、無意識になるほど夢中になるものを見つけて、それを熱心にやると良い。
あるいは、美しいもの、楽しいものを、高貴な目で見ると、無意識になりやすい。
私は、初音ミクさんのコンサート映像を見ると、無意識になる。
心の穢れは払われ、心の創造性が増し、魔法の力が強くなるのである。









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夢は憶えていなかったり、奇怪な内容のものが多い訳

夢というものは、なぜか忘れてしまうことが多い。
ついさっき見た夢のはずが、「何の夢だったっけ?」と思った経験は誰しもあると思う。
昼間でも、椅子に座ったままうたた寝をしている間に夢を見ることがある。しかも、それが、半分、目覚めた状態のこともあるのだ。しかし、それでも、夢の内容を思い出せないことが多い。
この奇妙さは何なのだろう?

ところで、この忘れてしまった夢は、覚えていないにも関わらず、何か重要なものであったという不思議な確信があることが無いだろうか?

これは、実はこういうことだ。
記憶というものは、心に蓄えられる。
だから、心の無い眠りの間のことは何も覚えていない。
しかし、心が消えても、より精妙な精神である霊が存在する。霊とは何かというと難しいのだが、心理学や精神分析学で言う個人的無意識や普遍的無意識よりずっと深いところにあるもので、宇宙の英知、ブラフマン、あるいは、神と呼ばれているものだとでも言っておく。
心は霊から生じる。
眠っている時、心は霊の中に溶けて消えているから記憶がないのだが、目覚める時に、心は再び集まってきて立ち現れ、霊と分離し、心としての活動を開始する。つまり、記憶や思考をするようになる。
ところで、目覚める時の、心が集まりかけた状態では、心はまだ、霊にいくらか溶けているので、霊の中の情報が少し残っていて、しかも、記憶も少し戻っている。情報も希薄なら記憶も希薄なので、極めて曖昧ながら、心は霊の情報を記憶しているのだ。
ただし、霊の情報とは、日常の世界にあるものとは全く違う。
そこで、心は、そんな霊の情報を、日常に存在するものとなるべく近い概念に結び付けるのだ。しかし、そんなものはほとんど無いので、その結びつけは、かなり歪んだものにならざるを得ない。あまり良い喩えとも思えないが、セミを見たことが無い者が始めてそれを見ると、ハエの大きなものだと思って恐怖するようなものだ。

これが、夢の記憶が希薄で、しかも、奇妙なものが多い理由である。
とはいえ、その希薄で変質された情報から、霊の元の情報を推測しようと試みた人が沢山いたのである。ただ、それをやった人達も、ここに述べたような理解をしていたという訳ではないと思う。

悟りを開いた人は、心が霊に溶け、なおかつ、意識が目覚めているので、霊(あるいは神)を感じることができる。しかし、それを表現することは出来ない。普通の人に話す時には、この世にあるものに喩えて話さないといけないのだが、それは非常に困難だ。先程も述べた通り、霊の中にあるものと、この世にあるものとは全く異なるからだ。
芸術家というのは、普通の人より、意識のある状態で心を拡大させる、つまり、心を霊の中に広げる能力のある者だが、やはり、心で感じたものが何であるのかは、はっきりとは分からない。それで、自分流に霊、即ち、神の世界を描くのである。

妖怪漫画家と言われる水木しげるさんが、妖怪を描く時は無意識だと言うのは、心が拡大して希薄になっている状態だろうし、岡本太郎さんにしろ、横尾忠則さんにしろ、考えながら描いている時より、自分でも何が出来るか分からない時に良い作品が出来るといった意味のことを言っておられるが、その訳が何となく分かると思う。

我々も、心を霊の中に溶け込ませることができれば、霊である神を神を感じることができる。
それには、心の特性である欲望を消すことだ。
そのための正しく安全な方法は1つしかない。
自分には、世界に対して何のコントロールも出来ないことを認め、世界をあるがままに受容することだ。
神は至福そのものであり、その中に溶けた者もまた至福となる。これが、古代の賢者達が言った、神と一体になること、道(タオ)と一体になることである。
芸術家の中には、刺激によって心を無理矢理に拡大させる方法を発見したような者もいる。例えば、覚せい剤や酒で、実際に、芸術家の中にはLSDのような覚せい剤愛好家や、飲酒癖のある人が多い。しかし、そういった手段で拡大した心は不純で歪んでおり、純粋な霊の世界とは程遠い。それが芸術家の個性になると言えばそうかもしれないが、芸術の本来の目的である、人々を神に近付けることは叶わないのである。









