『BLOOD-C』というアニメで、最初に語られえたのが、「人間は生まれだろうか?育ちだろうか?」という疑問だった。
いわゆる、「氏(うじ)か育ちか」論争として知られるものである。
生物学・・・というか、科学の世界では、これまでは、圧倒的に氏論が主流だ。つまり、あらゆる生き物は遺伝子によって全て決まる。
これは、ダーウィン派にとっては、絶対的真理であるが、当のダーウィンは、晩年、そうは思わなくなっていたらしい。
氏論として、よく知られている話に、陸上競技選手だった為末大さんが「アスリートは才能が99%」と言い、一流のスポーツ選手になれるかどうかは、持って生まれた才能、即ち、DNAで決まるのであり、才能がなければ、いくら努力しても無駄というものがある。
しかし、生物学者のブルース・リプトンは、「DNAに生命体をコントロールする力はなく、重要なのは環境」と言い、最先端の生物学研究もそれを認め始めていると説く。
モーツァルトが幼い時に素晴らしいピアノ演奏をし、優れた作曲をしたのは、まさに天才のなせるわざとと考えられることが多い。
イチローは、自分は天才ではないと言うが、まあ、ほとんどの人は、本人のそんな言い分を信じないだろう。
西尾維新さんの『物語シリーズ』のどれだったか覚えていないが、天才バスケットボール選手の少女が、「サッカーや野球をやっている多くの子供が、大きくなったらセリアAに入るだの、メジャーリーガーになるだのというが、才能がなければ全く不可能」と言うのが、何か実感がこもっていたように感じたものだ。
もちろん、いかに才能があっても、環境や本人の意思がなければ駄目なことは言うまでもない。
また、人間もそうだが、生物は、ごく幼い時に、脳に刷り込まれたことによって、一生が決まるという説もある。
人間でいえば、3歳までに、何を脳に覚えさせたによって才能が決まるのであり、モーツァルトも一流アスリートも、3歳までに彼らの才能を発揮させるための刷り込みが脳に行われたのである。
結論は出ていないのだと思う。
私は、ごく最近までは、為末派・・・つまり、氏論者だった。
ところが、ずっと昔は育ち論者だった。
しかし、今は、「氏か育ち」ではなく、「意思と環境派」であり、最終的には、意思が重要であると思う。
ジャン=ピエール・プチの『宇宙人ユミットからの手紙』という、まあ、あまり信用されていないかもしれない本があるが、その中で、イエス・キリストは他者のDNAに影響を与えることが出来たようなことが書かれていたが(実際は、イエスは他者に影響を与えるDNAを持っていただと思うが、そのように考えても良いのではと思う)、私は、それが本当だったのではないかと思う。非科学的と言われるかもしれないがね。
と言うのは、人間ってのは、何かのきっかけで、全く別人にコロっと変わってしまうものだからだ。
そんな時、多くの場合、変わった本人も「自分は少し前の自分と全く違う人間」と感じていることがある。
私は、子供の時、大好物だった食べ物が、突然、嫌いではないが、あまり好きでなくなったり、好きで仕方がなかった女の子への興味が、やはり突然なくなるといった経験があるが、これも、本質が変わったからであるのだと思う。
天才の支配霊・・・こういった言い方が好きでなければ、天才の生命体が宿ると天才になるという話があり、実際、ある日突然、何かの才能に目覚める人もいる。
しかし、それらも、本人の意思と全く無関係ではない。
という訳で、とりあえず個人的な考え方とするが、才能も意思次第であり、DNAは意思の力で変化もするし、意思の力で発動する。
そのやり方も、セミナーに何十時間も行かないと分からない複雑怪奇なものではなく、誰でも自然にやれることで、むしろ、「専門家」に教わることで不自然になる。
要は「人間は変われる」と覚えておくだけで良い。
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いわゆる、「氏(うじ)か育ちか」論争として知られるものである。
生物学・・・というか、科学の世界では、これまでは、圧倒的に氏論が主流だ。つまり、あらゆる生き物は遺伝子によって全て決まる。
これは、ダーウィン派にとっては、絶対的真理であるが、当のダーウィンは、晩年、そうは思わなくなっていたらしい。
氏論として、よく知られている話に、陸上競技選手だった為末大さんが「アスリートは才能が99%」と言い、一流のスポーツ選手になれるかどうかは、持って生まれた才能、即ち、DNAで決まるのであり、才能がなければ、いくら努力しても無駄というものがある。
しかし、生物学者のブルース・リプトンは、「DNAに生命体をコントロールする力はなく、重要なのは環境」と言い、最先端の生物学研究もそれを認め始めていると説く。
モーツァルトが幼い時に素晴らしいピアノ演奏をし、優れた作曲をしたのは、まさに天才のなせるわざとと考えられることが多い。
イチローは、自分は天才ではないと言うが、まあ、ほとんどの人は、本人のそんな言い分を信じないだろう。
西尾維新さんの『物語シリーズ』のどれだったか覚えていないが、天才バスケットボール選手の少女が、「サッカーや野球をやっている多くの子供が、大きくなったらセリアAに入るだの、メジャーリーガーになるだのというが、才能がなければ全く不可能」と言うのが、何か実感がこもっていたように感じたものだ。
もちろん、いかに才能があっても、環境や本人の意思がなければ駄目なことは言うまでもない。
また、人間もそうだが、生物は、ごく幼い時に、脳に刷り込まれたことによって、一生が決まるという説もある。
人間でいえば、3歳までに、何を脳に覚えさせたによって才能が決まるのであり、モーツァルトも一流アスリートも、3歳までに彼らの才能を発揮させるための刷り込みが脳に行われたのである。
結論は出ていないのだと思う。
私は、ごく最近までは、為末派・・・つまり、氏論者だった。
ところが、ずっと昔は育ち論者だった。
しかし、今は、「氏か育ち」ではなく、「意思と環境派」であり、最終的には、意思が重要であると思う。
ジャン=ピエール・プチの『宇宙人ユミットからの手紙』という、まあ、あまり信用されていないかもしれない本があるが、その中で、イエス・キリストは他者のDNAに影響を与えることが出来たようなことが書かれていたが(実際は、イエスは他者に影響を与えるDNAを持っていただと思うが、そのように考えても良いのではと思う)、私は、それが本当だったのではないかと思う。非科学的と言われるかもしれないがね。
と言うのは、人間ってのは、何かのきっかけで、全く別人にコロっと変わってしまうものだからだ。
そんな時、多くの場合、変わった本人も「自分は少し前の自分と全く違う人間」と感じていることがある。
私は、子供の時、大好物だった食べ物が、突然、嫌いではないが、あまり好きでなくなったり、好きで仕方がなかった女の子への興味が、やはり突然なくなるといった経験があるが、これも、本質が変わったからであるのだと思う。
天才の支配霊・・・こういった言い方が好きでなければ、天才の生命体が宿ると天才になるという話があり、実際、ある日突然、何かの才能に目覚める人もいる。
しかし、それらも、本人の意思と全く無関係ではない。
という訳で、とりあえず個人的な考え方とするが、才能も意思次第であり、DNAは意思の力で変化もするし、意思の力で発動する。
そのやり方も、セミナーに何十時間も行かないと分からない複雑怪奇なものではなく、誰でも自然にやれることで、むしろ、「専門家」に教わることで不自然になる。
要は「人間は変われる」と覚えておくだけで良い。
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