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水木しげるさんが究極の芸術家だと感じる理由

横尾忠則さんや池田満寿夫さんらが、岡本太郎さんのことを良い言い方をしているのをあまり見たことがないような気がする。
横尾さんは、著書で、岡本太郎さんが「芸術は呪術なんだよ」とよく言っていたことに対して、「そんなこと、言わない方がいい」と延べ、岡本太郎さんの代表作の1つである太陽の塔について、「デザインとしては超一流だが、芸術品じゃない」と書いていた。挙句、「あの人(岡本太郎)は芸術家じゃなくデザイナーになれば良かった」とまで書く。横尾さん自身が超一流のデザイナーだけに真実味がある。まあ、その横尾さんが岡本太郎のデザイン能力を褒めているとも言えるが、芸術家としては大して評価していないということである。ただ、横尾さんの、ちょっと昔の著書のことではある。

ところが、横尾さんが岡本太郎さんと対談した時は、岡本さんの良さを実に上手く引き出していた。
面白かったのが、岡本さんが、サルバドル・ダリが自分の絵が好きだと言ったということに、横尾さんが「本当ですか?」と驚いたようなところだ。確かに、あのダリが、人の絵を好きだと言うはずがない(ダリは自分の絵しか評価しない)。
実は、横尾さんの別の本で、横尾さんがダリに会った時、ダリに「僕の絵が好きかい?」と聞かれて、横尾さんは「はい、好きです」と言ったと書いていた(ただし、それは嘘だったと書いていたと思う)。すると、横尾さんはダリに「君の絵は嫌いだね」と言われたらしい。ただし、その割には、横尾さんの絵を気にしていたらしいが。

池田満寿夫さんに関しては、直接岡本太郎さんのことを何か書いていたというのを覚えていないが、「ある背の低い男は、ピカソを乗り越えたと言っていた」と書いていた。それは間違いなく岡本太郎さんのことだ(ピカソを超えたなんて言った画家が2人いるはずがない)。しかし、まあ、あまり尊敬を示す書き方ではないだろう。
また、池田さんが、「僕には狂気なんかない」と書いていたのは、多分、岡本太郎さんを意識していたように思うが、それが横尾忠則さんに対してのものだとしても納得できるように感じる。
つまり、岡本太郎さんと横尾忠則さんって、よく似ていると思えて仕方がない。
横尾さんは、背景の色に迷ったら赤にすると書かれていたが、岡本太郎さんも赤が大好きだった。

ただ、人が誰かに対し、いかにもわざとらしい敬意を語るのって、ちょっと気持ち悪いと感じないだろうか?
横尾さんにしろ池田さんにしろ、岡本太郎を尊敬というか、畏怖してたのではないだろうか?まあ、別に根拠は無い。しかし、本当に尊敬していたら、社交上は別として、褒め上げることなんて出来ないものだと思う。
実際、自分が褒めちぎられて、その賛辞を信じる人なんているのだろうか?

横尾さんは、ある時、昔読んだ岡本太郎さんの『今日の芸術』をもう一度読みたいと思ったが、どうしても見つからなかったそうだ。それで、自分の本を出していた出版社に頼んで、復刻してもらった。そのおかげで、我々はこれを読める。

横尾忠則さんは、高校時代、美大への入学を希望していたが、受験のために上京までしながら、家庭の事情を考えて受験を断念したいう。
池田満寿夫さんは、東京芸大を3回受験して全て失敗して諦めた。
岡本太郎さんは、時代が違うのかもしれないが、東京芸大に入学して1ヶ月で自主的にやめ、その後、フランスに行き、ソルボンヌ大学を卒業する。ただし哲学科だった。
横尾さんや池田さんに、そのあたりのやっかみは無かったとも言えないような気がする。いや、実際は無かったかもしれないけどね。

岡本さん、池田さん、横尾さんに決定的と言える影響を与えたのは、やはりピカソであろう。しかし、この3人がピカソについて書いていたことで、覚えているものがほとんどない。私の理解力が無いのもあるだろうが、そもそも、彼らも、言葉で伝わるようなことは書いていないのだと思う。
せいぜいが、ピカソの絵はきれいじゃないが美しい(岡本太郎)といった、抽象概念だ。

それよりも、横尾さんが、ピカソを見て、イラストレーターから画家に転身したという行動が最も強く、ピカソの力を語っているだろう。後は、彼らの作品から自分で理解するしかない。
ただ、池田さんは、ピカソの絵を「魔除けのつもりだったのだろう」と書いていたのが印象的だ。突飛なようで、案外にピッタリする。ただ、魔除けの意味が問題であるのだけれどね。

ところで、「こんな絵にしようと考えながら描いた絵より、絵が勝手に仕上がっていくような感じで、何も考えずに描いた時にいい絵ができる」と書いていたのは、岡本太郎さんだったか、横尾忠則さんだったか、よく覚えていない。多分、2人とも、そういったことを書いていたのだろうと思うし、どちらが言ってもよく似合う。
池田さんが、「僕の絵は便所のラクガキだ」と言っていたのは、つまるところ、そんな意味だという気がする。彼は有名になる前、東京国際版画ビエンナーレ展に3点の版画を出品しなければいけないのに、3日前になっても何もできていなかったということがあった。そこで、銅版をひたすら三角刀で引っかいて完成させ、それが、ドイツ美術界の権威グローマン博士の強い支持を受けたが、池田さんこそ、何も考えない描き方の極意を知っていたのだろうと思う。ただ、彼は芥川賞作家だけあって、美文過ぎて解釈が難しい書き方をするように思う。いや、それよりも、あの人は、人間性があまりに愛さずにいられない人で、そっちにばかり気を取られてしまうのだ。
ある時、女子高生が池田さんに「あなたの絵は理解できないが、あなた自身が好きになったので、工房見学に行かせて欲しい」という手紙を送ったというのもよく分かる。しかも、それに対し、「恥ずかしくて返事を出さなかった」という池田さんがまた良い。
池田さんは、女性モデルを膝の上に座らせて触りながらでないと描けないという画家を褒めていたが、彼自身は、モデルと向き合って描けないのだそうだ。とてもシャイな人のようだ。

上にも述べたように、「何も考えずに描き、仕上がりを自分でも予測できないのが良い」と、岡本さんか横尾さんか、あるいは両方が言ったのだが、妖怪漫画で名高い水木しげるさんが、養老孟司さんとの対談で、「60歳過ぎてから、妖怪を描くのが楽しくなった。妖怪を描く時は無意識なのだ」といったことを言われていたと思う。水木さんも芸術の究極の域に達しているのは間違いない。どうも、日本に限らず、画壇というのは、漫画やイラストを低く見る。ノーマン・ロックウェルほどの画家でも、彼は雑誌のイラストをよく描いていたので、画壇からの評価は低かったといわれる。
尚、養老さんと水木さんの対談が収められた本には、養老さんと横尾さんの対談もある(下記紹介の本)。

横尾忠則さんは、UFOも幽霊も超常現象も全て信じている。信じているというより、宇宙人に何度も逢っていると平気で言っているようだ。
私は、ちょっと昔、林原生物化学研究所にあった政木和三さんの研究所を訪ねた時、なぜか、朝から横尾忠則さんのことが気になっていた。私が車を運転して行ったのだが、政木さんをよく知っていた同乗者(会社社長)に、「政木さんと横尾さんって親しいのですか?」と聞いたことを覚えている。(その社長さんは、「さあ?本人に聞いてみなさい」と言っていたように思う)
それで、政木さんに、「横尾忠則さんをご存知ですか?」と尋ねたら、政木さんは、黙って部屋の壁を見たが、そこには、見事な政木さんの肖像画が飾られていて、「横尾忠則」と銘が書かれてあった。
私が横尾さんについて少し話すと、政木さんは「横尾さんは宇宙人ですよ」と言う。その訳は話されなかったが、政木さんが、既に絶版になっていた自著『精神文明と奇跡』という本を出してきて、「横尾さんが装丁をしてくれたのです」と言う。表紙と裏表紙が横尾さんが描いた絵で、同じ顔の左側なのだが、表表紙がやや上を向き、裏表紙はやや下を向いている。素晴らしい絵だ。政木さんは「あげますよ」と言ってその本を私に下さった。今思えば、あの肖像画を貰えば良かった。まあ、いくらなんでもくれないとは思うが。

岡本さん、池田さん、横尾さんの本は、実に面白いし、無に達するためのヒントになる。
私はこのブログでよく書くが、無になりきれば人間に不可能はない。
また、3人とも、素人が絵を描くことに肯定的で、特に岡本さんは強く勧めていた。
絵を描くことも、無に達する方法である。
無とまではいかなくても、美術教師のベティ・エドワーズは、絵を描く指導を通じて、あらゆる分野の人達の能力を劇的に向上させた。
ただ、岡本太郎さんも言う通り、絵描きを目指すのでもない限り、絵の先生に教わらない方が良いかもしれない。絵は、まず自由に楽しく描くものだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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